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世相

2025 夏

  • 2025年09月

世相日本世界感じるままに                                                                    榎本機工㈱ 社長 榎本良夫

 

「未知との遭遇」

スティーブン・スピルバーグ監督の映画の事を言おうというわけではない。

チャットGPTなどの検索機能はどんどん奥行きを深め、現在、知りたいと思う事は多数の手段により、かなり詳細に回答が得られる様になっている。字引や百科事典をいちいちめくる事なく、即座に一発、どこに居てもスマホやパソコンがあれば回答が出てくる。

くどい様だが「知りたいと思う事」は、だ。

知りたいと思わない事は金輪際知ることが無い。未知との遭遇はほとんどあり得ない。

だから、新聞や本を読むことだ。知りたいと思った事では無かったとても大事な情報が時として入ってくることがある。とても大事な情報が、だ。

 

「水は低きに流れる」

 無理な手法をとっても自然の摂理で水は低い方にいずれ流れて行く。水泡に帰する という言葉もある。アメリカ合衆国の大統領が色々と奇抜な手法をとって世界中を混乱させ、アメリカをまた世界一にすると宣言しているけれど、やはり水は低きに流れるのであって、いずれ遠からず無理な事はまっとうな所に収斂して行くはずだ。いずれ遠からず、早いかずっと先になるのかは判断がつかないが、まともな所に落ち着くのは間違い無いから、あまり右往左往し心配するのはやめておいた方が良いと思う。

 

 

「何をもって日本は生き延びるのか」

世界情勢は混沌としている。80年前の状況に後戻りしつつあるのか、ヨーロッパでも、中東でも、なにしろ起こっている事象は残酷だ。まさか日本がもう一度戦争をしかける力があるとは思えないが、しかけられる可能性はあるだろう。

少子高齢化は変えようが無い事実で、この事実の上に立ち日本の将来を画策して備えをしなければならない。

石油資源が無い、鉱物資源が無いという事実は変えようが無い。この事実を変えようがした為に、日本は先の戦争をしかけたのである。

令和の米不足騒動も一段落した様に見えるが、コメの作り手は老齢化でまもなく激減する。いずれ遠からず農業が企業化されて行くのは間違いないだろう。やれる人が会社組織にして農産物を生産する。農機具の自動運転は比較的簡単だ。いずれ圃場に人が出る事も少なくなるだろう。企業化すれば休みも十分取れるし、流通経路も変わって行くだろう。ここに美味しい物を作りたいという日本人ならではの執念と、装置産業の工業力が一体となり、うまくやれば輸出産業にもなることが可能だ。

最近山のなかで、鮭や鯖やふぐなどを養殖する事例が取り上げられているが、これも頼もしい。いずれ遠からず魚介類も計画生産が出来る用になり、きちんと利益確保が出来る様になるのだろう。

農業も漁業も林業も機械装置が無ければ成立しない。AIが介在した制御による機械装置が上手に農林水産業の発展に寄与して行くはずだ。

日本のものづくりは極めて正直繊細で、妥協しないので品質が高い。機械装置にせよ食品にせよ、つくる、という観点から同じだ。ものがあるからすべてが成り立っている。流通もサービスも、ものの上に成り立っている。経済学者は間違えてはいけない。

 

 

「イシククル湖」

中央アジアの小さな国、キルギス(キルギスタン)にある長さ180km 幅60kmの少し塩分のある青く美しい塩湖。

イシククル湖

天山山脈にかかわる標高1600kmの所にある。キルギスの首都ビシュケクから簡単に車で行ける位置で、インドの真北あたりに位置する。

古代からシルクロードの要衝でもあったので、昔はかなり栄えたのだろう。

この辺りは中国の玄奘三蔵がインドに向かう際に通過した場所でもある。西遊記の基になった史実で、昔テレビドラマの「西遊記」では三蔵法師役を亡くなった夏目雅子が演じた。孫悟空役は堺正章。仏教の本拠地であるインドに行き、北部のナーランダ僧院などで仏教を学び、経典を持ち帰る目的で唐の都長安から敦煌を経て天山山脈の北側、天山北路を通り、今のキルギス、ウズベキスタンを経由して南下し、ヒンズークシュ山脈を越えてインドに入った。西暦650年頃のはずだ。ヒマラヤ山脈は真っ正面からは越えられない。

