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世相

平成28年 夏

  • 2016年07月

世相日本世界感じるままに        榎本機工㈱ 社長 榎本良夫
 
「民意・政治」
遠く昔、大学生の頃、沖縄の西表島で1ヶ月ほど生活した事がある。沖縄が日本に戻って来た頃の話だ。当時の西表島はある意味秘境だった。島の主な産業はサトウキビとパインアップル栽培。島のあちこちを切り開いていた。折角のすばらしい自然を壊して、、と言う意見は外からの視線で、そこで生活している人たちにとっては生活がかかっているから致し方ない。外から見る理想とそこに居る人たちの現実との乖離である。
イギリスは、民意によりEUからの離脱を決めた。民意は閉塞感がある現実の生活から出た。民意は民意ではあるが、政治性を伴わない。国の将来、世界での立ち位置など民意と政治(外交)をうまく調整するのが政治家の役割であったはずである。
もう一つ重要な事は、圧倒的大差であったら仕方が無いが、僅差であった事である。国民の判断はほぼ五分五分であった。イギリスのした選択には手法の誤りがあったと思っている。 民意は足元しか見ていない。政治は前方45度と、水平線を同時に見て足元の問題の調整をする必要がある。それをするのがプロである政治家だ。
欧州統合が夢の又夢に終わるのであろうか? また元の木阿弥になるのであろうか? 過去ローマ帝国は力でヨーロッパを統合したが、やはり行き着く先はそれぞれの民族による自決であった。第二次世界大戦後、モザイク国家と言われたユーゴスラビアは指導者チトーの強力なリーダーシップにより均衡を保っていたが、死後いくばくもなく多数の死者を出す内戦が勃発し、最終的には、セルビア、スロベニア、クロアチアなどの国々に分裂して現在に至っている。歴史は繰り返すのであろうか。
アメリカ大統領選挙もこれで雲行きが怪しくなるかも知れない。イギリスのEU離脱の民意とアメリカのトランプ支持の民意はほぼ同じ内容である。トランプが大統領になったら何が起こるのだか。続発するフランスのテロ、トルコのクーデター、世界は混沌としてきた。

 

「農耕・脳耕・読書」
農耕とは土を耕し穀物や野菜が育ちやすくする手法である。土が優しく肥料が十分であれば農作物は豊かな実りを約束する。脳耕と言う言葉は一般的では無いが、頭もたがやす(耕す)必要がある。
身の回りで起こる色々な事象出来事、あるいは遭遇するいろいろな出来事・事柄に対し、常に疑問を持つ性行性癖、そしてそれを推測推論し理解する思考行程。思考を巡らすこの過程で頭に磨きがかかる。それによって高度な判断が出来る様になり、人格も高まり、人生が豊かになる。何事も疑問を持たないのは脳耕をしていないからだ。「なぜ」という行動が起きない。脳を耕すに最も良い手法、それは読書だ。

 

「ロシア、交通マナー」
 今年5月のロシア出張。モスクワでふと気づいた交通マナーの大きな変化。横断歩道の手前で立っていると車が止まってくれるのである。昨年までは経験しなかった現象だ。交通ルールが厳しくなったのに間違いは無い。車の安全ベルト着用も厳しくなったはずで、車に乗ると着用を促される。ロシア人達は比較的おおらかで、反面自分たちのする事にもおおらか過ぎて勝手気まま、歩道に乗り上げた駐車で歩道を人が歩く事も出来ない事もあったのも事実なのであるが、少しずつではあるがチェンジが感じられる。

 

「ロシア、昆布」
 モスクワの展示会での滞在はずっと長い間、毎年安いアパートを短期で借りていた。朝食は黒パンでの簡単な自炊だ。ロシア経済の低迷で通貨ルーブルが安くなり、一部のホテルが安い部屋を提供する様になったので、今年の春はホテルに滞在する事にした。典型的な昔の国営のホテルと言う事だが、部屋が何しろ広くて有り難い。朝食のサラダバーに細切り昆布があったのにびっくりした。一旦ゆでてあるので、醤油で食べると和食風味になる。昆布を食べる様になったのは最近の事であるらしい。閉じこもってばかりいては世情に疎くなるな、と反省した。ついでだが、モスクワではウナギもおいしい。ロシア料理で蒲焼きでは無い。

 

