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金属産業新聞から夏冬の年2回掲載を依頼されている原稿です。
平成22年正月 平成21年夏 平成21年正月 平成20年夏 平成20年正月 平成19年夏 平成19年正月
 平成22年 夏

「インド・タタ、大山鳴動してナノ一匹」
大山鳴動して鼠一匹という諺があるが、インド各地を回ってみて大々的前評判の20万円カー・ナノを見かける事がほとんど無いのである。実際一週間滞在して2〜3台だ。かれこれ一年以上経過するのに奇妙な現象である。最初の発売台数に対し抽選までして購入者を決めていたはずだった。大きな原因の一つは、欠陥が出ている事であり、日本ではあまり話題にはなっていないが、インドでは誰もが知っている。運転中に発火する事故が数件発生した。目下改善に最大の努力をしているらしいが、大方の人は本格的に使われ始めてから1〜2年様子見するのがベターという判断をしている。西ベンガル州にナノ製造専用の工場を作ろうとしたが地元住民(農民)の猛反対で工場建設を断念。急遽グジャラート州に移転先を建設と、最初からケチのついたナノである。購入申込から引き渡しまでの期間が長く、その間もローンを支払わなければならないシステムらしい。納車は遅延でローンの前払いに嫌気がさした予約者が解約するケースも多発している様だ。タタは、かつてインディカやインディゴという車をヒットさせた実績もあり、決して技術力が劣っているわけではない。したがって今回のナノの騒動は価格設定にあまりに無理があったという事が原因の一つであろう。誇り高きヒンディーの人達は車も見栄で乗る。当面は二輪所有者のワンランクアップとして代用されるであろうが、いずれ経済の発展に伴って消えて行くはずと見て居る。日本もかつて原付免許で乗れる乗用車がヒットした事があったが(ピザのデリバリー車の様な)、みっともなさと道路上で邪魔にされ消えていった。

「タイ騒動」
6月、無残にも一部崩壊したバンコックのワールドトレードセンターをたまたま見る事ができた(写真)。5月の騒動の最中には私も展示会でタイに滞在していたので、あの時の緊迫感は忘れられない。もしも空港へ飛び火していたら帰国できなかっただろう。一応収束したかに見えるが、赤シャツは必ず戻って来ると公言している様だ。日本でもかつては成田空港闘争とか、大学紛争、さらに遡れば安保騒動とか似た様な騒動はあったので決して驚く事でないのではあるが、日本のそれはほとんどイデオロギー騒動であったのが、タイは基本的には貧困層の暴発であると見られている。いわゆる、かつて頻発した大阪釜ヶ崎あいりん地区の貧困労働者の暴動を大きくした様なものだ。それに元首相のタクシンの報復活動が重なり合い、潤沢な資金が流れ込んで騒ぎが大きくなったというのが大方の筋書きらしい。何しろ動員された地方農民や貧困労働層の数に対し、食事からシャワー・トイレに至るまでの必要資金を換算すると1日に1億円程度は必要であったらしい。経済の発展から取り残された地方農民や貧困労働者の反発という図式からすると騒動は簡単には解決しないだろう。似た様な事はインドでも発生している。西ベンガルやチャティスガール、オリッサ州で問題になっている共産主義毛派の武装闘争である。おなじ系列の会派はネパールの王政も倒してしまった。

「シンシナチ」
3年に一度、シンシナチでフォージフェアという専門見本市が開催される。アメリカの鍛造協会が主催する熱間鍛造が主体の展示会で、延べ3日間、講演会セッションと、展示会、食事がセットされている。弊社の製品は主に熱間鍛造に使用される機械であるから、前回に引き続き出展参加した(写真)。
オハイオ州シンシナチは、野球のシンシナチレッズの故郷でもあるが、シンシナチミラクロンというアメリカ大手工作機械メーカーの名前も挙がる工業都市でもある。このオハイオ河畔に栄えた街も景気の後退による影響が色濃く見え、3年前から比較すると、空きビルや路上生活者の数が増えた。会議場近くにあった中華料理レストランもつい最近店じまいしたらしく50数年のご愛顧を感謝しますという閉店の貼り紙が出されてあった。町なかには中華も和食もレストランの数が乏しく寂しいかぎりだ。
展示会自体も3年前から比べると入りが少なかったのであるが、40数人にのぼる中国視察団だけが大きく目を引いたのである。



「クレジットカード」
デルタ航空は支払いの現金での収受をやめて全部クレジットカード決裁に移行した。クレジットカード会社への口銭よりも、現金の管理の方が高くつくからであろう。他の航空会社は調べたわけではないが、おそらく同じであろう。つまるところ、クレジットカードを持っていない者は飛行機には乗れないという事になる。信用社会ではクレジットカードが持てない、つまり与信を与えられない人は何も出来ないという事になる。中国でも似た様な事例でホテルのデポジットがある。クレジットカードでのデポジットが取れない人、つまりカードを持っていない人は、宿泊料の2倍以上の現金デポジットを要求される場合が多い。勿論宿泊料だけ払って飲食その他を多額に踏み倒すケースがあるからである。
アジア諸国では、レストランや飲み屋での支払いにアメリカンエクスプレスカードは嫌われる。一旦持って行っても通信が出来なかったから他のカードは無いか、と戻ってくる場合が多い。またはビザでなければダメという場合もある。勿論現金払いが一番喜ばれるのであるが、アメックスは口銭が若干高いので他のカードに比べて嫌われる。
韓国では高額な飲食は現金払いは出来なく、カード払いだけである。現金払いの領収書では虚偽を働くケースが多いからという理由で政府がそう決めている。