直感的に唐からインドに行くに何を遠回りと思うが、シルクロードという東西を結ぶ陸路網がすでに確率していて、密林のミャンマーやバングラデシュにはこれが無かったという理由であったはずだ。熱帯のジャングルには疫病もある。長く交易ルートは出来なかった。

イシククルは、キルギス語で暖かい湖で、厳冬の季節でも凍らない。

4月、キルギスの企業から引き合いがあり、

キルギス企業訪問

はじめて首都ビシュケクを訪れた。キルギスは人口700万人ほど、周りを山に囲まれた小さな国である。1991年ソ連邦崩壊時に独立した。牧畜以外に大きな産業は無い。モンゴル系の顔立ちの人が多く、日本人にそっくりの人も沢山見られるし、日本車もかなり走っていた。老後を技術指導かなにかするのであればこの国が良いかなと思った。冬を経験していないので、勝手な思い込みかもしれない。

 

 

「サマルカンド(Samarkand)、タシケント展示会」

サマルカンドは、ウズベキスタンの首都タシケントから国鉄のアフロシヨブ号( Afrosiyob)

アフォロショブ号

に乗り西方に約2時間の所にある古代遺跡の街である。特急列車があまりにモダンなので聞いたら、スペイン製だそうだ。

サマルカンドは紀元前7世紀頃から人が住み始め、古くからシルクロードの要衝として栄えた。建国者ティムールにより14世紀から15世紀に栄えたティムール朝の首都で、壮大なイスラムモスクや神学校があちこちに建ち並び、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。

サマルカンド (2)

サマルカンド郊外の丘には、ウルグベク(Ulugh Beg)天文台跡がある。

サマルカンド天文台跡

地下に6分儀(円弧状)の一部が残されていて、見学する事が出来る。6分儀は半径約40メートル近くに達し、地平線を通過する星の高度(天頂高度)を正確に測定するために使わたとの事で、15世紀に建設されたイスラム最大で最後の天文台だが、これを作ったティムール朝の王ウルグベクが暗殺された時にこの天文台も破壊されてしまった。

サマルカンドには沢山のモスクとそれに併設された神学校があるが、教育や研究に熱心だったことが良く分かる。建国者ティムールは精力的に領土を広げ、遠くインドのデリー近くまでを領土とした時もあった。

タシケントでたまたま国際機械展示会があったので、キルギスに出張した際に足を伸ばした。ウズベキスタンはキルギスと国境を接している。

タシケントを走る多くの乗用車がアメリカのシボレーなので(8割以上のシェア)びっくりしたが

シボレー車

よくよく考えてみると、韓国の大宇自動車がソ連邦崩壊後の1992年からウズベキスタンで自動車のノックダウン生産を始めているが、このなごりなのだ。当時大韓航空がソウル~タシケント便を開設していたのを覚えている。

2000年、大宇自動車が経営破綻したあと、アメリカのGMが経営権に参画して韓国GMとなったが、ウズベキスタンでもGMが経営権を引き継ぎGM Uzbekistanに社名を変え、シボレーブランドを生産する様になった。従って、ウズベキスタンで走るシボレ車はここの国産車なのである。GMは撤退して、現在会社はUzAuto Motorsとなっている。

なにしろシェアが8割を超えているので日本の乗用車がほとんど見られず、たまにトヨタやホンダが走っていると、おっ日本車だと感激する位だった。

日本のいすゞ自動車は、サマルカンドのSamAvto(サマルカンド自動車工場)に技術協力し、バスなどを生産しているらしい。サマルカンドには行ってみたが、ここには行けなかった。

