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金属産業新聞から夏冬の年2回掲載を依頼されている原稿です。
 平成24年 正月

「江戸学、仇討ち、上意討ち」
300諸侯と言われる様に、明治維新前は日本国内は300近い国に分割され統治されていた。諸藩はそれぞれ独自統治されており、独自の法政もあったが、基盤を為していたのは江戸幕府の法度(法律)と武士のしきたりである。映画「小川の辺(ほとり)」は上意討ち(つまり殿様が決定した、脱藩者への死罪執行)、を命じられた藩士とその家族を描いたものだが、遠く他藩まで出向いて、刃向かう相手に対し死罪を執行するのである。自藩の行政範囲を超えた場所での執行であるが、執行後の処理、執行した場所である他藩の処理などどうなっていたのであろうか?同じ映画に仇討ち場面が出てくるが、仇討ちは当該藩内で合法的に認められたものではあるが、多くは他藩内で実行される。返り討ちという気の毒な事もあるのだが、これら他藩が認めた合法的刃傷沙汰はそれが実行された自領の藩での処理はどうなっていたのであろうか? おそらくは、徳川幕府が定めた武家諸法度など、侍の法律により300諸侯内いずれの場所においても同じ処理がされていたのだろう。諸侯とは言ってもやはり同じ文化基盤。現在の世界諸国ではこの様には行かない。
藤沢周平原作である東北の架空の海坂藩(庄内藩がモデルらしい)舞台のこの映画のシリーズは、武家社会のモラリティを、厳しくもまた美しく映し出しており、日本が現在失いつつある武士道精神を要所で見せつけてくれるのである。日本の山河の描写も実に美しく、心が洗われる映画でもある。

「TPPと農業振興」
野田総理の決断で、動く方に動いたといった感じの結末だったが、多くの自動車メーカーや家電メーカーはすでに多くが海外での現地生産となっているので、この騒動も蚊帳の外で傍観していたに等しかったのではないだろうか?多数の有力部品メーカーも引っ張って行かれてしまった。古く日米の貿易摩擦のパッシング時代から自動車メーカーの多くは北米に工場を開設し、現地生産・現地販売の方途を開拓し今日に至っている。今更TPP でもないのかも知れない。
食料の自給率は上げなければならない。小麦とか豆とかとうもろこしとか、何しろ輸入比率の高い品目ばかりだ。米の国内自給率が100%とは言うものの、肝心の生産農家の実態は高齢化による労働力不足で年々深刻さを増し、TPPでの逆風とかなんとかでは無くて、放っておいてもこのまま生産が保持できるのか大きな疑問だ。
組織改革が必要だ。工業化が必要だ。利益主眼の会社組織にして工場生産を最終ターゲットとした管理された集約化が必要だ。幸いにして日本の農産物の品質は世界のトップクラスが山ほどある。コントロールさえ良ければ大きな輸出産業としての発展も見込まれる。多くの「きのこ」は工場で計画的に生産されている。農産物は可能な限りこの様にしてしまえば良い。

「節約学んだ日本」
原発停止による発電量減少に対する夏場の節電は十分に効力を発し、ついに突発停電は避ける事ができた。従来電力は金さえ払えば湯水の様に使っても問題無いという誤った認識があったかも知れない。多くの電気器具や住宅などが省エネ対応型に移行しつつあり、また、ありとあらゆるソースから電気を獲得してやろうという取り組みも活発だ。これら発電源からオンタイムに無駄なく電力を消費者に供給しようと、デジタル機器を介在させたスマートグリットと呼ばれる手法の開発が進んでいる。資源の無い日本はすべからく省エネルギー対応に進むべきで、並んでやはりエネルギーに関しては無駄を廃すべきだろう。
発電所をやたら作るだけが能では無く、省エネ化して消費量を減らし、さらに無駄使いはやめる。世界に先んじて省エネ世界を日本で実現するべきだ。ところで徳川幕府後半の江戸市中は完璧に近いリサイクル環境都市であった。江戸学に学ぶところは多い。

「猿の惑星・創世記」
20世紀フォックス社が昨年リリースした猿の惑星シリーズの一つだが、宇宙飛行士が、とある惑星に不時着したら、そこは進化した猿が支配する世界であった、という従来のストーリーとはまったく違う構成である。設定は現代で、痴呆症に劇的に効果のある試薬を投与された一匹のチンパンジーが生んだ子供が、その薬剤の影響で驚異的な知能を有してしまい、都市部にいた他の類人猿を引き連れて人間に反乱を起こすというストーリーだ。この映画は、1968年にリリースされた映画猿の惑星シリーズの物語の前段階であるという逆設定の映画で、設定自体が斬新的で面白い。続編がいくらでも出来るという布石がある。
従来版ストーリーの2001年版を同時に見てみた(全部飛行機の機内上映だ)。猿の着用している衣装は日本の武士の甲冑のデザインで、騎馬武者も居る。つまり猿イコール日本人という単純な発想だ。スターウォーズのジェダイの敵、シスと配下が着用しているのも甲冑のモディファイだ。敵の武装軍団を明らかに敵と判りやすくする選択の際に、日本の武士が最も適役とされたのだろう。永い間の白人優位(支配)の世界にピリオドを打ったのが日本だ。底辺には色濃く残る白豪主義がある。白人優位、有色人種は劣という思想だ。
映画に対しては、日本人と、日本文化を侮辱したものとして、日本の文部科学省あたりがアメリカに一言いちゃもんをつけておくべきだったろう。甲冑は猿の衣装ではなく日本の伝統文化であり、それを着ている猿と日本人の対比は許し難いと。大人げないかも知れないが、これが外交と言うものだ。

「国際鍛造会議・インド、ハイデラバード」
昨年11月、主にスティールの熱間鍛造業者が主体となるが、三年に一度の鍛造業のお祭りとも言える、第20回国際鍛造会議がインド・ハイデラバードで開催された。主催者側のインド鍛造協会による発表では参加者は1000人弱、日本鍛造協会からは50人の団体参加があったが、スポンサーとしての参加や個人参加、現地参加など全部ひっくるめると、およそ百人ほどの日本人が参加したと見られる。インドでは1990年に第13回国際鍛造会議をニューデリーで開催している。今から20年前だ。その時のホスト企業はほとんどが現在まで存続しているインドの有力鍛造会社だ。その時にホスト役であった鍛造会社の社長さんの息子さん達が、今回のホストになっている。一世代経過したまことにほほえましい現象に皆で祝福したものだ。先代のお父さん達は業界功労者として今回表彰の対象となったが、多くがこの数年の間に物故されており、表彰は息子さん達が受けた。
2010年、インドの自動車生産台数は200万台に達したが、2012年までに倍の400万台までの増加が見込まれ、まさにインド自動車産業を支える鍛造業はここインドではその生産量を倍増しなければならず、世界各国から注目されているのである。
国際会議、それも鍛造関係であればハイデラバードで開催されるのには疑問符が付く。なぜなら、ここハイデラバードは鍛造業はあまり盛んではない(とは言うものの、弊社のプレス機はここハイデラバードにも何台か嫁入りしている)。普通であれば首都のデリーか、ムンバイ。それでも無ければベンガルールであるのが順当ではあるのだが、ここに白羽の矢が立った大きな理由は、その規模で南アジア最大と言われる「ハイデラバード国際コンベンションセンター(略称HICC)」が2006年に開設されたからに他ならないであろう。目下ハイデラバードは、ベンガルールとチェンナイに続くIT シティーを目指し猛烈に追撃しているのである。


「インド、ハイデラバード」
ハイデラバードという都市名を聞いてまず頭に浮かぶのはハイデラバードビリヤニという、春雨をぶつぶつに切ったかの様な長いインディカ米の炊き込みご飯である。ターメリックなどのインド独特のスパイスを利かせ、客の嗜好に合わせたチキンビリヤニ、マトンビリヤニ、あるいは多くの菜食主義者の為のベジビリヤニなどがある。もちろんどこの都市でもビリヤニはあり、すでに炊き込んであるので手軽で早く出てきて食べられ、ランチなどでも手堅い人気のファストフードであるが、ここハイデラバードのビリヤニはインド人によればダントツに旨いのだそうだ。
ハイデラバードはインド28州の内のアーンドラプラディシュ州の州都。都市部での人口は約700万人ほどに上りインド6位である。
インドには主要五都市があり、ニューデリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、ベンガルールであるが、ハイデラバードはこの主要五都市の次に位置する。2008年に新しく開港した郊外にあるラジブ・ガンジー国際空港は、過去のインドの空港のイメージを最初に一新した先進諸国と同等の空港である。ちなみに、空港名であるラジブ・ガンジーは元首相の名前であり、長期インドの政権を担当した女性首相インディラ・ガンジーの息子である。ネルー元首相の孫でもある。
戦後のインドの指導者は多くが暗殺されており、インド独立の指導者の一人であったマハトマ・ガンジー(インディラ・ガンジーとの家族的関係は無い)は同朋であるインドのヒンズー教徒右翼に暗殺された。イギリスからの独立の際にパキスタンの分離を認めてしまったからである。インディラ・ガンジーは北部シーク教徒への弾圧を恨まれ、シーク教徒である自らの護衛に暗殺された。その息子ラジーブ・ガンジーは、スリランカのタミール族への弾圧に反発され、女性テロリストの目前の自爆テロにより爆殺された。ラジーブ・ガンジーの妻であるソニア・ガンジーはインド人では無く、イタリア人であり、度重なる政権担当要請を固辞しているのだが、おそらくテロの標的にされるのが怖いのであろうと推測している。彼女にはまだ若い息子がいるが、おそらくこの息子が政治家ファミリーガンジー家の次代を背負うのであろう。
ハイデラバード中心にある、千人を収容できるイスラム教モスク、メッカ・マスジドはインド最大級のモスクである。インド独立前のハイデラバード地方はモスラムの藩王ニザーム家が統治していた。ハイデラバードはイスラム教徒の国であった。
長いイギリスの植民地支配が終りつつあったインドは、宗教の違いから、その宗教色が強かった地方毎に四つに分離してしまうのである。これがヒンズー教のインド、モスラムの西パキスタン(現在のパキスタン)と東パキスタン(現在のバングラディシュ)、そして仏教のスリランカである。
ハイデラバードはあまりにインド中央部にあったため、分離独立する事ができず、インドの一部とならざるを得ない道をとったが、その余韻は今にいたるまでくすぶり続けており、ハイデラバードはアーンドラ・プラディシュ州からの分離を今でも強く希望している。


