| 平成13年 夏 |
「ロボット」
やはり新世紀に入ったなと感じさせる事が三つある。一つはホンダの二足走行ロボットアシモ君だ。「たまごっち」「犬ロボット・アイボ」と、機械ペットとのふれあいがいよいよ本格的ロボットとの共存に展開しつつある。軽快なサンバのリズムにあわせて踊るアシモ君は意図的にか、いかにもロボットらしい外観をさせられているが、着物を着せて人間の顔をつけるのも時間の問題だ。つまり、飯島愛ロボットとか、松島菜々子ロボットが出てくるわけだ。その後の展開は想像にお任せしよう。ご主人様の言う事にはすべて逆らわず、年もとらず、いつまでもぴちぴちのロボット達がお金で入手出来る様になる。文句たらたら、言う事も聞かない三段腹の悪妻とももうオサラバだ。ロボットは飽きればいつでも修正できる。次は金髪だ! いつまでも新鮮な気持ちで一生が終われると言った訳だ。鉄腕アトムは天馬博士が、亡くした子供に似せて作った人型ロボットだ。彼は正義の味方、十万馬力、トラックだって戦艦だってぶん回す事が出来る。電車の無法な悪たれどもも、もう怖くは無い。手塚治虫が空想力を駆使して出来たSF漫画の世界に今まさに手が届く所まで来ている。
「携帯電話」
携帯電話の進歩がとどまるところを知らない。テレビ電話・メール・ナビゲーション・目覚まし時計・計算機・カメラと段々機能アップしているが、ラジオ・テレビ・CDプレーヤー・ビデオカメラ・コピー・録音などの記録機能、パソコン・ID機能としてのクレジットカードと定期券等のチケット類・血圧心拍などの健康管理機能と医療機能・護身機能と緊急時の通報機能・辞書や百科事典・通訳機能・工場での労務管理機能・ゲーム機と、思いつくだけでもざっとこんなところが携帯電話に入り込むだろう。自動車電話がなくなったと同じく、カーナビも無くなる。時代の変遷は早い。ディスプレー画面とキーボードの小ささは不便だが、多分折りたたんだ紙のような物を広げてそれになる様になって行くだろう。逆探知機能で営業マンがサボって昼寝をしていうのもわかれば、亭主がソープ街で二時間もHという店に滞在している事も一目でわかってしまう。そんな悪夢の様な時代も今まさにそこまで来ているのである。
「電気自動車」
省エネ・ハイブリッドカーが好評だ。実際は百%電気自動車にしてしまいたいところが、技術的に一足飛びと言う訳には行かないのでさし当たっての便方だ。
着々と技術を蓄積して十年とか十五年とかの内にはほとんどの自動車が電気駆動になって行くのであろう。つまり給油口のキャップを外す所から、ガソリンタンク、気化器、エンジン、往復運動を回転運動に変えるコネクションロッドとクランク、消音器にいたるすべての部品がいらなくなってしまうということだ!手のひらに乗るピストンリング一つとっても上場企業が何社も、なかば専業で製作しているのだから、とんでもない数の企業が御用済みになる可能性がある。反面、モーターとか電池とか新規需要は爆発的に発生する。いずれ石油は内燃機関の燃料としてではなく、豊富に含まれるたんぱく質が食品に向けた用途として見直されて行くことだろう。そして現在至るところにあるガソリンスタンドは電気スタンドに変貌することになる。
以上の三点、新世紀に入ったのだなと個人的に実感する内容だ。
「計算尺」
計算尺を使った最後の世代が私の世代だ。工科系大学に入学すると、関数計算、指数計算、対数計算や三角関数を計算する為に、関数機能のある計算尺が必ず必要であった。目盛りを合わせ、カーソルを合わせ、裏面にひっくり返し、またスケールを動かし、またひっくり返しと、気の遠くなる手順を踏む割にしょっちゅう桁を間違え、とんでもない回答を出した記憶がある。数字は合っていても十万円の物を百万円で買うようなわけだから、まったくとんでもない世界だったものだ。ヘンミとリコーの製品があり、大学の先生はどちらかと言うとヘンミの方が精度が長持ちして使い易いと薦めてくれたものだ。ところが大学二年になった頃にカシオ計算機が一万円のカシオミニという電卓を発売した事により事態は急変した。当時大学の試験は計算尺でもそろばんでも計算機(手回しのタイガー計算機)でも持ち込み自由であったので、答え一発のカシオミニは当時としては高価な買い物ではあったが、アッと言う間に普及した。実質試験の時間が長くなり成績も上がるからといえば、親も財布をすぐに広げてくれたものだった。四則計算しか出来なかった計算機も間を置かず関数電卓が発売され、大学を卒業する頃には大きな計算尺を抱えて登校する学生は居なくなった。記憶が正しければヘンミも電子計算機を発売したはずだが、オムロンや松下さえも撤退した計算機の激戦マーケットでは勝負になるはずも無かった。後年老教授が、壊れたカーソルを買い換えようと問い合わせたところ、会社ははからずもあったが、貸事務所に机一つだったそうだ。ヘンミが当時、精度がもっと良く、寿命も二倍、保証は三年、価格は半分といった計算尺を頑張って開発したとしても結果は決まっていた。時代はどんどん変わってしまう。的を射た努力が必要だ。
「インド」
年明け早々、インド最大の機械見本市に出展してきた。とんでもない訪問者が来た。プレス本体だけが欲しい。空圧装置も油圧装置も潤滑装置も電装部品もモーターもいらない、そんな物は後から自分達で付けられる、ベストプライスを出して欲しい。日本で一千万円の機械はインドでは実質一億から五億円にまでなる高価な買い物だ。メーカーとしては不本意だが彼等のリクエストも良く判る。ビジネスチャンスがまだまだあると感じた。
「タイ」
トヨタが一トン、一・五トンピックアップトラックの生産量を爆発的に増やすらしい。部品メーカーも特需が出ている。商用車バンやピックアップトラックが日本に逆輸入されるのも時間の問題だろう。その分日本国内の生産ラインは縮小する。
二、三十人の規模の中小製造業者がタイに進出して、あっと言う間に二、三百人の規模に拡大する事も珍しくない様だ。日本では夢の様な話かも知れないが、コーヨーとかデンソーとかから直接引き合いが来る事もあるそうだ。海外では日本では考えられないビジネスチャンスが発生する。気心の知れた日経企業なら安心だし、品質に問題が出る事も無い。だからありそうな話でもあるが、勿論すべてがバラ色ではないのでご用心を願いたい。
「ベトナム」
ベトナムは戦争でアメリカに勝った勝利国だ。日本とは違う。ベトナムに進出する日本の企業が後を絶たない。ベトナムはミニ中国だ。中国と同様社会主義を標榜した政治家が政治・経済のあらゆる部分をコントロールしている。だからある面からすると何でも有りだが社会主義であるが故の進出の困難さも伴う。でも何故進出するのかと言うと、多分六千万人強の、タイを上回る人口の潜在的マーケット、勤勉な国民性(大抵の勤労者は終業後、夜間の学校に通っている)、儒教の南限(日本は北限)、日本と同じ無宗教と雑食性など日本との共通項目の多さがあるからだろう。中国の侵略と奪回の歴史は朝鮮半島の歴史と同じだ。勿論昔はベトナム語は漢字で表記されていた。当社にはベトナム人研修生が四名居るが、彼等は多少の漢字を読む事も書く事も出来る。姓名は漢字で表記できる。彼等のルーツは中国雲南省あたり、食いつめて南下した彼等の祖先が、元々住んでいた人々を山岳地やカンボジアに追いやって創設した国だ。ベトナム人はタイ・ラオス・ミャンマー人との共通項目は無い。キン族と呼ばれるベトナム人は基本的には中国人をルーツとしている。
さて、では何故今ベトナムと言うのかというと、ベトナムがかつての日本の昭和三十年代の状況と酷似しているから、という事に至るのではないだろうか。勤勉で手先の器用な彼等は当時日本が欧米から技術を導入した頃と良く似た展開をたどっている。日本の技術もいずれベトナムに移転されてしまうのかも知れないが、弊社はそれはそれで良しとしている。
「アメリカ」
アメリカは自由と理想と多数決の国であるが故にとんでもない暴走をする事もある。第一次世界大戦後、二度と世界戦争を起こさない様にと国際連盟が発足したが、アメリカはお膳立てをしただけで結局加盟する事はなかった。お酒は害があると禁酒法を制定した事もある。二酸化炭素排出を抑制し地球の環境保全を目指した京都会議には参加したが、批准をしない事が決定的になっている。ユネスコでの問題もそのままだ。いわゆるモンロー主義への回帰がどうしても感じられてしまう。ヨーロッパ勢がどう頑張ってもアメリカの実力には及ばないのだが、このままどうなって行くのか不安もある。国際連盟は第二次世界大戦を抑止する事は出来なかった。
