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世相

2022 夏

  • 2022年08月

世相日本世界感じるままに

榎本機工㈱ 社長 榎本良夫

 

「地球と同等の星は宇宙に200万個」

 地球と似た生命体と文明を持った星が宇宙にはおよそ200万も存在するらしい。ならばなぜそんなにたくさんある星からの生命体が地球を訪れる事が無いのか? それは、その様に高度な文明を持つと加速度的に環境破壊が進み、宇宙時間で言うと瞬間的に消滅してしまうから、と言う事だ。宇宙時間の瞬間は地球時間のざっと100年だそうだ。これは2018年に亡くなった、車椅子の宇宙物理学者、筋萎縮症のイギリスの理論物理学者ホーキング博士が日本での講演会で質疑応答した内容で、これは亡くなった石原慎太郎氏のいくつかの著書の中に出てくるものを引用した。

2022年をその地球時間換算での宇宙時間瞬間の終わりとすると始まりは1920年頃、第1次世界大戦の時となるだろう。

ほぼ連続した2回の世界大戦を終え、2019年頃には多くの国は平和と繁栄を謳歌していたものだが、2020年にまん延を始めた新コロナウイルスによる病気が世界に暗い影を落とした。そして、まさか80年前に戻ってしまうとは予想もしなかったロシアによるウクライナ侵攻が2022年に勃発し、この戦争もコロナ禍も収束の予兆が見えない。

今のロシア国内は80年前の日本と同じで、政府の発表をそのまま信じて疑わない。個人的にモスクワに知る辺が居るが、送ってくるe-mailにはネオナチを成敗しているロシア政府の正当性を訴える文章と写真が満載だ。

脱炭素だとかSDGsだとか、環境保全をターゲットにした世界規模の運動もこれで完全に頓挫してしまうだろう。原子力発電所ゼロを掲げたドイツも軌道修正が必要だろう。ロシアからの輸入に依存していた天然ガスなどの燃料が満足に入手できないから電気を満足に発電できない。今、電気が来ないと工業生産は止まり、通信や交通機関も止まり、日常生活は成立しない。生命維持に必要な水さえも来なくなってしまう。石炭や石油による火力発電も当分頑張って貰わなければならないし、環境保全は当分棚上げになるのだろう。EVと言ったってそもそも電気が無い。

一瞬は0.36秒という事だ(まばたきだろう)がこれを1秒とすれば宇宙時間の1秒は地球時間の約280年となる。今から280年前というと産業革命の少し前。産業革命が始まってから、あらゆる面での進歩は加速度的に進んだ。故ホーキング博士の言う通り、宇宙時間の1秒で地球も消滅に向かっているのかも知れない。

 

「キエフスカヤ」

ロシア・モスクワで毎年5月に開催されている機械展示会としては最大のメタルオブラボトカ。弊社も2019年まで毎年出展していたが、コロナ禍のため2020年は延期となり、2021年は日本工作機械工業会のジャパンブース設営も中止、弊社も出展を取りやめた。2022年2月に始まったウクライナの戦争と、継続するコロナ禍のため2022年も出展取りやめ、ロシアでの商売は当分希望が持てないので、ロシアでの展示会出展は当分考えられないだろう。よほどの事が無い限り商談も無いと推測している。

長い冬を終えた5月、ラベンダーの甘い匂いがそこここに漂うモスクワの毎年の展示会は、1週間借り切ったアパートから地下鉄に乗って展示会場に隣接したヴィスタボチュナヤ駅まで毎日通っていたものだ。タクシー事情が悪いので地下鉄が最も簡便安価な移動手段で、日本の地下鉄とほぼ同じ頻度の運行数がある。アパートからの乗車駅は、スモレンスカヤ駅、第2次世界大戦の激戦地だったスモレンスクと言う大きな都市の名からとっていて、スモレンスク街、の様な感じだろう。ヴィスタボチュナヤ駅まで1回乗り換えがあり、その中継駅の名前は「キエフスカヤ(キエフ街)」。鉄道の「キエフ(スキー)駅」に乗り換え出来る地下鉄駅である。ロシアの鉄道駅名には多くが到着地の名前がつけられている。「ベラルースキー駅」は隣国ベラルーシからその先ポーランドやドイツまで延びている鉄道。「キエフ駅」は1899年にモスクワとロシア国内のブリヤンスの間の鉄道が開通した際に「ブリヤンスク駅」としてできたが、その後ウクライナまで延長され、現在の「キエフ駅」となった。ロシア国内では無いウクライナの首都の名前である。東京に「浜松町駅」があるがここから浜松行きの列車は出ていない。上野駅が青森街駅という名前だったらややこしくなる。そんな感じだ。しかもキエフはウクライナの首都だし、ベラルーシは隣国の名前そのものだ。ロシアのウクライナやベラルーシに対する強い思い込みも感じられる。ロシアから見たとしたら、ウクライナやベラルーシは弟国。今回の戦争の起点はここら辺にあるのだろう。