ウズベキスタンの展示会は、UzMetalMashExpo 2025で

タシケント展示会

UzExpocentre(タシケント展示センター)で開催された。自動車関連はほとんど無く、鉱山関連の機械設備がほとんどで、中国企業の出展がほとんどだった。

タシケント展示会中国企業

 

 

「インド、ヒンズー教、イスラム教」

8月10日、デリーからマハラシュトラ州のAurangabadに飛行機で移動する。セキュリティーチェックが格段に厳しくなった。2008年にムンバイがパキスタンからのテロ攻撃を受けた時に近い厳しさになった。8月15日の独立記念日にテロが起こりうるからだ。

8月15日はインドではIndependent Day独立記念日で休日である。日本は戦争に負けた日だ。ただ日本が戦争に負けた日は1945年の8月15日。インドの独立記念日はその2年後の同じ日1947年の事である。インドでは第二次世界大戦が終わった事は祝わない。当時インドはイギリスの植民地であり、そもそもインドは参戦には消極的だった。戦争に勝った負けたより、イギリスからの独立が愁眉の事案だった。対ドイツ戦で疲弊したイギリスには、もはやインドを統治する余力は残っていなかった。イギリスが植民地として統治していた地域はインド・東西のパキスタン(東は現在のバングラデシュ)・セイロン(現在のスリランカ)であったが、宗教対立からイスラム教のパキスタンは独自に分離独立を望み、宗主国イギリスはそれを容認した。ちなみにパキスタンの独立は一日早い1947年8月14日である。

スリランカ(当時はセイロン)は1948年2月4日イギリス連邦内の自治領(Dominion)として独立した。

インドとパキスタンの国境は、イギリスがやっつけ仕事で、統計上ヒンズー教とイスラムの多数が居る地域ごとに線引きを行ったが、これが大虐殺の悲劇を生む事になる。国境が決められると同時にパキスタン領になった地域のヒンズー教徒はインドに、インド領になった地域のイスラム教徒はパキスタンに移動、推定1000万人以上が移動した最中にそれぞれの異なった宗教の住民により100万人近い大虐殺が行われたのである。また北部の国境線は双方の主張からカシミール紛争となり今に至るまでインドとパキスタンの紛争の火種となって残ってしまっている。インド独立の父マハトマ・ガンジーはこの時も非暴力を訴えたが、同じヒンズー教徒により1948年に暗殺された。

ようやくイギリスから勝ち取った独立は、宗教間の対立と安易な国境線の策定により、どうしようもない悲劇的な結果も迎えてしまったのである。

 インドの宗教別人口はヒンズー教9.7億人(約80%)、イスラム教1.7億人(14%)、キリスト教2,800万人(2.3%)、シーク教2,000万人(1.7%)他となっていて、少ないと言ってもインドには日本の人口以上のイスラム教徒が存在する。

 多くのヒンズー教インド人はイスラム教徒が嫌いだ。弊社のインドスタッフMr.Vinesh親子も同じで、何で嫌いなのか聞くと、イスラム教徒はテロリストだからだ、と言う。テロは直近の2025年4月にもインドのジャム・カシミールの観光地パハルガムで起きていて、26人が殺害された。テロリストはヒンズー教であるか、名前で判別して射殺した様だ。テロリストはパキスタン人であったとされている。

インドのモディ首相はイスラム教徒への締め付けを厳しくしている事実もある。インドとパキスタンであるのか? ヒンズー教とイスラム教だからであるのか? 問題は根深い。

ついでと言っては叱られるが、ヒンズー教とシーク教の葛藤もある。最近はあまり大きな騒動は起きていないが、過去はあった。ネルーの娘インディラガンジー首相はシーク教徒をあまりに弾圧したので、シーク教徒に暗殺された。

 

 