アメリカがマスプロ生産の大量消費国であるという認識を総てにあてはめるのは間違いである。五月にクリーブランドで開催されたメタルフォームというプレス加工設備の見本市に行く機会があった。そもそもアメリカではほとんどのプレス機械メーカーが消滅している中で、ミンスターという会社のみが孤軍奮闘をしている。そのミンスター社の小間の横で、何十年か前の真っ赤に錆びたミンスタープレスと、それと同型の新品らしきプレスが展示されていた。この小間はそもそもミンスターの小間では無い。いわゆるレトロフィット、中古機械再生修理業者の小間だった。スッピンと化粧後の大違いと言った生易しいレベルの話では無い。墓から掘り出したミイラを生き返らせてピカピカのギャルに戻した程のとんでも無い話だ。屋根も飛んで廃墟となった工場からゴミと一緒に無償で(あるいはお金をもらって)持ち帰り再生させたのだろう。我々プレスメーカーとしたらとんでもない存在だが、そんな会社が多数小間出展していた。クラッチ・ブレーキ等の交換部品も、各社の純正品が取り揃えられきちんとしたマーケットが構成されている。もちろん今は既に無いプレスメーカー各社の機械用だ。修理屋が増えてメーカーが消えたのか、メーカーが消えて修理業が増えたのか良くはわからないが、悪評高いPL法から推測すると多分後者だろう。弊社の小間の横で、弊社の古い機械の修理前・修理後を展示されたらどなり飛ばしてやるところだし、そんな事もあり得ないだろうが、なんともアメリカはおおらかな国だ。ビジネスはビジネスとお互い存在を認め合っているのであろうか。古い物でも捨てずにとことん使い切る。大量消費国としての違った一面を十分認識する必要がある。
日本メーカーも少なからず出品していたが、何せ活発なのは台湾勢だ。OEMもある。数が出て利益のあがる板金プレス機の分野へは台湾勢がどんどん進出している。チャイニーズに売れ筋商品を持たせたら、まさに鬼に金棒だ。反面人件費の高い日本は劣勢だ。汎用プレスの分野は台湾の勝利が確実だ。ただ、そんな台湾製プレスも日本にはそんなに無い。多くの日本製プレスに割り込むのが大変という事もあるかもしれないが、彼らにとって日本は上がってしまった国と判断しているからだろう。
「小泉内閣」
小泉首相の様なタイプの出現は大方予想は出来た。ヒットラー型指導者だ。行きすぎた民主主義のお陰で殺人を犯した方の人権ばかり重視され、暴行歴のある気違い(パソコンからこの言葉は一気に変換されなかった)がまた野放しになる。どんなに嘆いても民主主義の壁はあまりに優柔不断だ。一挙両断大岡裁きを見せてくれる強い指導者が望まれるにも道理がある。多分参議院総選挙も圧勝だろう。ただ韓国・中国は強い指導者の出現には警戒する。そういう強い指導者が出てくる・必要とされる現在の日本の国情にも警戒をする。教科書問題も間が悪い。多くの植民地を独立に導いた契機を作った日本の役割をもっと認識しようというのが趣旨のひとつで、私も、何食わぬ顔でしらばっくれているかつての宗主国の、合法的に根こそぎかっぱらっていった行為を考えると判らなくもない。しかし侵略を受けた側の記憶は何世紀たっても決して忘れ去られるものでははい。隣近所、困難ではあっても共存共栄の方策を見出して行かなければならない。
「KSD」
期待していた、ものつくり大学はとんだ味噌がついた。弊社も趣旨に賛同して些少ながら寄付をさせていただいた口だ。KSDはそもそも中小企業経営者災害補償事業団という名称で出発し、高度成長期に町工場の社長が職場で怪我をしても労災が適用されず、当時は工場で働く社長が会社の総てであったから、悲惨な結果を何とか皆で助け合おうという共済で始まったものだ。それが最近は、工場で働かないゴルフ好きの社長が増えたもので、災害給付を支払うケースが減ってしまった。座っていても会費は自動振込みで絶え間なく入る。営業も信用金庫がしてくれる。使い道の無くなった、たまる一方の金が悪事に走らせた。下半身が強すぎたのも悪かった。晩節を汚すという言葉にぴったりの顛末となった。ただ、彼の人は中小企業の存続にことさら努力していた事を付け加えたい。中小企業の株式相続の不合理解消なども積極的に政治家に働きかけていた。弾を撃つのはどこでもやっているはずだが、今回は色々やりすぎて墓穴を掘ってしまった。
「景気の回復」
経済再生は待った無し。小泉内閣に期待せざるを得ない。中後半端なやり方はもう通じないし、痛みも分け合わなければならない。浜口内閣の時もそうだったが裏切り者はあちこちに居る。痛みも適当に。絶妙な手さばきが求められるが大変な事だ。頑張っていただきたい。
大変だ大変だと言ってはいるが、お母さんが夕方、空になった米びつを開けてため息をつく、といった光景が今あるはずが無い。私の知らない頃の話だが、その頃から見ればまだ日本は余力たっぷりと考えられるだろう。銀座に開店したエルメスの直営店には長蛇の列が出来た。鞄もスカーフも中途半端な値段ではないのが飛ぶように売れている。景気の回復は個人消費の回復がキーポイントだが、弊社のプレスもエルメスの様に飛ぶように売れる様知恵絞りたい。
「明日があるさ」
阪本九の「明日があるさ」がまたヒットしている。彼の「上を向いて歩こう」はスキヤキソングという名前でアメリカで大ヒットした。「見上げてごらん夜の星を」もいい歌だった。当時は東京オリンピック前、浮き沈みはあっても日本が高度成長期をまっしぐらに突き進んでいる頃だった。彼の歌には明るい未来へ向かって努力して行こうという内容が多かった。大方の予想を裏切ってとんでもなくきれいな奥さんをもらい、娘二人と幸せな家庭を持った事も彼の人柄が為した結果だったであろう。しかし周知のごとく、彼は暑い夏の夜、御巣鷹山の山頂に散って行ってしまった。今、彼の地から日本の国民に送ってくれているメッセージは紛れも無く「明日があるさ」だ。実情は厳しすぎる、しかし頑張ってゆこう。
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| 平成13年 正月 |
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「シカゴショーとIT革命」
昨年九月、北米最大の機械見本市シカゴショーに参加してきた。板金加工機械(タレットパンチプレス・レーザーカッティング・プレスブレーキなど)の売れ行きが四割増から倍増し、売る玉が不足していると日本のプレスメーカーの現地駐在員が頭から湯気を出していた。筐体、いわゆる箱物が不足している。それらの箱は光通信の中継ボックスだ。コンピューター普及世界一のアメリカでワイヤーケーブルがどんどん光ファイバーのケーブルに置き換わっている。いわゆるIT革命。その恩恵が諸工業に波及しているのを眼のあたりにした。
展示会でカタログは積んでおいても持って行かない。紙質が良く装丁が立派な物ほど持って行かない。持って行くのはポケットにはいるCDだけだ。日本や発展途上国の展示会の様に、カタログがぎっしり詰まった紙袋を両手に下げて汗だくにフーフーいっている連中は居ないのである。昨年秋に開催されたアジア地区最大の日本国際工作機械見本市(東京・有明で開催)でもカタログ配布をCDに替える出展社が増えていた。いずれオムロンや松下等の厚さ五センチも十センチもある部品カタログ集もCDやホームページに置き換わって行くと見て間違いない。ホームページであれば部分訂正や追加記載はオンタイムで出来、カタログ製作数や在庫の心配がまったくなくなる。貰う側もカタログコーナーのスペースが不要となり本棚もすっきりとする。古いカタログを捨てる手間も無くなる。必要なデーターはホームページから必要な部分だけをプリントアウトすれば済む。会社案内なども同じだ。しょっちゅう変わる役員や資本金に、在庫品に切ったり貼ったりみっともない事をする事も無くなる。カタログ類のCD化とホームページの開設は時代の要請だ。企業活動を継続するには待ったなしと見た。
「何と言ってもアメリカは自由でアクティブ」
とやかく言われるが、依然アメリカはアクティブでもあり無邪気だ。展示会閉館間際には、大の大人が館内でフリスビーを始めたり、紙飛行機を飛ばしたりする。どこの製品でもよいものであり適正な価格であれば偏見なく買ってくれる懐の広い自由の世界だ。ただし、自由のベースにある義務と責任の存在を忘れてはいけない。不良品を出して重大な事故に発展でもすれば、会社が簡単に吹っ飛ぶほど金銭的に叩かれる。この国にまあまあは無い。
義務と責任と言えば、自分と家族を守ることは個々の責務の範疇と考えるお国だ。それはこの国が出来上がる過程からそうであったから仕方が無い。保安官が総て安全を保証してくれると言う事はまったく無かった。やる気が無かったり、悪とつるんだり、はてまた陪審員を抱きこんで裁判の判決に手加減を加えたりと。こうなればやはりドスンと一発自分で拳銃を打ち込んで自分を守るしかなかった。今強盗に襲われたとして、「お巡りさん助けて」と叫んでもそこに警官が居る確立は限りなくゼロに近い。だから、アメリカから銃を無くそうという運動が実を結ぶはずはない。アメリカから銃が無くなる事は絶対有り得ない。この国では義務と責任、その結果得られる自由の概念は徹底している。
展示会開始から数日後、奇妙な事に気が付いた。出展社側も見学側も黒人の数が一%にも満たない。かと言って会場内に黒人が居ないわけではない。掃除人と売店の店員だ。アメリカで延々と続く病巣の一部が垣間見られた。
「海外展開する企業」