「銃、エスカレート」
 アメリカで銃の保有が規制される事が無いであろう事は十分理解できる。自分の身は自分で守るしかないという根強いポリシーだ。悪徳警官、悪徳陪審員、そして今、この時目の前で強盗に銃を突きつけられたとき、「お巡りさん助けて」と言ってもそこに助けてくれる人は居ない。日本であっても不条理に殺害される事件が多発している昨今、最低限許される護身装備も必要なのかなと考えてしまう。
アメリカでは銃保有は基本的に護身なのであるが、簡単に人を殺傷できるからどうしてもテロや強盗などの殺人にも使用されてしまう。テロがあるたび銃の販売量が上がるらしい。護身用が増えればそれを上回るさらに強力な他殺用が増える。開発も進む。ますますエスカレートしてしまうのである。国と国との武器も同じ、核兵器が拡散している。進化を続けるコンピューター・センサー技術がこれに拍車をかけている。SF映画その物の、ロボット軍団が戦争をする時代にまさに入りつつある。

 

「子供・食事取り合い」
映画007の最新作「スペクター」、カッコウの托卵(たくらん)がテーマだ。ボンドがカッコウの卵だ。
もう3代目ボンドだったか、本当にカッコウいい!カッコウはモズなど他の鳥の巣に卵を産んで他の鳥の親に育ててもらう。カッコウの卵の方が本来の親鳥の卵より早く孵り、孵った後親鳥の卵を巣から落としてしまい、自分だけが仮の親がせっせと運んでくれる餌を独占して成長し、巣立って行くのである。カッコウに限らず、生まれたての子供にとって、餌の取り合いは自分の生き死に関わるので事ほとんどの動物も、鳥も同じである。餌に、乳にありつけない弱い子供や雛は、元々何らか弱いか小さいので最初から淘汰が前提となってしまうのである。思えば私自身も小さな頃、弟とイチゴやスイカの分配ではしょっちゅう取りっこの喧嘩をしていた。記憶は生々しく残っている。お皿に盛られた大きく・沢山見える方を分捕るのである。最後はめかたで計測だ! 母親同士が、うちも同じよ、と笑いながら談笑していた記憶もよみがえる。現在もうこの年になるとそんな事はしないし、しないで良い生活環境に存在している事に感謝もする。これから何十年も生存して行かなければならない子供達に取って食べ物は取りっこになるのが、もう動物的ご用が終わった労域にはいりつつある年齢の人間にとっては食べ物の取りっこはもう不要なのだろうと変な達観をしている。
「クックー、クックー、ボンド君、良く来たな」映画は見てお楽しみを。

 

「動物の巣立ち、狩猟民族・農耕民族」
 再び動物と鳥。ドイツのビジネスフレンドは私と同年代だが結婚が早かったので大きな孫も居る。子供は全部巣立って出て行った。巣立って終わり。あとは自分で生計を立てる事になる。餌の、獲物の取り方までは教えるが、教えて終わり。あとは自分で餌を獲物を獲得しなければならない。鳥も動物も多くの場合同じだが、人で言えば狩猟民族だからであると言って良いだろう。昔モンゴルは末子相続だった。親の面倒は一番末の子供が見る。上の兄弟は皆出て行かなければならなかった。翻って我々日本人は農耕民族、どうしても共同作業が必要となる。あまり個性が強いと嫌われる。従順に、他人に迷惑をかける事無く集団生活をするが旨となる。どうしても独立心が弱くなる。国際社会でなかなか日本が個性を発揮できないのはそんなバックグラウンドがあるからかも知れない。

 

「お土産御菓子、これでもか!」
成田空港でも羽田でも、イミグレーションを出たあとのお土産売り場は、日本の観光を終えて最後にお土産を買う爆買い客で長蛇の列の活況を呈している。御菓子の箱が買い物かごに目一杯。御菓子の種類の多さは日本がダントツだ。まさにどうだ、これでもかと言った感じがするが、ヨーロッパやアメリカの空港ではチョコレート以外の御菓子の種類が極端に少なく、困る事があるのが対比的である。千円前後の価格設定もちょっとしたお土産に最適で、まさに空港での御菓子のお土産の品揃えは、おもてなしの国日本の真骨頂と言って過言でない。

 

