世相
2026 正月
- 2026年02月
世相日本世界感じるままに 榎本機工㈱ 社長 榎本良夫
「高校生達の ものづくり集団 STEM(ステム) Racing」
日本の「ものづくり」技術の伝承がうまく行かず、コメ作りなどを頂点とした「ものづくり」がどんどん衰退して行ってしまうのでは無いだろうかと心配もしたが、そうでも無さそうだ。
昨年2025年、STEM(ステム) Racingという耳慣れない言葉を携えて、少なからぬ高校生達が弊社を訪問してきた。STEM RACING チームのメンバー達である。STEMとはScience・Technology・Engineering・Mathematicsの頭文字を取ったもので、これに加えてA, ArtがEの後に入る場合がある。
STEM Racing(ステム・レーシング)は、中高生を対象にした国際的な教育プログラム兼競技で、「F1(エフワン) in Schools」 という名前で知られており、モータースポーツ、特にF1を意識し、STEM(科学・技術・工学・数学)分野で実務を学び、実行する場となっている。 日本では学業トップクラスの高校生、それも多くは帰国子女達が数チームを立ち上げているが、ほとんどが学校の外で活動していて、どうも高等学校では面倒を見てくれない様だ。学校や先生が面倒がって取り合ってくれないのかも知れない。やっている学生達は英語ペラペラで優秀な子達ばかり。何しろ大会はすべて英語で実行され、プレゼンテーションも英語なので、英語が堪能である事もチームの必須条件なのだ。彼らのチーム紹介のプレゼンテーションを聞くと、日本に「ものづくり」を残したい、というコメントが必ず出てくるので誠に心強い限りだ。 思い起こせば私たちが彼らと同じ年代であった50~60年前、高校生で16歳になるとまず原付免許(50cc以下の小型バイクに乗れる運転免許である)を取り、中古で買ったバイクを好きな友達が集まってはまず解体してエンジンの点火プラグの点火接点の調整をしたり、オイルを交換したりと、加速性能向上をわかりもしないのにあれやこれややっていた記憶がよみがえる。残念な事に(と言うより遺憾なことに)高等学校では昨今原付免許の取得は禁止され、バイクに接する機会も無くなってしまったというでは無いか。これでは「ものづくり」は伝承されない。 ところが、うれしい事に、やはり職人日本人の気質はまだ受け継がれている様で、大学の「学生フォーミュラ」チーム、「エコラン」チーム、「ロボット競技」チーム、「鳥人間」チームなどなどのものづくり同好会が現在たくさん活動しているのである。そしてそれこそ本当の「ものづくり」職人集団である弊社に、スポンサーになって欲しいと援助を求めてくるのであるが、広い意味で、日本の「ものづくり」を伝承させることができるはずなので、可能な限り対応しているのである。Stem Racingについては現在日本国内での認知が浅いので、以下に内容を説明しておきたいと思う。両手で持てる樹脂製の超小型のレーシングカー
をチームで設計・製作し、大会参加までの運営をし、それらすべての総合力を競う大会で、まず技術面については、金属製カートリッジから一瞬で噴射する圧縮二酸化炭素を駆動源として走る小型マシンを設計製作する。CADソフトを使って車体形状を設計し、空気抵抗や車輪抵抗(車輪は駆動源では無いので抵抗になってしまう)重量、強度などを考慮し、CNCマシンで実際に車体を製作し、20mの直線コース
でのスピードを競うが、その速さは1秒程度。また単に速いだけでなく、エンジニアリングとしての設計製作の合理性も評価対象になる。走行とは別に重要なのが、チーム運営とプレゼンテーションで、STEM Racingは「速さ」だけの大会では無いのが大きな特徴である。チームは企業の開発チームのように役割分担を行い、プロジェクト管理、予算管理、スポンサー獲得活動、ブランディングなども行い、その全内容を審査員(エンジニアや企業関係者など)に英語で説明プレゼンし、、(英語での)コミュニケーション能力やビジネス的視点も重視される。評価は主に以下のような観点で行われる。マシンの速さと安定性、設計の完成度と技術的根拠、ポートフォリオ(開発資料)の質、口頭プレゼンテーション、チームとしての運営力や創造性、そしてピット展示(ブース)の完成度など。これらを総合して順位が決まるので難易度は非常に高い。STEM Racingは世界各国で国内大会が行われ(日本国内競技大会は2026年が初開催になる予定)、成績優秀チームが世界大会へ参加。