某大手工作機械メーカーは、日本の国内工場の他にシンガポールとタイに工場を持っている。タイ工場には鋳造工場があり、そのメーカーが製造する機械の鋳物は総てタイで鋳造し、一発粗加工をした後シンガポールと日本へ鋳物を送っている。木型は当初日本から送っていたものだが、現在ではタイで製作させている。この鋳造工場は現在五百人体制で三直フル稼働、品質にも問題が無く鋳造品は現地タイで日系メーカーにも外販しているとのことだ。機械の設計開発部隊は日本にあり、日本の工場では大型機・高級機を製造、タイ・シンガポールでは汎用機と、台湾や中国製と競合しても負けない発展途上国向けバージョンの機械の製造により成約率の高さを維持している。ヨーロッパでは日本の製造品の持ち込みになるので価格面で苦戦とのことである。
もう一社の機械メーカーは、日本の本社は開発設計部門だけ三、四名を残し、組立工場をシンガポールに置き、部品はばらばらに台湾で調達している。部品を一ヶ所から仕入れないのは機械をコピーされることを避けるためでもあるが、日本で製造した場合を考えると仕入れコストは半分以下で、小型でも四千万円を下らない特殊機械の利益率は何と七割にもなるというのだから驚きである。シンガポールスタッフは英語も達者なので北米へも積極的に売込みが出来、日本とシンガポールと総勢三十人で年間二十億円の売上という驚愕的数字を披瀝していたものだ。大手機械メーカーをスピンアウトし八年前に創業した社長は機械の安価な作り方と、大手メーカーに対応できる売り込み方のノウハウに熟知し、やはり年間三分の一は海外生活。そんなに儲けては節税対策も大変でしょうねと水を向けたら、シンガポールは無税に近いときたものだ。別の懇意にしているプレス加工メーカーも、日本の親会社をさて置き、シンガポールの子会社は早々と株式上場を果たしている。
いずれの会社も、人件費が高く、法規制が厳しく、税金も高い日本での機械装置の製造は海外マーケットにおける競争力を著しく低下させるとし、海外製造への一部あるいは全部のシフト以外輸出産業としての生き残りが図れないとしていたことが強い印象として残っている。
「人件費の高さは致命的」
マクロ的に見て輸出産業の健全化は日本の生き残りへの根幹的問題だ。なぜなら日本は輸出したことによって得られる対価で石油を輸入しなければならないからだ。しかしながら、自動車や機械装置などの輸出産業は現在大きな問題を多数抱えており、その筆頭かつウエイトが最大のものが世界一高い人件費なのである。日本人により日本国内で物を作っていたのでは海外での販売競争力は完全に失われる。
日本人の得意とする職人技術も、じわりじわりと中国や韓国などに侵食されて来ている。たとえば腕時計産業は、中身のムーブメントを除きほぼ昨年をもって日本から消失してしまった。セイコーもシチズンも組立を人件費の安い中国深?地区に移動しなければ立ち行かなくたってしまったからである。部品調達は今迄の日本の受け入れ窓口から中国へと移り、時計のケースも裏蓋も文字盤も、最近利益率が極端に低下する中、日本で作り中国へ運んだのでは最早採算割れするため、ほとんどの時計部品業はいやおう無く中国へ出るか、転業・廃業してしまったのである。戦後スイスを追い越し、血のにじむ様な努力で積み重ねた腕時計ケース製造の冷間鍛造技術も、日本では今まさに風前の灯火の状態となってしまっている。儲かるとなれば必死でやる中国への技術移転は、割と簡単に出来てしまうのが多数報告されていることに注意をしなければならない。
現在国内でも好成績を上げている会社は沢山あるにはある。しかしその多くが海外工場を持って生産コストを自在に調整していることに注意しておく必要がある。小企業では人を使わずに身内だけでやることも手かもしれない。労働者も家内工業まではちょっかいを出せないだろう。法律にとらわれずに好き勝手に出来、成功報酬をそれぞれ山分け出来るメリットが出る。タフで知られるアメリカのビジネスマンに追い付かなければ日本の生き残りは図れない。
ともかく、物価と人件費を同調してスライドし、先進諸外国と同程度の物差しの目盛りに調整してもらう事が目下重要な課題であることは言うまでもない。総ての輸出産業はそれを切望している。だが現実として、労働時間の短縮は手を買え品を買え民間企業に襲いかかり実質人件費のコストアップとなっているし、労働省が定める間の抜けた法規制の多くは時代の要請にまさに逆行し、企業の生き残りをますます困難なものにしているのである。
「希望の新世紀か」
二十一世紀の扉が開いた。日本の工業製品製造業にとってこの新しい世紀は試練の時代となるに違いない。可能性の有る切り口から生き残りを図らなければならないが、多くの淘汰を招くことは間違いない。少子化傾向は、まともな物であれば間違いなく需要減となってくるからだ。大風を受けて奮闘している製造業と対比し、政治の貧困は言いようの無い虚脱感を感じさせる。いつまでも物事を糊塗できるわけが無い。我々の努力にも限度があることをいずれ知る事態に立ち至らないうちになんとかしてもらいたいものだが、まず無理だろう。
生き残りを模索する場合、やはり海外での活動も視野に入れなければならない。その際、今大きく変貌を遂げている情報通信技術を上手に使うことも必要となってくる。
ともかく、我々製造業は政治の貧困を嘆いているだけでは立ち行かない。前向きに前進して、その結果を問うしかない。新世紀における貴社のご健闘を祈念いたします。
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| 平成12年 夏 |
「メールアドレス」
時代は、ものすごく急ピッチで変化している。FAXが早晩どの家庭にも入るだろうと思っていたものだが、その前にEメールがとってかわりそうだ。上場企業やちょっとした規模の会社とのビジネスでは「後でメールで返事下さい」とか「メールで連絡しますから」とやられる。皆電話で言えば内線に相当する個人アドレスを持っている。この人たちは間違いなく自宅にもパソコンがあり、メールアドレスを持っている。求人・求職は最早パソコンでの媒介が主流になる勢いだ。
アジアやインドの発展途上国からはメールでの商談が漸増している。通信回線が安定せずFAXがやたら入らない国でもメールならきちんとみれるし、何しろ安い。
名刺を受け取って、電話とFAXの番号が共通であったりすると相手の商売の規模が推し量られる。まして今時FAXの無い会社がもしあったらかなり問題のある会社であると誰も訝るだろう。この一・二年でメールアドレスがこの立場になる事は間違いないと断言出来る。現在持っている自分の名刺にメールアドレスが印刷されていないとしたら、古い名刺は早く捨ててメールアドレス入りの名刺に新調する事を強くお勧めする。 Eメールも使えない会社と思われるのが落ちだ。二十一世紀に生き残れるアクティブな会社かどうかは、まずこんなところからふるいにかけられる。
「メール過信は危険」
何を言っているのかと叱らないで欲しい。便利さには危険が付き物だ。ウイルスだとか停電だとかの危険も十分に承知しておくべきだ。また、Eメールは多くの犯罪の温床になる事も認識しておく必要がある。パソコンのキーボード一辺倒の生活は字のかけない若者をますます増加させている。そしてホームページも過信は禁物。これで売上が一挙に倍増!などとノー天気な判断をしてはいけない。決定権の有る社長は忙しくてホームページ等は見やしない。やはり、面と向かった商談で自社製品のアピールをすることが最も重要である事は言うまでもない。
「ゆとり教育という馬鹿の養成」
文部省が推進しているゆとり教育とやらの結果、学力崩壊が急ピッチで進んでいるようだ。詰め込み教育を反省してじっくり勉強できる様にと、学校での教育時間の削減と土曜の休日を実施した結果の学力低下が、大学や企業で問題になっている。小学校の算数がわからない。読書をしないなど当然だ。何しろ、大方の漢字が読めないし、勿論書けない連中がぞろぞろ居る。文章を書くなど夢の話だ。応用はまずきかない。系統だった解析能力は欠落している。自国語も満足に理解できない連中に英語どころの話ではないだろう。学校の手抜き行為から生じたゆとり時間は結果的に家庭に押し付けられるのであるが、こちらの受け入れ態勢が整っているはずが無い。父親は収入源の現状確保で子供に割ける時間など無いのが現状だ。連休にはキャンピングで家族そろってスキンシップを!などとは現実を知らない馬鹿な理想主義者たちが描いた絵空事だ。個人主義の尊重で、良くも悪くも機能していた隣近所のしがらみが無くなり、孤立した家庭内で、家事労働から解放されたこれまたゆとりの塊のママゴンと子供が顔を四六時中会わせる事となる。色気づいたが団体生活が不得意で彼女の出来ない息子。そして過干渉の母親に対して家庭内暴力が発生するというパターンだ。一方は悪同志が徒党を組んで友人へのゆすりたかり、他方は孤立して不登校、コンピューターゲームやメールに没頭する毎日となるのだが、自分の、世の中での存在感の希薄さが頂点となったその時、自己の存在を表現する爆発的行為が発生するわけだ。昨今枚挙にいとまの無いティーンエイジの恐ろしい犯罪は、ゆとりの拡大を消化しきれない現実社会の結果である。妻子も無く、父母兄弟との関係を断った、失うものが無いという最も危険な連中が続々増加している事を十分認識すべきだ。