「ミャンマー、サイバーシティー」
3年ぶりに訪問したミャンマーはほとんどのところ変化らしきものが無い。周辺諸国がこの10年に著しく変貌したのに比べ、ミャンマーはずっと変化なく独自生活様式を営んでいるがごときである。しかしたった一つ極端に変わった事があった。ネピドーへの遷都である。役所はすでにあらかた移転してしまっており、輸出申請に往復1日をかけてヤンゴンからネピドーまで行くのは著しいロスになったと、工場進出をした日系メーカーはぼやいていた。もっとも現実的にはもっと痛いのは電気が来ない事らしい。工業団地内の工場に電気がまったく来ないのだそうだ。自家発電のコストアップが金銭的にはもっとも手痛いとの事である。
我々の様な短期訪問者にとって最も手痛いのが携帯電話が使えない事だ。海外から持ち込んだ携帯電話は一切ローミング出来ない。シムを買うにも2ヶ月前に申請が必要との事。
またシムをいちどきに何枚も買えるわけでは無くなぜ枚数が必要なのか理由を申請しなければならないらしく、従ってレンタル携帯も無い。インターネットは一応フリーワイファイは高級ホテルでは用意されており、Gメールは大丈夫らしいが、エクスプローラーは一切通じなかった。ウエブサイトの検索は可能で、私はそれを使って日本のプロバイダーにアクセスし、メールの交信がなんとか出来た。ただミャンマー第2の都市マンダレ‐では、ヤフーやグーグルを含む一切のウエブが開けず、何がフリーワイファイだと頭に来たものだった。ミャンマーへの出張はこんなわけで3日が限度だ。

マンダレ‐市内から山岳部に入り、メイミョウ(ビルマの軽井沢と言われ、かつての日本軍のインパール作戦拠点地)に至る道中の半分ほどの山中に、サイバーシティーができつつあり、訪問するチャンスがあった(写真)。

過積載が常の小型トラックなどは、峠の途中の休息場所でオーバーヒートしたラジエターの水を交換してもらっているのが誠に面白く見えた





(写真)。当時この道を、日本陸軍は3週間分の米と重い銃器をかつぎ、徒歩でインドのインパールを攻略すべく進軍したと思うとなにを無謀な事をと今更ながら感じる事ができるのである。メイミョウの先には道路も無い、標高3000メートル級の密林のアラカン山脈が延々とそびえ、そこで餓えとマラリア・赤痢などにむしばまれた兵卒約5万人以上が白骨と化したのである。帰還できたのはおよそ2万人であるが、アラカン山脈に入った兵卒はほぼ全滅した。戦局が不利になりつつある日本からビルマを奪還すべく、ビルマ方面軍の背後から突然予期せず出て来たイギリス軍(当時インドはイギリス領)に先制攻撃をかける目的であったらしいが、当時の司令長官が無計画に強行した無謀な作戦であった。

サイバーシティーはミャンマーのコミュニケーション省が国策を以て2006年から建設を開始した工業団地で、現在コンピューター通信機器関連と、光ファイバー製造など5社が稼働開始し、他に十社ほどの工場がほぼ完成間近となっている。団地内には専門学校が併設され、2千人の学生が収容でき、現在5百人程度が在籍または卒業している。住宅施設も建設中である。
すでに稼働中の工場はいわゆるノックダウン生産で、部品はほとんどが中国製であった。製品の全量はコミュニケーション省が買い上げる。入居予定の会社も中国系が多数を占めており、中国のミャンマーに対する投資案件の積極性は、他国の追従を許さないものを感じた。
変化が見られないヤンゴンとは言うものの、スーパーマーケットの数量は少しづつ増加し、不動産案件に対する若手実業家の数も増えている。最近創業した後発航空会社のエアーバガンの社長も非常に若いが、当然ながら政府筋(軍)にお友達が居るとの事。

ミャンマーの通貨チャットの対ドル公式レートは一ドル約6チャットである。然しながら市内で一般に使用されるレートは現在一ドル950チャット程。公式レートと実勢レートには驚く程の乖離がある。そのほか、輸出入に係わる企業に割り当てられる交換レートには実績に応じて違った数値の実勢レートが存在し、何でも5種類ほどの実勢レートがあるらしい。ドルの兌換券も存在する。複雑奇怪な通貨構造だ。

ヤンゴン中心部にある広大で荘厳な寺院シュエダゴンパゴダは、ダゴンにある金の寺という意味。金を意味するシュエはタイの国際空港スワナプームのスワナ(金の)と語源を一とする。仏教はミャンマー国民の生活の基盤として深く根付いており、現世に施す功徳が来世の豊かな生活を約束するものとして信じられ、毎日の僧侶の托鉢に対する施しや子供を僧侶にするなど多数の規範行動がある。多くのアジア諸国で見られる物乞いはここミャンマーではほとんど居なく、それらの多くは寺院が吸収して僧侶にするらしい。来世を信じる人々の葬儀はまことにあっけらかんとしており、親族が故人の遺骸を荼毘に付したあとは、そのまま帰ってしまう。遺灰は僧侶が片付けてくれ、49日も無く、位牌も無く、仏壇もなく。まさに死は豊かな来世への旅立ちとして認識されている様だ。

