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世相

平成25年 正月

  • 2013年01月

「生き残りをかける」
いよいよもって国内産業の生き残りが困難さを極めてきた。要因の主たるものは、国内マーケットの縮小・国内での製造コスト高・親会社の海外転出・固定感のある円高であろうか。塑性加工学会の講演会が2月に大阪で開催されるが、タイトルは「グローバル時代を生き抜く塑性加工の新戦略」。生産拠点を海外に移すべきか、国内に残るべきかの決断が迫られる中、国内に生き残りをかけクローバルに発信する先端加工技術を論議するというものだ。「日本でのものづくり、活路は海外市場で勝負」として私の講演は今後の展望として次の様にしめくくる予定である。
多品種少量から超多品種超少量へ 面倒臭いところに商機がある?面倒臭い方が利益率は高い? 面倒臭い仕事は海外ではできない、困難 手の内が判らない仕事をする。
海外から注文をどう取るか?利益をどう出すか オーバースペックと、ロープライスバージョン。 スローアウェイマシンとの競合にどう勝つか? 第2ステージで勝負? 落ち穂拾いでじっと3年我慢? 現地の技術者の活用。据付・試運転に行かない。 円高、日本で作って輸出するのは限界か? FTAは必須。 コストダウンにも限度がある。労働力不足間近?外国人労働者? 早朝の電車で多数の中国人、サービス業。やる人が居ない。
日本をどう存続させるか、もちろん、次世代次第。 人口は減っても良い? 若者にポジションをパスする? リタイア後は?
農業・漁業の工業化(会社化)、これからの先進国は農産物輸出国 省エネ、脱石油、(介護)ロボット、そして食べ物、幸運にも日本は水の問題は少ない 失敗しない会社は進歩しない(本田宗一郎)

「尖閣諸島」
まもなく衆議院議員選挙が公示され、この掲載紙が発行される頃はすでに帰趨が決定されているものであろう。与党となる政党の政策が日中の尖閣問題の解決の方向性を示すものであろう。明確なのはお互い戦争を起こすべきでは無いという事である。双方が現状での凍結に合意して当分さわらないで棚上げ、しか無いと思う。

「日本・韓国・中国、お膳、ご飯を残さない理由」
韓国では安レストランに入っても、まずは食卓一杯にキムチなどがずらりと並べられる。ほとんど手つかずのお皿もあり、過去引上げた物を他の客に出すという使い回しが大問題になった様である。ムダはやめようというキャンペーンもムダだった様だ。   
中国でも沢山残る程料理を用意しないと客に失礼という事で、いつも半分近くは手つかずで、我々日本人からするともったいないと強く感じる。

振興国のビュッフェスタイルのレストラン。客が去った後の机の上には、取りすぎて食べられなかった残飯が沢山残る。 日本人は残さないのが美徳と教えられて来たが、ふと、必然的に残せなかったのではないかと思った。もう私の代では箱膳の習慣は無かったが、食後母親はご飯茶碗にお茶を注いでくれたものだ。箱膳の名残だったはずだ。湯飲み茶碗でお茶を飲まずにご飯茶碗でお茶を飲む。箱膳の箱の中には箸、茶碗一人分が入っており、食事の都度各自その箱を座敷に持って来て座った前に置き食器を出す。それにご飯や汁、おかずが入れられ、食後食器は残しておいた漬け物と注がれた白湯で洗われ、白湯はお腹に入る。食器は又もとの箱に収められ、箱は置場に各自戻しに行く。すべてがお腹に入り、残す物は一切無かった。

「バングラデシュ」
今年初めてバングラデシュのダッカを訪問し、工場や職業訓練校を見学する機会があった。ジェトロの投資ミッションである。すでにユニクロをはじめとする縫製関連が投資を始めている。インフラが未整備なので、当面人件費の安さと人口の多さから人手に頼る産業が工場移転して行くはずである。なにしろ北海道の約2倍と同程度の14万㎡の面積の国土に、日本の人口より多い約1億5000万人の人々が住んでいるのであるから人の多さは推して知るべしだろう。