「アルゼンチン」
2008年に初めて訪問してからこのかたずっとご無沙汰だったが、色々調べているうちにアルゼンチンにも結構鍛造工場がある事が判り、3月に5日間、10数社を訪問してきた。前回はよくやったものだと思うが一人でアポ取りし、一人で行ったのであるが、今回はブラジルに居るサポーターがお膳立ては全部しておいてくれ、ブエノスアイレスで合流した。
ニューヨーク経由乗り継ぎで、乗り継ぎ時間を除いた総飛行時間は24時間ほど、ブエノスアイレス市の南西にあるエザイザ空港に久しぶりに到着して、はたと困った。両替が長蛇の列なのである。料率は悪くてもニューヨークの空港でペソに換えておけば良かったと思ったがあとの祭り。プリペイドタクシーのカウンターでクレジットカードOKか聞いたが現金だけ。困ったところで米ドルはどうかと聞いたらOKだった。35ドル。ペソだと500ペソで、ほぼ均等だ。街の銀行系両替商は午後4時には閉まるし交換比率が悪い。しかしフロリダ通りなどの商店街には「コンビオ、コンビオ」と呼びかける非公認の流しの両替屋は多数居る。毎日乗って懇意になったタクシーのドライバーは良い料率で両替してくれた。いずれにしても円は通用しないので、米ドルの持参は必須である。
昔重慶の空港で飛行機がキャンセルになり、別途航空券を購入したいのだが、クレジットカードダメ、円は両替できず、窓口で米ドルだけはOKという経験をしており、事後海外出張には必ず相当額の米ドルを持参するのを常としている。腐ってもドルなのである。
最近中国の僻地に行ったが、どこに行っても中国元のキャッシュしか通用せず、ホテルでも両替なし、頼みの銀聯カードも日本で作った物はダメと、同行した商社のスタッフと現金を出し合いながら、段々減ってゆく中国元の紙幣を心細く見ていたものだが、かろうじて街の銀行でドルだけを両替してくれたものだ。

およそ10年前のブエノスアイレスとほとんど変わらない町並みだが、大きく変わったのが自動車である。古いポンコツがほとんど無くなった。

 

1.ブエノスアイレス市内の新しい車

 

ゼロでは無いが様変わりである。

 

2.現役の古い車

 

シトロエン・プジョーとルノーのフランス車。イタリアのフィアット(現在はクライスラー・フィアット)、ドイツのフォルクスワーゲン、アメリカのGMとフォード、この6社がほぼ独占しているが、トヨタ(ハイラックス、カローラとエティオス)ホンダ(シビック)日産、スズキもちらほらと見られ健闘している。韓国車はあまり見ない。中国のチェリーがそこそこ走っている。サイズは1500CC程度がほとんどで、不思議な事にベンツやBMWがほとんど見られないのである。天然ガスの車両が多く(アジアではCNGだが、ここではGNC)隣のブラジルと違い、アルコールが無い。
ブエノスアイレスの市街では乞食やホームレスが目につく。景気が低迷しているのだ。市内の町並みと行き交う人の中に居ると、ヨーロッパの都市に居ると錯覚を起こしてしまう。元々居たインディオや、隣国ブラジルの様にアフリカから連れてこられた黒人はほとんど居ない。前回は郊外に足を伸ばさなかったので気がつかなかったが、郊外には結構インディオ系が居るのが判った。物価の高い市内には居られないのであろう。もちろんここもインカ帝国と同じく昔はインディオしか居なかったのであるが、スペインやイタリアの侵略者達が先住民をほとんど撲殺してしまった。根絶やしである。アンデス山脈の向こうとこちらではかなり状況が異なるのである。広い国土のほとんどは少数の農業従事者により牧畜と、大豆やトウモロコシなどの大規模農業が営まれ、収入も豊かである様だ。人口の多くはブエノスアイレスに集まっている。ブエノスアイレスの海(河口)の向こう側は人口約三百万人の小さな国ウルグアイの首都モンデビデオである。パラグアイとウルグアイの南米の小さな2カ国がどうして成立したか?もちろん後から来たスペイン、ポルトガルと、ブラジル、アルゼンチン、そしてフランス、イギリスなどの覇権争いの結果こうなっているのである。

 鍛造工場はブエノスアイレス近郊に何社か点在している他、

 

3.ブエノスアイレスの鍛造工場

 

ロザリオやサンルイスなどにも大きな鍛造工場がある。中にはトヨタ向け部品を鍛造している工場もあり、副工場長さんが出てきて「日本でトヨタ アカイオ」さんに、お目にかかったと自慢していた。豊田章夫社長である。総じて景気の低迷が続き、操業率はまだ低いままの様ではあるが、古い機械を更新する予定はあるという事であった。
工場訪問の道すがら、昼食は道端で大きな肉やソーセージを焼いているバーベキューで済ませる事もあった。

