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世相

平成11年 正月

  • 1999年01月

「通貨危機・日本」
 バンコックの金曜日の夕方、うんざりするような交通渋滞が復活してきている。奈落の底に落ち込んだ東南アジアの経済も上昇の機運に転じてきた。資材を自国で調達可能な輸出型産業はかなりな黒字を計上し、設備投資も活発化してきている。東の空ならぬ西の空から、ほのぼのと明るみが増してきた。もう少しの辛抱だ。アジア各国の経済は年を追うにつれ、相互依存度が高くなってきている。日本の経済危機に最後のボディーブローを食わせたのはアジア諸国の経済危機だった。一昨年のタイを発端とした通貨危機は瞬く間にアジア諸国に飛び火し、立ち上がりかけた日本の経済を再び泥沼に引きずり込んだ。目下アジア諸国は日本が早く立ち直って景気を牽引し、経済援助もして欲しいと希望しているが、日本とてもアジア経済が再び活況を呈し、貿易が活発化しなければ立ち行かないわけで、事経済の分野ではアジアにギブアンドテイクの共栄圏が出来たと考えて差し支えないだろう。今後日本の中小企業も、この現実を無視しては企業活動を保つ事が困難になることに違いない。
 アメリカの投資集団にすっかり翻弄されたアジア各国も、二度と同じ轍は踏むまい。高速道路・巨大なビル・自動車・家電と残されたものは多いが失った物はそれ以上に多かった。が、学んだ物はもっと絶大である。「今回の騒動は形を変えた新たな植民地政策ではなかったのかと・・・」。
汗水流して蓄えた富は、コンピューターの数字の加減でごっそり海のかなたに持ち去られてしまった。
 アジアの釣堀での収穫に見極めをつけた釣り師は、今度は世界に冠たる日本の個人貯蓄に目をつけた様だ。当面上がりそうも無い日本の公定歩合を横目に、高利回りをうたい文句に、ドル建ての銀行預金や生命保険の契約に力を注ぎ始めた。ご存知の様に米ドルは、実態を伴わない乱高下を繰り返すギャンブリッシュな通貨に変態している。高利回りは有り難いが、レートがドスンと落ちた時の大やけどは覚悟する必要がある。アジアクライシスの日本国版だ。
最近、アジア通貨相互のレートは極端に大きな変動は無い。米ドルだけが上下しまくっているわけで、貿易決済に米ドルを介在させる事が相互極めて投機的危険性をはらみ、合理性を欠くようになってきている。アジア諸国が貿易の決済手段として使えるアジア地区の共通通貨、ヨーロッパのユーロの様なものが必要となってきていることは明白なのである。ドルに依存する限りコンピューターの数字の調整でごっそり持ってゆかれる危険性を常にはらんでいるからである。
昨年は、国内の企業倒産・失業とも危機的様相を帯びたが、致し方ないだろう。必要な生活用品は一通り身の回りに配し、食べる物にも困らず、高度成長が終わり、折れ線グラフも平行あるいはやや下降をたどる縮小経済に立ち至りつつある日本が、高度成長期、子会社・孫会社・曾孫会社と増殖した過程から整理縮小の段階となれば恐らく三分の一位の企業が消え去るのもやむを得まい。事製造業にとって、販路の縮小・減少、従業員の高齢化と若手後継者不足、相続税・法人税の酷税、技術革新への資金難等かつてない困難な問題が現実化してきている。ともかく同じ事をしていてはジリ貧だ。世に問える新しい技術の提案と、それを軸に販路の拡大を国の内外に積極的に推進する。これ以外になにかあるだろうか?政治は当てにならない。

「ボランティア・社長」
昨今の日本の中小企業経営者はさながらボランティアだ。休日返上、夜も残務整理、個人資金は出っ放し、社員の苦情承り、等等。戦後の創業者はまだ浮かばれる。彼等は多少なりとも個人財産を残せた。土地を買い足し工場も拡充した。更に財力・体力?ともに余力の有る者は別宅も作った! 二代目はそうは行かない。初代の十分の一も財産を築けないだろう。事実本宅さえも自力では作れない。日本の社会主義体制と税法がそれを不可能にしている。企業家としての夢を育む土壌が日本から失われてしまった。残るは海外だが、国が違えば勝手も違う、いずれ劣らず大変な事は確かだが夢はあるかもしれない。
民間企業はリストラの嵐の中、東京・大阪・神奈川等赤字体質に陥っている地方自治体のリストラが出来るのか出来ないのか実は民間側ではじっと見守っている。職業安定所の職員が企業に御用聞きに回る様になった。週四十時間労働だとか、有給休暇の増加だとか、何とかかんとか勝手に法律で定めて中小企業の体力を弱めてしまった張本人達が、倒産寸前に雇用拡大を言ってこられても今更何を!と言いたくなる。融資を利用するにも条件合致・書類の提出・毎年の検査などと、こんな事なら融資なんか要らないから一挙に法人税を下げてくれれば平等融資になるんじゃないか、そうすれば融資窓口の人員もリストラ出来て一挙両得になるんじゃないかと思わず考えてしまう昨今だ。考え方を変えて行かなければここは乗り切れまい。

「タイタニック」
アカデミー賞十一部門を獲得し、日本でも空前のヒットとなった映画タイタニック。映画史上最大の制作費をかけ、史実の縦糸とフィクションの横糸で織り成した世紀の超大作。この映画の底流を流れているのは、人間の平等と過信に対する戒め、そして設備機器への配慮と十分な手当てだろう。誰しも予想だにしなかった、技術の粋を集めた巨艦は沈んでしまった。手に汗を握る脱出劇の末、ヒーローとヒロインは辛くも洋上に逃げ延びるのではあるが、既に十分に体力を消耗した、ディカプリオ扮するヒーローは、力尽き冷たい北の海に静かに身を沈めて行くのである。あたかも日本の中小製造企業の様に・・・。
生き残りは熾烈になった。アフリカのサバンナではどんな戦法でも食った者が勝ちで、食われた者が負けである。まさか日本の今後がそこまで行くまいとは思うが、困難さは以前の比ではないだろう。適当な空港を見つけて上手く着陸するか、平坦な土地に不時着するか、水面に着水するか、パイロットとナビゲーターのコンビネーションが物を言ってくるが、的確な操縦士の判断が総てを左右する。幸いな事に多くの地上のサポートを必要とする大型機と違って、小型機は不時着地の選択にも自由度が大きい。総てパイロットの決断いかんだ。地上のサポートも必要ない。天候は多少良くなりそうだが、時間が無い。幸運を祈る。

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