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世相

平成28年 正月

  • 2016年01月

                                                    

世相日本世界感じるままに        榎本機工㈱ 社長 榎本良夫

 

「自動車・飛行機・ロケット・人」

技術は一朝一夕で構築されるものでは無い。なぜならばそれらは長い間の失敗の積み重ねにより進歩発展して行くものだからだ。そしてそれは人が受け継ぐのであるから、やはり人を育てて技能技術を継続発展させなければならない。

三菱重工が満を期して開発したリージョナルジェットは小牧空港からようやく離陸した。これに先だってホンダは、機体もエンジンもゼロから独自開発した小型ビジネス機をすでに飛ばしている。ホンダの飛行機は過去の事例にとらわれない斬新的な設計という事だ。戦前戦中、世界屈指の飛行機産業国であった日本は、敗戦にともなうアメリカの占領政策により飛行機を作れなくなり、多くの航空機技術者がやむなく自動車産業に転向した。三菱重工と並んで沢山の飛行機を開発製造した中島飛行機の技術者達は、富士重工やプリンス自動車(日産に吸収された)、そしてホンダに移りその技術はホンダF-1レーシングカーや、現在の富士重工のマニアックな自動車に受け継がれている。そして今それらをルーツとする技術がホンダの飛行機として花開いた。時共にして、三菱重工のロケットも多数の実績が出来、宇宙産業も日本の産業の一つとして花開こうとしている。日本のしぶとい職人技術が連綿として人によって受け継がれて今に至った。しかしながら技術の伝承と新しい産業の構築にはお金がかかる。ホンダは飛行機開発を自前資金で行った非常に日本らしいやり方だ。しかし大型ロケットはそうは行かないだろう。国の予算を削減という話があるがとんでもない。新技術確立には長い道のりが必要でそこに人的資源と資金を投入しなければならない。新技術は何時とも怠りなく継続前進させる事が必要で、そこにまた新しい産業が創設され、それによる波及的産業も構築され徐々に産業の裾野が広がって行くのである。戦後の自動車産業を見てみれば良い。

もっとも重要なのは人材育成だ。すべては人が受け継ぎ、人がやるのであるから当然だが、残念ながら現在ここが最も立ち後れている。国の施策ももっとここに力を入れないといけない。どの分野においても、競争力に長けた若い人材を育ててゆかないといけない。教育改革はかなり立ち後れている。

 

「航空機産業」

ホンダのビジネス機は先行して飛行テストを続けている。三菱MRJもようやく空に羽ばたいた。実は航空機産業はその先がもっと大変なのである。ビジネスとして収支がなりたつかどうかという問題だ。YS11は飛行機自体優秀であったがそれで失敗した。自動車販売でも判るとおり、売るとなると、ビジネスが継続しなければならない。広範囲にわたる保守体制、サービス網が必要となる。何しろ製造は途切れる事なくコンスタントにこなさないと売り上げが立たない。製造工場も量産となると変わってくる。人も多数かかえる事になる。自動車は長い時間かけてこれらをこつこつと築き上げてきたものだが、これから飛行機を売るとなると非常に大きなビジネスリスクがついて回ってくるのである。折角開発した優秀な飛行機だ。今度はなんとかやってもらい、日本の航空機産業の歴史を塗り替えて欲しいものだ。

 

「オリンピック東京大会」

半藤一利の昭和史を読むと、時の政府や政治家達が、誰が止める事もなく日本が何となく戦争回避できず、開戦強行派に引きずられてアメリカに戦争をしかけて行ってしまったという感じがしなくもない。天皇を前にした御前会議でのやりとりは、時間切れ手遅れで、戦争を始めてしまったという感じがする。

物事を運んで行くうちに、なんとは無く、ある一定のあやまった方向に進んで行ってしまい、最後に手遅れになる。最近の企業の不祥事にもそれが見て取れる。そして2020年開催の東京オリンピックエンブレム決定や、競技場建設においてまだその傾向が読み取れるのである。なぜ、誰がやってそうなってしまったのかきちんと責任を追及しない。