「プノンペン・シハヌークビル港」
故ポルポトはインテリでもあったが資本主義が大嫌いで、農民が農産物を汗水流して生産するのに対し、都市部の連中は会社の涼しい所で仕事し、それは搾取であるとして都市部のインテリを地方に強制連行し、農業に従事させるか虐殺した。いきさつは違うが、文化大革命のカンボジア版に近い。当時7人に1人が虐殺されたか飢え死にしたが、世代が徐々に代わり、その悪夢も年ごとに忘れ去られようとしつつある。現在、カンボジア政府は歴史教育に力をいれはじめた所であるという事だが日本も見習いたい事だ。そんなカンボジアも海外諸国からの援助もあり大きな変貌を遂げつつある。プノンペンから国道4号線を海岸に向って4時間ほど走ったシハヌークビル港は現在日本のODAによって拡大整備され、隣接する工業団地もほぼ整地がおわったところだ。現地の縫製業、製靴業は大繁盛している。プノンペンの工業団地でも日本の製靴業社がすでに工場を構えて稼働していた。中国からのシフトの一選択としてカンボジアが浮上していると感じた。ただミャンマーほどひどくは無いが電力不足が一番のネックで、多くの電力を使用する工場はここ当分稼働に問題が生じるであろうとの事であった。
カンボジア文字はここ東南アジア周辺国と似た感じのミミズののたうった文字であり、隣のベトナムが使用しているアルファベットではない。両国ともフランス植民地時代にアルファベット使用を強制されたものの、カンボジアには根付かなかった。カンボジア仏教と庶民と寺院の結びつきがそれを許さなかった様だ。つまり寺院で使用する文字が庶民に根付いていたのであろう。他方ベトナムは難しい漢字であった。日本はひらがなとカタカナという漢字を崩した独特の文字により広く庶民も文字を理解したが、ベトナムではそうはならず、簡単なアルファベットが容易に受け入れられてしまったのでは無いだろうか。

カンボジアは仏教国であり、仏像を崇拝する。しかしながら日本の神道の様な自然崇拝もあるのである。たとえば神聖に見える山などである。恐らくは仏教が伝播する前の庶民宗教であったのだろう。
カンボジアの寺院などには頭5つの蛇の像が沢山見られるのであるが(写真)、タイ、インドにも3頭、6頭等の蛇の彫像をよく見かける。タイのスワナプーム国際空港には、三頭蛇と人間の綱引きならぬ蛇引きの大きな彫像がある(写真)。やまたのおろちは、出雲地方に古くからあった民話で、いにしえ、台風シーズンに氾濫を繰り返す河川を8つの頭の蛇にたとえ、氾濫を静める為に捧げる生け贄の「くしなだ姫」を「すさのおの尊」が助け、治水により氾濫をなくしたという伝説伝承であるという事だが、その物語にたとえたルーツも、もしかしたら、インドあたりで出来、タイなどから日本に渡来したものなのかも知れない。今は調べる余力も無いが、いずれリタイアしたらゆっくりと伝承を調べてみたいと思っている。
カンボジアを走る自動車は圧倒的に日本車である。しかもレクサスが顕著に多い。カンボジアはフランスの植民地であった影響だろうか、車線は右、したがってレクサスだとかピックアップトラックだとかは北米から来るとの事だ。隣のタイでは沢山生産しているのに、なんともハンドルの右左は物流を強く阻害している。

「中国・空港・給湯器」
国により人々の生活習慣は違うのは当たり前だが、中国の人々にとってお湯はどこでも必要な必需品だ。お茶の葉を入れた携帯容器にお湯をつぎ足す必要があるからだ。面白いもので、中国の空港ではほとんどの所に給水器と一緒に給湯器が常備されている。また海外の展示会で中国や台湾の出展業者を見て居ると、大概お湯沸かしを小間内に持参している。

「中国CNG」
中国もちょっと地方へ出ると、CNG(天然ガス)の供給スタンドでタクシーが「加気(チャーチーと言う)」待ちの行列をしているのを見かける。天然ガスが不足しているのだ。
中国がやっきになって尖閣諸島近くの天然ガス田の開発をしているのが良くうなずける。この無人の尖閣諸島は、無人が故に今後大きな問題を含有する事になるだろう。もっと前に誰かを常住させていれば問題も無かったはずだが、いまさら海上保安庁とか自衛隊を常駐させる事は困難であろう。かと言って領有権を主張する中国や台湾の軍がここを占有する事も考えておかなければならない。日本の強い後ろ盾であるアメリカは、尖閣諸島については当事者同士で解決すべき問題と、さじを投げている。お互いが牽制して当分無人のままにしておけば問題も先送りされるのだが、その様な状態がずっと継続するのかどうか、大きな懸念材料で強く心配している。

「造花」
インドの小さなホテルで見事なガーベラが生けてあった。これは綺麗と子細に見たら造花だった。一瞬の興醒めである。オフィスやビルでよく見かける作り物の観葉植物も、遠目でみればその緑に安らぎも感じるが、一旦それと知ってしまえば、むなしい。造花でごまかす、といったら大げさかも知れないが、生きた植物を置いておくのは手間暇かかる。何か造花に手抜きとごまかしを感じる。自然の妙なる造形の神秘は決して人造では真似ができない。