「ブラジル、チューボテック、セナフォー」
一昨年に引き続き、昨年九月にポルトアレグレで開催されたセナフォー 2011に出展参加した。鍛造関連だけの国際会議兼展示だったものが、ここに来て板金加工と粉末成形なども網羅し始めており、塑性加工全般に網の目をかけてきている。中国鍛造協会も同じ手法で守備範囲を広くしているが、依然お山の大将でそれぞれの工業会がてんでんばらばらに活動している日本とは大きく舵取りを変えてきている事が良く判るのである。
サンパウロ到着日の午後、市内のイミグランテス国際展示場で開催されていたチューボ 2011という配管関係の展示会に見学に出向いた。展示会は午後2時から夜9時までの開催で、なんとも我々からすると勝手が異なる夜型展示会である。メタルテックと エクスポボンバス(ポンプ)、エクスポバルブ (ストップバルブ関連)、サーモテックなど合計9展示会の合体だ。なにしろ驚嘆はおよそ半数以上の出展者が中国勢。多くは黄銅やステンレスの配管金具やパイプ関連だが、世界展開に賭けるそのしたたかな強さを感じた。日本勢は2〜3社程度、ここでも後塵を拝しているかに見える。
九月にハノーバーで開催された総合機械展示会EMOでも中国勢の出展多数で、終盤に開催されたビア‐ホールでの慰労会も、ファナックのパーティーでも多くの中国人で圧倒された。
セナフォーは今回で31回目の開催と、非常に古くから開催されている由緒ある国際会議兼展示会だ。ブラジルの塑性加工展として大きく躍進を始めたと感じられる。日本からは弊社のみ参加で中国からの出展は無かった。開催地がサンパウロから南に空路一時間半のポルトアレグレという都市での開催だからかも知れない。ポルトアレグレはドイツからの移民が多く、塑性加工業の集積がある。弊社は今回サーボ駆動スクリュー式タテアプセッターの事例発表をする事になったが、発表後弊社小間に多数の質問者がお見えになり、効果深甚だった。直接商談に結びついてくれれば遠く地球の反対側まで出向いた価値が出る事になるのだが。なにしろブラジルは遠い。

「韓国シングルママ」
ブラジル出張の際、最近仁川空港経由の大韓航空機を使用している。日本航空が路線を廃止してしまった為だ。韓国発という理由は、価格が超安く、座席が良いからだ。韓国も日本も地球の裏側のブラジルまで一足飛びという訳には行かないので、途中アメリカで給油の為にワンストップする。
帰路の飛行機、隣の座席にアズマ(韓国のおばさん)が座った。ソウルの郊外で食堂を経営し、息子を高校の時からアメリカに留学させているという。現在息子はテキサスの大学に通っていて、久しぶりに息子を訪ねた後、一人でグランドキャニヨンなどをグレイハウンドのバスを使って観光し、これから帰国するのだそうだ。さぞかし旦那さんが帰りを待ちわびているのではないかと聞いたら、シングルマザーなのだそうだ。韓国の町中の飲食業や、商店の経営者はこの手の人が多い。日本とはかなり違う。息子さんは卒業したら韓国へ戻り、大企業に就職するのですね?と問いかけたら、韓国では余程で無いと良い就職口が無いから、アメリカにずっと在住させると言う。日本からの海外留学生の数が減少の一途という事で大問題の様だが、隣の韓国はまさに正反対。残念な事に強さを感じる。息子を高校の時から海外留学させる資金も大変だろうし、時々訪問する旅費も大変だろう。アップグレードしたとか言っているがビジネスクラスだ。資金援助をしてくれるパトロンでも居るのかとは聞かなかったが、会話は日本語でも無く、韓国語でも無く、英語だった。

「肥満、ブラジル・インド・アメリカ」
懇意にしているインドの仕事仲間である商社の副社長の娘の結納式に付き合わされた。日本の結納は当事者家族と、仲人だけでつつましくやるのが一般的だが、インドの場合厳粛なセレモニーで、多くの親戚知人が呼ばれる様だ。商社のムンバイ本社、デリー支店、ハイデラバード支店などの主要メンバーも遠方からチェンナイに集合した。久しぶりに会ったムンバイ本社の社長の奥さんに「大分太りましたね」と言われた。もうかれこれ八年程まえに自宅の夕食に招待されて以来だから、そりゃ体型も変わったかもしれないが、「インド太りですよ」とやり返したものだ。毎月の様にインド出張で、インドでは最近インド食しか食べないので、太るのも仕方ない。インドの中流から上流階層は多くがベジタリアンなので太りそうも無く思えるが、多くが肥満の問題を抱えている。運転手付の車で基本的にドアーからドアーへ移動するので運動不足である事が一つの原因だが、なにしろ量を食べるのでびっくりする。同時に油分を多量に摂取してしまうので、肥満に繋がる様だ。膝と足首に負担がかかるのだろう、多くの人が年をとると階段の上り下りも難儀している。空港でも車いすの数が非常に多い。日本ではあまり見かけない光景だ。高カロリー食・過食・ジャンクフードのアメリカやブラジルなどでも多く見かけるのであるが、辛すぎもせず、塩分もほどほど、油分も少ない健康食である日本食に注目が集まるのもうなずける。しかし中国や韓国の連中に言わせると、和食はあまりに味が薄すぎて、三日も続けると味が弱くパンチ不足で参ってしまうらしい。

「ドイツ、タクシー韓国車三年保証」
ミュンヘンで乗ったタクシーの運転手、車はベンツであるが、次は現代自動車にすると言う。なぜなら三年保証をしてくれるからだそうだ。韓国政府の後押しがあるのだろう。韓国の輸出振興策はなにしろ強烈なバックアップで諸工業をサポートしている。資源が乏しく、国内需要を支える人口もさほど多くは無いので、韓国のスタンスは輸出振興一本に尽きる。諸外国との自由貿易協定の推進も日本を尻目にどんどんと締結を拡大している。日本はと言えば、またぞろ鎖国でもしようかと思える様な遅々とした進展なのである。鎖国は鎖国で徳川のよき時代を思うと悪いとも思わないが、現在あり得ない選択だ。国が成り立たない。農業は国内自給率を高めるばかりでは論争に乏しい。これからの先進国の定義は農産物輸出国である事は間違いない。
ところで、日本で自動車の三年保証は聞いた事がない。乗り始めから三年の内に大きな故障も経験した事がないから必要性も無いのかも知れない。ドイツで日本車の販売プロモーションで三年保証が必要あるのだろうか?無いのだろうか?タクシーの運転手の話から推測するとドイツ車は頻繁に故障があると推測される。韓国車は自信があって三年保証をうたっているのだろうか?自信が無いからだろか?

「インドネシア、機械展示会」
ユドヨノ大統領による比較的安定した政権運営により、インドネシアの経済活況は著しく、おかげで自動車と二輪車の購買数が上昇、ジャカルタ市内は至るところ車列の渋滞である。ジャカルタ市内は時間帯によって、乗用車には三人以上乗車していないと道路を運転出来ないので、数合せで乗車してくれるアルバイトが道路脇で片手を挙げてずらりと並ぶのも面白い。弊社は自動車や二輪車の部品を製造する為の機械を製造し、販売し、ここインドネシアでも多数お買い上げいただいているので、この渋滞増加に弊社も関与している事になり、誠に申し訳無い気もするのである。
今回で25回目になるマシンツール・インドネシア展が12月ジャカルタで開催された。増加する出展社数に対するスペース確保がいよいよもって困難となり、前回まではテント仮設ブースでしのいでいたが、今回は包装・プラスティック展を別の日程に移し、機械・製造、及び溶接関連の専門展示会となった。展示会の出展社数と景気は比例するので当然な帰結と言って良いだろう。
ジェトロは今回ジャパンブースを設営したものの、新参者の憂き目で設営場所は正面入り口から最も遠い位置。展示規模も、台湾や韓国の圧倒される規模のナショナルブースに比較して遠く及ばす、何にも増して国の後押しの強さの差を感ぜざるを得なかった(ちなみに、韓国ブースは装飾付小間代と、一人分の旅費・ホテル代の半額が企業負担。二年前は全額無料だった)。タイのナショナルブースにさえ及ばない。しかし弊社の様な独自出展や、地元商社からの出展、さらにシンガポールやマレーシアの現法からの各国ナショナルブース内での出展などもあり、日本勢としては台湾に次ぐ150社ほどの出展社数であった様だ(公式カタログからカウント)。年々中国勢の勢いが増し、瀋陽机床は広いブースでCNC旋盤やマシニングセンタ、横中ぐり盤などを展示実演した。訪問者数は一日あたり4千から5千人だったので、総計2万人程度であったはずだ。規模の大きな民族資本の会社を除く中小のローカル企業には、投資資金が十分では無いので、高額な工作機械を購入する力は十分ではなく、これら企業では当面安い中国製機械や台湾の製品が売れ筋であろうかと思われる。弊社ももう少しの辛抱だ。
タイの水害による部品供給減の影響を受け、インドネシアでも二輪や自動車の減産を余儀なくされており、タイの工場からの部品生産のシフトも検討されている。だが事は容易ではなく、ジャカルタも年明け一月から二月の降雨のピークによる大規模洪水が予想され、政府としても目下喫緊の治水対応に迫られている。さらにインドネシアは地震の巣でもあり、リスクマネージメントの面から考えると、インドネシアが決して安心できる場所では無い事がわかるのである。