こんな中、文部省が策定している新たな学習指導要綱では、週休完全二日制実施とともに授業時間を更に削減するらしい。放っておかれた家庭内で誰が勉強などするものか!世界一勉強しない日本の子供達。国家百年に禍根を残す文部省の愚策は救い様も無く、まだまだ続くのである。
「植物の生育条件」
窓辺に置いた植物が太陽の方を向いて伸びるのは太陽が好きだからではない。実は太陽光には植物の生育を止める作用があり、太陽の当たる窓側の面は伸びず、背面がどんどん伸びるので結果として太陽の方へ向いてしまうだけなのである。暗黒の室に置かれたもやしやウドは白くひょろひょろと長いだけだが、これを太陽の下で育てれば緑濃いどっしりとしたものになる。冬場によく枯らしてしまう観葉植物はひ弱と思いがちだが、本来これらが生育している熱帯のジャングルでは、落葉の一枚からでも発根して生育を始める様に生命力たくましい植物なのである。本来はしっかりとたくましく生育できるものが、おかれた環境によってかくも変わってしまう事は子供達の教育に対して示唆を与えるのである。戦後、父親も母親も朝星夜星で働き尽くめ、子供にかまっている時間もゆとりもなかった。悪たれをつく子供は、でも大きな犯罪に走る事は無かった。集団就職の子供達は夜も土日も働いて親方から技術を盗み、泣きながらもいつか自分で独立して天丼やカツ丼を死ぬほど食ってやるんだと努力研鑽を積み重ねた。本来若い工場労働者は給料を稼ぐ事以上に技術の研鑽が重要であるはずだ。にもかかわらず完全週休二日により、本来腕を磨く時期にいたずらにゴロゴロしていたり、ゲームセンターに通ったり、はてまた伝言ダイヤルなどで犯罪に走ったりと、こちらもゆとり政策が有意な若者の成長の芽を摘んでいるのである。そして、こちらの愚策の張本人は労働省。完全週休二日制は年寄りだけの特権とすべきなのである。
「IT産業と新技術」
閉塞感のある自動車や家電産業に相対し、IT産業が脚光を浴びている。然しこの分野は、ハードウエアが軽薄短小がゆえに産業界の裾野への波及効果が自動車産業の様に深くない。ハードに関しては台湾は韓国、中国に持って行かれてしまうのは目に見えている。日本経済のボトムアップに対する期待感はほどほどに。
いま、マグネが脚光を浴びつつある。ソニーのノートパソコン・バイオが断トツ売れているのは、ケースがマグネだからという事が大きな理由らしい。中身の機能は他社製と大して変わらないのに、パソコンも携帯電話の様にファッション性で売れ行きが決まる時代になった様だ。それにしても量販店で予約も受け付けず価格も言い値という信じられないこの現象は、我々装置産業にとって理解を超える垂涎の的である。二十一世紀の金属マグネシウム。重さはアルミの三分の二、リチウム含有のマグネは水にも浮く。金属が故リサイクル可。対ノイズ性、対衝撃性、何をとっても樹脂の代替として携帯電話を代表とするモバイル製品のケースとして最適の位置にある。家電リサイクル法はフォローの風だ。しかも何と言っても原料が海水から塩を採るのと同じ様に無尽蔵である事が資源貧乏国日本にとって有り難い。開発案件は山積しているが技術課題の解決に対しては古今日本が最も得意な分野、十八番。期待したい。
「カンボジア地雷撤去」
国際ニュースで地雷の被災による痛々しい子供の姿が映し出されるたびに心痛む。国連でも地雷撤去に大きな力を割いているようだが、何しろ埋設されている数が膨大な上に危険な撤去作業は短期間では出来ないので、こうしている間にもいたいけな無辜の子供が生命を失っているのである。日本でもカンボジア等に多大な費用を持って援助活動をしているが、本来この様な地雷を製造して商売して儲けた連中と国家が、この迷惑で危険な埋設物を自前で撤去すべきではないのかという疑問がいつでも湧いてくる。日本の援助活動の原資は我々が民間産業で得た対価に対する税金で賄われて居る。死の商人が得た対価とは本質的に異なっている。諸外国から文句ばかり言われている日本が、せめて片意地はって「作ったところが責任持って撤去して下さい」と言っても良かろうものだが、相手は冷戦当時の西・東の主要国、国連の常任理事国でもある。ちょっと相手が強すぎるのであろうか。
然し欧米の平和活動家とかグリーンピースとかが兵器輸出国をもっと弾劾しても良さそうなものを、人殺しより鯨殺し反対にご熱心なのは何とも不可思議なのである。
「東南アジア経済」
タイの景気がバブル崩壊の前の状態に戻ってきた。二輪は土日返上の活況で、下請け部品産業も三直でこちらも土日返上だ。工場も増築開始、設備投資もペンディングになっていた案件が再浮上してきた。タイは宗教的、民族的葛藤が無いアジアでは珍しい国だ。欧米の植民地政策にもラオスをとかげの尻尾切りで手放し独立を確保した。国民の大多数は敬虔な仏教徒、そして国民の国王に対する信頼は圧倒的で、どんな政治的紛争も、それに伴う暴動も国王が出てくればたったの十分で解決してしまう、信じられない国情。ここを東洋のデトロイトにしてしまおうという話がある。二十一世紀の山田長政の出番だ。留意しよう。でこぼこではあるが、アジア経済は確実に回復基調にある。
「宦官の世界」
昔から国王・大名・政治家は常に多くの敵と相対し、四六時中、心の休まる時も無く、必然的に生き残れる者は精神的にも体力的にも強靭な人間であったもので、当然下半身の方も精力的であった事は言うまでもない。かくして英雄色を好む、という言葉が出来たわけだ。クリントンはうまく逃げたが、元大阪府知事は芸能界出身の悲しさか、まんまとはまってしまった。政治家になるには過去も現在も将来も身辺清らかな人間でないと、マスコミを始めとする外野がおさまらない様になった。政治家になるにはかつての中国清朝の宦官の様に、去勢牛(きんきり)の必要がありそうだ。ただ、実の無い宦官政治は清朝滅亡に拍車をかけたにすぎなかったのである。
「宇多田ヒカル」
二十数年前の、根暗な演歌歌手の元祖、藤圭子の子供だ。現在演歌歌手のベストワンは、石川さゆりで、アルバムの年間売り上げは約七万枚。他方宇多田ヒカルは八百万枚だ。そして、自分の歌う歌の作詞・作曲は彼女自身によるので、印税は全部自分の物だ。きっとお母さんがこれらで悔しい思いをしたのだろう。部品産業、装置産業、愚痴を言っているだけでは始まらない。二十%の価格削減に泣いていても始まらない。次の世代の子供達が、全部私の物!と言える様に、ともかく歴史をつなげて行こうと思う昨今なのです。
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| 平成12年 正月 |
「罪投資、好投資」
利回り二十%。冷静に考えれば同等以上のリスクが存在することは自明だろう。間違えれば元も子も失くすが、事実となった。プリンストン債。スイスよお前もか!永世中立国、最も信頼できる国と思っていたが、その外務省も横槍を入れたとか、入れなかったとかで日本の検察もとうとう堪忍袋の緒を切った。クレディ・スイス・ファイナンシャルプロダクツ銀行の公然の飛ばし行為と隠匿だ。そして二十世紀の終わり間近、西欧諸国の新たな植民地政策は続くのである。やくざな国際金融機関の日本攻勢に注意しよう。大事な財産は将来の躍進を考えて新規の設備投資へ。そう、ロボット付きの全自動スクリュープレスなんかも良いかも知れない!高校の求職者が「貴社のような技術力の有る会社を希望して」などと町工場を回る時代になってきた。すすけた機械がヨタヨタと動いている様では百年の夢?も瞬時に失せる。
「生産学術会議」
「このままで良いのか、日本のものづくり」。少なくとも、現在の日本の経済基盤を構成している「ものづくり」が来るべき二十一世紀にどの様になって行くのか、いや、どの様にしてゆかなければならないのかを、産学官三者で論議することを目的に昨年十二月に三回目が開催された。禅問答的最も難解な発表をしたのが?前川製作所の前川会長。「平均的な物で満たされなくなったニーズ。個人的・人間的・流動的なニーズ。不安・願望・夢などの暗在系の需要・・・」誠に判りづらいが、誰でも明快に判る部分のビジネスチャンスはもはや無くなった。前川会長の「場所や人間から切り離されないモノづくり」に対する解釈の努力を続けているところだ。
「日本奇怪」
母は強し、お受験に落ちた我が子の(いや己の)恨みを十分に果たした。かくして凄惨な計画的な幼児殺害事件が東京の高級住宅街で発生した。近所同志、何故?そんなことをしたら後がどうなるのか。総ての答えは明白なのに、事は起こってしまった。
・・・ちょっと待って欲しい、その子はまだ死んでいない、六ヶ月間グルに看取ってもらえば必ず生き返る! あなたの足の相からすると、あなたの経営する会社は二ヶ月後に倒産します!