「スポーツ選手、計画的トレーニング」
オリンピックは魔物だと言われる。優勝の最有力候補が負けてしまったり、優勝候補ではなかった選手が優勝するというどんでん返しがしばしば発生する。4年ごとに行われるスポーツの世界的祭典は、国際選手権とはまた違う重みがある。選手にとって4年のスパンは長かろうと思う。365日、一時も休むことなく練習に精進し、優勝に向って4年間もそれを繰り返すという事は並大抵の努力では済まないはずだ。食事・基礎トレーニング・練習と生活のすべてを捧げ、4年後の試合に向って計画的トレーニングを積むという事だが、並みの人間の精神力では持たないだろう。試合その物の重圧も想像だに出来ない。従って優勝者、金メダリストにはそれなりの評価が与えられる。また銀・銅メダリストにも敬意が払われる。誰が何と言おうとその過程と結果を考えるとメダリストは立派だ。
国の代表として戦った選手に対し、国歌が吹奏され国旗が掲揚され、世界中からその結果を称えられるのである。

「空港名」
外国の空港には著名な政治家の名前を付ける事が良くある。ドゴール空港とか、ジョンFケネディー空港は良い例だ。インドでは、デリーのインディラガンディー空港、その息子のラジブガンディー空港(ハイデラバード)(両名は暗殺されている)をはじめとして、ムンバイもチェンナイも政治家の名前をつけている。ふと省みて我が日本の空港はどうだったか、名前をつける程の政治家も居なかったか?高知竜馬空港というのが唯一あった。テレビでは今竜馬ブーム。命をかけて危機にある国を救おうとした竜馬にスポットライトが当てられているのは、今の日本の政治が誠に心許ないという事の証左でもある。このどうしようもない日本の政治を大なたを振るって改革する政治家はもう出ないのだろうか?空港に名前を冠しても良い様な政治家。いやちょっと待て、日本の空港はどうしようも無いほど不要に増えてしまった。新空港はもう不要だった。

「平和・食事・日清食品」
漢字の妙味は表意文字であり、字そのものに意味があるという事だろう。木、林、森と木が増えて行くにつれて文字通り意味が変わってくる。中国の簡略文字はこれを上手く真似た。人、人を横に二つ並べて「従」、森の様に三つ配置して「衆」。面白い限り。逆に瀋陽は簡略文字にしたら「沈?」と、太陽が沈むになってしまった。元気が出ない。
チキンラーメンと、カップラーメンで一代を築き、つい最近「元気で死にたい」という念願通りぽっくり亡くなった、日清食品の創始者安藤百福さんの語録と、その息子さんの現社長が書いた「カップラーメンをぶっつぶせ」という本を面白く読んだ。どこの会社でもある、先代から次世代への承継時の親子の葛藤は、私にも沢山の記憶があるが、あそこまではひどくなかったかも知れない。
食は人類の存続のもっとも基本のベースである。漢字で「和」は穀物を口にするという意味であり、「平」はたいらかに皆、つまり、みんながご飯を満足に食べれる事が平和の意味であると考えて良いだろう。数年前にカップヌードルのコマーシャルで、食と平和をテーマとしたシリーズがあったのを覚えているが、これは日清食品の創業時からのポリシーを問いかけたものと言う事だ。
飽食の日本はまさに平和そのもので、平和ぼけと言われて久しい。その日本も実は問題山積、先行きに暗雲がたちこめている。ここ一番が努力と勝負のしどころだろう。今年後半の貴社の御検討を祈念致します。

 平成22年 正月

「デジカメ・シャッター音」
デジカメや、携帯電話器のカメラ機能のシャッター音は電子的に作られた音だ。おしなべて画一的なあの「カシャ」という音である必要は無いのではあるが、従来のメカニカルカメラのシャッター音に近い音に模しているだけである。余程のマニアでない限り、デジタルカメラの簡便さに慣れてしまえば、もう昔の機械式フィルムカメラに戻る事は無いはずであるが、いずれ時が移れば「カシャ」という音の由来も判らなくなってしまうのでは無いかと思っている。お祝い袋に印刷されている「熨斗(のし)」もそろそろ無くなり初めている。大体何でそんな模様が印刷されているのかも判らない人が大半になったはずだ。
真ん中に1本入っている黄色い線が、本来は、中華料理では高級品の干したアワビの一片である事(熨斗アワビ)も若い人ではもう判らないだろう。
もう30年も前の事だったと思うが、沖縄の石垣島地方に、「逆水(さかみず)」を忌み嫌う事例が残っていた。ぬるま湯を作るのに「お湯に水を入れる」のか、「水にお湯を入れる」のかである。後者が「逆水」であり亡くなった方の体を洗うためのぬるま湯を作る為の方法であり、日常決してしてはいけない忌み嫌うやり方である。当時は私自身そんな事は知らなかった。記憶の残らない小さな頃に祖父祖母が亡くなり、近親者が亡くなるという経験が無かったからだろう。 ただ今も各地で「逆さ水」という言葉で同じ事例が残っている様だ。しかしながら、最近ではそもそも病院で亡くなると、湯棺まで病院でしてくれ、ぬる湯も簡単に蛇口から出てくる昨今であり、いずれぬるま湯をどう作ってはいけないなどと言うしきたりも無くなるのであろうか。

「ジャム」
ジャムと聞くと多くの人はイチゴジャムを連想する筈だ。正確にはグジュッと密度を高め押しつぶされ、にっちもさっちも行かない状況(や物)がジャムだ。だから交通渋滞は「トラフィック・ジャム」と言うし、機械が動かなくなってしまう事をジャミングと言う。
昔、アメリカの幼児向けのテレビ番組「セサミストリート」で、ポペット人形のグローバーが、「僕は、リンゴの数え方はわかるけど、ミカンの数え方はわからないよー」という一コマがあった事が思い出される。ジャムと聞いてイチゴを連想するのはこの手の人だ。本質を知る事が大切だ。