写真はキエフスカヤ地下鉄駅。駅は地中深く戦時の核シェルターにもなるが、美術館の様な作りで、多くのモスクワの地下鉄駅はこの様な美術装飾で地下鉄駅めぐりも楽しかった。

                   Kievskaya 駅1                              Kievskaya駅2                              Kievskaya駅3

 

「インド活況

今年に入ってからインドからの註文が徐々に増えてきた。現在抱えている注文残の半数以上はインド向け。なんとなくEV車、e-Axleに組み込まれて行く歯車の製造のための様に思える。風力発電部品らしきものもある。インドの事なので(つまりMake in India)ヨーロッパや北米向けの自動車部品生産も多数含まれるのであろう。コロナ禍で一時足踏みした投資案件も多くは元に戻りつつある。インドと繋がりが深い弊社にとってはありがたい。

コロナ前には多くの国の展示会に出展し、ビジネス拡大を目指したものだが、ここで大整理をする必要がありそうだ。

出展を今後取りやめの国は:ミャンマーとロシア(ビジネスが元に戻るには相当年数が必要だろう。10年以内とは思えない)。中国(中国製の同種の商品との価格差は絶望的)。タイとベトナム(展示会で新規顧客層と出会う機会が少なくなった。顔なじみばかり)

とりあえず現在出展のまな板に乗っているのは、今年12月のManufacturing Indonesia、2023年1月のインドAuto Expo 自動車部品展、7月のMF TOKYOだ。北部と南部を除く広大なアフリカのサブサハラ地域もいずれ弊社の市場にと計画している。

 

「サッカーと、ヤタガラス」

日本サッカー協会のシンボルマークはカラスで、それも足が3本ありうち1本の足がボールを押さえている、という事はサッカーをやっている人達はご存じなのだろう。

3本足のカラスは八咫烏(ヤタガラス)で熊野大社のお使い。昔々神武天皇が九州から東征した際、大阪から紀州熊野に上陸した後、大和の橿原まで案内した熊野のカラスとされている。近代サッカーを導入した中村覚之助さんが熊野大社のある那智勝浦の出身だったこと、八咫烏の様にボールをゴールに導く様にという事、その熊野大社に平安時代、京の蹴鞠の名人が何回も熊野詣でをし、プレーしていたという事、などが八咫烏を使う経緯になったという事だ。3本の足は天と地と人を表すが、それ以外にも熊野の地を治めて勢力をもった熊野三党の榎本氏、宇井氏、藤代鈴木(ふじしろすずき、全国の鈴木さんのルーツ)の威を表しているとも言われる。

何を書きたかったかと言えば、弊社榎本機工の榎本のルーツが八咫烏にあったのかと知った事で、弊社も八咫烏にあやかり、果てしの無い遠くにあるゴールに向かって進んで行こうかという事になるのである。

スクリーンショット 2022-08-22 163537

 

 

 

 

 

 

 

「箱館五稜郭」

 現在函館の字を使うが当初は箱館だった。箱館の港は日米和親条約の合意後、下田と並んで開港されたたった2つの内の1つだ。当時全盛を誇った捕鯨は取れたくじらの油だけを取り、あとは鯨肉を食する事も無く捨てたそうな。油は工業用潤滑油として工場可動上必須の消耗品だった。鉱物油が開発される前の過渡期である。アメリカの捕鯨船が物資補給で必要とする寄港地として箱館は最適だったらしい。下田にはアメリカ総領事館が置かれたが、徳川幕府が江戸の近くを敬遠して遠い下田にさせたらしい。

当時函館山の下に置かれた箱館奉行が港からの艦砲射撃の射程内であったので、内陸部に移動させる目的で、五稜郭という西洋式の城が築城された。様式は西洋式でいわゆるペンタゴンだ。石垣には日本の築城技術が使われている。徳川幕府が大政奉還したあと、これを不服とする幕臣が、戊辰戦争の最後にここに集まり「蝦夷共和国」として独立を目論んだ。徳川幕府海軍副総裁であった榎本武揚が総裁となり仮政府を樹立したが、続く明治新政府による攻撃、いわゆる箱館戦争で敗退し、この時元新撰組の土方歳三は戦死している。降伏を受け入れた榎本武陽は東京に移されるが、その後明治政府に仕える事になる。榎本からすれば二股かけたと言う事だろうが、有能な人材は活用するという明治政府の方針だったのだろう。敵は構わず一族郎党婦女子まで根絶やしに処刑してしまうという日本の従来のやり方とは大きく違うが、とても賢明な手法だったと思う。榎本武揚と弊社は何も関係していない。

五稜郭

 

 

 

 

 

 

 

 

「赤十字、病院サイバー攻撃

エリオット・アッカーマンとジェイムス・スタヴィディス共著のフィクション小説「2034年米中戦争」では、アメリカは中国によるサイバー攻撃で国の機能も軍事機能もまったく失ってしまい、軍事攻撃はアナログで行なわれる。著者によれば、登場人物が居る小説という形にする事で読者が本書にのめり込んで行き、このままでは世界戦争が起こってしまうという警告をダイナミックに判りやすく説明したという事だ。南シナ海、台湾、イランなどを舞台とし、サンディエゴや上海に戦術核兵器が落とされ数千万人の人が亡くなり、最後はなんとインドが真ん中に割って入り事態を収め、国連本部はムンバイに移るというストーリーだ。