人の不幸と不安感につけこんだ金儲けの新興宗教が常識外の利益を得ているのがなんとも不可解だ。何百万円という上納金はいったい何と考えれば良いのであろうか。
警察の不祥事と隠蔽。別に驚きはしない。昔からあったはずだ。たまたま今回連続して発覚し、マスコミが騒ぎたてただけだ。学校教師の淫行事件、これは昔は無かった。教育の質の低下は目を被うばかりだ。パンツの見えんばかりの女子高生の制服の着用を許している学校でまともな教育がされているとは到底思えない。塾の存在を認めた文部省は噴飯物だ。塾なしでは学校教育が成立しない事を認めた。文部省の失策は百年以上の長きに渡り影響を及ぼすだろう。
「満蒙開拓団、再?」
この秋、北京や大連に何回か行ってきた。沢山の日本人ビジネスマンにもお会いしたが、なぜか食い詰めた日本人が大挙して押し寄せたあの昭和初期の出来事と重複した感じを持ったものだ。日本は不景気とリストラで職探しに往生している。行け満蒙開拓団!あの悪夢がまた起きませんよう祈るばかりです。
「追い風・向かい風」
軽自動車が絶好調のようだが、またも日産は持ち駒が無い。RVの時もそうだった。そして乗り込んできたのがリストラの教祖の首切りゴーン氏だ。下請・部品メーカーも戦々恐々だが、何でも、ルノーの方よりも三割方安く鍛造部品を供給できる日本の日産系部品メーカーがあるそうで、ここはもしかすると注文が増加する可能性がある。大風は時として逆風でなく追い風にしてしまう。技術力があるか無いか、ここが勝負だ
「明暗アジア、そして新素材」
インドネシアが大変だ。沢山の島々に存在する様々な文化と宗教を強力な指導者が纏め上げてきたこの国が空中分解の危機に瀕している。下手をしたら、東洋のユーゴスラビアになってしまう懸念がある。そしていつもいたいけな子供たちが紛争の犠牲になってしまうのである。マレーシアは再度マハティールを選択した。インドネシアを意識したのかしないのかは知らないが、強い領袖に率いられ、マレーシアの経済はここ一番の上昇が期待される。宗教と民族が完璧なまでにミックスしてしまったタイでは民族間の争いが無く、こちらでも景気の動向が上向きになって来た様だ。アジア諸国はそれぞれの国情により、経済の状況に明暗が分かれて来た。台湾はあの大地震にもかかわらず依然好調だ。台北から高雄に延びる高速道路も損傷は無かったし、壊滅的なダメージを受けたのは南投県の限られたエリアだけであった。半導体とコンピューター関連は絶好調。ノートパソコンの生産も増加の一途のようだ。そして、ここで注目されているのがマグネシウムの筐体製造。来るべき二十一世紀、マグネの使用は相当量増加する事は間違いない。素材は海水から塩を採るように得られ、現状無尽蔵といって差し支えない。リサイクルも容易、重量はアルミの三分の二で自動車の部品として採用すればエネルギー効率も向上とあれば日本での注目度も低かろうはずはない。
「ヨーロッパ、ブランド」
先般イタリアとフランスを訪問して気がついた事がある。美術館や博物館に子供料金の設定が無い事だ。カフェテリア方式のレストラン(いわゆるバイキング式)でも子供は無料のケースが多い。乗り物では子供料金の設定があったが、エネルギーを消費する部分では金を取り、居ても居なくてもどうでも良い部分では金を取らない。子供に対する見解の洋の東西の違いに想いをめぐらしたものだ。それにしても、ミラノとかパリのファッションブランド商品は一体何と考えれば良いのだろうか。オスメスとかシンブンシーとかダッチとか名前が付いただけで製造原価の何十倍でハンドバックとかスカーフとかが、ばんばんと売れてゆくのであるから、我々機械屋からしてみればまさに奇怪な世界なのだ。ヨーロッパの稼ぎ頭は、このブランドと言うただの名前だけと言っては過言だろうか?
西暦二千年、来るべき二十一世紀はアジア諸国がより台頭するはずだ。そして日本はものづくりに、アジア諸国に先んじて、より一層の磨きを掛ける必要がある。ものづくりを失ってしまったら日本は恐らく国家としての基盤を失ってしまうことであろう。諸般の困難を乗り越えて本年も一生懸命頑張りたいと心に誓う新春であります。
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| 平成11年 夏 |
「景気の下げ止まり」
景気の下げ止まりと上向きへの転換を期待する昨今だ。先日同じ地域の商工会工業部会の会合に出席した折、各社の現況報告があった。暗い話ばかりだと想像したに相反し、会社始まって以来の大忙しで土日出勤残業毎日という金属加工の会社が二社あって呆然とした。液晶と半導体だそうだ。不景気不景気と書き立てるのはフェアじゃないとつくづく感じたものだ。
「関西ねじ活性化会議」
。税調委員長加藤氏の「今後ネジ関連企業の総てが生き残れることは到底考えられない・・・・」と、冷酷にもスパッと言い切ったその一節。これも鮮烈に思い出される。明暗相分ける記憶がよみがえるのだが、中小企業の経営者にとって今ほどその力量が問われる時代は無いだろう。かたやリストラ、かたや大繁盛、現実は苛酷で厳しい。
「コソボ紛争」
コソボ紛争もようやく終息の気配が見えてきた。モザイク国家がぼろぼろに崩れて行く最中に、二回ベオグラードと工業都市ニッシを訪問した経験があるが、チトーのおっさん(日本商社の現地駐在は親しみを込めてそう呼んでいたが、チトーはゴルフが嫌いでユーゴにはゴルフ場が無く駐在員の大きな楽しみの一つであるゴルフの出来ない恨みも込めてそう呼んでいた気がする)の、強力な指導力で何とかまとまっていたユーゴスラビア連邦は、その死後あっという間にばらばらに崩壊してしまった。中近東の文化的影響はあるが、やはりヨーロッパ色の濃い、マロニエの多い美しい街ベオグラードも大きく破壊されてしまったに違いない。セルビアと周辺国との確執は、気の遠くなる昔から二十一世紀の未来まで終わることなく続くものと思われる。それにしてもロシアのやり口は見事に変わらない。土壇場で軍を進駐させ、瀬戸際で本紛争当事者の既得権を確保した。経済は破綻してもかつての東の盟主としてのしたたかさは変わらない。一方の中国は、あまりに遠方であった為、大使館への誤爆という気の毒な結果しか残らなかった。
「統一地方選挙」
春の統一地方選挙、政党政治への諦め・見限りと、多少突飛でも変化を求める期待感が、東京・大阪の知事選出の結果として現れた。知事は一般選挙民からの直接選挙で選出されるので、民意が直接反映される。そこら辺を各政党は十分に認識してもらいたいものだ。
「国歌・国旗」
国歌・国旗にしてもいくつかの政党は制定にただ反対のみ。代案を出す訳でも無し、もう少し論議を重ねてとか言っているが、一体国際競技やオリンピックで日本はどんな旗を掲げてどんな曲を流したら良いというのだろうか。国際社内の中の常識線で物を考えてもらいたいものだ。戦後アメリカの統治下にあった沖縄が、琉球政府という暫定的な統治組織を組まざるを得ず、当然日の丸の掲揚も認められず、似ても似つかないこれも暫定的な旗を船舶に掲げざるを得なかった。外国のどこの港に行っても知名度の極めて乏しい琉球の旗を掲げる船舶への懐疑の目は厳しく、大変な苦労があった様だ。沖縄が日本に戻って良かったのか、良くなかったのかは別として、船舶に日の丸が掲げられる事が出来るようになった喜びのコメントを何かの本で読んだ記憶がある。かように国歌としてのアイデンティティを表示する国旗は大事であるというものを。
「サミット」
来年七月のサミットは沖縄県名護市が主会場に決まった。沖縄は古来、尚家という王族が支配していた独立国家だった。十七世紀まで鉄の伝来が無かった石垣島を中心とする八重山諸島は、戦争の無い平和な島々でもあった。日本の平安時代の風習の一部がまだ残ると言うが、変わるべき、変えるべき要因が無く、孤島の中で時の流れを刻んで来たに違いない。
これらの島々に繁栄をもたらしたものは中継貿易である。沖縄本島を中心にコンパスで円を描けば地理的優位さがはっきりと判るが、これは現在にも確実に当てはまる。この島嶼を無関税特恵地区にしたら、きっとハワイとグアムとサイパンと香港とシンガポールを全部ミックスした様なリゾート兼商業地区が出現するに違いない。トロピカルに憧れる寒い韓国からの観光客が、安い電化製品やカメラを求める中国・台湾・東南アジア諸国からの買い物ツアーが、ヨーロッパのブランド品とリゾートでの余暇を求める日本の観光客が大挙して押し寄せるに違いない。ラスベガスの様に公認カジノも開設すればもっと盛況になるだろう。沖縄は東京より台北の方が近い。週末には台湾の資産家達が安息と一攫千金を求めてやってくるに違いない。投資に目ざとい華僑の面々はこれら島々に積極投資するだろう。ここだけ法人税軽減の特恵を与えれば、かつての香港やシンガポールの様に多くの外資企業も進出するに違いない。軽工業も移転してくる事は請け合いだ。税金は消費税から取れば良い。サービスとかモノが動けば莫大な税収になる。現在は航空運賃と旅行費用が何故か高いので、サイパンやグアムにお株を取られてしまっているが、沖縄・八重山の珊瑚礁は世界有数な規模を誇る。わざわざ日付変更線を越えて遠方のハワイまで行く事も無い状況を作る事は十分に可能だ。宮古島の目の前の下地島には立派な飛行場(実際はパイロットの訓練センター)が半ば使われずに有る。名護の先の伊江島にも使われずにある飛行場があり、各地からのアクセスの下地は十分と見ているのだが、どうかろうか?