世界大会では、実際のF1関係者や航空宇宙・自動車業界のエンジニアが審査に関わることもあり、進学やキャリア形成にも大きな実績として評価されることがあるという事だ。このプログラムの大きな魅力は、理系知識だけでなく、実社会を模した「ものづくり×ビジネス×チームワーク」を一度に学べる点で、そのため、将来エンジニアを目指す学生だけでなく、起業や国際的な仕事に興味がある学生にも人気があるらしい。設計根拠、テスト結果、改善プロセスなどのエンジニアリング、 ビジネス・プレゼン、スポンサー獲得を想定したマーケティング、チームブランド、ロゴ、ブースデザイン、審査員(企業・技術者)へのプレゼンテーションなどがレースタイムとは別にそれぞれの%で得点項目となり、単に速い車が走ったから優勝とはならない。得点項目は、1.レースタイム、2.エンジニアリング(設計・製作の質)、3.ポートフォリオ(設計資料・分析)、4.英語でのプレゼンテーション、 5.チームアイデンティティ(ブース・ブランド)となっている。 このプログラムはイギリスで1999年に企画され、2001年に世界大会が開催された。開催地は何かの事情で(恐らく大会スポンサー)シンガポールやアラビア諸国が多い。2025年にシンガポールで開催された世界大会は、33カ国以上83チームが参加し、日本からも3チームが参加、Hayabusa Racingが30位(総合得点630/1000点)という結果となった。世界大会の開催趣旨は、1.実社会に近いエンジニアリング体験、2.F1や航空宇宙、自動車業界へのキャリア教育、3.英語プレゼン・国際大会での交流、 4.大学進学・奨学金・企業評価に有利な実績を得る、で、 車・F1・ものづくりが好きで、 CADや物理、空力に興味があり、 チームで何かを成し遂げたい、 将来エンジニアやデザイナーを目指している学生達が個々にグループチームを立ち上げて参加している。年齢制限があり、参加資格は19歳まで。何しろ若い。そして「ものづくり」が大好きで学校の授業の他に、好きな者が集まってやっているのである。
「外国人との共生」
弊社は外国人スタッフ・研修生を1995年から受け入れてきた。30年を超える。最初はインドネシア人で、今もインドネシア人が一番多い。現在正社員として在籍するのはパプアニューギニア、インド、バングラデシュからの若者で、インドネシア人は技能実習生と、特定技能1号が数人いる。特定1号の後は特定2号となり家族を日本に呼ぶことが出来、その次は多分定住の道が開けて行くのではないかと思う。技能実習生としてはじめて来日してから10年を超える事になり、10年以上所得税を納め、まじめに働き、犯罪歴も無ければ定住を認めてやっても良いのか、と言うことになるだろう。弊社の外国人スタッフも、実習生も、もめごとも無く楽しんでものづくりの技術を磨いていて、日本人との共生はうまくやっている。間違い無い。ブラジルの日系ブラジル人は270万人ほどいて、はじめて移民として来た初代から、現在5世から6世が出はじめているらしい。3世、つまり初代の孫の数が一番多く、弊社にも一人出稼ぎで出てきているスタッフが居る。彼の日本語は珍しく問題が無いレベルだが、3世以降の多くは日本語が分からないし、食事の指向も日本人とは違いブラジル化している。外観は日本人だが、中身はブラジル人だ。ところが、である。スペインやイタリアからの移民3世と行動様式が違うのである。極めて日本的なのである。たとえば時間を守るとか、丁寧に仕事を仕上げるとか、約束を守るとか、物を大事に使う、である。遺伝子の何かが違うのは間違いない。1960年頃、当時のブラジル移民2世は、日本よりも何かもっと日本的で、第二次世界大戦で日本が負けているはずが無いと頑強に確信していたいわゆる「勝ち組」が多数居た。本国の日本はどんどん変化してしまって行く中で、遠くブラジルに隔絶された日系ブラジル人がもっと日本的だったのも興味深い。ところで、ブラジルも、アメリカも他の国もであるが、日系移民は現地の流儀に従いひっそりと、そしてまじめに信頼を得ながら生活をしていた。現地の人々とのいさかいは無かったはずだ。ひるがえって、埼玉県川口市などでの日本で暮らす外国人とのいさかいは、いずれ共生して行かなければならないので何とかしなければならない。民間や地方自治体では制御は無理だろうから、国がもう少し強力に共生へのコントロールをしなければならない。最近選挙の争点にもなりはじめて来ている。
「アフリカ、ナイジェリア、ラゴス」
