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世相

平成24年 夏

  • 2012年08月

「お茶の水」
シンプルな味の緑茶が恋しくなるので、インド出張時に緑茶のティーバッグを持って行く。少し高級な玉露。しかしまったく美味しくない。味が変である。逆にインドのダージリンティーを日本に持って帰って味わってみるが、インドで飲む美味しい味が再現される事はない。水の違いであるに違いない。緑茶の繊細な味わいは、やはり日本の清らかな清流の水がふさわしい。ミルクをたっぷり入れ、時にショウガやマサラ(スパイス)まで入れて飲むインドの紅茶は、暑い大地をゆっくりと通りすぎた大河の水で飲むのがふさわしい。

「日教組・母親」
 学校教育の崩壊に、母親が一因しているという事は良く指摘される事だが、学校教育を正常に戻すに、母親をどうこうするという事は現実的では無いだろう。はやり学校をしっかりと良くするしかないと思う。ただ残念ながら今の日教組ではその実現も無理だろう。一時期政治主導で改革をやろうとした事もあったらしいが、俎上に登っただけの様だ。色々な思惑利害がからみあって複雑なのではあるが、そうしている間にもへんてこな卒業生がまた社会に入ってくる。弊社に入ってくる新卒も、まず挨拶の仕方から教えなければならないのだからうんざりするのである。最近はコミュニケーションを満足にとれない子供が増えてきた。著しくコンピューター化している社会がその一因であることは間違い無いが、このままで行くと、てんでんばらばら統率の取れない社会になってしまわないか危惧している。

「チャトラバティ・シバジ空港」
 ムンバイの国際空港の名前である。人の名前とは聞いていたが、デリーのインディラガンジー国際空港ほど名称をたやすく覚える事ができず、一生懸命覚えたものだが、最近プネ(マハラチュトラ州の地方都市で自動車工業が盛ん)の馬にまたがった王様の像が誰だか質問して、これがその人だった事が判った。マハラシュトラの藩王である。藩王は江戸時代の諸国藩主と似たような存在であった。ムガール帝国の頃には広いインドで600近い藩王が自国領土を統治していた。デリーの南方のアグラにある世界文化遺産でもあるタージマハールは、このムガール朝5代目のシャージャハーンが22年の年月をかけて建造した最愛の后(ペルシャから来た3番目の奥さん)の為の霊廟である。墓を作る為に国力の多くを費やしてしまい、次の6代目で各地に反乱が起き、帝国は衰退してしまう。18世紀に入った頃の事である。この頃ポルトガルやスペインに変わりアジアに侵入して来たオランダ・イギリス・フランスが騒乱に乗じて次々とインドを浸食して行くのである。オランダはポルトガル領セイロンを手に入れコーチンに進出するもイギリスとの闘いに敗れ、フランスはチェンナイの南にあるポンディシェリーに拠点を作り勢力拡大を図るが、プラッシーの戦いでイギリスに敗れインドから撤退する。その後のインド(パキスタン、バングラデシュ、スリランカを含む)はイギリスのやりたい放題の植民地となって行くのである。

「広いインド、自動車」
 ミスター・カプールは、インドのソナグループの総帥である。弊社の機械を多数お買求めいただいているソナ・オケガワ社は、埼玉県桶川市の三菱マテリアル社との合弁で設立され、自動車部品を製造している。「人々がより快適に移動できる手段である自動車をより安価に提供する事が努めである」と合弁会社のオープニングセレモニーでスピーチしていた事がまだ鮮明に記憶に残っている。かれこれ10年以上前の話だ。
最近インドをトヨタのイノバ(SUVワンボックスカー)で移動中、ふとこの事を思い出した。当時デリーを走る車の半数ほどは国産車アンバサダーで、残りがスズキのアルトだった。当然長距離移動は国産車アンバサダーだ。車高が高く、バネの強いこの車は頑丈ではあるが、当時のインドのえくぼ道路ではまさにバイブレーションマシンに近く、居眠りをしようものなら首が痛くなり、まさに苦痛の移動だった。リグライニングで柔らかなサスペンションの車での移動が普通になった昨今、カプール氏の思い入れもようやく実現されつつあるのである。