「空港」
空港と言えば、成田はもう完成を諦めた方がベターだろう。羽田に戻してくれたら利用者の一人としてどれ程有り難いかわからない。国際線・国内線を別々にするのも実は海外からのお客様に対しては不親切だ。フランクフルトからハノーバーへとか、上海から重慶へとか、行った事のある人だったらすぐわかる。
クアラルンプールのセパン新空港、マレーシア人のご自慢の種が又一つ出来た。サテライトに向かうシャトルは成田の物と似ているが、距離があるのでぐんぐんとスピードを上げて日本の物を凌駕する。出来る見込みがあるなら待つも良かろうが、このままではみっともない。我が成田はいつまでたっても未完成空港曲。
「マレーシア・タイ・韓国」
これら諸国の一部業種に景気回復が見られて来たが、最も景気の牽引力の強い自動車産業の本格的復活はまだ一・二年かかるだろう。ローンを組まないと高額品の購入が難しいお国柄ゆえ、金融機関の安定化がこのかぎを握る。従ってこれらの産業と密接なつながりの有る日本の諸工業も今が胸突き八丁だ。整理統合の荒波を乗り越える正念場がずうっと続く。
「EMOショー」
今年五月に開催されたヨーロッパ地域最大の機械見本市の見学にパリまで行ってきた。ドイツ・フランス・イタリアと持ち回りで開催するが、イタリアは前回で、フランスは今回で最後になるらしい。次回からはドイツ・ハノーバーでのみの開催になる様だ。プレス機械に関してはイタリア,ドイツ、スイス、フランス、トルコ、スペイン等からの出品が多数会ったが、日本からはアマダのみ。工作機械の日本大軍団から見て対照的だったが、出品内容は昨年開催された日本の国際工作機械見本市と比べると大きな違いがあった。超高速打ち抜きプレス、サーボ駆動プレス、リニアモーター駆動プレスが無かったことだ。私は後者二機種の開発を持って今後のプレス機械がかなり様変わりすると考えているので、折り曲げ用ベンダーを除きこれらの開発がヨーロッパで遅れているのは今後の日本のメーカーの優位性が十分発揮できるのではないかと見た。
弊社の様な鍛造機械も本家ヨーロッパ市場へのアプローチが出来る隙間が出来つつあると認識しているが、CEマーキング(安全対策クリア商品の印)が現実の問題となってきた。事ヨーロッパでは安全と、リサイクルと、エコロジーは水戸黄門の葵の御紋入り印籠と同じだ。地球環境を考えれば自動車も多少高価になっても致し方ないとの民意の変化からすれば、ここに新たなビジネスチャンスも潜むと考えられるだろう。
通気口まで確認して、駅のコインロッカーをベビー用カプセルホテルに代用したちゃっかり若夫婦が出現した。こんな所にも商売のヒントがある様に思える。残念ながら私はホテル業で無いのでこの方面のビジネスには興味が無い。
「電子メール」
電子メールとラブロマンスをまさに今様のソースとスパイスで調理した映画「ユー・ガト・メール」。ニューヨークの街角で母から受け継いだ小さな子供向け絵本専門店を経営するヒロインと、電子メールで知り合ったヒーロー。フォックスという大規模量販書店が目の舞に店開きしたお陰で、彼女の店は廃業のやむなきに至ってしまう。日本でもよくある話だ。憎き量販店。か弱き彼女の心の悩みを電子メールで打ち明ける先は、まだ見ぬ心の恋人。実は憎きフォックス社の社長の息子だったのだ!エンディング、いつも敵として相対していた彼女は彼に心をゆだねる。「ドント、クライ(なくんじゃない)」抱き合う二人を高所から撮影するカメラは上方にパンニングして前方の遠景を写してゆく。そしてバックグラウンドミュージックは、あのオズの魔法使いの「サムホェアー、オーバー、ザ、レインボー」だ。そう、虹のかなたの向こうには、きっと良いことが待っている!ご健闘をお祈りします。
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| 平成11年 正月 |
「通貨危機・日本」
バンコックの金曜日の夕方、うんざりするような交通渋滞が復活してきている。奈落の底に落ち込んだ東南アジアの経済も上昇の機運に転じてきた。資材を自国で調達可能な輸出型産業はかなりな黒字を計上し、設備投資も活発化してきている。東の空ならぬ西の空から、ほのぼのと明るみが増してきた。もう少しの辛抱だ。アジア各国の経済は年を追うにつれ、相互依存度が高くなってきている。日本の経済危機に最後のボディーブローを食わせたのはアジア諸国の経済危機だった。一昨年のタイを発端とした通貨危機は瞬く間にアジア諸国に飛び火し、立ち上がりかけた日本の経済を再び泥沼に引きずり込んだ。目下アジア諸国は日本が早く立ち直って景気を牽引し、経済援助もして欲しいと希望しているが、日本とてもアジア経済が再び活況を呈し、貿易が活発化しなければ立ち行かないわけで、事経済の分野ではアジアにギブアンドテイクの共栄圏が出来たと考えて差し支えないだろう。今後日本の中小企業も、この現実を無視しては企業活動を保つ事が困難になることに違いない。
アメリカの投資集団にすっかり翻弄されたアジア各国も、二度と同じ轍は踏むまい。高速道路・巨大なビル・自動車・家電と残されたものは多いが失った物はそれ以上に多かった。が、学んだ物はもっと絶大である。「今回の騒動は形を変えた新たな植民地政策ではなかったのかと・・・」。
汗水流して蓄えた富は、コンピューターの数字の加減でごっそり海のかなたに持ち去られてしまった。
アジアの釣堀での収穫に見極めをつけた釣り師は、今度は世界に冠たる日本の個人貯蓄に目をつけた様だ。当面上がりそうも無い日本の公定歩合を横目に、高利回りをうたい文句に、ドル建ての銀行預金や生命保険の契約に力を注ぎ始めた。ご存知の様に米ドルは、実態を伴わない乱高下を繰り返すギャンブリッシュな通貨に変態している。高利回りは有り難いが、レートがドスンと落ちた時の大やけどは覚悟する必要がある。アジアクライシスの日本国版だ。
最近、アジア通貨相互のレートは極端に大きな変動は無い。米ドルだけが上下しまくっているわけで、貿易決済に米ドルを介在させる事が相互極めて投機的危険性をはらみ、合理性を欠くようになってきている。アジア諸国が貿易の決済手段として使えるアジア地区の共通通貨、ヨーロッパのユーロの様なものが必要となってきていることは明白なのである。ドルに依存する限りコンピューターの数字の調整でごっそり持ってゆかれる危険性を常にはらんでいるからである。
昨年は、国内の企業倒産・失業とも危機的様相を帯びたが、致し方ないだろう。必要な生活用品は一通り身の回りに配し、食べる物にも困らず、高度成長が終わり、折れ線グラフも平行あるいはやや下降をたどる縮小経済に立ち至りつつある日本が、高度成長期、子会社・孫会社・曾孫会社と増殖した過程から整理縮小の段階となれば恐らく三分の一位の企業が消え去るのもやむを得まい。事製造業にとって、販路の縮小・減少、従業員の高齢化と若手後継者不足、相続税・法人税の酷税、技術革新への資金難等かつてない困難な問題が現実化してきている。ともかく同じ事をしていてはジリ貧だ。世に問える新しい技術の提案と、それを軸に販路の拡大を国の内外に積極的に推進する。これ以外になにかあるだろうか?政治は当てにならない。
「ボランティア・社長」
昨今の日本の中小企業経営者はさながらボランティアだ。休日返上、夜も残務整理、個人資金は出っ放し、社員の苦情承り、等等。戦後の創業者はまだ浮かばれる。彼等は多少なりとも個人財産を残せた。土地を買い足し工場も拡充した。更に財力・体力?ともに余力の有る者は別宅も作った! 二代目はそうは行かない。初代の十分の一も財産を築けないだろう。事実本宅さえも自力では作れない。日本の社会主義体制と税法がそれを不可能にしている。企業家としての夢を育む土壌が日本から失われてしまった。残るは海外だが、国が違えば勝手も違う、いずれ劣らず大変な事は確かだが夢はあるかもしれない。