「羽田・成田」
羽田空港か、成田か、それぞれの言い分はあるかも知れないが、利用者の利便からすれば答えは羽田に決まっている。そもそも空港は利用者があるから成り立っているのだから、利用者の利便を最優先すべきだ。成田が反対するのならば、「ならばいつ成田空港は完成するのか?」という問に答えるべきだ。空港の中にぽつねんとある民家と塔はこの空港の問題点欠陥を見事に表現し、国民の恥でしかない。道路からでも、鉄道からでも、空港に入る際のセキュリティーチェックは発展途上国と同じレベルで、それらに従事する人達の人件費の負担を考えると着陸料の高さも簡単に想像できる。ところが成田では着陸料を引き下げる代わりに、昨年11月16日から保安サービス料の一律徴収が始まった。空港保安関係費の増加によるものとの事だが、徴収の付け替えをしただけだ。もちろん羽田では徴収は無い。24時間運営は世界の常識だが、成田はそれが出来ない。羽田は出来る。遠いという問題以外にも欠陥多数の成田である。航空会社にしても二つに分散された空港の運営負担は大きいはずだ、日航が参っているのもあまりにも空港が多いという経費負担増の部分も大きい。しかし想像するに、今後羽田が拡充されるに従い、10年とか20年とかいうスパンで成田はなし崩し的にその地位を低くして行くのだろう。ここまで来ると一挙にとは行かない。来た道と同じ時間と道のりが必要だろう。全部が税金の無駄使いであることは間違い無い。

「悪事ネットを走る」
年間半分以上、各国を行ったり来たりしている、まさに寅さんの行商稼業そのものなのであるが、インターネットとコンピューターがそれを可能にしていると言っても過言ではないだろう。ここ数年で書棚という書棚の書類や雑誌を全部PDFに取り込んだ。平行して、社内におけるペーパーでの書類を廃止し、データー化した。それらは全てメモリーに突っ込んで、事務所ごと移動していると言っても過言ではない。ファックスはほとんど使わなくなった。文書・図面・写真などは全部インターネットを経由してオンタイムでやりとりできる。ところが、便利さの裏には危険がつきまとうのが世の中の常なのである。悪事ネットを走る。ウイルスメールとか、フィッシング詐欺とか、マネーロンダリングだとか、
石川五右衛門ではないが、浜の真砂(まさご)は尽きるとも、世に悪人の種は尽きまじ、か。

「パリ地下鉄、ヨーロッパ公衆トイレ」
以前パリの地下鉄で大変な思いをしたことがある。今思い出しても苦しくなるが、市内中心部のオペラ座あたりで夕食を取り、地下鉄で10分ほどのホテルに戻ろうとしたところ、生憎と大きい方をもよおしてきてしまった。ところが地下鉄の駅という駅にはトイレ設備が全く無いのである。どうも薄暗がりの通路では明らかに小の方の臭気がするので、やむない場合は小はやってしまっているらしい。まさか大をやるわけには行かず、がんばってホテルまで戻った。
もともとパリもロンドンもヨーロッパの都市部ではトイレという概念が無かった、きちんとしたトイレが無く、いわゆる「おまる」で用を足していた。あのベルサイユ宮殿にさえトイレは無かったのだから、今のインドを笑うわけには行かない。昔海外旅行がようやく一般的になった頃、風呂場と便所が一緒で、びっくりした日本人が多かったが、もともと日本人の感性では「ご不浄」とも言った様にトイレは不浄であり、風呂場と一緒にできるはずもなかった。ヨーロッパでは、風呂場がおまるの置場に最適だったのだろうと言うか、風呂場にしても区切られた区画があったわけでも無く、なにしろおまるとバスタブはセットだったのだろう。
おまるにたまったブツは、川や側道に放出される事になるのであるが、江戸の街の様に、排出ブツは農家に買い取られ野菜を作るリサイクルに100%使用されたのと大いに違う。
昨年訪問したロシアの工場のトイレは中国式のしゃがみ便器でびっくりした。かつてフランスの工場でもまったく同じで驚嘆した記憶がある。昔はヨーロッパでもしゃがみだったはずだ。ベルサイユ宮殿の使用人は都度木陰でしゃがんだらしい。おまるをつかう様になってから、形状的に座り便器に変わっていったのだろう。
しかし、駅という駅にウォシュレット式さえ設置された日本の公衆トイレは間違いなく世界一だと思って間違い無い。

「二宮金次郎、ケータイ」
最近の若い人たちは、人混みで歩きながらも器用に携帯でメールをチェックしたり、打ち込みをしている。背をかがめてメールチェックをしているその姿を見ていて、二宮金次郎の像を思い出した。背中に薪は背負っていないし、本は携帯電話に変わっているが、所作はあの像と同じである。

「未亡人、後家」
妻に先立たれた夫は割と早く後を追って逝くケースが多いが、逆の場合、残った妻は余生を自分の好きにのんびり過ごすケースが多いらしい。後に残った妻を後家さんとか、未亡人とか呼ぶ事があるが、ちょっとひどいのでは無いかと思って居る。特に未亡人とは、「まだ亡くならない人」という事で、生き残っているのがあたかも罪悪に聞こえもし、男性ながら、女性が気の毒な気がする。