「上海オートメカニカ」
第七回目の上海開催の自動車部品展に出展するチャンスがあった。メッセフランクフルトというドイツの展示業者と中国汽車工業国際合作総公司が共同で主催している中国国内最大規模、世界的規模の自動車部品の展示会である。
三十六カ国からの出展、12のナショナルブースが設営され、インドと日本(ジェトロブース)は今回初めてのナショナルブースを出展した。出展社数はおよそ3500社で13館とテント6館、合計16万m
2という、大々的規模で、入場者数は公式に六万人という事であったが、入場時のカウントが実施されておらず、ざっと倍の12万人は入っていたのではないかと推測した。いずれにしてもちょっとした展示会でも出展社数は500程度であるから莫大な規模の展示会である。ほとんどが自動車の中に組み込まれる部品類と保守工具、保守装置などの業者で、部品製造業者の出展社には、弊社のプレスで製造されるべき部品製造も多数あり、自分の小間に居るより全部を回りきるのに忙しかった。駆け足で回っても丸二日必要だった。
地元出展社の多くは江蘇省や浙江省の会社で、広州など南部、北京以東など北部の会社が少なかったので、それらはその地方で開催の自動車部品展に出展するのではないかと想像される。ちなみに来年の四月には北京で同規模の展示会がある。
展示会で特に印象に残ったのは、海外からの、おそらく買い付けに係わる訪問客である。イラン、インド、トルコ、アラビア諸国、それにアフリカ諸国である。会場の中でも中近東諸国らしき人の数が非常に多かった。これら諸国の自動車産業とアフターマーケットでの部品需要がおそらく中国の部品産業と直結していると想像できるのである。
中国が自動車部品産業の集積地となりつつあることは、自動車の生産台数から見ても肯う事が出来る事実でもある。しかし会期中に多数耳に入ってきたのは中国の景気減速である。新幹線建設は、温州の事故後の開発見直しで全面ストップしており、多数のマンションなどの建設も売れ行きの鈍りから新規案件はストップしているらしい。金融機関の貸し渋りと強硬な回収(ひっぺがし)から中小企業の一部はヤミ金融にも手を出している様だ。輸出産業は、ヨーロッパや北米の景気減速による需要減から倒産も出ており、年明けは景気の動向に十分注意が必要と見られる。

「タイ洪水、タイメタレックス」
タイの大規模な洪水は、毎年11月にバンコックのバイテック国際展示場で開催される機械見本市「タイメタレックス」を1ヶ月延期させてしまった。多数の出展社は1ヶ月では無く、翌年の2月までの延期を希望したらしいが(1月は旧正月がある)、外国の会計年度は多くが12月で終わるので翌年に2度のタイメタレックス予算をとる事が困難という事で、クリスマスにかかる12月開催となった模様だ。
多くの工作機械は洪水後の特需で装置そのものが払拭しており展示会に出展する機械さえも特需に回ってしまったらしく、特に日本の工作機械の出展は激減した。JAMTATと言うバンコク在住の工作機械メーカーや商社の親睦団体の共同小間も今回設定されなかった。20社近く出展を取りやめた様だ。出展社は小間内共同出展社を含め1000社ほど。共同出展社を除くと総数は約500で、去年より1割半ほど少なく、臨時テント館は設営されなかった。
毎度の事ながら、展示面積の大きいのは台湾のナショナルブースである。ジェトロも共同ブースを設営したが、残念ながら目立った規模ではなかった。来場者数は懸念した程減少は無く、連日多数の訪問客が来場した。
中国からタイへの工場シフトの案件が結構ある様に感じた。リスク分散からであろう。
本年は、図らずも会社・工場運営のリスクマネージメントに大きな警鐘を与えた1年となったが、アユタヤ周辺からバンコク市内へのチャオプラヤ川の流域は何年か毎に洪水が発生しているいわく付きの場所である。タイの多くの自動車生産工業は稼働を再開したが、ホンダだけは組み立て工場が水没してしまったので再開の予定もたっていない。なぜそんな場所に工場を作ってしまったのであろうか?確か8?10年前だったと思うが、今回ほどではないがやはり洪水が発生し、バンコック市内のシャングリラホテルまでもが営業出来なかった事を良く覚えている。洪水は頻繁に起っている。
しかしリスクという面ではタイはまだ周辺国と比べ安心であろう。特にバンコック東部のチョンブリ県やラーヨン地域で少し内陸に入ったところは地震も無く、水害も無く安心できる地区だ。多くの自動車産業が集積し、治安・政情面や住みやすさからまだまだタイへの日本企業の移転は続くものと見ている。
ヨーロッパやアメリカの景気動向が今年の世界の景気を左右する事には間違いなさそうである。またそれに連鎖して中国の景気が極端に悪くならない様に祈念している。いずれの場面でも日本は大きな影響を被る。
中長期的に見て日本の取るべき道は、はやり技術の革新しかない。電力消費の少ない省エネ立国、新素材開発を基盤にして若い技術者を育てて次代につなげて行くしかすべが無い。

本年も貴殿・貴社の御健闘をお祈りします。

 平成23年 夏

「生ける地球」
生ける地球、活動する地球、動く地球、決して安定している訳ではなく、超長期的に見れば我々人類が生存している期間があくまでつかの間の時であり、大変動は繰り返して起こって来た地球である。不安定極まりない地球に住む人類にとって、あまりにもむごい天災が時として牙をむいて容赦なく襲いかかる。コップ一杯の水はあくまでおとなしく、我々の渇をいやしてくれる神の恵みなのであるが、これが大量に集まると手をつけられない津波となって逆に我々を飲み込んでしまう。千年来の規模の巨大海中地震に誘発された想像を超える津波は一瞬のうちに数万の我が同朋を飲み込んでしまった。

「運命、一刻一秒」
天命・宿命・運命とあるが、運命は変えられる。数秒の差で高台に逃れて助かった人も多かったであろう。しかしあの津波の映像を思い出すにつけ、あまりの惨さに、何が運だったのであろうかと呻吟せざるを得ない。

「原子力発電所」
一向に収束の目処がたたない福島第一原子力発電所。全てが想定外との釈明だ。千年来の地震と津波だが、想定に甘さがあったからこの様な結果を招いてしまったのは紛れも無い事実だ。しかしながら、人類の進歩は全て失敗の積み重ねから醸成された。勿論進歩が全てにおいて、また絶対に良しという事は断定しない。しかし強い代替があるのであれば良いが、原子力発電所抜きでは、電気需要はまかなえず、電気無しでは現在生活が成り立たないのも事実である。過ちは二度と繰り返してはならないが、全てやめてしまって元に戻るのであれば、進歩は無い。技術者の端くれとしては、原子力による発電はやめてしまう事には反対であるのだが、しかし今回の事故で、当分民意が新規原子力発電所の設置を許さない事も事実として認識している。

「社会主義化した教育」
競争を否定して誰しも平等であるという社会主義体制は崩壊した。誰しも平等であると皆働くのがばかばかしくなり国が衰退した。中国を筆頭として多くの国の社会主義体制は競争社会に移行し、世界経済の主導権を握りつつある。競争が国を強くしているのである。競争を否定した教育を受けた若者達が社員になりはじめて苦労している。どん欲さが少ないのである。企業は競争社会であり、努力しない者はふるいにかけられ落とされる。給料も増えないし職を失う。日本に居ては外国企業とは太刀打ちできず、ふるいにかけられて落ちてしまうが故に企業は海外に転出もする。教育はこの厳しい競争社会の現実を厳しく教え込んでもらいたいものだ。競争の順位、成績の順位きちんとめりはりつけてもらいたい。しかし「なんでうちの子の成績順位がこんなに低いのか!」とねじ込んでくる母親もまた居るのだろうか?

「一等車、グリーン車、競争回避」
グリーン車という呼称を昔の国鉄が使い始めてかれこれ30年は経っただろうか、外国から来た人が理解できないふざけた呼称である。何がグリーンなのだろうか?いっそ飛行機の様にエコノミークラス、ビジネスクラスにした方が余程理解できる。飛行機にはファーストクラスもある。もともと列車は現在の船の様に、一等車・二等車だったものが、変に差別にこだわって普通車とグリーン車という訳のわからない呼称に変えてしまった。競争は悪であり、平等を良しとする社会主義的発想だったのであろうが、実際中身は依然一等車と二等車なのであり、ただ単なる言葉のすり替えにすぎなかった。財布の中身が潤沢で、一等車に乗ることもいとわなくなった連中はそれはそれで勝者の権利である事に他ならないのであり、競争社会の結果でしかない。いかに名前を変えても競争は回避できない。

「官から民へ」
道路管理、水道料徴収など、官から民への業務委託が増えているのであるが、なぜ民間に委託したほうが安くなるのか理解に苦しむ。なぜ官がやると高くつくのか、そもそもそこから突っ込んで行くべきなのではないだろうか。根っ子を押さえず、上っ面の帳尻合わせだけだ。これじゃ徹底的に税金を安くする事は出来ない。官がやっても安くつく様に徹底的に官を整理すべきだ。徹底的に効率を追求させる事が筋なのではないか。大体にして民間から見ると、公務員の処遇は一律手厚すぎるし、休みばかり多い様にも見える。