いずれアフリカ市場も、と頭の隅に片時も忘れずしまってあったが、
昨年西アフリカのナイジェリアで開催されたLagos International Trade Fair 2025
ジェトロブースの一コマでいよいよアフリカ初見本市出展となった。
入国も出国も、まともにやっていては恐ろしく大変らしく、最初からプロトコルと呼ばれる現地便利屋さんに事前にサポートを依頼しておいたので、何か物をねだられる事も無く、税関検査でスーツケースを空ける事も無かった。プロトコルへの報酬は50ドル程度。検疫では黄熱病の予防接種済みの黄色いカードの提示が必須である。ナイジェリアに黄熱病があるのだから逆なんじゃないかな、とも思うが何しろ必須と言う事なので、私も予防接種を受けた。一回の接種で生涯有効である。しかしである。後で、ある日本人が言うには、黄色カード無しでも20ドル程度下から出してやれば無事通過できるとの事で呆然。ラゴス市内ではホテルや大きなレストラン以外はクレジットカードが使えないとの事だったので、両替商の窓口で1000ドル両替を試みるも、現地通貨のナイラの手持ちが200ドルしか無いとの事で200ドルを両替する。触るもおぞましい 湿ったぞうきん色のよれよれの紙幣がおよそ20cmの積み上げ高さほども出てきたのである。
1000ドルだったら大変な量だった。湿ったボロボロの紙幣は数えるのも大変で、あとで何度も多く差し出したものだが、面白いことに都度「一枚多い」と返してくれたものだ。日本円は両替できず、米ドルか、ユーロが必要だ。展示会での受付の女性への費用は一日現地通貨で12,000ナイラ、日本円換算で 1,200円程度と格安だが、現地の感覚であれば、12,000の高額な感覚なのだろう。展示会はトレードフェア・交易会であって、およそ何でも有りの出展者で、文房具、調理器具、健康飲料、家電製品からトラック、オートバイ、発電機、産業用機械、はてまた女性下着やサロンパスまでで、サロンパスは試供品を無償で配っていたが、おでこに貼っているナイジェリア人が沢山居て、頭痛には効かないのに、と内心おかしく笑っていたものだ。会期が10日間と、途方もなく長く、やるんだったらついでに長くという事だったのだろう。会場はタファワ・バレワ スクエアで、最初サッカー場かと思ったが、ここで独立記念式典も行われたそうだ。セレモニースタジアムだ。すべての展示は大型テントの中で、ジェトロブースも空調の効いた(暑く湿度が高いので)単独の大型テントの中に40社ほどが出展した他、「Super Japan」と称するポップカルチャーの祭典も行われた。ナイジェリアでは人口2億3000万人の内半分以上が日本のアニメ好きとの事で、「オタク」がたくさん来場し、「まり」ちゃん(児島真梨奈というらしい)という歌手がステージに上がり大盛況だった。あまりに大賑わいなので見に行ったのであるが、私の年齢差では理解にほど遠いものの、ナイジェリアの若者が日本のアニメ、オタク、コスチュームプレー、と日本のポップ文化にえらい興味を持っている事にはうれしさを覚えたものだ。弊社は1997年に、インドのデリーで開催されたIETF(International Engineering Trade Fair)に参加した。およそ30年前、インド初出展で、この展示会も今回のラゴスの展示会と同様に工業関連ではあったがトレードフェアという総合展示会だった。私もその時が初インド出張で、両替後の札束の多さとか、街の雰囲気だとかが、今回のラゴスの展示会と似た様な雰囲気ではあったが、街を走る自動車だけはまったく異なっていた。当時のインドはインド国産車のアンバサダーと、インドで製造されたマルチスズキのアルトがほとんどだったが、今回のラゴスは8割近くがトヨタやホンダの日本車で、レクサスの様な高級車もたくさん目についた。ナイジェリアの人口の1%程度の富裕層200万人、そのほとんどがラゴスに集中して住んでいるのでそれもそうなのかも知れない。ナイジェリアでは石油が採掘されるので、富裕層は存在するだろう。ナイジェリアに来るまえに、オートバイが沢山走っているだろうと想像していたのが、ラコスではゼロでは無いもののほとんど見かけなかった。オートバイはラゴスでは禁止という事だ。なお、首都は海岸のラゴスから内陸のアブジャに移転している。自動車の生産はノックダウンで、ホンダは部品をタイから持ってきているとの事だ。ナイジェリアで自動車部品産業が出てくるのはまだ当分先だろう。補修部品、いわゆるアフターパーツがその前に出てくるだろう。電線やモーターの中の配線の銅を溶かして真鍮の部品を作る会社も先に出てくるだろう。多くが水周りの配管金具になり、これがその後で鍛造になって行く。インドも30年かかったからアフリカも同じだと思っている。富裕層がこれから何を商売としてやって行こうかと、30年前のインドもほぼ同じだったが、インドの場合はほとんどが自動車部品だった。ナイジェリアが同じであるかどうかは定かでは無いが、展示会中も資本力のありそうな訪問客が何人か来た。