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氾濫で良く知られるガンジス川とその支流が国土を貫通し、多くの国土はそれら河川の肥沃なデルタ地帯であり、古くから文明が発達した。仏教寺院からは紀元前七世紀には文明が存在した事が判っている。その後ヒンズー教圏となり、13世紀イスラム教化が始まった。現在はイスラム圏の一国である。18世紀末にイギリスの東インド会社により植民地化された。ちなみに東インド会社の本拠はお隣インド・西ベンガル州のカルカッタ、現在のコルカタである。第二次世界大戦後、イギリスの植民地であった英領インドは統一インドが果たせず、特にジンナー率いるイスラム圏はヒンドゥーとの歩調をとらずパキスタンとしての独立を強引に選択する事となった。同じイスラム圏であったベンガル地区(バングラデシュ)は東パキスタン、現在のパキスタンは西パキスタンと、中央の大きなインドをはさんで左右に位置する奇妙な国家となったのである。なお、ハイデラバードを中心とする現アーンドラプラディシュ州もイスラム圏であったが、あまりにインド中央部に位置していたので、インドに含まれて別途独立する事は出来なかったが、その余韻は今の今まで続いており、頻繁にイスラム国家として独立分離の騒動を起こしている。

現在のパキスタンがウルドゥー語、バングラデシュがベンガル語と、独立後も東西パキスタンには大きな障害があり、政治的対立はついに一九七一年の軍介入による騒乱となった。 西パキスタンとカシミール帰属問題を抱えていた隣国インドは、東パキスタン(バングラデシュ)の独立を支持し、第三次印パ戦争がインド側に勝利した事もあり、バングラデシュは独立を果たす事になる。日本は真っ先にバングラデシュを国家として承認し、このアクションが今に至るまでバングラデシュの日本びいきに繋がっているのである。

ダッカ市内bang中心にある「バシュンダラ シティ」は2004年に開業したバングラデシュ最大のショッピングモールである。1500にものぼる家電、服飾、などの店舗やレストランが軒をならべ、多くの人でにぎわっている。 ウォルトン・ハイテック社は2006年設立、従業員八千人を抱え、冷蔵庫やエアコンなどの家電とオートバイのれっきとした独立メーカーである。驚いた事に、オートバイはアラビア諸国にも輸出している。工場は子細に見学を許され、写真撮影も出来たが、エンジンやミッションの部分はサブアッシ-として中国から輸入されており、プレス板金部品と溶接は自前、心臓部はそっくり輸入という事で納得が出来た。エンジンやミッションの鋳造部品、鍛造部品、歯車部品などをすべて自前で製作するには裾野産業の無いバングラデシュでは道のりはまだ遠いと感じた。冷蔵庫も肝心なコンプレッサー部などはマレーシアの松下から輸入している。

バングラデシュは当初の想像からかなり違っていた。つまりすぐ隣がインドの西ベンガル州なので、極めてインド似なのでは無いかと想像していた。しかしかなり西側寄りにぶれていると感じた。つまり欧米文化がより定着している感じである。国内を走る車は多くが日本車の中古である。良くぶつけるのか、なつかしいバンパーを追加でつけている。

またインドの主要都市部では滅多に見られなくなった人力自転車のタクシー、リクショーもまだ沢山活躍している。

ダッカの職bangbanperwilton (1)業訓練校では、バングラデシュ各地から集まってきた若い女の子達が我々ジェトロミッションを大歓迎してくれた(写真)。おそらくいつもこの様に外国からの見学団を歓迎しているのであろう。最初から最後まで旗の振り通しだ。歓迎の唄まで披露してくれた。

慢性的な洪水、インフラの不備、電力不足など多くの労働人口があるメリットを上回るデメリットも存在するバングラデシュではあるが、それでもここ当分は海外からの投資が続き、経済も上昇して行くものと思うのである。

「イタリア、和食レストラン?」
ミラノ、2年前の機械展示会出展時に何度か行った中華レストランに足を運んでびっくりした。行列の出来るレストランになっていた。当時は客も閑散としていたが、中国家庭料理風の料理と安かったので何度か利用したものだった。ビルの一階の狭い一部を占める店舗は和食レストラン風に改造され、メニューも創作和風食(決して純日本料理ではない)または創作中華風で、これがイタリアの連中の好みにぴったりはまったのだろう。料理単価は結構高くなっている。ウエイターもウエイトレスも当時普段着だったのが、上下白黒のイタリア風。もちろん中味は中国人だ。聞くところによるとイタリアでは和食ブームで、町のあちこちにレストランが増えていて、赤い提灯があると大抵この手の和食もどき和風レストランなのだそうだ。しかし私としては以前の、多少小汚くとも安くて美味しい家庭中華料理の方がなつかしい。