民間企業はリストラの嵐の中、東京・大阪・神奈川等赤字体質に陥っている地方自治体のリストラが出来るのか出来ないのか実は民間側ではじっと見守っている。職業安定所の職員が企業に御用聞きに回る様になった。週四十時間労働だとか、有給休暇の増加だとか、何とかかんとか勝手に法律で定めて中小企業の体力を弱めてしまった張本人達が、倒産寸前に雇用拡大を言ってこられても今更何を!と言いたくなる。融資を利用するにも条件合致・書類の提出・毎年の検査などと、こんな事なら融資なんか要らないから一挙に法人税を下げてくれれば平等融資になるんじゃないか、そうすれば融資窓口の人員もリストラ出来て一挙両得になるんじゃないかと思わず考えてしまう昨今だ。考え方を変えて行かなければここは乗り切れまい。
「タイタニック」
アカデミー賞十一部門を獲得し、日本でも空前のヒットとなった映画タイタニック。映画史上最大の制作費をかけ、史実の縦糸とフィクションの横糸で織り成した世紀の超大作。この映画の底流を流れているのは、人間の平等と過信に対する戒め、そして設備機器への配慮と十分な手当てだろう。誰しも予想だにしなかった、技術の粋を集めた巨艦は沈んでしまった。手に汗を握る脱出劇の末、ヒーローとヒロインは辛くも洋上に逃げ延びるのではあるが、既に十分に体力を消耗した、ディカプリオ扮するヒーローは、力尽き冷たい北の海に静かに身を沈めて行くのである。あたかも日本の中小製造企業の様に・・・。
生き残りは熾烈になった。アフリカのサバンナではどんな戦法でも食った者が勝ちで、食われた者が負けである。まさか日本の今後がそこまで行くまいとは思うが、困難さは以前の比ではないだろう。適当な空港を見つけて上手く着陸するか、平坦な土地に不時着するか、水面に着水するか、パイロットとナビゲーターのコンビネーションが物を言ってくるが、的確な操縦士の判断が総てを左右する。幸いな事に多くの地上のサポートを必要とする大型機と違って、小型機は不時着地の選択にも自由度が大きい。総てパイロットの決断いかんだ。地上のサポートも必要ない。天候は多少良くなりそうだが、時間が無い。幸運を祈る。
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| 平成10年 夏 |
「アジア経済・騒乱」
今年も半分終わってしまった。今年前半の対岸の火は大きかった。韓国、マレーシア、香港、タイ、然し何と言ってもインドネシアは凄かった。
昨年の今頃はスハルト元大統領の強権によって、インドネシアが最も早く経済混乱の収拾がされるのであろうと地元では見られていたが、完全に裏目に出た。一族の政治経済の独占に対する貧困層の反発は激しく、そして、いつもの様に華僑系商店は掠奪放火の対象にされた。独り占めに対する恨みは天よりも高く、時に政権も覆す。日本人、日本国も心に留め置く必要がありそうだ。
然し日本国内ではこんなことは起きないだろう。何しろ日本は高度に平均化された、社会主義国家だから大きな独り占めは現実的に出来得ない。となれば、国外に対する一人勝ちに注意しよう。賭け麻雀も一人勝ちの人は段々とお呼びがかからなくなる。
タイあたりでは経済混乱も沈静化しつつある。華僑資本の現地企業も、業態の多角化や、外注から自社生産に切り替えなど、積極投資の動きが出始めてきた。これから日本の企業が彼らとかかわって行くやり方も、多少変わって行くことになるだろう。しかしまだ二、三年、はじっと辛抱だ。
「インド、ピカッと」
ここ数年インドビジネスが脚光を浴びている。十億に届こうとしている人口を持った潜在的巨大マーケット。富豪と乞食と、インテリと文盲と、コンピューターとアンバサダー(三十年前の設計で変わらず生産が続いているインドの国産車)と、あらゆる両極端が混在した不可思議な国だ。
日系企業では、早くからスズキ自動車が活躍している。いわゆるマルチ・スズキ。インドの自家用車の三分の一か四分の一を占めるのではないだろうか。小さくてもスマートな近代的デザインと、故障の少なさで、インド中産階級の羨望の的になっている。
トヨタ・ホンダ・三菱がそんな中に割って入ろうとした矢先、ピカドンと(核実験を)やってくれたものだから、すっかり冷水を浴びせられてしまった。パキスタンもすかさずジャブの応酬。ただ、トランプの裏から表にめくった様なもので、元々持っていたし、あるいは持っていたと想定されていた事だ。元来使う事の出来ないものだけに、今後の経済活動に大きな変化は無いであろうと思われる。元宗主国イギリスや、主だったヨーロッパ諸国は何の制裁もしなかった。一体これをどう見るかだ。そして日本は? ともかくインドの企業人は今回のことを暴挙と見ている。世界に残された三大マーケットのひとつに対して、各国の思惑は本音と建前が見事に渦巻いている。
「サッカーワールドカップ」
サッカーのワールドカップはさすがに驚嘆物だった。入場券も無いのに、長い休暇が取れずに会社も辞めて応援に行った日本の応援団が多数あったそうな。その熱意と行動に、羨望とやっかみの眼差しを向けたのは、多くの中小企業の社長達であった。然し、日本の応援団もイギリスやドイツのフーリガンの暴挙にはかなわない。もともとサッカーは戦勝国の兵士が敵兵の頭をチョン切り、それを蹴飛ばして勝利に酔いしれた事がルーツだから、どこか残るラテンの血が、生贄を求める行動に彼らを走らせるのかも知れない。次回の開催は日本・韓国だ。文化が違う。注意しよう。やつらは狩猟民族だ。
「韓国企業・日本企業」
「韓国が死んでも日本に追いつけない十八の理由」、在韓三十年のトーメン・ソウル支店長が、韓国語で現地出版し、韓国で通常のベストセラーの六倍以上の売上を上げた本である。その和訳を大変興味深く読んだ。今後も韓国との商売を続ける上で非常に参考となったが、最も強く印象に残ったのは「韓国の企業主や経営者の経営哲学・マインドが、日本のそれの約二十年遅れている」と述べている部分だ。確かに日本の企業、特に中小企業では社長の人となりが会社の総てを支配すると言っても過言では無いだろう。そして大方の社長は個人的欲望はとっくに放棄したか、必然的に放棄させられてしまって、ピカッと光るご自慢の自社技術、生産効率の向上、社員の福祉、血税の拠出による国家の繁栄?に喜びを見出すようになっている。製造業の場合、殆んどがこれに当てはまる。そうは言っても矢尽き、刃折れ、「おあいにく様、当社は銀行の貸し渋りに合ってもう倒産です」なんて工場も現実的には多数ある。子孫に美田を残さず、なんてかっこいい言葉を吐ける経営者も少なくなってしまった。事実、美田どころか跡継ぎに新しいプレスの一台も残してやれなくなってしまったのが実情だ!少しばかりの法人税減税では干天に涙一粒。やる気の有る跡継ぎのいる工場には、相続上の優遇措置が必要だ。やらずぶったくりでなく、やってぶったくる方がまだやる気が出るというものだ。
「税制、不可解」
小額減価償却資産の取得基準が十万円未満に引き下げられてしまった。以前の二十万円未満の枠であったら、適当なコンピューターとか視聴覚機器、工具等かなり使い出があって、どしどし利用したが、今後はそうは使えない。どんどん消費させて景気浮揚させ、消費税や法人税で税収アップを狙えば良いのに、何故冷え込む方策を採るのか理解に苦しむ。
「便利、表・裏」
この原稿はワープロで書いたり消したりしている。最近困る事は、手書きの書面で簡単な漢字を度忘れして書けなくなる事がしばしば発生する事だ。歳のせいではなく、ワープロのせいではないだろうかと思っている。手書きすることが少なくなった弊害であるようだ。