「パキスタン」
昨年も又、11月の3日間、カラチで開催されたマシンツールパキスタンという展示会に出展した。ペシャワールなど北部パキスタンは連日テロの爆破事件が発生し、多数の死傷者が出、多くの人が大丈夫なのかと心配はしてくれたが、やはり行ってみてしまえば問題は無いのである。 然しホテル構内に入る車のチェックは昨年と比較して、2回の車止め(地面からの昇降式)があり、さらに厳重になった。ホテルのテラス、屋上にはライフルを持った安全保安員が24四時間待機し、ホテルによっては、道路からの入り口に自動小銃を構えた傭兵に近い様な要員が配置され、道路に面した歩道に
は40フィートのコンテナをテロでの爆発に対する防護壁にするなど(写真)、昨年からは様変わりし戦地を思わせる状況であった。勿論ホテルに入る時には飛行機の保安チェックとおなじチェックがある。やっかいだが、泊っているホテルの下から爆発が起き丸焼けになるよりはましだろう。カラチはテロによる爆破は発生していないが、いつ起きてもおかしくは無く、この展示も一昨年から比較すると出展企業は半減した。もちろん外国勢の出展は激減である。残念ではあるが、一昨年から見ると、パキスタンの経済的進捗は停止あるいは大きく後退してしまっていると感じられた。カラチはテロは発生していないとは言うものの、現在は、という注釈が必要で、従って前述した市内要所で見られる保安対策への出費は経済の発展に大きく足を引っ張っているのは間違い無い。ショッピングアーケードなども閉じられ、消費も落ち込んでいるとの事であった。
鍛造工場はラホールやカラチを中心にパキスタンには結構あり、インドの様に二輪や四輪の需要増によりここ数年の間に大きく発展するのではと期待していたが、残念ながらその期待は撤回する必要がありそうだ。1億8000万人の人口は世界6位で人口から見たマーケット規模は大きいのであるが、不安定な国情が多くの投資を遠ざけ、発展にブレーキがかかっているのは紛れも無い事実と言えるだろう。このままで行くとアフガニスタンの様になって収拾がつかなくなる可能性も見える。悪化する一方で良くなる兆候が見えない。
展示会自体の訪問者数は昨年並みだったと感じている。従って弊社の小間にも来訪者は多く(多くがわけの判らぬひやかしだが)、初日はVIP巡覧が弊社にも立ち寄ってくれた。
(写真)展示会の中日に、カラチ商工会議所が外国人の為に夕食会を開いてくれた。アメリカ、フランス、ドイツ、ブラジル、ドバイ、シンガポールと弊社日本、それにインド。中国メーカーは一社だけ出展していたがパーティーには来なかった。珍しく台湾勢は今回一社も無し。それぞれが何かしゃべれと言うので私も否応なしに(英語で)しゃべらされたが、インドの一社が早速「パキスタンは何をインドから輸入出来、何をインドに輸出できるのか明確でない」といちゃもんをつけ始めた。対するパキスタンが何人も反論をはじめ、収拾がつかなくなりそうなのを、目の前のシンガポール勢と笑いをかみ殺していた。両国の反目の根はこんな所でも顔をのぞかせる。
パキスタンには、ホンダやヤマハの二輪車が進出しているが、ここの所、中国から部品を輸入して組み立てる企業が激増し、地元二輪車メーカーが乱立している。今回も「SAKAI」という日本を感じさせるブランドのオートバイが展示されていた。自転車で往事トップを走っていた堺市をもじったとの事で、エンジンは中国からの輸入で、他はほとんどローカル部品を使用しているとの事であった。

「タイメタレックス」
東南アジア最大とも思われる機械展示会、タイメタレックスが今年もバンコック郊外のバイテック展示場で開催された(写真は弊社小間)。御多分にもれず出展社数は2割ほど減り、それも大きな小間面積を取っていた会社が軒並み出展を取りやめたので、仮設ドーム館は今回設営されなかった。然しなんといっても自動車工業が盛んなタイの事、十一カ国から2,700社が展示し、55,000人の入場者があった。かく言う弊社はメイン通路の空きスペースとなった場所に移してもらい、今回は例年にも増して多数の引き合いがあり、チャンネル3のテレビインタビューも受ける始末(写真)。
タイも御多分にもれず一昨年後半に発生した経済リセッションの影響は受けている。自動車の販売・生産も頭打ちで今後のキーポイントはいかに輸出を増やすかであろう。技術力は年々向上し、世界のトップレベルにも追随しつつあるが、残念な事に政治の混乱がいまだに尾を引いており、座りが悪く落ち着かない。カンボジアの客人となったタクシン氏が、もともと国境紛争を抱えるタイ・カンボジア問題に火をつける結果となった。本来タイは両面外交が上手く、結果どこの植民地になる事もなく現在に至っているのであるが、ここ最近の信じられない騒動による海外からの信用失墜は痛い事である。赤シャツ派(タクシン)・黄色シャツ派(反タクシン)の問題は当分解決はしそうもない。ただ、願わくは空港だけは閉鎖しないで欲しい。