 

4.昼食バーベキュー

 

においが香ばしくついつい誘われてしまうのであるがボリュームが多いのには参ってしまう。ブエノスアイレスで一番おいしいというステーキハウスに行ってみたが、四百グラムなのには参った。半分の二百グラムにしてもらっても食べきれない。移民の関係でピザ屋も沢山あり、ブエノスアイレスで一番おいしいというピザハウスは夜遅くまでいつも満員だった。

 

5.ブエノスアイレスのピザショップ

 

アルゼンチンの主要輸出産物は農業牧畜産品である。鉱物資源の輸出に多くを頼る隣国ブラジルは資源消費が低迷していて大苦戦している。それと比べ、アルゼンチンの立ち位置は有利であると思う。将来、先進国の定義が「農産物の輸出国」となるとしたら、アルゼンチンは非常に将来有望な国なのである。

 

「インド、世界の工場になる」
 ずらっと見回した所で元気な国はインドとメキシコでないか? 日本も悪く無いが、また円高で少し雲行きが怪しくなり始めた。メキシコはアメリカの恩恵だろうが、トランプ氏が国境に壁を作ったらどうなるか判らない。
モディ首相の強い音頭取りと、産業界が応えて「メイク イン インディア」のスローガンのもと、インドの工業界が投資拡大に動き始めた。

 

6.Make in India

 

世界の工場、丁度中国の二十年前あたりと同じ状況と見えるが、最初から自動化ありきで中身は若干違う。インフラの整備はこれからが正念場で、主要都市は地下鉄網の拡充に走っているが、中国と違い州ごとの主権が強いので、インド全国の主要都市を結ぶ道路・鉄道の交通インフラが今後どの程度のピッチで進んで行くのかがモディ首相の腕の見せ所となるであろう。コルカタからインド国鉄に揺られて四時間、タタスチールの総本山ジャムシェドプールといった辺鄙な場所にも広大な工業団地が造成されている。ここには現在適当な飛行場が無く、どうしても鉄道を使うしか移動手段が無いが、そんな場所でも経済活動は活況を呈しているのである。中国は二十年ほどで調整期に入ってきている。インドも余程おかしくならない限り今後二十年は経済発展拡充の一途をたどる可能性がある。
今年1月、ベンガルールで開催されたIMEX展(隔年で切削機械とプレス機械の展示会が入れ替わり、今年偶数年はプレス機械の専門展)

 

7.インドIMTEX 2016

 

2月にニューデリーで開催されたオートエクスポ部品展に弊社はまた出展した。いずれも多くの引き合いを頂戴し、フォローアップにインド往復を繰り返している。

 

「野田元総理」

 個人的な見解と前置きはするが、野田元総理の評価される業績が2つある。一つは行き詰まった民主党政権から、以前の自民党に政権をすべからく戻すきっかけを作った事。そして各国からの要請を押し切って尖閣諸島を国有化した事である。両方ともどたばたしている最中に思い切ってやってしまって正解だった。欲を言えば、反対など無視して一気呵成に尖閣に自衛隊を常駐させておけば良かった。尖閣は今本当に心配の種だ。

 

「タカタ、電気自動車」
 物を作り限り失敗はつきものだ。物に限らず何事も失敗の上に現在が成立している。100年企業があればその会社は100年の失敗の上に成り立っている。事工業製品では進歩進化する過程で失敗は絶対に付きもので、だから本田宗一郎は「失敗の無い会社に進歩は無い」と言っている。エアーバッグのトラブルによるタカタも私からするとその過程であり、気の毒な限りで頑張って欲しいのだが、ではタカタはエアーバッグのさらなる開発に邁進すべきだろうか。答えはノーであるかも知れない。今、衝突しない自動車の開発が進んでいる。衝突が無ければエアーバッグは無用の長物だ。エアーバッグが過去の遺物になるのは、どうも時間の問題であるのは間違い無いだろう。過去の遺物となって事業が消失した例は枚挙のいとまがない。近いところでは携帯電話のキーボードだろう。技術は日進月歩、開発も事業も先を見据えて的を絞らないといけない。
どたばたしている間に2016年も半分が過ぎてしまった。世界は混沌としているが、日々の生活は放棄できない。事業も継続させなければならない。今年後半の貴社の健闘を祈念申し上げます。

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