「Iフォン・GPS」
 Iフォンを使い始めてみて、仕事の仕方が決定的に違ってきている事がある。それはインド出張時、訪問先への車での道案内を私がする様になったことだ。以前は同行のインド人が車を止めては道を聞くという事を何度か繰り返して目的地に到着したものだ。今はインド人より私の方がインドの道が詳しくなったものだ。 Iフォンに搭載されているGPSナビゲーションシステムである。

「歩かないインド人、呼びつけベル、工場で働く社長にびっくりするインド人」
 インドへ行く度、およそ多くの中間層の人達が歩かないのに驚嘆する。事務所に座ると書類一つ取りに行かないし、コピー1枚とりに行くでも無い。机の上には「呼びつけベル」が置いてあり、何事につけても人を呼びつけて用事を依頼する。動く時は用足しの時だけだ。「溲瓶(しびん)を持ってこい」とまでは行かないのだろう。何度も書いているが、肥満が多く足の関節を痛めているインド人が多い理由の一つはここにもあるはずだ。
逆にインドから機械の立会検査などで来日されると、日本の社長がやたら工場でうろうろするのに驚嘆する様だ。日本では中小企業の社長は元々職人上がりの人が多いから、何か依頼して、従業員にもたもたされるより自分で手っ取り早くやってしまう。これが、「日本の社長は工場でも働く!」という驚嘆になるらしい。
もちろん、これは長い間インドを支配していた身分制度、カースト制度に由来しているのではあるが、経済の発展と共に、中間の身分層から現在見かけ上、カーストはかなり崩れて来ている。しかしながら、結婚などではやはり依然カーストの支配は大きい様で、時として「ロミオとジュリエット」以上の悲劇が起ると聞いている。

「韓国サムソン、教育母親」
「サムスンから見た日本の欠点」元韓国三星電子常務吉川良三氏の講演だ。韓国はどういう国か? 金と度胸と良いとこ取り。そして日本は? 技術と伝統と負け惜しみ、と言う。その韓国も中国に、金と度胸と良いとこ取りのお株を奪われつつあり、サムソンの会長は日夜自社の行く末を案じているらしい。お金(資金)の量では中国にかなう訳がない。いつでもどこでもまずければご破算にして雲隠れすれば良いから度胸満点、良いとこ取りどころではなく全部コピー取りだ。そして規模にかなう訳がない。
バングラデシュではすでに2輪メーカーが出現している。冷蔵庫やエアコン、洗濯機まで作っている。ミャンマーでも地元家電メーカーが結構色々な家電製品を製造している。度胸とコピー取り、そして多くの部品は中国などからの輸入である組立商法だ。韓国の十八番である家電も次第に追撃が厳しくなってきている。多くの振興国では日本製品の過剰品質による高額な製品は敬遠されている。水清くして魚住まず、多少どぶ臭いドジョウの方が好まれるのかも知れない。

現在中国の自動車会社は「一汽豊田」とか「東風日産」「北京現代」など中国側社名と海外提携先会社名が併記されており、自動車に付けられているプレートも同じである。昔日本で走っていた「日野ルノー」とか「日産オースチン」「いすゞヒルマン」と同じだ。いずれ技術移転が終了すれば過去の日本と同じに海外社名は消えて行く事になるだろう。お払い箱だ。韓国もそれが怖い。しかしながら韓国のしたたかさは、IMF危機を経験しているオーナーが強い危機感を持って居ることと、強い母親が子供を鍛えている点にあるのでは無いかと思う。子供達は小さいうちから厳しい競争の中に叩き落とされている。叩き落としている主役は母親だ。学校内での競争は悪としてきた日教組とは正反対。しかしながらそれでも日本はしぶとい。製造業がしっかりしているからだ。

「在庫は悪?」
昨年の東北大震災後のインド。トヨタのインド仕様車「エティオス」を買いたいと思った商売上の友人が、納期6ヶ月と聞いてとても待てないと諦め、VWを購入した。VWは2週間の納期だった。
多くのビジネス書は在庫は悪としているのではあるが、リスクマネージメントとしての在庫は別に考える必要があるだろう。在庫全て悪、は間違っている。