 

「上海、国家会展中心」

2014年10月に、上海虹橋空港の西にオープンした新国際展示場で、クローバー形をした展示場は総面積50万㎡、敷地150万㎡と世界最大の展示会場である。写真1,国家会展中心(空から)-s

空港と展示場の間には高鉄(新幹線)の上海虹橋駅がある。空港と高鉄駅は一体となって利便性が高く、その横に今回巨大展示会場が出来たのである。従来からあった浦東の新展示場も広大だが、大きな展示会では仮設テントが設営されていた。この国家会展中心は仮設テントも不要なのである。12月に開催された自動車部品展、オートメカニカ上海はこの会場をほぼ全部フルに使用した。

写真2,オートメカニカ上海-s

ボッシュ、ZF, イートンやアイシンなど著名な世界的部品メーカーも含め参加企業数5300社。台湾、シンガポール、ドイツ、トルコ、日本や、はたまたタイ、インド、パキスタン、イランなどのナショナルブースも設営された。これほどまであるのかと思うほどの中国の自動車部品メーカーは、特に浙江省など海岸地区からの出展が非常に多い。多数のアフターパーツメーカーも出展し、それを目当てに中近東や北アフリカ諸国、そしてロシアからの買い付けバイヤーが多数訪れているのがいやでも目に付いた。弊社も日本ブースにて出展し、成果を上げた。

写真3、オートメカニカ上海榎本ブース-s

 

「中国タクシー、目的プラスα」

中国のタクシーの乗車拒否と価格のふっかけは並の旅行者ではうんざりする。一仕事だ。まして雨にでもなればタクシー利用者が急増して車を捕まえることさえままならないのである。最近スマホのアプリで近辺に居るタクシーを容易に呼べる様にはなったのだが、目的地が近距離では来てくれなくて、地元の人は仕方なくバスを使ったり、地下鉄を利用することも多い様だ。地下鉄は問題が無いが、バスは外国人旅行者には無理だろう。一方、メーターOKで乗車すれば、間違いはほとんど無い。きちんと釣り銭やレシートを渡してくれるのである。この点は正直で安心できる。いずれにしても中国のタクシーは非常に良くなったという事ではあるが、残念ながら車内の質がいまひとついただけないのである。汚く臭い。タクシー利用の目的は移動の手段であるので、目的は達するが、プラスアルファのおもてなしはゼロに近い。目的から言えば早く、安全に、安く、なのであり(安全という面ではちょっと問題があるか?)それはそれで目的は達するので文句言うなという事であるかも知れない。プラスアルファが充実するにはまだまだ時間がかかるはずだ。

 

「インドネシア新幹線」

日本にも、中国にも発注せず、再検討する、、と、依然したたかな駆け引きをするな、と感心したのもつかの間、その直後結局中国製を導入する事に決まった。多分最初からそう決めていたに決まっている。とりあえずパーフォーマンスと儀式をやったにすぎないだろう。国の借り入れ資金保証無しで、ある意味勝手に作ってくれるというのだから、有り難いばかりの提案で、こちらに決まったのもやむを得なかっただろう。仕方がない。中国の高鉄(新幹線の呼称)、多くの駅舎は開業数年でかなり傷みがひどい。列車さえ安全に走れば駅舎は二の次、と言った感じである。恐らくインドネシアでこれから建設される物も同じであるか、もっとひどい可能性がある。ただで作ってやるんだから黙っていろ、だろう。予定通りきちんと作るのだろうか。そもそも約束納期が早いので、結果はいずれ遠からず出る。ジャカルタ市内の移動手段はすべて道路上の車両となり、朝夕の渋滞はうんざりで、空港へ移動する時などは時として気が気では無い。郊外行きの電車は日本の中古車両が活躍している。市内を走る地下鉄やモノレールが早く出来て欲しいものだ。昨年12月、弊社はまたマシンツールインドネシアに出展したが