「ブラジル」
2008年のブラジル移民100年記念、現在日系ブラジル人も3世から4世の時代に入ってきている。ブラジルに行って往生するのは食事である。肉ばかりで量が多く、また口が曲がる程の塩辛さに参ってしまう。結果は超肥満体と高血圧になるのが自明の理だ。日系ブラジル人の多くが暮らすサンパウロのあちこちに和食レストランがありそうなものだが、サンパウロ中心部にある日本人街リベルタージュを除いてほとんど無いので、食事の息抜きができずに参ってしまう。聞いてみるとすでに2世からブラジル食に馴染んでしまうかららしい。さすがに寿司ショップはそこここに点在しているが、楽しみにしている日本の味とはほど遠いブラジル風寿司ショップで、日系以外のブラジル人の方が利用客として多い。なにしろ手巻き寿司の上から醤油差しで直に醤油を流し込み、下からジャブジャブと流れ出しているのだ。これにはさすがにびっくりした。

「フェイマフェ 2011」
5月23日から26日、ブラジルのサンパウロでFEIMAFEという機械および工具切削機器の国際展示会が開催された(写真)。FEIはフェアとインターナショナル、MAはマシン、FEは付帯する工具類の一部を指している。2年毎に開催され、メカニカ(MECANICA)という国際工業品展示会と交互に同じ場所で開催されている。訪問客数はメカニカの方が多いが、工作機械・プレス機械の出展台数はフェイマフェの方が多く、こちらの方が機械専門展の色合いが強い。メカニカは工業製品全般なので、訪問客も一般工業関連と層が広いので客数も多いのであろう。
弊社としては念願のブラジル出展だ。メカニカは2年前から小間の確保御願いをしていたのに、結局満杯で小間がとれず、昨年の出展は出来なかった。フェイマフェも当初はキャンセル待ち状態だったが、なんとか一小間確保ができた(写真)。
サンパウロ市街からグアリュホス国際空港へ向う途中のアンヘンビ展示場は78,000m
2であるが、単一の建造物。建物に入るとずーっと遠くまで展示場が広々と見渡せる(写真)。今回の出展社数はおよそ1200社、来場者は7万人を超えたという主催者側のデーターである。
サンパウロの5月は冬にさしかかり長袖で無いと薄ら寒い。そして会場内のレストランでは、牛のステーキの調理をしているので、会場内を朝からバーベキューの臭いが充満し、食傷気味になる(ブラジル人に言わせると朝から食欲が湧くのだそうだ!)。
ブラジルがいかに若者に技術教育をしているかが垣間見る事が出来る展示会でもあった。毎日多くの学生が会場に押し寄せた(写真)。多くがSENAIというアルファベットがプリントされているTシャツのユニフォームを着ているのだが、SENAIとは一般の普通高校の授業とは別に用意されている技術教育の場で、全国工業関係職業訓練機関と呼ばれる。展示会場のブースにはSENAIのブースもあり(写真)年代毎の古い工作機械が並べられて、さながら博物館の様だが、それぞれの古い機械を生徒が操作して実演もしているのである。多くの展示会を見ているが、この様な事はブラジルが始めての経験だ。
ブラジル地元企業のブースに、先進の工作機械が多いので子細に機械を検分していたら、油圧装置や電気装置の表示に漢字表記を見つけた。多くの機械が台湾製であった。OEMも多い様に見えた。出展していたファナックによると、出品機の素性は、台湾30%、ブラジル28%、日本14%、中国10%の順であるようだ。聞くところによると工作機械を買う客層の多くがファイナンスを組むらしいが、輸入機ではファイナンス利用ができず、なんらかブラジル国内の企業を直接購入先にしなければならないという事だ。OEMが多いのも理解出来た。

「 ベトナム MTA」
7月5日から8日の4日間、ホーチミン市のSECC(サイゴン・エグゼビション・コンベンション・センター、写真)でMTA ベトナムが開催された。毎年7月にシンガポールの会社が主催している機械などの工業製品の展示会だ。こちらは出展者数350社ほど、展示面積7,000m
2、4日間での入場者総数が1万人弱と規模は小さいものの、毎年開催され、今回で8回目を数えている。今回は台湾のナショナルブースが圧倒的規模で小間を張り(写真)、次いでシンガポールが広い面積を確保した。力負けした日本のジェトロブースは過去二回出展の実績にもかかわらず中央部の良い場所を同規模のタイのブースに譲り渡し、端の方へ追いやられてしまった(写真)
現在ベトナムへの投資規模は、金額ベースで台湾、韓国、シンガポール、日本、マレーシアがほぼ拮抗してそれぞれ約2千億ドルづつである。投資案件では日本が約一千五百件、韓国が約二千七百件と、韓国が他国を圧倒的に引き離して上位に位置する。ホーチミン市中央の、どこからみてもランドマークとして目印となる六十八階建ての最高層ビルは韓国の建築会社が建設した。見本市展示会場のあるニュータウンである七区地区、多くの店はハングル文字だらけで(写真)、まさにコリアンタウンが出現したかの様相である。
共産党政府牛耳る大きな国営企業とは別に民間企業も力を伸ばしてきている事は事実で、工場の拡張や設備の増強期に入ってきているのではあるが、機械加工業、製造業にはまだまだ総力としての投資マネーの規模が少なく、引合いも多くが中古機械である。総人口はいずれ一億に達するのは確実であり潜在的なマーケットはあるのではあるが、新品の機械を導入できるレベルに達するにはまだ少し時間が必要と見られる。



「インド、満遍なく広がる産業地図」
広いインドには満遍なく諸工業が分布しており、それを片っ端から歩き潰すには少なくとも一ヶ月は優に必要であろう。

■首都デリー近郊
デリーの南西部に位置するグルガオン地区(ここからはデリー・ジャイプール道路に沿いダルヘラから隣のラジャスターン州のパスレーディなど工業地域は大きく広がりを見せている)は古くからマルチスズキ、2輪のヒーローホンダ(最近ヒーローグループとホンダは袂を分かっている)を核とした工業地域である。マルチスズキはマネサールに新工場を増設しさらに生産台数を拡充しており、日本の工場の生産台数を凌駕してしまった。これら完成車メーカーに直結した鍛造業も多数点在している。
デリーの東に位置するウッタルプラディーシュ州は通称UP(ユーピー)と呼ばれ、デリーから車で至近距離にあるので、グレートノイダを代表して多数の工場集積地がある。ホンダの4輪工場はここノイダにある。中規模の都市であるラックノーは、遠くUPの中央部に位置しているが、ここにはかつて韓国大宇の工場があった。10年以上前には大宇の車は結構見かけたが、勿論最近はまったく無い。
北部では隣のパンジャブ州に至るまでの間の地域、南部は観光地で有名なタージマハールに至るまでの間で広範囲な工業地域が広がりを見せている。
デリーのはるか北、パンジャブ州内にあるルディアナ地区にも工業は集積している。ヒーローグループの元祖、自転車のヒーローサイクルもこの地区にある。ここを拠点とした伝統的機械装置産業もあり、インド製工作機械やプレス機械などが多数製造されているが、インドでは感覚的にルディアナ製というとレベルの低い、場合によるとコピー商品の代名詞的な意味も含まれる。鍛造工場はあちこちに広く沢山点在している。

■ムンバイ(旧称ボンベイ)を中心としたマハラシュトラ州
インドのデトロイトと自称しているプネはタタ(Telco社)、マヒンドラ&マヒンドラ、バジャジオートなどの自動車産業を核にして、インドのトップレベルの鍛造会社バハラットフォージに代表される多数の鍛造業も集積している。最近高速自動車網が整備され、ムンバイからプネ間は、以前は飛行機も利用したが最近は自動車での往復の方が手軽になってきている(写真)。

ムンバイの北東にあるナシックには20を超えるワイナリーがあり(写真)、Sulaというワインブランドはインドでも有名で味も悪くない。ここにはマヒンドラ、ボッシュなどを中心とした工業の集積がある。ナシックのさらに東にはオーランガバードがあるが、ここはアジャンタおよびアローラの石窟への観光の拠点でもあり観光客も多数訪れる。オーランガバードにも工業の集積があり、鍛造業も多数ある。ムンバイからはるか南、観光で有名なゴアの手前にはコラプールという場所があり、ここにも工業の集積地がある。
ムンバイ港はインド第一の商業港であり、デリー地区への大型貨物もここムンバイ港から荷揚げされる場合が多い。ムンバイはどちらかと言うと商業の集積地の様に言われるが、マヒンドラの本工場もある。



■ベンガルール(旧称バンガロール)
バンガロールという呼称が数年前から公式にベンガルールとなった。カルナタカ州の州都でもある。市内からホースーに至る間には多数の鍛造業が集積している。マイソール、トムクールなどの衛星的工業地区もある。もちろんここはキルロスカルトヨタの自動車工場がある事でも有名であるが、なんと言ってもここはIT関連の企業の一大集積地である。標高ほぼ1000メートルの比較的涼しい気候が、ここをITの集積地として選択された理由が良く判る。またインド空軍の戦闘機(ミグ、スホイなどのロシア製のライセンス生産)などを製造しているヒンドスタンエアロノーティックス(通称HAL)の本拠でもあり、航空機産業、それに付随した飛行場もあり岐阜の各務ヶ原を思わせる場所でもある。

■チェンナイ(旧称マドラス)
タミルナド州の州都であり、西のムンバイに次ぐ東海岸では最大の国際港湾施設を持つ。
ベンガルールに追いつけ追い越せの勢いでIT関連の企業が集積している。韓国現代自動車の大規模な工場がある。他フォードが工場を持っているが、日産・ルノーがここに進出を決め工場を建設している。コマツの大型建機工場もある。フォード、BMWもチェンナイの為、周辺には多くの鍛造工場が点在している。 チェンナイは目下インフラ整備に最大規模投資をしており、チェンナイ空港も現在ターミナルビルの拡張整備中である。
チェンナイから海岸沿いに自動車で約4時間南下した所に元フランスの植民地であったポンディシェリーがある。西欧諸国はこぞってアジア諸国の植民地化を図り、冨と財産を総なめにして自国に持ち帰ったのであるが、圧倒的な力をもってインドはイギリスが植民地化したものの、ここフランスのポンディシェリーや、ポルトガルのゴアなど、虫食いの様に他の国の支配地域もあった。植民地時代からの経緯で現在ポンディシェリーは独立自治が認められており、独自の工業誘致を優遇税制をもって展開している。鍛造工場もある。
チェンナイから空路南部に一時間の距離にトリチラパーリ(通称トリチー)があるが、ここはインド最大規模のヒンズー寺院で有名で多くの外国観光客も訪れる場所でもある。最近タミルナド州政府が積極的に工場誘致を図っており、多数の規模の大きな新設工場がある。