現在、サイバー攻撃はすでに山ほど行なわれ、日本の病院も受けた攻撃でデーターを失い患者のカルテさえも見られなくなってしまっている。戦争の渦中にもうあると言っても過言ではなく、それにしても1854年のクリミア戦争は当時ロシアとオスマン帝国の黒海沿岸支配権をめぐり勃発したものだが、当時劣悪であった負傷兵の看護にイギリスのナイチンゲールが力を尽くし、戦時での医療の中立を目指したのであった。国際赤十字もほぼ時を同じくしてスイスに設立した。医療行為は攻撃しない。現在反故にされつつある。

クリミア戦争は終息の後も各国の力のせめぎ合いが続き、やがて第1次世界大戦へとつながって行くのであるが、今まさに同じ場所のウクライナで行なわれている戦争は、また世界大戦につながって行く可能性があるのだろうか。

ウクライナでの多数の殺戮はニュースを見るたび心が痛み、収束を願うばかりだが、遠くに居る他国の一市民としては、赤十字などから寄付をさせていただく事くらいしか出来る事がない。

 

 

「椅子取りゲーム」

 リクルート。少子化の影響がじわじわと現実味を帯びてきて、若い新卒の学生を企業が獲得する事はまさに過酷な椅子取りゲームになってきた。大学の求人ルールはほとんど無い。あっても無きに等しい。知名度の低い中小企業にあっては悲劇的だが、著書を発刊している名古屋のスティールテック社や、東京のNISSYO社は、中小企業であるにもかかわらず、70人以上の応募から2人ほどを選択して採用しているそうな。そんな絶対にウソだ、と思う様な会社も現実にあるらしい。

アメリカや中国、インドなどの大国と比較した場合、日本では自由闊達な思い切ったスケールの大きな起業がすぐに出来るとは思えない。人口から見る市場規模の大きさも小さい上に海外とのやりとりに長けて居ない。DXなどデジタル化にしても巨額な投資マネーにものを言わせて沢山の優秀な人をヘッドハンティングし、持てる力のある会社を買収して、一挙に世界のマーケットを席巻する様な会社を立ち上げる力も無い。法律や国際ルールを自分の都合の良い様に変えてしまって自己有利にする政治力も無い。小さな島国の中に埋もれる鉱物資源は無きに等しい。ほとんど外から買わなければならない。外から買うには原資が必要だ。現在石油をはじめとするそれら輸入品を買う原資は自動車を筆頭とした機械装置産業が生み出した輸出品の対価がそれに充てられている。

今、国際間の紛争が80年近くも時代を逆戻りしてしまっている中で、日本はどうすれば良いのかと言えば、物をつくる産業を徹底的に育成する事に尽きると思う。

翻って見れば、古来日本には製鉄技術は無く渡来であるが、鉄を生み出すには膨大な火力が必要で、山まるごとの木材も必要となった。幸い亜熱帯温暖気候の日本は多雨の夏前後で山の木々はあっという間に生長するので、人力で切り出す木材消費と良い勝負で山の木々は育ち、それゆえ良質の鉄を生み出す事が継続的に出来、これが鍛冶屋仕事の技術向上に貢献して良質の日本刀が生産された。幸いものづくりに適した日本人の国民性は、硬いとすぐ折れてしまうが、柔らかいとすぐ切れなくなってしまうという相反する現象を、優れた冶金術を編み出すと共に高度な接合技術で、硬く長い間切れ味が継続するにもかかわらずしなやかで折れる事のない日本刀を生み出した。12世紀以降日本の重要な輸出品目の一つとなり、当時日本は世界的な武器輸出国であった事が判る。

今の日本はここら辺に回帰すべきだと思うが、武器では無く工業製品と、出来れば農産物だろう。農産物も今工業製品が無いと産業が成り立たない。刀剣の製造技術から始まり、戦争前は東洋で飛行機を製造できた国は日本だけであった高度な技術力にまで洗練させた日本のものづくり技術。これを失っては日本の立ち位置は無く、若い世代への技術継承はとても重要な事項だと認識する必要がある。椅子取りゲームに勝ち、多くの若いスタッフを招請し、ものづくりで立国する日本を目指したいものだ。

 

「コロナ禍」

収束がなかなか見込めず、いつまで続くのか悩ましい。海外への移動の自由もままならず

まだ元に戻るにはほど遠い。罹患すると熱が出るし、人からうつり、人にうつすので悩ましい。食べて生きるという人の営みには変わりが無いので産業は動かさなければならない。

「ものづくり」である。ウクライナ戦争を見るにつけやはり国家の安全保障はものづくりをベースに考え無ければならないと強く感じる。日本のものづくり技術をなんとしても残し継続する。その為に若い技術者を養成する。答えはある程度見えている。

今年も酷暑の夏、皆様のご健闘を祈念いたします。

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