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世相

平成27年 夏

  • 2015年08月

世相日本世界感じるままに        榎本機工㈱ 社長 榎本良夫
 
「スマホ、アプリ、ゲーム」
最近読んだある著書によると、電車や地下鉄に乗車した直後にスマホ(ちなみにスマートフォンの略である)を開く人のパーセンテージは日本より中国の方が高いということだ。メールやチャットのチェックに関わる1日の作業時間は圧倒的に中国人の方が多く、最近問題になっているらしい。来着の量が膨大になっているのである。スマホを開くもう一つの理由はアプリ(ちなみにアプリケーションである)である。多くがゲームであるはずだ。暇つぶしのゲームアプリである。日本の場合、まだまだ新聞雑誌や書籍を開く人が結構多いとこの著者はコメントしている。つぶすほどの暇があるのがうらやましいと、私の率直な感想だ。私の場合、「仕事をする(移動も含め)・寝る・勉強する(広義の意味で遊びも)・食べる・排泄する」が時間配分の総てであり、つぶす必要がある時間など無いのである。この原稿を書いている今も、フランクフルトでの搭乗待ちの時間を利用しているのであって、たとえフライトが遅れようが何しようが、決して無駄につぶす時間などない。ましてやゲームでつぶす時間に実りがあろうはずがないのである。最近見た映画「おしん」(昔のテレビでは無く、最近の映画版)で、子守りをしているおしんが、同年齢の学校帰りの子供が帰りがけに読んでいる本を横からのぞき見ているシーンがあったが、今ではそんな事はありようも無いほどマスメディアが発達してしまった。スマホを持っていないのは、よほどの年寄りだけだろう。
人間の脳の発達は言語を介在して幼児期に整い、聞く・話すによってより発達を促す。そして読む・書くによってそれは更に深みを増すのである。書くはともかく少なく共読んで思考反芻する事により、人そのものの奥行きと広さが増し、その行動も変わってくるのである。もちろん、仕事のやりようも変わってくる。最近弊社の若い工場作業者が「なぜ?」というアクションを起こすことが少なくなったことを懸念してきた。「なぜ?」と思わない子は、あらゆる場面で「なぜ?」と思わないのであって、与えられた仕事の一方通行に終始し、疑問や好奇心を持たないのである。読書をしない事により、人間が浅くなっていると考えている。スマホゲームで時間つぶしをしている場合では無い。読書の習慣をつけさせなければならない。

「おもてなし、来日インド人」
弊社のプレスをお買い上げいただいた会社から、出荷前のプレスチェックに3人の技術者が派遣され、5日間に渡りトライ鍛造と仕様チェックを実施した。最後の日の夕食時、一番若いスタッフから出た、5つの日本の印象点である。
1.ホスピタリティー まさに「おもてなし」である。
2.フード ちなみに私が個人的に一番インドの料理に近いと思うレストランから昼食の出前を毎日頼み、夕食もここで毎日食べた。近くの料理屋に特別に野菜食だけ依頼した和食も一度だけ夕食で食べてもらった。
3.ディシプリン しつけであるが、日本人の行動に強い躾教育が存在すると感じたらしい。クラクションの音が無いのに感心していた。
4.テクノロジー ウォシュレットを筆頭として、日常の生活にも広く反映されている日本の技術力。
5.ヒューマンパーソナリティー 人間性とでも言おうか、他のどこの国の人とも違うというのである。
おもてなしと、日本人の人間性、躾はまさにリンクしている。躾教育をベースにした日本人の人間性が暖かいおもてなしを提供できるという事だ。技術力もこのおもてなし精神をベースにしているから感嘆したはずだ。タクシーの自動ドアや、到着時間・出発時間が予定通りぴったりと、それも5分毎に来着出発する新幹線や鉄道、用便後のウォシュレット、自動販売機などがその良い例だろう。まさか弊社のプレスをもってテクノロジーがすばらしいという訳ではないだろう(笑)。いずれ人型ロボットの普及が、おもてなし技術の一旦を担うはずだ。
東京オリンピックに向けて、大いに不足している英語力さえ磨けば、それでおもてなしはパーフェクトに近くなるだろう。