■コルカタ(旧称カルカッタ)
かつてイギリスの植民地政策の拠点であり、東インド会社の本拠地でもあった。ヒンドスタンモーターの工場があり、依然国民車と称しているアンバサダーを製造しているが、前次代のこの車を買うのは政府関連しかない完全に政府紐付き企業である。ガンジス川の川沿いに古い工場集積地が多数点在しており、鋳造、鍛造、機械加工の多数の工場がある。ここ西ベンガル州は一時タタモーターの20万円車、ナノの製造工場を作る予定地であったが、地元反対勢力による強烈な反対運動により頓挫し、結局グジャラート州のアーメダバード近郊に作られる羽目となった。もともとコルカタは労働組合が強く、多くの事業主はコルカタでの事業展開を諦めてしまって撤退しており、残念ながらコルカタには過去のインドの中心地であった面影を見る事ができない。

■ジャムシェドプール(タタナガール)
タタスティールの一大拠点である。一般的呼称はジャムシェトプールであるが、タタの街という意味のタタナガールとも呼ばれる事もある。コルカタから列車で5時間以上かかる辺鄙な場所にあるが、ここで鉄鉱石が産出されているが為にここに製鉄工場があるのである。かつてここはビハール州であったが、数年前に分離独立しジャルカンド州となった。ここにはタタ・日立建機の合弁工場があり、またTelco(タタモーター)が製造するトラックの鍛造工場もある。周辺には関連企業が広く点在し、鍛造工場も多数ある。ジャムシェトプールの駅はなかば乞食の住居と化しており、夜ともなるとプラットホームはずらりと並んで寝ている乞食達のベッドルームになってしまうのである。プラットフォームでの列車待ち、多数の乞食の子供達に囲まれ喜捨をねだられるのであるが、目やに一杯の子供に触られるのはあまり気持ちが良いものではないのである。
ジャルカンド州では共産党毛沢東主義派のテロが多発しており、農村部での治安は最近あまり良く無い。

■ビシャクハクトナム(通称バイザック)
東海岸ではチェンナイとコルカタに次ぐ国際港湾施設があり、現在インフラ整備中である。インド海軍の軍港もあり潜水艦も係留されている。ここはアーンドラプラディシュ州であり、州政府としては港湾に隣接した工業集積を図っている。ここからは陸路山越えをしてオリッサ州に入る事ができる。オリッサ州はインド大陸内部にあり高地でもあるので軍関係の工場がある。かつて面積はかなり広大であったが、最近一部がチャティスガール州として分離してしまった。

■ボパール
インド中央部、マディアプラディシュ州の州都である。鍛造を含めて工場集積がなされているが、ここは1984年に発生したユニオンカーバイド社の殺虫剤・農薬工場から深夜漏れ出した毒ガス(イソシアン酸メチル)により、未明までに2000人以上が死亡、最終的には25,000人に及ぶ死亡と50万人に及ぶ後遺症患者を出した事故でも有名な場所でもある。
かつてここにある自動車部品鍛造工場を訪問した際、すでに日本人が来た事があるといって写真を見せてもらったが、産総研の篠崎先生がその写真に写っていたのでびっくりした記憶がある。

■ラジコット、アーメダバード
ムンバイの対岸に位置するグジャラート州の都市である。アーメダバードは州都であり、タタのナノの工場はこの近郊に建設されている。しかしながらアーメダバードでナノを見る事はほとんど無いのが不思議である。ラジコットは鋳造や鍛造のインドに於ける一大集積地となりつつある。ベアリング関連の鍛造業も多い。

「インド自動車メーカー」
インドの1人あたりのGDP はおよそ1,200ドル、対して中国は4,500ドル相当である。自動車生産台数は昨年インドではおよそ200万台、対する中国は1,500万台であり、所得差からくる自動車の需要から見るとインドはまだ当分中国には追いつけないのが実情であろう。しかしながら2010年から2012年に至る2年間で自動車の製造台数は2倍の400万台に達するという見込みがあり、現在自動車メーカーも部品サプライヤーも生産設備の拡充に日々追われつづけているというのが実情の様に見える。

1970年代のインドの乗用車と言うと、国民車と言われたヒンドスタンモーターのアンバサダー(イギリスのモーリスオックスフォードのデザイン)(写真)と、プレミアオートモービルズのバドミニ(イタリアのフィアットのデザイン)(写真)が圧倒的多数であった。プレミアはムンバイを主に多く見られ、アンバサダーはおよそ各地で見られた。社会主義体制のもとで、この2車種は長い間ほとんどモデルチェンジ無しで販売を継続した為、世界各国の自動車の新技術に対して大きな停滞を招いてしまった。1982年にこの体制に風穴を開けたのが鈴木自動車のアルトである。生産はインド側の出資がメジャーであったマルチ・ウドヨグ社で、鈴木自動車の出資比率は26%と、当時は半分にも満たなかった。スズキが進出する際に綿密に調査したインドの自動車事情によると、毎年のインドでの自動車生産台数の総累計と当時インド国内を走行していた自動車の総台数がほぼ一致していたらしく、つまり生産された自動車がほとんど廃車されずに走り続けていたという社会主義体制ならではの実情であった様だ。購入の申込をしてから相当期間経過しないと実際に納車されなかったと言う。
15年前位は首都デリーでも相当数のアンバサダーが走っていたが、最近は見つけるのも困難になってしまった。ヒンドスタンモーターの工場があるお膝元のコルカタではまだ多数走っており、黄色いタクシーはほとんどアンバサダーだ。
純インド国内メーカー、タタが力こぶを入れてリーマンショックの前に発表したワンラックカー(1ラックは10万を指し、つまり10万ルピーの車で、現在では約20万円)ナノは現在インド国内で見つけるのも困難なほど走っていないのである。価格相応の品質がプライドの高いインド人に好まれなかったという事と、電気系統からの発火など技術的な問題が発生したからの様である。発表から3年以上も経過してしまい、そうこうしている内に他の自動車メーカーが手頃な値段の車を順次発表したため、どうもナノの魅力は薄れて来てしまった様で、戦略的に失敗作であったという感じが否定できないのであるが、最近はかなり盛り返しつつあるという情報もある。

現在乗用車シェアの4割以上をマルチスズキが握り、次をタタモーターズと現代モーターインディアがそれぞれ20%程度づつ抜いたり抜かれたりしている。この3社でインド市場の3/4程度を占めてしまっているので驚異的だ。
以下、シェアではGMインディア/トヨタ・キルロスカル/ホンダ・シェルカーズインディアが続く。
他、日産ルノー/フォードインディア/フォルクスワーゲン/フィアット・インディア/シュコダオート/アウディ/メルセデス・ベンツインデイァ/BMW/ボルボ/三菱自動車、民族系のマヒンドラ&マヒンドラ/ヒンドスタンモーター/アイシャー・モーターズ、等多数の乗用車メーカーがある。

「インド、インフラ整備」
現在インド国内に於ける最大の問題はインフラの未整備である。急速に発展する経済に対して道路・鉄道網がまったく未整備である。また電力の供給が追いつかない。

■電力
電力についてはチェンナイが特にひどく、計画停電も実施されている所があり、エアコンが止まった熱い部屋での切った貼ったの価格交渉では簡単に負ける(勝負と価格に対し)わけには行かないので、多数居並ぶ値切りの達人との汗だくの交渉はまさにサウナ風呂の中の状態での丁々発止の交渉となってしまうのである。私は数年前からインドではスーツ着用をやめてしまった。ラフな格好でないと体が持たないし、相手も余程金持ちの財閥のトップで無い限りスーツとネクタイでは無いからお互い様だ。
インドの連中は包み隠す事なく自分の希望は希望として一切合切ぶつけてくるのが常識で、極めてダメもと、そしてほとんどが強引と、インド標準に慣れるまでには時間がかかるが、慣れてしまうとこっちもインド流になってしまう。日本に帰ってその流儀を時として使ってしまうので、特に家族にはひんしゅくを買うのである。
基本的に工場での自家発電は一般的でもあり補完的にも必要最小限の設備である。
福島の原発の問題はインドでも大きな影響がある。不足する電力をどの様な方途で拡充するか、経済の急発展にともなう電力不足の問題は簡単に解決できない。

■鉄道
インドの鉄道網は、いわゆる線路網については見事な程に非常に良く整備されている。植民地時代のイギリスが、インド全土から冨と財産をかすめ取って港に集積し、自国に持ち帰る為に敷設した線路網だ。これら線路網は全部インドから徴収した費用で敷設された。残念な事にその上を走る列車が旧態依然の箱なので一般には外国人は使えない。(写真)

また駅舎は、駅利用者、赤帽、物売りのほか多数の乞食とかっぱらいの巣であり、汚物のすえた臭気とトイレの未整備等外国人が1人で利用するのは非常に困難な状況であると言って良い。(写真)
他方デリーではメトロ網の整備が順調に進んでおり、近代的な車輌はすでにインディラガンジー国際空港にまで到達している。チェンナイなど他の主要都市でもメトロの建設が始まっているが、建設の為の道路の一部占有により道路が狭くなってしまっており、これがまた交通渋滞の一要因になっているので当分道路渋滞は各所で解消する事は無さそうである。