人口の若年層が圧倒的に多く、展示会でも沢山の子供達が来場した。
受付で雇った女性は物覚えが良く、頭の良い人達が多く居るのでは無いかと思う。そして言語はほとんどの人が英語を話すのでこれも将来に向けてプラスだろう。ナイジェリアはイギリスの植民地であった。自動車の車線は周辺諸国との整合性の兼ね合いから、かなり以前に右側走行に変わったとの事である。食べ物はインドと近似かと思ったが全然違っていた。ターメリック(ウコン)を使った黄色いいわゆるカレー風の料理が無かった。ご飯が美味しくなく、もっぱらヤムイモ(里芋の大きいやつである)、チキンがふんだんで、展示会場でも外の屋台のチキンで昼食を済ませた。
インドの経験上焼いてあればだいじょうぶだが、一度得体の知れないソースの器にドボッとつけて出して来たので、これは危ないと思い、焼いたままのにしてくれと変えてもらった。クレープの様な皮でロールにしてもらうと結構いける。いよいよ会期も終了間近になり、出国用QRコードの申請をWEBでしたところ、出国カード申請部分になんとしてもたどり着けない。よくよく調べると、入国時申請して取得した入国QRコードが期限切れと表示されているのに気づいた。つまりコンピューター管理上で、私はナイジェリアに入国していないのだ! あわててパスポートを見たが、入国スタンプは押してあったのでまずは一安心。入国時パスポートはプロトコルがどこかに持っていって、私は実際に入国スタンプを押す窓口の前には立たなかったが、入国のQRコードの紙を一緒に持っていったので、全部処理済みだと思っていたが間違いであった様だ。 ひとつ思い出した事があり、パスポートを返してもらい、受託手荷物を受け取る場所に入る入り口で何かおばさんがハンドリーダーでQRコードか何かをピッと読み取らせていた事を思い出した。その時長蛇の列で、アメリカだかヨーロッパの数人のツアー客が文句をつけていたら、くだんのおばさんが頭にきて「知らないから勝手に生きなよ」と言い、ツアー客がぞろぞろと出ていってしまったので、私もここぞと一緒に出ていってしまった。そこで多分入国時のQRコード処理をしていたのだろう。だから私はコンピューター上入国していない。しかしパスポートには入国スタンプは押してあるというへんてこな状況だと判断した。入国時にサポートしてもらったプロトコルに出国時もサポートしてもらう約束だったので、WhatsAppでメッセージを送ったろころ「だいじょうぶ、OK」との返事、「でももう10ドル頂戴ね!」何でもお金で解決できるのがこの様な国の良いところなのだろうか、とため息をついた。軽微な交通違反だったらその場でお金で終りのはずだ。出国時の空港では荷物の安全検査があるが、なんらかんらと言い訳してスーツケースは結局空けられず、イミグレーションの担当官にもプロトコルが何を頼んでいるんだか話をつけて無事出国スタンプを押してもらい出国をする事が出来た。出国時の手荷物安全検査で、「これいいね」と言ってプレゼントを要求されたと、搭乗の待合時に日本人から話しを聞いた。税関検査では無く、保安上の安全検査である。アフリカは何しろ広い。地球儀を見なければ感覚的に判らないが、インドが小さく見えるので、よほど大きいと考えた方が良い。北アフリカはヨーロッパの一部と見た方が良く、南アフリカはそこそこ発展してしまっているので、目指すはサブサハラ、サハラ砂漠の南の一帯で、西と東がとてつもなく離れているので別に考えた方が良いと思っている。西はナイジェリア、東はケニヤかタンザニアだろうが、今年2026年はケニヤにした。30年後を目指して、種まきである。毎年蒔けばいずれ芽を出すだろう。
「ドイツ・野外博物館」
デュッセルドルフからドイツ国鉄で北に1時間ほど移動したあたりにハーゲンという街があり、この郊外の渓谷丘陵地におよそ42ヘクタールの広大な敷地の、LWLハーゲン野外博物館がある。LWLは公園運営団体の略称。約60棟以上の歴史的な建物(主に木造の古い家屋や工房)が再現されており、18〜19世紀を中心とした手工業・伝統技術の現場を、実際に動かして見ることができ、鍛冶屋、印刷や製紙、ロープ作り、煙草巻きやパン焼きなど、多様な工芸・生産技術が実演されているのが特徴である。