「ヒューマノイドロボット」
固さの違う、卵焼きやマグロなどの違った鮨を、崩すこと無く掴める指を持った手の開発の記事を雑誌で見た。写真は人の手と見間違う程の精巧さである。握手も相手の握り具合に反応して握り返すのだそうだ。樹脂の骨と筋肉に相当する空圧コントロールされるゴム体、それに人肌の皮膚が相乗しているとの事だ。人間の各部のパーツ・パーツの研究がそれぞれ得意な企業に深耕されて、完璧に近い人型ロボットが間もなく登場する事が期待される。仮に介護ロボット、ガードマン(マンじゃないか?)ロボット、召使いロボット、お友達ロボット、清掃ロボット、ドライバーロボット、工場ロボットはてまた、愛人ロボット、戦士ロボットなどもろもろの可能性を考慮すると、およそ地上の人口程度のロボット需要が出現する事は間違いないと想像している。少なくとも人一人にロボット一台が必要となる時代が至近に迫っている。つまり自動車以上の市場が創製される可能性が非常に大きいのである。犯罪に使用されるロボットも出るだろうし、それに対抗する警察ロボットも出来るはずだ。まさに映画ターミネーターの時代がすぐそこまで来ている様な気がしてならない。邦画でも綾瀬はるか主演の「僕の彼女はサイボーグ」というのがあった。あんなのが居たらきっと若返ってしまうだろう。価格帯が1000万円を切れば私も絶対購入するだろう。綾瀬はるかみたいなやつを! 時代の進歩は際限が無い。エンジンが無くなったらとか電気自動車でどうもあたふたしているのであるが、それどころでは無い、場の入替ではなく、いままで全く存在しなかった大きな需要変革が今まさに押し寄せて来つつあるのである。その需要を作り出すのは日本の底深い技術である事は間違い無い。
かく言う自動車の販売も持ち直しはじめ、平成22年の景気もほんのりと赤みを帯び始めた感じがある。今年一年、貴社の御健闘をお祈り申上げます。

 平成21年 夏

「はだし、本田宗一郎」
インド各都市の郊外、朝な夕な学校への往復ですれ違う子供達の半数以上は裸足だ。痛々しくも見えるが、生まれた時から裸足なのだろうから余計なお世話なのかも知れない。それとも半数程度はゴム草履などを履いているので、「僕も欲しい」などと親にねだっているのだろうか? 本田宗一郎の自著の中に、小学校に通う頃、わら草履を自分で作ると、子供故締め加減が甘いので濡れるとすぐにぶよぶよになって往生したが、見かねた祖母が作ってくれた草履は力が入って締まっているので長持ちした、という回想録があった。郊外のインドではまだそんな頃の風景が見られるのである。夕暮れ時、嬉々としてはしゃぎながら家路を急ぐ裸足の子供達を見て居た時、何故か本多宗一郎のその一説とその光景が重複し、やはり未来は明るいと強く感じた。

「答えは両方」
人生は一回こっきりのドラマだ。過ぎ去った過去は戻らずやり直しはきかない。前に進むしかない。そして人生はその人個人の物、誰の物でもない。自分の生きざまは自分で決め
れば良い。長くゆるやかに生きるか、激しく短期で生きるか。養生専心か、多少無謀でも波瀾万丈か?医者は時として養生して長生きを薦める。あまりに強引で閉口することもあるが、それも人生の選択としては正しい。つい先だって亡くなった日清食品の安藤百福社長は五十歳近くで創業し、百歳に手が届くまで現役社長だった。「元気に生きて元気で死にたい」がモットーだった。生涯のフーテン壇一雄はその逆、著作「火宅の人」に詳しい(それでも六十四歳まで生きている)。芸能人の多くは短命波乱万丈型が多い。長く生きるのが良いのか、短命でも良いのか、人それぞれの人生でそれぞれが決める事だ。従って、答えはどちらも正しい。

「インド・ムンバイ」
昨年暮れのインドムンバイの爆発テロ事件、私が頻繁にインドに出張しているので、何人もの方から留守の会社に電話を頂戴した様だ。幸運な事にその時、インドではなくタイの展示会でアテンド中だった。もっとも、残念ながらムンバイ市内には機械関係の用事はほとんど無く、かく言う私も市内には過去2回しか足を伸ばした事がない。市内のホテルに宿泊した事も無い。仮にもし泊まったとしてもテロの標的になった一泊五万円もするだろう五つ星ホテルに泊まるはずも無いし、、、そう言って後日電話を頂戴した方には笑いながら話したものだが、それにしてもタジホテルを標的にしたのは私としてはちょっと残念ではある。イギリスの植民地時代、地元インド人は高級ホテルの宿泊を拒否され、それを遺憾に思ったタタ財閥の祖が苦労して作ったタジホテルである。タジホテルはある意味植民地の隷属下にあった各国が目指した民族自立のシンボルでもある。当時はインドもパキスタンもスリランカもバングラディシュも、みんなイギリスの植民地と言う同じ虐げられた環境下だった。独立は思うようにははかどらない。絶好のチャンスは第二次世界大戦終結後にやってきた。しかしながら残念な事に、相容れぬ対立した宗教は、インド・東西パキスタン(東パキスタンは現在のバングラディシュ)・セイロン(当時)というそれぞれ別々の国家を生むことになり、その分離独立の過程では各宗教間での血で血をあらう紛争があった。現在のパキスタン側に居住していたヒンズー教徒、逆のインド側に居住していたイスラム教徒の相互の待避時の虐殺は壮絶なものであったのであるが、日本では多くは知られていない。この紛争はいまだカシミールの地域で尾を引いているのだが、今回のムンバイテロもその流れを引いている。長く民族自立のシンボルであったタジホテルは遺憾ながらそのテロの標的になってしまった。