確かにコンピューターは至便な道具。インターネット、e-mail、ホームページとコンピューター抜きでは日常の企業活動が出来なくなりつつある。そして、若い人達にとって、パソコンは異性を超えた絶妙なパートナーとなってきた。そこには世界の情報が満ち溢れ、時間を越えて一人で没頭できる空間が広がっている。色っぽい情報、エンターテイメント、企業情報、遊び、趣味、買い物、新興宗教、と無菌の頭を強烈に洗脳するありとあらゆる情報が渦巻いている。甘い勧誘を誘うこの新しい道具が、いつ又暗転して悪魔の道具に変わるかも知れないことを留意しておこう。オウム真理教が、この分野で積極的なのも、むべなるかなである。
「政治の貧困」
段々と悪くなっている。これが大方の企業人の感想だ。参院選が目前だが、期待感も薄れ誰に投票しようかと迷ってしまう。畑も連作を続けると地力が弱ると言うが、日本という畑から輩出する政治家が、段々細々と可愛らしくなってきている事に問題がある。えくぼでニッコリ、仲良しクラブの可愛いメンバーが、今日は何党、明日は何党と、新党名を覚えるのも億劫になってしまったのが実情だ。昔沢山居た、親分・ボス的なスケールの大きな政治家の輩出が少なくなってしまったと思うのは間違いだろうか。誰が当選しても大して変わるまい、というのが大方の観測だろう。当面多額な個人貯蓄に支えられて、表面上日本では大きな騒動混乱は無い。その個人貯蓄も恐らく安全だろうと、希望的観測で終わる事の無い様望みたい。
「次世代教育、大丈夫?」
人生は必然的に次世代にバトンタッチしなければならない。然し、我々が人生を卒業する時に安穏に地下で眠りにつけるかどうか、定かではならなくなりつつある。中学・高校生の暴走・暴発が増える一方だ。問題はただ一つ、悪い事に対して平手打ち一発張らなくなり、張ることが出来なくなったからだ。あまりに物分りの良い父母と、行きすぎた人権主義で手足をがんじがらめに縛られ、もはや生徒と同等の位置まで引きずり降ろされて上下関係の消失した教師。そして物陰では子供たちが「親父も、お袋も、先生もチョロイもんだ」と舌を出しているのである。
学校に多くを期待すべきでない事は、図らずも福島県内の某高等学校の学校関係者のピストル事件で再確認された。次世代を託す子供の教育は親が最大の責任を持つ。そして、自信を持って背中を見せられる親になれるかどうか、ここが実際、最大の問題だ。
「着陸・墜落」
自転車はペダルを踏み続けなければ転倒すると言うが、サーカスだったら倒れないかも知れない。だが、一度離陸した飛行機は、着陸するか墜落するかどちらかの選択しかない。我々企業活動は自転車の平面的二次元世界ではなく、飛行機の三次元世界のたとえの方が当たっている。多くの不測事態の渦巻く中、このかつて無い不況を乗り越え、無事、不時着でも良いから着陸する様努力したい。そして、貴社の御健闘も合わせて祈念申し上げます。
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| 平成10年 正月 |
「アジア通貨危機」
タイをきっかけに、インドネシア、フィリピン、マレーシアとバブルの崩壊と通貨危機が発生し韓国にも飛び火してしまった。ベトナムも対ドルで現地通貨ドン安である。世界各国から高度成長が嘱望されていたアジア各国が惨憺たる有様となってしまった。これらの国々に多大な投資をしている日本にとって、この事件は対岸の火どころの生易しい話では無い。タイのトヨタは二ヶ月間の自動車の生産中止をした。進出した部品メーカーは製品を製造してもタイ国内に引き取り手が居ないので日本へ出すしか方途が無くなってしまった。消費の落ち込みから日本国内のマーケットさえ手狭な中に割って入ろうとするのだから半分喧嘩腰だ。完成車の対日輸出も各自動車メーカーで活発になってきているので、国内工場の生産に対してはマイナス要因となってくるだろう。これは自動車に限ったことではないので、各進出企業の親会社は頭の痛い事となってくるはずだ。今年の製造業は、お手上げと様子見と積極投資の三様の色分けでスタートするに違いない。
アジア諸国は日本やヨーロッパの様に成熟してしまった所では無い。かつて日本が経験した登り下りの、下りの状況だから、いずれ二、三年後にはまた浮かび上がるはずと見られるから、少しの間の辛抱で頑張ってもらいたい。
今までがあまりに一本調子で上がりすぎた。不況を知らない華僑の第二・第三世代には良い警鐘であるかも知れない。今のうちに堅実経営の素地を作っておいて貰えれば将来きっと大きな発展に繋がるはずだ。我々としても、こんな時こそ色々お手伝いが出来ればと思う昨今だ。
「金融破綻」
昨年は日本の金融機関の破綻がいよいよ現実化した。予想されていたので、特に驚くには値しないかも知れないが、廃業した所にお金を預けていた人は真っ青だっただろう。ただ、戦前の取り付け騒ぎの時はこれどころの騒ぎでは無かった。
金融機関に頼るのも良し悪しの時代かも知れない。銀行にお金を預けておいても利率が昨今の様では、キャッシュで持っていても大して変わらないので、安全を考えて米ドルや金に変えて箪笥預金をした方がもしかしたら安全かもしれない。ダイヤモンド等の宝石は思った程換金性が無いのが、某宝飾会社の破綻で判明した。やはり国際的流通経路があり、溶かせば元に戻る金が良いのかも知れない。
「銀行マン、所得」
転職した銀行マンの給与は半減するらしい。当然でないのか? 我々製造業からして見れば彼らの所得はべらぼうに高い。世間一般の会社に入れば所得が半減するのは、元々銀行の給与が常識の倍近くもあったことの証左でないのだろうか。調子の悪い金融機関の人達の報酬を早く調整してもらいたいものだ。それをしないで破綻する金融機関の穴埋めを税金でもってされるのはかなわないが、取り付け騒ぎで国が破綻するよりましなのかも知れないと諦めてしまったりもする。
「公務員」
公務員もどうしようもない。滅茶苦茶に働いてくれる税務署署員(脱帽!)と警察・消防などは別として、収支が赤一色の役所の一般公務員もリストラをしてもらいたいのは言うまでもない。でも、政治家が死をいとわずやらないと行政改革は推進出来ないと思うから、これもちょっと無理かな?と諦めてしまったりする。殺されたり、自決するのは民間企業人の方が多いのが皮肉と言えば皮肉か。
法人税の他国並みの削減もあきらめだろう。種籾を蒔いて育てて刈り取ればもっと沢山の収穫が得られるのに、どちらかと言うと種籾を掠め取ってしまうやり方だ。もうちょっと頭なでなでしてくれればもっと法人税を納めようかって、努力もするものを、やらずぶったくりだと嫌気がさして逃げ出したくもなる。国民の過半数が老人となる高齢化社会を迎える日本。社会保険事業も破綻に近いがどうなるのか。
「教育」
教育も問題だ。企業の週休二日制は、企業努力による高効率化と従業員の福祉・老齢化に適応させたものだが、どう考えても高効率化により勉強の時間を減らす事が出来るほど最近の子供が賢くなったとは思えない。学校の週休二日制には疑問がある。
若手従業員の週休二日制も問題だ。技術を研くべき年代には時間を超越してでも研鑽に励むべきで、やたら休みが多く無為に過ごす時間が多いのは疑問だ。老人と若者は区別する必要があるのではないか。仕事と、勉強・研鑽を一緒くたにするのも大きな問題だ。
「期待」
新年を迎えると、今年一年何か良い事が起きて欲しいという期待感で一杯になってしまう。だるまに片目を入れて願いをかけたり、神社にお参りし鈴を鳴らし、手を打って、お金を入れて、神様の気を十分に引き付けておいて、御願い事をくどいばかりにする。
今年もつつがなく暮らしたいが、製造業の場合、前進がないとそれ困難だ。前向きに進まないと運も掴み損ねてしまう。さあ、我々も一歩前進、皆様の御健闘、お祈りします。
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