「モスクワの友人がLADAに固執するわけ」
 モスクワに行ってびっくりするのは、ほとんど国産車を見かけない事だ。トヨタ・ホンダ・三菱・日産・スズキ・スバル(驚くほどスバルが多い)をはじめとして、ベンツ・BMW・スコダ・ルノー・フォード・現代・起亜・大宇など外国車がほとんどだ。モスクワ市内の80%は外国ブランドだそうだ。
私の友人、セルゲイさんは国産車LADAしか乗らない。中の上クラスの家庭だろう。毎年海外旅行も欠かさない。外国車に乗っていると金持ちに見られ、不都合が多いからと言う。いろいろせびられるらしいが、詳細は述べない事にしたい。なぜなら私自身それはうそだろうと思っているから。
モスクワも年々車が増えて駐車場不足が深刻化している。歩道が駐車場となり歩けないという場所も沢山ある。ロシア人のおおらかさと考えておいた方が良いのかも知れない。

「モスクワ五月、飲み過ぎ」 モスクワの五月、寒い冬が終り、暖かく昼の時間も長くなり、人々は一斉に外の暮らしをエンジョイし、夜遅くまで外で飲みさわぐのである。退社時間にもなるとビール瓶片手で飲みながら舗道を歩く人も多く見かけられる。
モスクワのビールの栓は捻ると簡単に取れる。見かけは同じだが、ネジになっている。栓抜きが要らない。歩き飲みに便利な様にそうなっているのだろう。
五月kiosuku_sのモスクワはたくさんのライラックが、白・薄紫・紫と色とりどりに一斉に開花し、そのかぐわしいほのかな香りが夜の散歩に点睛を加える。そしてポプラの街路樹も一挙に開花し、その飛び散るおびただしい綿毛はあたかも雪降る様に見え、夕闇に沈む町並みをすっぽりと包み込むのである。しかしながらポプラの綿毛は空けた窓から容赦なく室内にも入り込み、部屋中が綿毛だらけになってしまう始末の悪い厄介者にもなってしまうのである。舗道や公園の酔人達、降りしきる綿毛、ライラック、足の長いロシア人の美女美男が夜遅くまで外で時を過ごす。モスクワの夏は昼間が最も長い夏至を過ぎ、秋風がしのびよるまでモスクワっ子にとって最も嬉しい季節なのである。
モスクワの名称の由来は市内を蛇行して流れるモスクワ川からである。モスクワ川はボルガ川水系のオカ川の支流で、最後にカスピ海に注ぐ。冬季は凍る。初夏から秋にかけては観光遊覧船が頻繁に運行され、クレムリン宮殿の真横を通る。
モスクワという言葉の由来は諸説があるが、古代フィン・ウゴル語の暗いとか濁ったという意味が、濁ったモスクワ川にはぴったりだろうと私は思って居る。
モスクワ市の人口は1100万人あまり、近郊を含むと1360万人ほどでヨーロッパ第一の人口規模である。
ロシア語はギリシャ文字を基礎として成立したキリル文字を由来としたロシア文字で記載されるが、アルファベットとは違う文字が多く、馴染みの無い日本人では理解する事が大変である。
それでも、ダー(イエス)、ニエット(ノー)、スパシーパ(有り難う)、ハラショー(OK)などでも覚えておけば、モスクワでは結構重宝なのである。
市内の移動は地下鉄がもっとも安く簡便で手っ取り早い。タクシーは市内のミニマムチャージが400ルーブル(およそ1000円)で非常に高い。市内にたむろしている観光客目当ての雲助タクシーはミニマム2000ルーブル(およそ5000円)もふっかけてくる。地下鉄は
戦前から開業し、現在11路線。市内であれば均一28ルーブル(70円程度)。ただ地下鉄の駅間は長く、最短の駅に行くまで多くが15分から20分も歩かなければならす、勢いモスクワでは散歩も含め歩行距離が毎日長い。健康には良いかも知れない。