「ロシア、飛行機」
 イリューシン、アントノフ、ツポレフ、スホイ、かつてソ連邦や社会主義国の空の世界を凌駕していた旧ソ連の飛行機である。ロシアのドモジェドボ空港、シェレメチェボ空港いずれの空港でももうその姿を見ることは無い。空港脇のスクラップ置き場にはまだあるが、ボーディングブリッジに泊まる現役の飛行機はその総て言って良いほど、エアバスかボーイングになった。旧社会主義圏の商用航空機は全部欧米製の飛行機に置き換わったと言っても過言ではない。
三菱重工とホンダの飛行機が間もなく供用開始する。かつて戦前の日本はアジアで最大の航空機産業が存在した。中島飛行機(富士重工やホンダはその流れを汲む)、三菱重工や、川西(現在の新明和)などである。弊社はプレス機械を作るメーカーだが、飛行機を設計したり作ったりするのはえらい度胸があるなといつも思うが、日本の航空機産業の復活、飛行機その物の製造を是非にも期待したい。

「ロシア、演歌」
モスクワから東、飛行機で1時間半ほどのところにNBCという町がある。「ナベレ ジュニエ チェルネイ」と言い、覚えるのも大変だ。ここはロシア有数の国営トラックメーカー「カマツ」の工場がある企業城下町である。昨年の11月、ここにあるカマツの鍛造工場を訪問した。写真は凍結したNBCの川である。

1. NBC、凍結した川

もちろん、いつもの「犬も歩けば」式の商談で、モスクワの展示会「メタルオブラボトカ」でかかった案件である。「棒にあたる」確立は低いかも知れないが「ゼロ」では無い。ここらへんの「ダメもと」コンセプトで弊社の輸出は着実に伸びて来た。
ロシア製、チェコやドイツ、イタリア製のおよそ百台にも及ぶ鍛造機械がずらっと並んでいたが、稼働していたのはおよそ3割である。1割程度は修理で解体されていた。ほとんどが40年前の機械である。およそ一般的な社会主義国の国営企業の実情である。設備の多くが更新期に入っているという事で引き合いを受けた。
市内でとった宿泊先ホテルでの弊社契約社員との夕食時、ふと演歌が流れているのに気づきびっくりしたものだ。レストランのスタッフに聞いてもらうと、CDを流してくれたという。こんなところにも日本人が多数来ているという証左だ。そういえばカマツは三菱ふそうとなにか協業していると言っていた。結構ここにも日本人が来ているはずだ。著名な日本のロボットメーカーもカマツの目の前に事務所を持っているという。その会社で懇意にしているS君はアメリカ十年、ブラジル十年の後、ここロシアに転勤になって丸2年。ロシアが十年になれば彼の同社での存在はそのほとんどが海外在住になる。それは決して悪くは無いと思っている。なぜなら商売の世界では国境はもうほとんどないからである。

「タタール・韃靼」
NBCの空港に到着後、荷物が出るのを待っていたら、ロシア文字(多くが判らない)とべつに違った文字で案内が書かれていたので、弊社契約社員に聞くと、タタール語という事だった。ここは旧ソ連邦の内でロシアとは別の国、タタールスタンであったのだ。
タタールは、北アジアのモンゴル高原から東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系の様々な民族を指す民族名称である。日本では良く知られている、韃靼(だったん)という表記になることがここで分かった。タタールスタン共和国は、現在、ロシア連邦地域管轄区分のひとつの共和国である

「決められたルール、ケチャップ、クロワッサン、和食」
インドでの料理の注文。汁気のある料理、たとえばインド料理のカレーのたぐいとか、中華料理の野菜煮等は、彼らはグレービーと呼び、メインディッシュでライスや麺と一緒に頼まないと怪訝な顔をされる。決してお酒のつまみの前菜では頼まない。汁気のある料理はあくまでご飯や麺にかけて混ぜてから食べる物と、インドでは決められたルールがある。
ケチャップはアメリカでは多用され、朝のオムレツやスクランブルエッグ、ハンバーガー、ホットドッグ、はてまたフライドポテトでは必須のソースだが、ヨーロッパではあまり好まれないのか頼んでも出てこない。元々の味付けや特別に作った付け合わせのソースで食べろという決められたルールがある様だ。クロワッサンにバターを塗るのは邪道らしい。私はべたべたと塩味のバターを塗るのが好きだが、本来クロワッサンにはたっぷりバターが入っているので、後から塗るのは決められたルール違反であるらしい。かなり前からではあるが、日本では箸で食べる和風スパゲッティーが繁盛しているが、ルール破りだろうか。今年メキシコのすしショップで食べたすしは、およそすしとは言えないロール(巻き寿司)だった。マグロはまったくなかった。ブラジルのレストランではほとんどどこでも醤油がある。日系ブラジル人の存在が大きいが、ブラジルでは醤油が一つの食材ルールとして確立している。タイの和食レストラン「富士」はある意味タイ人のレストラン。タイ人は和食が大好きだが、タイ風和食も多い。アメリカのクリーブランドの和食レストランでは「ヒバチ(火鉢)」と言うのが鉄板焼きで、コックはインドネシア人だった。火鉢はもう日本でも存在が無く、若い人は理解出来ないだろうが、昔はどこの家庭でも必ずあった炭を使った一種のストーブであり調理用具では無い。鉄板焼きの鉄板を彼らは火鉢と呼んでいるのだが、間違っていると言っても仕方が無いだろう。最も本物の火鉢でも調理は出来るかも知れない。多くの国では決められたルールだが、和食はかなりルールが崩れている。