写真4マシンツールインドネシア-s

交通渋滞は諦めるしかない。半ば慣れっこになってしまった。

 

「ベトナム電線」

足繁く通うベトナムであるが、最近ふとホーチミン市の町並みで変化に気づいた。ひとつは地下鉄工事でホーチミン像がある市の中心部が大幅に衣装替えしたこと。これはいやでも目につく。そしてもう一つは電線が一挙になくなりつつあるという事だ。

写真5, ホーチミン、消えた電線-s

数年前まで、どうやって電線を管理しているのかとびっくりするほどの電柱の多数の配線だったが、これが市の中心部から徐々に地下埋設に変わり、一挙に姿を消している。昔の電柱は見事だった。ベトナムの風物詩が一つ減ったといっても良いのだろうか。

 

「ブラジル、コピー裏紙」

ブラジルで弊社の仕事を手伝ってもらっている日系ブラジル人の高橋さん、私が捨てようとしたコピー紙の裏面がまだ使えると彼は捨てない。両親や祖父母から教えられたのだろうか。彼は日系3世のブラジル人で、生まれも育ちもブラジルなので日常食べるものもブラジル食。しかし日系家庭でしつけられて育った、日系ならではの考えと行動があるのだなとふと思った。

 

「車、変わるミャンマー」

ヤンゴン市内、以前来るたびに楽しかった市内を走るダットサンやミゼット、トヨエースなどが一掃されて無くなってしまった。戦後賠償で日野自動車から技術供与された国営国産のボンネットトラックも無くなったし、一時急増した中国の軽乗用車チェリーも無くなった。これらの車を廃車すると新しい中古車を輸入できるライセンス制度のお陰だ。この制度によりヤンゴン市内を走る車のほとんどが比較的新しい日本の中古車となった。私の住む神奈川県のバス、神奈中バス(神奈川中央交通)がまだ依然多数走っているのはうれしい。ちなみにヤンゴン市内は二輪禁止で、オートバイは無い。ミャンマーはあるとき突然、イギリス式の左車線走行が、アメリカ式の右側走行に変えられてしまった。従って日本の中古車のハンドル位置は安全走行上あまり適さない。これにより近々法律が変わり逆側ハンドル(つまり日本車)の中古輸入が禁止になるという事で、日本からの中古車輸入ルートが全滅する可能性があり侃々諤々の論議がされている。これをして、韓国からの仕掛けではないかという推測がされているが、その可能性は高いだろう。しかし走行車線の左右からすれば安全上それは正しいかも知れない。反対側のハンドルは安全面で問題がある。走行車線がこのまま変わらないのであれば、いずれ遠からずハンドルの位置は徐々に逆になって行くだろう。新車ならまったく問題が無いが、日本の中古車にとっては逆風だ。ハンドル位置を逆に改造して送り出す手法が必要となるのである。

 

「政治、変わるミャンマー?」

総選挙でスーチーさん率いる政党が軍政に対して圧勝した。選挙前から間違いなくそうなると予想されていたので、国内総選挙そのものが軍政により延期されるのでは無いかとも噂されていたが、それは無かった。軍政がすんなり政権を委譲するのであるかどうか、まだ不透明である。過去、選挙結果そのものを認めず政権に居座った歴史的事実もある。最近勃興している新興企業は軍と癒着しているというか、軍と癒着していないと事業が成り立たない。このあたりも自由活発な経済活動が今後可能になるのかどうか、期待されるところであろう。

ロヒンギャと呼ばれる国内西部に居るイスラム教徒の民族に対する圧制(今回選挙には参加できなかった)。ミャンマーではインド人かと思う顔立ちの人たちが結構居るが、バングラディシュ国境から入って来た人たちが多く、ロヒンギャも元を正すとそうである場合も多い。多くのミャンマー人は彼らはバングラディシュから勝手に入って来た人たちだと言っている。これも今後どうなって行くのか問題だろう。