「スイス、時計産業」

2月、スイスの企業から小型のサーボ駆動スクリュープレスを2台受注した。北部のLa Chaux-de-Fonds(ラショードフォン)という街

ラショードフォン

にある会社である。この街は18世紀後半から腕時計の生産で発達し、ローレックスやタグホイヤーなどもここに拠点を構えていた。

時計製造業の都市としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。フランスの国境に接していて、言葉はフランス語でこれは私にとって少しやっかいだ。第二外国語はドイツ語で、フランス語は勉強していない。

腕時計の中身であるムーブメントを入れる外装は時計ケースと呼ばれ、昔からスクリュープレスで鍛造されて来た。昔は摩擦駆動式のフリクションスクリュープレスである。スイスにもこのプレスを製造するメーカーがあったが、何年か前に廃業してしまった。という事で弊社にお鉢が回って来て注文頂戴という事になったのである。ドイツやイタリアでも同種のプレスは製造しているが、腕時計ケースの鍛造に向く小型機が無い。腕時計ケースは、ケース製造の専門業者があらゆる腕時計メーカー向けに作っているのだが、数年前にスイスの1社にすでに販売をした実績がある。手前味噌だが無故障で弊社の技術者は一度も出張していない。これも今回の2台受注の要因だったはずだ。

この街には、時計博物館があり、是非寄ってみたいと時間を作っておいた。

時計博物館

廃業した同業者のプレスも陳列されていた。

 

スイス製スクリュープレス

初期のクオーツでは無いゼンマイ式腕時計の部品点数はおよそ200点で、もちろん弊社のかかわる時計ケースが一番大きな部品になるが、ゴマ粒ほどの歯車も沢山あり、およそ気が遠くなる様なものづくりの集積だ。そのゴマ粒ほどの歯車や、レバー、ゼンマイ、竜頭などどれを取ってもそれらを作る機械装置からまず作らないと部品が製作できないのである。既存の旋盤や、歯切り盤は超大きすぎる。なにしろ相手はゴマ粒大の部品ばかりだ。まず小さな工作機械を作る。そこからスタートなのだ。ここにスイスが誇る精密機械技術が発展したわけなのである。

現在世界で中身からケースまですべて自国で腕時計を生産出来る国は4カ国である。スイス、日本、ドイツ、そしてインドである。日本はセイコーの創業者服部金太郎が置き時計や掛け時計からスタートして懐中時計を経て腕時計製造に移ったが、イギリスやアメリカなどの製造技術を伝承している。

インドは1960年頃に日本のシチズン時計がHMT社に腕時計を製造するすべての機械装置と技術を輸出したのがスタートで、それが現在TATAグループのTITAN Watch社に継承されていて、弊社のプレスでケースを鍛造しているのである。ちなみに腕時計単体の個数の生産で言うと中国がダントツに多いのであるが、その多くはコピー商品なのである。

昨今高級腕時計がブームでローレックスもなかなか入手できないらしいが、スイスに行くと数百万円の腕時計は並で、1千万円、2千万円の腕時計が売れるというのであるからびっくりする。時を刻む宝飾品だろう。ケースはもしかしたら弊社のプレスで鍛造されたかも知れない。

 

 

「コロナ禍」

2020年1月から3年間にわたって世界を恐怖と混乱のどん底に陥れた新型コロナウイルスの蔓延は次第に記憶から遠ざかって行く。志村けんや岡江久美子など著名な芸能人があっという間に他界してしまった頃にはパニックになったものだった。仕事での移動が一切なくなり、自分の年間スケジュールの半分を埋めていた海外出張もゼロとなり、その3年間は今思えば読書三昧、温泉めぐりとのんびりと過ごしていた。昨年から状況はコロナ前にほぼ戻り、また多忙な一年を過ごす事になっている。残る人生を「ものづくり」の伝承だけに捧げるつもりで生きているので、体力の温存は最も重要な項目で、読書時間も思うに任せなくなったが、それでも読みたい本は読んでいる。未知との遭遇が欲しいからだ。

今年もあと4ヶ月、皆様のご健闘をお祈りします。

 

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