自然を満喫しながら散歩しながら見学ができる。単なる展示ではなく、職人たちの作業を見ることができる参加型の博物館で、鍛造の発祥の過程が判るので長い間訪問したいと思っていたが、ちょうど昨年10月にフランクフルトで国際鍛造会議が開催されたので、スポンサー参加したついでに一日かけて念願の訪問が出来た。渓谷地にある最も大きな理由は渓流の水である。展示され、稼動する事の出来る機械装置の動力源は水車である。ここで添付している最初の写真は鍛造工場の外に設置された水車で、この回転動力を屋内に引き込み、てこの一端を押し下げてから一挙にはずし、てこを落下させ焼けた金属を成型する鍛造装置が展示されていた。
ティルトハンマー(傾くハンマー)と呼んでいて、1960年頃の実際に鍛造していた時の写真も飾ってあった。
見学当日はスプリングハンマーを使って釘を鍛造していた。日本でも広島県の鞆の浦に船釘を鍛造製造する業種が昔あり、瀬戸内海を行き来する木造船の造船に用いられていたが、それとそっくりだった。鞆の浦は今もなお鍛造業社が数社現存していて、船のアンカーや吊り具を鍛造している。鍛造、つまり鍛冶屋仕事の歴史は古く、日本では弥生時代後期の紀元前1世紀ころに「たたら製鉄」が始まったと同時に鍛造がスタートしている。つまり出来た鉄を加工して道具にする過程の手法が鍛造で、鍛造により農機具や刀などの武器が製造された。その当時は金槌による人力で鍛造をしていたが、ドイツなどヨーロッパでは水車の動力を使い、何か重い落下槌(らっかつい、と読むが、石や岩だったのでは無いか)をその動力で持ち上げてから一挙に落下させる事によりとてつもなく大きな成型力が得られる様になり、船舶や、鉄道や車両の動力・駆動部品の製造に繋がって行くのである。イギリスの産業革命の立役者であった蒸気機関の多くの部品もこれら鍛造装置で鍛造された強度の高い部品であった。大きな動力は川から得られ、今でもドイツの古い鍛造工場は川の横に立地している。
「世界は残酷だ Cruel」
商売をしていると残酷な場面に遭遇する。資金がある間は銀行も、揉み手で愛想良く付き合っていただけるが、お金が無くなって赤字が連続すれば途端に貸し出しの回収に動くのだが、容赦なく残酷だ。業務で何かしくじりを起こせば容赦なく法的責任を負うし、借金も負ってしまう。企業の経営はそれなりの覚悟が無いと、いつも残酷な場面に遭遇する。自助努力するしかない。よほどの事が無いかぎりどこも助けてはくれない。第二次世界大戦も終わってから高度成長期に移る頃生まれた私は、個人的には大地震など自然災害にも遭遇していないので、残酷な紛争も戦争も、人生がゼロに戻ってしまう様な経験はしていない。ヨーロッパではウクライナはまだ終戦の目処もつかないまま戦争が継続されている。ウクライナのゼレンスキー大統領は現在48歳。4000万人近いウクライナ国民の生殺与奪の責任、複雑な国際情勢、国内情勢、戦争遂行の責任など何と重い重責をこの若さで背負っているのであろうか。残酷な話だが、昔からロシアとドイツに挟まれた東欧、カフカス地方はひどい目に遭わされ続けてきた。今まただ。パレスチナのガザも、アフリカの一部でも残酷な殺し合いが継続している。ベネズエラでは突然のちん入者により、まさかの大統領誘拐だ。アメリカはグリーンランドを売れと言っているが、過去彼らはルイジアナ州も、フロリダ州も、アラスカも他の国から買っている歴史があるので、そう言うのもおかしくはないのかも知れないが、相手からすれば残酷な話だ。
世界は残酷だ。
衆議院選挙、まさかの結果となった。「春の雪」(三島由紀夫著、豊穣の海4部作の第1部がこの名前である)の中での投票日、日本国民は高市総理大臣と自由民主党に軍配を上げた。選挙直前の野党の烏合は信頼を勝ち得る結果には当然なり得なかった。自由民主党と言うか、高市総理大臣に国民は当面後途を託したというのが本音だろう。多くの諸外国から比較して、日本の現状は決して悪くは無い。「ものづくり」の好きな若い人達の存在は日本の将来を明るくしてくれる。
今年後半の皆様のご健闘とご活躍を祈念します。
(この原稿は1月後半には書き終えていましたが、時また高市総理大臣が衆議院解散総選挙の模様になったのでそれを書いてからと思い、WEBの掲載が遅れました)
