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「ベトナム、アオザイ、そしてジーンズ」
ベトナムの都市部でアオザイ(女性の民族衣装)を見かける事がほとんどなくなってしまった。男の一人としては寂しい。下のパンタロンはなにしろシースルーだ。30年くらい前だったか、日本に来ていたベトナムの留学生が、日本の女性はぼてっと短足、ベトナムの女性は足が長くすらっとしている。と自慢していたものだが、現在ベトナムで見る女性の体格は日本や中国人とまったく同じだ。この30年で変わってしまった訳が無い。つまるところ、すらっと見えたのは地面を引きずるまでに長い、アオザイのパンタロンの目くらましであったに違いない。アオザイに変わって取ったのがジーンズである。ジーンズは西欧文化浸透のバロメーターと行っても過言ではないだろう。ただ、国毎の特徴は間違いなく奪ってしまった。

「中小企業社長業」
中小企業の社長として、以下は私個人的な意見とポリシーで、学会の発表を機会にまとめてみたものをご参考までに記載したい。

3本の柱、すなわち 1 開発 (止まる事無く前に向かって進む)
2 市場開拓 (新規開発装置をひっさげて)
3 人材育成 (開発と市場開拓を具現化するスタッフ達)
これさえできればお金はついてくる? 朝星夜星、社業と自分の寿命を天秤にかける? 顔面に灰皿が飛ぶのとどちらを選択するか? これだけやってもダメならあきらめがつく、という所までやる 巣箱に餌を運ぶのが社長の仕事 中業企業は面積は小さく、然し限りなく深く深耕する? いつも崖っぷちの中小企業。逃げる所は無い。 細く長く、大企業(同業者です!)の横暴に対抗するには信頼しかない。 落ち穂拾い。フェイス to フェイス 懇親ゴルフと賭け麻雀は同じ(八起会の受け売り)。社員は背中を見ている 手形は自分で勝手に作成した見せ金でしかない(現金払い、現金集金) 社内へのアピール ①観察力(を磨け)、音・面・動 2 常態化(から脱せよ)
③ムダの排除 (企業においてムダは悪である)
一円を大事にし、数千万円の投資をしよう。 気配り (気配りが会社全体のミスを防止する) メモ取り (人間は物忘れを必ずする) システム化、ペーパーレス、どこでも事務所。 便利なツールは徹底的に使い回す。(FAXと言われるとうんざり) 周到な準備、オリンピック選手に学ぶ。田中角栄に学ぶ。 報告・連絡・相談。雪印乳業の社長にならない様に。だけど「ほうれんそう」は来ない!

人材確保、悲惨!
中小企業は苦労の連続。そこらの石ころを磨くしかない。 歩(ふ)をどうやって金にするか、手腕の見せ所 学校がだめなので、挨拶のしかたから教えなければならない。

海外展開 蒔かぬ種は生えぬ (蒔いた種は刈らねばならぬ)、これが総て。 見本市商法 (釣のこませ)、一軒一軒回るか、来ていただけるか。
有望な会社はピンポイントであとから攻める。 フォローアップ無くして進展無し。
フェイス to フェイス、どこへでも、呼ばれれれば出かける事が成約の%を高める 出会いを作る。研修生の活用、WWW蜘蛛の巣が段々と広がる きっかけはチャンス、逃げない・逃さない・考えないで飛びつく?

「日本という名の惑星」
テレビ和風総本家。
行程30時間、飛行機の乗り継ぎ2回、遠くアフリカのマラウイ国営放送局が日本を題材にしたテレビを作ってみた。題して「日本という名の惑星」である。日本の放送局がもちかけたそうだ。刺身を試食する際に十字を切る。そして醤油につけただけでなにか調理をした様な味に変わってしまうというコメントは、日頃醤油に慣れ親しんでいる我々では気がつかないコメントである。しかし私の父親は醤油の事を「御下地(おしたぢ)」と言っていた。たとえばダシの出た湯に醤油を垂らしてみないと本当の味がわからないと。マラウイ人の感想がもしかしたら正鵠を射ているのかも知れない。 それにしても日本は惑星なのであろうか?そうなると我々はエイリアンかも知れない。国際的スタンダードに居ない一般的日本人である。これも正鵠を射ているかも知れない。
ヨーロッパ、北米、中国。経済の変動要素の大きな一年になる気配があります。今年一年、貴社の御健闘を祈念申しあげます。

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