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「初音ミク」
 新しい技術は常にわき上がる雲の様に無数に発生しては消えてゆくのであるが、事コンピューターが発達してからは思わぬものが出てくる事に驚嘆を隠せない。初音ミクという名前の16歳の架空少女(身長158cm、体重42kgという体型まで設定されている)に自分が作曲した作品を自在に歌わせる事ができるのである。アイドルポップスやダンス系ポップスと、テンポの速い曲目が得意ジャンルであるらしいが、もちろんパソコンの中だけの癒しの世界の出来事だけなのである。ところが初音ミクに歌わせた作品の中には人気の高い物があり、時にCDがヒットチャートに食い込む事も多いのだそうなので驚嘆する。それどころかコンサートまで開催され都内で開催されたライブでは若い男性(!)を中心に数千人が熱狂したという事なので、これは不可思議なバーチャル文化がまた一つ花開いていると認識する必要があるだろう。
初音ミクというのはWINDOWS用のソフトとキャラクターの名称であり、クリプトン社がヤマハの音声合成システムを使用して開発した物である。初音ミクに歌わせるにはこのソフトを買わなければならない。やはり仕掛けられた商売だ。名前の由来は「初めての音が未来からやってくる」という事だ。クリプトン社は営利目的でない事を条件にほぼ自由な利用を認めている為、インターネット上を中心に数万にのぼる作品が発表されているという。つまり誰でもが容易に新進の作詞作曲家としてデビューする事も夢ではないという事なのであろう。しかし生身の少女歌手は人格もあり個性もあるから時に拒絶もすれば泣きもする。初音ミクにはそれが無い。人と人との面白くもあれば悲哀もあり、時には天にも昇り逆に時には断崖から叩き落とされるという3次元の生の付合いはパソコンのバーチャル少女相手では出来ないのではあるが、これではますます人付き合いの出来ない若い人達が増えてしまうのではないかとふと思った。

「日本がリードする回収の時代」
 徳川時代、江戸の街は理想的完璧なリサイクル社会を作り出していた。排泄物から竃の灰まで適切な用途で再利用し、ロンドンやパリの様に川に排泄物やごみを流すという事もなく、江戸の街を流れる川は澄み切っていた。食器は洗う事なく(従って川にも汚水は流れず)、食後白湯で、たくあん漬けなどの漬け物をハシでつまんで洗った後、全部お腹に収容されて栄養となった。昔からあった日本人の物を大切にし、大事に使いムダをしないという心がけはこの頃から引き継がれたDNAの中にあるに違いない。原子力発電所の事故をきっかけにムダを無くし高効率な消費社会を構成しようと努力中であるが、きっと日本は世界に稀に見る省エネルギー・ムダ無し社会を構成するに違いない。

 

「観察力、常態化、ムダ取り」
企業活動に於いて「ムダ」は絶対悪だ。坂本竜馬の亀山社中(竜馬はカンパニーと呼んでいたらしい)設立もそうだったが、そもそもカンパニー(会社)とは、利益を生み出す事が出来る仕事がそこにあるから、資金をつのり、会社を設立し、よって生じた営業利益を資金提供者に還元配当する、というシステムの上に出来上がったものだ。利益を出さなければ会社の存続意義は無い。利益を出す為に、ムダが存在するはずがない。しかしながら長い事同じ事を繰り返しやっているとムダの存在に気づかない事が多いのである。常態化した所にはムダが潜んでいる。流れの淀みの様なものだ。ムダが堆積する。物事は変化している。十年一日同じ事をしていればいつか置いてきぼりを食わされる。だからなおさらいつでも常態化から脱しなければならない。常態化しているのかしていないのか。ムダがどこにあるのか、観察力が試される所である。観察力の無い人には何も見えない。常態化から脱するには五感を磨き観察力を高めるしかない。つまり「桐一葉」だ。
一葉落ちて天下の秋を知る。
日本の現在は一葉も二葉も落ちている様な気がしてならない昨今です。が、まだ諦めるには早い。努力と希望を持って。
貴社の今年後半のご健闘をお祈り申し上げます。

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