■道路
道路網もまさに整備の真っ最中で、都市部の高架道路、都市間の高速道路がどんどん拡充されている。(写真)

しかしながら折角作った高架道路も雨が降ると排水が悪く水たまりができてしまったり、高速道路もパーキングエリアではレストランやトイレがインド式と(写真)、まだまだ多数の問題がある。








■航空および空港
道路・鉄道網が未発達な為、航空路網は非常に充実している。国内線の多くはビジネス客用であるが為か、多くのローカル路線が朝夕だけの運行で昼間フライトが無いなどと言う困った事もある。インドの空港はセキュリティーが厳しく全ての空港ビルにはチケットが無いと入る事ができない。ライフルを持った保安要員が入り口で1人1人パスポート(インド人の場合は何らかのIDカード)とチケットを照合する。困るのは、たとえば旅程を変更をしたが為に翌日のチケットであると中には入れないのである。国内線の場合はビルの外に航空会社のカウンターがあるので大きな問題は無いが、国際線の場合は随分と困る事があった。だが最近はほとんどがe-ticketで大概はA4のコピーであり、そんな物は簡単に自分で作成できるのでこの保安検査も無用の長物なのではないかと私は常々思っている。私自身まま偽物を作ってビルの中に入ってしまうのである。もちろん当日の飛行機に乗るのであり悪用する訳ではないが、きちんとした当日のチケットが無い場合など時々やっているのである。

昨年オープンしたデリーのインディラガンジー国際空港の第3ターミナルは世界トップレベルの綺麗なターミナルビルとなった(写真)。ここにはエアーインディア、ジェットエアー、キングフィッシャーエアーの国内線ターミナルも同居しており、国際線と国内線の乗り継ぎという過去の大問題がきれいに解消した。旧国内線ターミナルには、インディゴ、ゴーエアー、スパイスエアーなど中小の航空会社が継続して残っている。新しい第3ターミナルはサテライトが無く、左右にあまりにも広く、遠くに駐機されると息が切れる程の大運動会となってしまうのである(写真)。

エアーインディアはインドのナショナルフラッグであり国営である。かつて国内線はインディアンエアーという別組織にしていたが最近統合された。国営であるので組合が強く直近でもパイロットのほとんどが10数日もストライキをして国内線がほとんど運行できなかった。キャビンアテンダントには肥満した老齢なおばさん達が退職せずに多数居座っており、こんなのが毎日乗っていては運行上の燃料効率が悪くなるのではないかと、通路側座席に座り、制服であるサリーに包まれたお肉の塊が横を通るたびいつもおせっかいながら心配をしているのである。もうよせばいいのにというのが正直な感想だ。他方民間のジェットエアーやキングフィッシャーエアーはスリムな若いお嬢さんを徹底的に選別してCAにしており真っ赤なミニスカートや、ぴしっとした洋服で西欧のエアラインとひけをとらないのである。
エアーインディアはかつてタタグループの民間航空会社であったが、インドが社会主義化した際に強制的に国に買い取られてしまった。長い事インド唯一の航空会社であったが1993年に待望の民間航空会社ジェットエアウエイズが運行を開始した。その後エアーサハラ、デカンエアー、キングフィッシャーエアー(インドで最も有名なキングフィッシャービールの製造会社が創設した)スパイスエアー、インディゴ、ゴーエアーなどが雨後の竹の子の様に出来たが、エアーサハラはジェットエアーに、デカンエアーはキングフィッシャーに買収された。いずれのエアーラインもボーイング737など小型の飛行機をこまめに飛ばしている。

■商業施設
インド主要都市のみならず地方にもショッピングモールを代表とする大きな商業施設がどんどんと建設されている。中間所得者層の順調な増加により購買意欲は強い。
10年以上前はジーンズ姿を見ることはあまりなかったが、昨今は若い人達を中心にジーンズがどんどん増えてきている。それに合わせて女性の体型がスリムにきれいになってきた。どちらかと言うと過去女性の体型はボリューム重視一辺倒だったが、最近はそれが変わって来た。エステサロンも大繁盛なのである。

「インド雑感」
インドの国民的スポーツと言うとクリケットである。テレビでクリケット競技が放映されていると皆動かなくなってしまう。テレビの前に釘付けだ。
4月に行われたクリケットワールドカップ準決勝戦、インド対パキスタン戦ではゲームが行われた日の午後はあらかたのオフィスと工場は午後臨時休業となってしまった(写真)。夜のレストランはどこもほとんど満席で客が総出で応援。日本では応援は「ニッポンチャチャチャ」だがインドでは「インディアー インディア!」で大人も子供もまさに騒然。クリケットの難解なルールを知らない私は応援を見ているだけで満足。結局準決勝戦はインドが望み通りパキスタンを下し、決勝戦はスリランカを下してインドが優勝した。
中国とインドとを比較するとまず決定的に問題となるのが食事であろう。インドで最も苦労するのが食事である。一部のインド風中華を除いて基本的に毎日インド食に付き合わざるを得ない。ほとんどターメリックなどのカレースパイスがベースで、青唐辛子もたっぷりで非常に辛い。
水道水の衛生状況が良く無いので水で洗った生の食材、例えばフレッシュサラダとか切った果物などは食べない方が無難である。基本的に火の通った物だけを食べていれば安全だが、私が社員に厳命している御法度食品は、いかなる高級ホテルであっても、フレッシュサラダ、カットフルーツ、ウイスキーの水割り(氷がくる場合がある)、フレッシュジュース、アイスクリームの5点だ。また工場などでは食器やコップが濡れていたら、失礼かも知れないが必ず自分で拭いて使う様にし、極力ペットボトルや缶からそのまま飲む様にと指示している。暑いインドでは体調管理は非常に重要である事は言うまでもない。

かつてのカーストで身分の高い人は皆菜食主義者であり、現在でも仕事で付き合う人達の多くはベジタリアンである。もっともインドではシーフードはまったく美味しくなく(魚もエビもカレーになってしまう)、牛は基本的に無いし、豚も美味しくない。肉類はチキンとマトンやラムだ。従ってインドでは自分もベジタリアンになってしまった方が良い。でないとチキンやマトンの料理は、いつも全量が自分の所に回ってきてしまうのである。これが私のインドで体重を増やしてしまっている大きな理由でもある。暑いインドではあまり歩く事が無い。車で移動、通常ドアーからドアーだ。従って運動不足も体重増加の要因で、インド人自身も肥満が多いのである。
インド料理も慣れてしまうと絶品で美味しい料理も多く、私はビンディーマサラというオクラのカレーをバターナンで食べるのが大好物である。

中国でのビジネスと比較してインドが圧倒的に優位なのは言語である。英語がわかれば一切不自由が無く、1人で移動し、商談も可能である。また契約書類も、契約に至るまでは大仕事だが、契約書に双方がサインすれば反古にされるケースは滅多にない。ただ、リーマンショックの後で、契約後L/Cの発行に遅滞が生じた事はあった。基本的に契約書では無くL/Cの発行をもって全てのスタートにするべきであろう。

日本人が抱くインドのイメージであるが、必ずしも当たっていない。まず「暑い」。確かに夏は暑いがデリーの冬は朝夕摂氏5度近くまで気温が下がり寒い。路上生活者はたき火をする。もっと北部に行けば凍結もし、雪も降る。ヒマラヤが目の前なのだ。
インド人は「頭にターバンを巻いている」。ターバンはインドの中でも少数派のシーク教徒だけが着用している。シーク教徒は毛髪を切る事が宗教上許されないので、長い髪をターバンの中にくるんで頭の上に巻き付けるのである。シーク教徒は北部に多く、従って南部インドではほとんどターバンは見かけない。
「手で食事をする」。確かに多くの人は手で食事をするが、スプーンだってフォークだってちゃんとある。ピザ、サンドイッチ、バーガー、寿司、みな手づかみだ。何もインドが特別では無い。
12億に達する人口と広大な大地、日本とは飛行機の直行便で10時間、隣近所のやっかいな問題が存在せず、中国の後ろをひたすらピッチを上げて走るインドは日本にとって大きな魅力ある市場として存在するのは間違い無い。

「歴史、横糸縦糸、温故知新」
現在の日本の義務教育と高等教育に於ける歴史教育には多くの問題点が存在している。まず世界史から見た日本史を教えていない。例えば西暦千六百年、豊臣と徳川が関ヶ原で戦っていた年に、お隣中国ではどんな時代であったのか、ヨーロッパではどんなであったのか、インドでは、と横糸の繋がりを教えていない。少なくとも、江戸末期から明治維新にかけて隣の清国はどうであったかとか、ヨーロッパやアメリカはどうであったのかとか程度は皆認識しておくべき事では無いだろうか。この当時のヨーロッパ列強の植民地政策は、今の政治的問題にも大きな影響を残している。日本史に於ける縦糸だが、先の大戦になぜ突き進んでしまったかの検証をもっとしっかりと教えておかないといけない。なぜ政治家が戦争を選択してしまったのか。この流れも現在に至るまで連綿と影響が続いていると思っている。昔の事例は若い世代にきちんと引き継いでおかなければならない。これは先に旅立つ者が後に残す者への最低限の義務である。誰しも失敗はするし前向きであればあるほど失敗は多い。ただ失敗は繰り返してはならない。大きな油断という失敗の結果が今回の原発事故である。事故は早く終結して欲しいが完全に終息させるまでは長い年月がかかりそうだ。
この夏の電力事情は危機的だが、おそらく英知に長けた日本民族はこの困難をバネにしてまた一つ前進するものと思っている。省エネ装置や省エネビルなどの高効率の機器、装置、建物の開発。あらゆる物からの電力の回収など、見た限り日本人が得意とする研究案件ばかりだ。政治がだらしないので、民間はその分もっと頑張らなければならないだろう。振り返ればそれも良かったのだ、という時代がきっとくる。