「インドネシア文字」
長い間、インドネシア固有の文字は消失してしまったと考えていたが、それは間違いであった。昔から身近に居た弊社の初代インドネシア研修生が回答をくれた。
南スラウェシ方言には固有の文字があり、

2. スラウェシ文字

この元研修生も子供の頃学校で勉強したという事だから、まだ何かの用途でこの文字を使用しているのであろう。首都ジャカルタには固有文字はもう無いというが、地方にはまだ存在する様である。スラウェシ島は、戦前日本がセレベス島と呼んでいた島であり、ジャワ島からは遠く、地理的事情からインドネシア固有の文字が残っているのであろう。もちろんジャカルタやジャワ島にも過去これに近似した文字は存在していたはずだ。

「メキシコ、高炉、公園」
メキシコ北部、モンテレイで開催されたプレス機械の展示会に出展した。

3. モンテレイ展示会

メキシコシティー、アグアスカリエンテスと何度か来ているメキシコだが、モンテレイは始めてである。モンテレイ はメキシコ第三の都市で、ヌエボ・レオン州の州都である。展示会会場はフンディドーラ公園の一角にあるシンターメックス会議場で開催されたので、ホテルも公園に隣接した目の前のホリデイインに予約した。展示会はメキシコや南米ならではの午後一時から七時までの開催である。何しろ広大なフィンディドーラ公園は、元々製鋼所であった跡地を公園化したもので、噴水などは当時の溶けた鉄を入れた取り瓶(とりべ)がそのまま使われているのがおもしろい。

4. フィンディドーラ公園

公園の要所には当時の設備がモニュメントとして置かれ、製鋼所の工場自体も博物館になっており、公園全体が産業考古学博物として存在している。この地に於いて、1900年5月5日に設立されたモンテレー・フンディドーラ重工は、3つの高炉を保有する有数の製鋼所であった。1970年代後半には一時的に州の管理下に入ったが、施設の老朽化や企業体質の非効率化が原因で、1986年5月8日倒産した。226ヘクタールに及ぶ広大な敷地と一つの高炉は、そのまま公園として現在に残されている。

5. フィンディドーラ公園高炉

残された高炉1号は、高さ40mの予熱炉5基と高さ50mの煉瓦炉をもち、アメリカ金属学会が歴史的建造物と認定している。

モンテレイはメキシコ北部に位置し、比較的アメリカ合衆国との国境に近く、近年、工業団地も出来、外資系企業も多く進出している。日系企業も大小合わせて約40社進出している。
東シエラマドレ山脈が一角を占め、馬の鞍部に似た大きな山が目の前に迫るモンテレイであるが、1846年の米墨戦争では、アメリカ・メキシコ双方が多大な被害を出したモンテレイの戦があった場所でもある。麻薬とマフィアの巣窟としても有名で、町に出るとピックアップトラックに重装備を施した警察の車がしょっちゅう視線を遮るのではあるが、それでも治安は良くなっているのだそうだ。アメリカの工場として工業化がどんどん進み、日系企業がどんどん進出しているここメキシコだが、距離が遠いという事と、民族も文化も生活習慣も食生活も大きく違い、さらに治安も良く無いという事でなかなか大変な事だ。しかし多くの企業戦士が今日もメキシコで戦っている。

「中国、忍耐、投票、」
中国人は中国が大好き。直近の歴史では今が最も生活レベルが向上し、安定もしている。国威も断然発揚している。強い中国にうっとりだ。然し政府を信用はしてはいない。庶民に政治家を選ぶ権利は無い。一般庶民に選挙権は無く、投票した経験は無い。一党独裁であり、総て党が決める。人口が多いから忍耐を強いられる。パスポートの取得も各国のビザの取得も忍耐で待たなければならない。春節などの連休ともなれば、列車や飛行機の切符を買う行列も忍耐を強いられる。それでも昔から比べれば格段に良くなったのでる。海外旅行を楽しむ人達が急増している。がまんしても楽しみが増えた。広州から上海行きの飛行機に搭乗したが、搭乗前に30分の遅れがあった。搭乗後2時間も座ったままで飛行機が飛ばない。管制からの許可が下りないというアナウンスが繰り返しあった。寝る人、しゃべる人、スマホをいじる人、皆、忍耐で待つしか無いと知って居るので静かに待っている。