投資の話は活発だが、依然インフラは整っておらず、産業基盤は脆弱で、諸工業が活発になるにはまだ10年に近い時間が必要だと思っている。

 

「ミャンマー、仏教の都バガン」

旧称パガン。ミャンマー中部のマンダレー地区にある町である。バガンは、広くこの遺跡群の存在する地域を指し、ミャンマー屈指の仏教聖地である。

イラワディ川中流域の東岸の平野部一帯に、大小さまざまな仏教遺跡が林立し、その一部である城壁に囲まれたオールドバガンは、考古学保護区に指定されている。

写真6,バガンの寺院群-s

点在するパゴダや寺院のほとんどは11世紀から13世紀に建てられたもので、大小、新旧3000を超える。多くはこの土地から作った煉瓦を素材としているので赤茶色であるが、漆喰を塗った白色の物も多い。

バガン遺跡は、16平方マイルのエリア内にあり、当時のバガンは、最初のビルマ統一王朝であるパガン朝の都でもあった。

カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつとされている。

ミャンマー政府はユネスコの世界遺産として登録を申請したが、パゴダなどの修復に問題があったことと、軍政府がゴルフコース・リゾートを作った際、そこに61mの展望台を作り著しく景観が損なわれた為、登録には至っていない。

バガンの遺跡群から川を背にして山に向かい、車で2時間ほどの所に、死火山である標高1500mのポパ山があり、そこの中腹に豪華な作りのポパマウンテンリゾートがある。外国人観光客向けで、欧米からの観光客が多い。

このリゾートの正面に高さ737mの見事に屹立したタウン・カラットと呼ぶ細長い山があり、その山頂にはミャンマー在来の土着信仰ナッ信仰の総本山の寺院がある。

写真7, ポパ寺-s

垂直にとがった高い山の奇形は、これが太古の火山の噴火口の溶岩の通り道であったからの様だ。岩頸(がんけい)と呼ぶらしい。周囲が浸食された後硬い岩頸だけが残ったという事だ。下から頂上の寺院に上り詰めるまで小一時間はかかり、途中には多くの土産物屋と沢山の猿が居る。

おかしかったのは、猿のえさ(豆)を売っている人と猿が完全にグルになっていて、お金を出しそうなこれぞと思う人に対して、餌屋の人が猿に目配せし、猿が参拝客の服の裾をつかんで離さない。動きが取れなく立ち往生して助けを求めると餌屋が袋に入った豆をまく、すかさず猿は裾を放し餌に向かい、最後は餌屋が豆代を頂戴するという筋書きなのである。

 

「ハロウィーン」

知り合いが渋谷のハロウィーンの扮装の混乱をどう思うかと眉をしかめながら聞いてきたものだが、どうやら若者の世相を批判してもらいたいという感じと取った。いいじゃない、大賛成と返答しものだから、拍子抜けした様であった。故岡本太郎画伯が「人生は爆発だ」と言った。大阪万博の会場に太陽の塔を作ったころではなかったかと記憶している。昨今の若者が部屋に引きこもってパソコンやスマホいじりばかりしているのが、大挙仮装して集まって大騒ぎする方がよほど元気が良い。ああやって沢山集まってくれば連帯感も湧くし、経済効果もある。ラグビーをはじめとして、スポーツ界にも新しい風が吹き始めてきた。体操もまた、昔日の前の東京オリンピックを彷彿とさせる様な沢山の技量の高い選手が出てきた。しぶとくがんばっている選手達に喝采したい。人生は爆発だ。一度しかない人生で大爆発をさせてもらいたい。日本経済も今決して悪くはない。日本政府の持つ莫大な借金など大きな問題も山積しているが、個々の国民が爆発して改善して行こうでは無いかと思う。今年の貴殿の御健闘をお祈り申し上げます。大爆発を!

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