今年前半は悲惨な事ばかりでした。後半は皆の努力でこれを回復させ一年を終了させたいという気持ちで一杯です。御健闘をお祈りします。


 平成23年 正月

「ブラジル・ポルトアレグレ」
2016年開催のオリンピックは、ブラジルのリオデジャネイロでの開催と決まった。敗れた東京は残念ではあったが、地域性・国の発展度・開催回数を勘案すれば妥当な落ち着き先だった。
世界的債務国であったブラジルを、財政安定化策により純債権国に変貌させたのは、前大統領のカルドゾ氏と、現ルラ大統領である。そしてルラ大統領の任期満了にともなう大統領選挙で来年1月にはルセフ新大統領が誕生することとなった。技量未知数のこの女性大統領の当選には、国民が圧倒的に支持しているルラ大統領の推薦が大きい。人口は中国、インド、アメリカ、インドネシアに次ぐ世界第5位約2億弱。鉄鉱石・ボーキサイト・レアアースなどの豊富な自然資源に恵まれ、今後7%の経済発展を目指すと言う。2014年開催予定のサッカーワールドカップもその大きな起爆剤になるだろう。中国とインドに続くBRICs 3番目の有望株である。
大西洋側の東海岸を、リオデジャネイロからサンパウロを通りすぎ、クリチバを更に南下した海岸沿いにポルトアレグレという都市がある(写真)。

もうちょっと行くとアルゼンチンだ。日本ではほとんど知る人もいないが、ここで30年間にもわたり、30回も続けてセナフォー(SENAFOR)と呼ばれる国際鍛造会議が開催されている事が分かり、弊社は始めて参加した(写真)。


SEはセミナー、NAはナショナル、FORはフォージングの略称ではあるが、主催者によると最近はインターナショナルになってきているとの事だ。
なぜサンパウロでは無く、知名度が低いポルトアレグレで開催されているのかと言うと、ここに金属産業が集積されており、大学や研究機関もあるからという事の様だ。実際、会議のオーガナイズは地元大学研究機関が主体となってやっている。

ポルトアレグレはリオデグランデ・ド・スル州の州都で人口約140万人。ポルトガル・スペイン・ドイツ・イタリア等の移民を中心にして発達したため、人口の8割以上が白人系である。市名にあるポルトという名称が示す通り、グアイバ川に面した港町で(写真)「陽気な港」という意味である。

ドイツ人の移住を機に、農業・牧畜・工業が盛んとなり、ここに金属産業が集積されているのもドイツの影響が色濃いのが判る。一度倒産し現在再建中であるヴアリグブラジル航空の発祥の地でもあり、長くヴァリグのハブ空港であった経緯がある。
2年前にサンパウロ市内で偶然つかまえた日系タクシードライバーの高橋君のメールアドレスに、誰か知り合いで通訳が出来ないか問い合わせしたところ、自分で良ければ喜んでやりたいというので、お願いし到着のサンパウロ空港で合流、国内線のチケットを買って空路2時間のポルトアレグレに移動した。翌日は参加登録と工業大学の研究室訪問のテクニカルビジット、小間の設営で終り、その次の日から技術発表の会議と展示となった。

地域がら、参加者はほとんどがブラジル人、一部に英語を話す人も居るがやはり圧倒的にポルトガル語である。会議の技術発表セッションでは英語の同時通訳があった。2日目の発表と合わせ、参加者は300人程度であった。出展はドイツ、イタリア、スペイン、地元ブラジルとアジア地区からは唯一の弊社(写真)。

会議の案内は全部ウェブサイト上で行われ、英語表示が無く申込も往生したが、幸い英語でメールを送るとすぐ回答を寄こしてくれ、ホテルの予約もすぐ手配してくれた。今回は事情が良くわからず、技術発表は参加しなかったが、会議終了時オーガナイザーから来年は是非との懇願で、次回は私がやらざるを得なくなりそうだ。

「大韓航空ブラジル線」
日本航空がサンパウロ線から9月で撤退し、今回は代替を検討せざるを得なくなったが、サンパウロと北米を結ぶルートに大韓航空が週3便飛ばしている事が判った。(世界中の航空路網と詳細な発着便はウエブサイト上で即座に検索出来るので本当に便利になった)ロサンゼルス経由である。ヨーロッパ回りも検討したが、今回は成田から一旦仁川に出て、仁川発の大韓フライトを選択した。韓国国内でチケットを買うと、日本の半額以下であるのもその選択の理由である。現在私の知る限りでは、航空チケットは韓国とタイは日本のおよそ半額で購入でき、もちろん私は常時タイと韓国へ帰る?復路チケットを持っている。
仁川にわざわざ出向き、仁川からさらに日本に帰国するのは時間のロスではあるが仕方がない。機内は圧倒的多数の韓国人ビジネスマン、ごく少数の欧米人、台湾と日本人、それに数で目立つ中国人である。ブラジルマーケットを見据えた韓国と中国の取り組みの証左だ。機内には日本語を話すキャビンアテンダントが大概一人は居て、大いに感心したものだ。もちろん韓国と日本間のフライトの必要性から勉強しているはずだが、はたして日本航空に韓国語を話せるキャビンアテンダントが何人居ることだろう。しかしながら食事の際に選択した韓国食のビビンバをかき混ぜながら、これがJALだったら和食なのにな、と寂しい思いもした。機材は新しく、座席は日本の航空会社よりずっと良くフライトは快適だったが、日本の国力の衰退を思い知らされた瞬間であった。

「ロス、ぼろぼろ空港・大韓スタッフ」
大韓航空サンパウロ便はロサンゼルスで給油の為にワンストップする。ロスの空港はもう30年ぶりの事だろうか、私が始めてアメリカに行った時にノースウエストの到着地だったので懐かしい気持ちがした。しかしその淡い郷愁はロス空港のあまりのおんぼろさにすぐに打ち消されるのである。
ボーディングブリッジ相互間のピッチが狭いという事で、飛行機は直接駐機場に着けないのである。牽引車で引き込んでもらい、出発の際は押し戻してもらう。出発に際してはいずこの空港も現在のところは同じパターンではあるが、到着時にもという事は大きなロス!だ。空港内ビルでは携帯電話の電波が入って来ない。搭乗口近くの外に近くならないと電話が使えない。空港ビル内ではインターネットが全く使えない。建物もボロボロ。アメリカの西海岸の窓口と言えばロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルとなるはずだが何ともおそまつな実情だ。
ところで、世界的スタンダードになぜ合わせないのか知らないが、通常国際線から国際線への乗り継ぎは建前上乗り継ぎ国に入国は不必要なのであるが(EU諸国は最初の到着時に入国審査を受け、乗り継いだ後の終着地の国では入国審査は無い)、なぜかアメリカは入国させるのである。何か安全上の問題からのはずであるが、これが何とも面倒なのである。
ニューヨークでは完全に入国させて外に出された。ロスでは入国審査を受けたあと税関検査を受ける事無く、また元の出国階に移動した。空港毎でシステムが違う。英語が不自由な人は大変な事であるが、さてここで大韓航空のロス地上係員に舌を巻く様なアジュマ(おばさん)が居たのである。韓国人アジュマである。英語のわからない中国人には中国語で、
韓国人には韓国語で、私には日本語で、もちろん英語も。日本の航空会社の係員にここまでやれる人が居るだろうか?「すごいですね!」と誉めたら「大変なのよー」と返してきたものだ。

「デリー・新空港ビル・羽田」
仁川国際空港には誰でも使える無料シャワー室がある事が始めて判った。タオルは2ドルで貸してくれる。大韓航空のラウンジには石鹸からローション、整髪料までそろった立派な無料シャワー室があるが、ブラジルの帰路、日本航空のラウンジにはシャワー室も無かったので空港管理の無料シャワーを使い長旅の後をさっぱりさせた。
いよいよインドデリーの玄関口、インディラガンジー国際空港の新しいターミナルビルがオープンした。仁川やタイのスワナプームほどの立派な空港である。近々地下鉄も接続されて市内への移動も便利になる。なにしろ有り難いのは国内線も同じターミナルビルに同居する事だ。エアーインディア、ジェットエアーとキングフィッシャーエアーの国内線大手三社がまもなく移動し、国内線と国際線は歩いて移動できるのである。乗り継ぎには過去大きな痛みを受けてきた悲惨な記憶があるので、これは本当に有り難い。大きくなった分歩く距離は長くなったものだが、「グッドエクササイズ!」と言ってやったら大笑いされた。
羽田に念願の国際線が本格的に戻ってきた。これも大変有り難い事だ。24時間空港では無い未完成成田からじゃんじゃん移してもらいたいものだ。成田第2滑走路の外側に大きく英語で書かれているあの「空港反対」の看板は何とかならないのだろうか?外国のお客様に対し、恥ずかしい。また成田空港内に取り残された2箇所の民家、あれも恥ずかしい。しかし、仁川やインドの新空港を見るにつけ、羽田の新国際線ターミナルビルは新しいが、いかにも小さく貧弱なのである。

「インド交通事情」
ヒンズー経の教えはモラルが高く、道徳面でも厳しいと見えて男女の交際とか生活面での規範に強い拘束がある様ではあるが、事、交通事情はまったく反対でモラルもへったくりも無い。そもそも路上には威勢の良い大型トラック、神風バス、四輪車、三輪車、二輪車、自転車、リクショー(人力タクシー)はもとより、神聖な牛が大都会の真ん中でも道路を闊歩するのであるから大変だ。ちょっと郊外に出ればそれに加えてロバの荷車、ラクダ、山羊・羊の大群・のろのろと集団で歩く水牛がその仲間に加わるのであるからたまったものではない。その結果車輌は路肩を走るのは許せるが、反対車線にも堂々と入り込み危険極まりない。幸運にも!珍しく踏切で列車の通過にさしかかろうものなら、普通ならば自分の走行車線に行儀良く並んで待つものが、反対車線を全部埋め尽くして横はいりするものだから、踏切が開いた際は、もう収拾がつかない状態になるのである。交差点でも車同士が頭をくっつけてにっちもさっちも動けなくなっている光景を良く見る。夜間警察が居なくなると赤信号で進行するのは通常で毎度の事で、一体この国民のモラリティーはどこにあるのかと唖然とするのである。