「身の丈、スカイマーク」
良く、身の丈に合った、とは言うが、スカイマークの倒産劇(民事再生法適用を申請)
はまさにこの言葉がぴったりとあてはまり、退任した前の社長が、何を血迷って大きな2階建てのエアバス380を6台も購入契約したのか、想像を超えた倒産劇だった。
売上規模に比較して、導入コストが大幅に高額で、そもそも導入を発表した直後に株価がストップ安になったというのだから、最初から結果は分かっていた。ひどい話しだ。経営者はこうあってはならないという大きな教訓だ。身の丈に合った経営という事だ。挑戦は必要だが、負けると分かっている戦いはしてはいけない、と昔から言っている。

「腐っても金」
金はどうなっても金、腐っても鉄にはならない。しかし紙幣は元々紙。いずれ紙くずになる可能性もある。今生まれた子供や、今人生を卒業しつつある人、日本国民全部の総数の1人1人に対して国が負う借金は1人1千万円である。子供も老人も含めて1人10万円ならなんとかなるかも知れないが、百万円ではもう無理だろう。それが一千万円である。ある意味天文学的数字だ。国がこの借金を国民に返す力は無い。世界各国がそれでも日本を安全視しているのは国民の貯蓄(国債も含めて)が国の借金とバランスしているからだ。だから万一の時、国はその貯蓄を「お召し上げ」してプラスマイナスゼロにする。銀行から預金はおろせなくなる。一万円札は100円になるか、突然使えなくなる。大方の紙幣は紙になる。戦前流通していた銭という補助貨幣単位は、戦後のどさくさで無くなった。ゼロが2つ消えたのである。実績はすでにあるのである。ではドルやユーロの紙幣は安全か?これだって元は紙だ。だから同じだ。紙は元々紙。貨幣はどうか?確実なのはせいぜい金貨だけだろう。でもやはり金の延べ棒が良いのだろうか?

「失意泰然 得意端然」
タイで頻繁に通う、日本食のレストランに掲げてある古い揮毫がいつも気になっていたので、経営者の老婦人に由縁を聞いてみた。

6. 失意泰然

昔バンコックの日本人学校の校長さんからゆずり受けたそうで、恐らく書は日本で書かれ、バンコクに持って来たのだろうという事だった。端然は日本では多く淡然とも書かれている様だが、辞書でタンゼンをひくと端然だけしか無かった。
「自処超然」、「人処藹然」、「有事斬然」、「無事澄然」、「得意憺然」、「失意泰然」と続く「六然(りくぜん)」の結句である。「自ら処するに超然、人に処するに藹然、事有るときは斬然、無事に澄然、得意なるとき憺然、失意なれば泰然」という明の朱子学者崔銑の言葉。世俗の物事に拘泥せず、人には和やかに応対し、事あれば心新たに対処、無事ならば明鏡止水の心で、得意なら心を静め、失意凋落に際しては泰然自若にという意味(出典、日本実業、四字熟語)。 
読み方は、自処超然(自ラ処スルコトチョウゼン)、処人藹然(人ニ処スルコトアイゼン)、 有事斬然(有事ザンゼン)、無事澄然(無事チョウゼン)、 得意澹然(得意タンゼン)、失意泰然(失意タイゼン)であり、簡単に説明すると、
『自処超然』とは、自分を絶えず突き放し眺めること。
 『処人藹然』とは、人と接するときは和やかな気持ちでということ。
 『有事斬然』とは、何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやること 。
 『無事澄然』とは、何も事がないときは、水のように澄んだ気でいること。
 『得意澹然』とは、物事が上手くいって得意な時は、努めて淡々と構え驕らない。 
『失意泰然』とは、失意のときは、泰然と構え焦らないこと。
失意泰然、得意端然、多くの場合得意が先で失意が後で、元々その順序だが、学校に掲げられていた事を考えると、学生がしょげて居るとき(最近は、へこんでいる、というらしい)先生が励ましを与えたので、失意が先になったのでは無いかと思う。
今年も早半分が過ぎてしまった。光陰矢のごとし。本年後半の貴殿と貴社のご奮闘を祈念申し上げます。

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