「すずめ」
雀の数が激減してるのだそうだ。そういえば最近我が家の周辺でも雀がほとんど見られなくなった。昔子供の頃、屋根に登り、屋根瓦の隙間に作られた雀の巣に生み付けられた小さな卵を見て、鶏卵と比べたあまりの小ささに驚きを覚えた記憶がある。だから屋根瓦が少なくなったのも原因の一つとは思う。子供の頃、東京の郊外には野鳥焼きと称して炉端で野鳥を焼いて食べるバンガロー風の店があり、私も何度か連れて行ってもらい、ウズラやツグミと共に雀も食べた事を良く覚えている。両腕両足を広げ頭までついた状態で三羽ほど串にささったものを自分で焼いて骨も一緒に丸ごと食べるのではあるが(もちろん羽や内蔵は除かれている)、美味しいという記憶はあまりない。

「1対1・3対1」
自己防御、1対1でやっていた時は勝てる見込みがあった様だが、警察がやってきてから3対1の圧倒的劣勢となり、最後は殺害されてしまった秋田県の弁護士には誠にお気の毒である。酢だこんにゃくだの懸命な警察本部の弁明も空々しく腹立たしい。当の警察官は相手を取り違えたという過失ではあろうが、業務上過失致死なのであろうか?アメリカで銃器所持が法律で認められているのは、自分の身は自分で守るという開拓時代当時からの長い伝統があるからだ。強盗にも、理不な性悪保安官に対しても自分の身は自分で守らなければならなかった。頼りにならない警察。日本もそろそろ武器を保有して自己防御する事が必要な時代に入りつつあるのだろうか。

「しつけ・教育・ペナルティー」
弊社に入社する新卒はほとんど工業高校か、普通高校卒である。まま定時制卒業の子供も採用している。中小企業であるがためそれしか方途が無く、入社後に躾をはじめとしたほとんどの教育を再度し直してやる必要がある。最近社員の構成はほぼ新人に入れ替わり、20年来の努力の成果が実りつつあるところである。バブルの最中など本当に求人は大変で当初は中卒を採用していたほどだが、その頃の教育訓練は聞くも涙で物語が書ける程である。それほど頑張ってもふいに出社して来なくなったりし、どれほど裏切られたことだろうか。
入社試験は面接がほとんどであるが、私は次の数点の質問で採用をほぼ決めている。
(1)
2種類の三角定規を出して来てそれぞれの角度と、それぞれの辺の比を問う。辺の比にはルートが出てくるから、それが実数に開けるか問う。
(2)
時の日本の総理大臣と、アメリカの大統領が誰か問う。
(3)アジア地区で知っている国の名前を挙げさせる。
(4)英語で自己紹介をさせる。

(1)については回答が出来ると次に、旋盤で角度削りをする時の角度の出し方などを質問する。これには三角関数で計算式を立てる必要がある。
最近三角定規の問題が解けない子供が多くなった。さらに昨年は日本の総理大臣が誰か知らない子供が来たのには呆然とした。あまりにちょくちょく変わるので覚えきれないというのだろうかも知れないが、学校教育に大きな問題があると見て居る。入社後、挨拶が満足に出来ない子供も多い。朝私の横を知らん顔して通り過ぎる若い社員があまりにも多いのにたまりかね、賞与の不支給を宣言した事があった。こちらが苦労して仕事を取ってきて、苦労の末に賞与を捻出しているのに、朝知らん顔もなかろうと腹を立てたのである。
遅刻の常習犯に対しては、やはり回数に応じて賞与の減額%を決めた。何度言っても繰り返す業務上の違反行為(特に安全対策上での約束)にも回数に応じて賞与の減額%を定めた。弊社では喫煙者は多く無いので滅多に無いが、たばこの吸い殻放置も。いわゆるペナルティーである。日本は行動規範が過去厳しかったので、ペナルティー認識が少なかった様に思える。シンガポールがあれほど美しくなったのは、当時の首相リークアンユーがペナルティーにより徹底的に中国系を多数とする自国民に躾を施したからである。何しろ日本の教育がダメになって来た。特に躾はまったくでたらめである。ペナルティーは科したく無いのが本音だがどうしようもなくなって来たのが実情のところなのである。学校で躾をうけずに会社に入ってくる。現在の小中高校の教育に大きな問題がある。

「絶好調韓国、感じる強さ」
ひんしゅくを買いそうで、大きな声では言えないが、現代自動車や起亜、三星の自動車が沢山売れると弊社も潤うのである。これらの自動車の中にはかならず弊社のプレスで製造した部品が組み込まれている。 現代自動車の販売が絶好調で弊社の客先も増産に次ぐ増産で休日も無い状況でてんてこ舞いをしている。時の政府の強さが影響しているという事も要因の一つではあるが、何しろ韓国は現在絶好調にあるという感じがする。人口がさほど多くなく自国のマーケットが小さいが故に韓国工業は輸出志向でないと生き残る事が出来ず、それが官民一致しての認識の上に、強力に実行に努力している様に見える。海外の主要機械展示会でも日本のジェトロに相当するコトラはナショナルゾーンを設営し無料小間を中小企業に提供している。韓国からの輸入実績の多い海外商社には、ご褒美に韓国内での展示会などに飛行機代、ホテル代持ちで招待し、その上で表彰までしてくれるのである。諸外国との輸出入無関税協定にも韓国は積極的で、日本製品との価格差が輸入税で出て来ており、日本製品は海外諸国では割高になり競争力を失いつつあるのである。もちろん韓国製品自体の品質とサービス体制が万全になったことが根本原因であるのは言うまでも無いが、ブラジルを見ても考えさせられるのではあるが、携帯電話、家電製品、自動車など海外マーケットの拡大は官民を挙げて強く推進している。原子力発電プラントなども大統領自らが先頭に立って受注活動をしている。ロスの大韓航空の地上係員のアジュマ、キャビンアテンダントの外国語への取り組みを見ても日本と比べると何かしら強さを感じるのである。

「両手足を捕まえられた中国、ロシア外交」
セルロイドと言っても若い人達には判らないかも知れないが、樹脂のはしりで戦後おもちゃや文房具などに多用されたが、火が容易につき危険な為使用される事は無くなった。やっかいな事に放置すると酸化して自然発火し、これによる火災も発生している。尖閣諸島はセルロイドと言っても良いか、もっとしっかりと対処しておけば良かったものを今になってはもう手遅れであるがまさに火がつき始めてしまった。政権交代直後の民主党にとって運が悪いと言えば言えるが、しかし最近のアメリカに対する失礼な対応が酸化を早めた事も否定できない。北方領土の問題も、やはり力のバランスが崩れて来たからだろう。いずれも資源輸入の面から日本政府は両手両足を捕まえられた状態で外交をしなければならないので、並みの政治力でも大変と思うが、昨今の日本の政治家の力では力量不足の感が否めないのである。  絶対に自分の非を認めないのは商売をしていればどこの国でも遭遇する決して珍しい事ではなく、海外進出をしている民間企業では常識中の常識だ。民間の方が先行して余程苦労を強いられている。 しかし、本件は「水と安全はタダ」と考える傾向がある日本国民に、防衛と外交のあり様を考えさせる強い契機になったはずだ。今以て国防に対して能天気な一部野党も存在するのではあるが、日本の軍備増強が今後議論されることになるはずだ。しかし日本の軍備増強は中国や韓国が強く警戒する事であり、まさに「藪をつついて蛇を出した」という結果になってしまったのではないだろうか。

「新華僑」
私もさすがにまだアフリカまでは足をのばしては居ないが、エジプトと南アフリカを除いた中央部のアフリカは最後のビジネス開拓地になるであろう。自動車産業という視点からすると、アラビア諸国はターゲットにはなりそうもない。インドでもブラジルでも中国の躍進進出が大きく目立ち労働者レベルの中国人も多数中短期滞在をしている様だ。アラビア、アフリカもそうであるという報道が多数なされている。 インドでは、マルチビザで長期滞在する中国人が問題となり、ビザの発給条件が厳しくなった。これら海外進出の中国人を、国策による新華僑のはしりと見る事は出来ないであろうか?

「落ち穂拾い」
おちぼひろいと読むが、今の若い連中には読み方も意味ももう判らないだろう。昔稲刈りをした後、こぼれ取り損ない田んぼにすこしづつ残っている小さな穂を丹念に拾い集めた事を言う。 広いインドの各地を転々としながら、ふと落ち穂拾いの様な事をしていると感じた。インド各都市を訪問した際、ついでに納入先の機械を見て回る事がくせになったが、行けば行ったで現場の作業者やメンテナンスマンがどっと集まってきてクレームの言い放題となる。ほとんどが些細な調整事や、前回教えてやった事の焼き直しなのであるが、たまに重大な異常を発見して感謝される事もある。もちろん無償の営業活動の一環だが、次のリピートを獲得するには非常に効果がある。客先の一つ一つを丹念丁寧に回って、さながら落ち穂拾いをするわけである。政府の無策、円高による空洞化の加速、近隣諸国との諸問題など近年まれに見る激しい向い風が日本のほお面を叩くのではあるが、民間企業は愚痴をこぼしていては何の解決にもならないのが常である。前に向うしかない。 本年も貴社の御検討をお祈り申し上げます。