「カレー、焼きそば、チャーハン、ウスターソース」
 時代と共に食生活の内容や味の好みは変わってくるのだが、食材や料理のバラエティーは勿論経済の発達発展と比例するものだ。子供の好物は、スパゲッティー、カレーライス、ハンバーガー、ピザパイ、ハンバーグステーキなどといったところだろうか。かく言う私も両親とデパートに買い物に連れられて行った時のレストランでの定番はスパゲッティーナポリタンかカレーライスだった。子供の頃自宅でつくってくれたジャガイモ一杯カレーには普通ウスターソースをかけたものだ。味が濃厚になって、ご飯がもっとたくさん食べられる様になる。チャーハンにもびじゃびじゃとウスターソースをかけた。焼きそばはもともとソース焼きそばで味のベースはウスターソースなのだが、これにもかけたものだ。
実はインドに行くと、カレーは勿論の話だが、フライドライスというチャーハンやハッカ(客家か?)ヌードルという焼きそばに近い料理がしょっちゅう出てくる。これらに持参のウスターソースをかけると、昔懐かしい味になって俄然食欲が出るのであるが、一緒に同行する若い社員達に勧めてもそうはしない。それらにウスターソースをかける習慣が無いというのである。家内にそれを話したら、今時カレーやチャーハンにソースをかける若い人がいるわけがないじゃないかと一笑に付されたものだ。

「インド、プロパン、ピックアップトラック」
 インドの町中からちょっと郊外に出るとピザパイの生地の様な物が沢山天日に干してあるのを見かける。これは素材からして食べられない、調理用の燃料だ。素材は牛のウンチ。そんなので調理されたら食欲も失せそうだが、燃料になる木が少ないから仕方無い。勿論プロパンガスの様な文明の利器はちょっと郊外に出てしまうと手に入らない。昭和三十年代に日本で結構使われていた石油コンロも無い。しかし天日干しのこのブツは入手が簡単な超自然エネルギーである事は間違いない。なにしろインドでは牛は神の使い、道路に出て来て困るほど、そこここにうじゃうじゃ居るから後ろから出てくる物は際限なく手軽に入手出来る。
やがて経済が発展すればプロパンガスが普及して行くのだろう。となると途方もない程の数のボンベが必要となってくる。
インドは屈指の農業国だ。米を主とする穀物や野菜類、綿花など工業材料等々。ちょっと郊外に出ると行けど尽きぬ畑や田んぼだ。アメリカの広大な農村部ではピックアップトラックが重宝で大きな需要がある。日本では面積が小さいし、道も狭いので軽トラだ。タイでもピックアップトラックは大きな需要があるし、昨今タイはピックアップトラックの輸出国となっている。
インドでは、まだ牛車も見かける。ピックアップトラックもあるが、タタ製以外はあまり見かけない。軽トラックはほとんどない。しかし得体の知れない三輪トラックは沢山ある。
経済発展につれてピックアップトラックや軽トラックの需要が増加するのではないだろうかと思っている。
実は、プロパンボンベもピックアップトラックにも弊社は関係があり、双方の需要が早く惹起されないかと首を長くしているところだ。

「マレーシア機械展示会・展示会商法」
 年間何カ国も展示会に出展している中にマレーシアがある。基本的に弊社の製品は鍛造、それも熱間や温間鍛造主体の客先が御使用になる鍛造プレスなので、自動車や二輪車の部品サプライヤーが販売のターゲットになる。マレーシアではプロトンとブルドワという自動車メーカーがあるので、極く少数の鍛造会社が存在している。
経済不振の中、今年の展示会は日本の大手工作機械メーカーがほとんど出展を中止したので展示会の建物の一棟はついに使われる事がなかった。ところが、来場者数はさほど減少しなかったので、弊社の小間には例年より多数の来訪者があり、カタログが不足するという皮肉な事になってしまった。大型工作機械の出品があまりなかったので、本来ならそこで滞留すべき客足が他の小間に移ったのであろう。普通だったら来るはずもなく通り過ぎるVIP巡覧も、有り難い事に弊社小間の前で足を止めてくれた
なんと過去ひっかかりもしなかった鍛造メーカーが3社もかかった。失礼な言い方だが、展示会は何しろ買っていただける可能性のある会社をいかに探し出すかのツールの一つなのである。展示会で探しだして、アフターフォローをし、販売につなげるというわけだ。
実はタイの懇意な自動車部品のアフターパーツメーカーも同じ様な手法をとっている事が判った。あの広大なアフリカで、量はさほどはないがたくさんの種類のアフターパーツを販売している実績がある。例えばトヨタカローラの何年前の形式のバンパーだとか、バネだとか、違った年式の物とか、何しろ古い車がうじゃうじゃ走っている、その全ての種類が対象だから、商売としては結構成り立つはずだ。ただ、どうやってあの広いアフリカに販売網を構築しているのかというと、はやり展示会に出展して代理店を見つけている。
マレーシアの展示会は曲がりなりにも開催されたのだが、先だって予定されていたシンガポールは、日本の工作機械メーカーがごそっと抜けてしまったので、展示会そのものが成り立たなくなり中止に追い込まれたとの事。マレーシアはローカルの参加が何とかがんばったのだろう。景気が悪くなると展示会の出展社はこぞって減少するのが常なのではあるが、そんな惨状の中にも色々商機はころがっている。

「ロシア展示会、ロシア語、中古車」

こちらも懲りもせず、昨年に引き続きモスクワの展示会に出展した。

展示会全体の出展総小間面積は、ざっと昨年の半分で、ヨーロッパの景気の悪さが実感された。残念ながら訪問者数さえも昨年と比べると少なかった。広いロシアからあまり出てこられなかったのではないかと思っている。
モスクワでも懇意な人脈ができはじめた。前回に引き続き色々と助けてくれたセルゲイさんは、ロシア政府が定めた日本の中古車輸入禁止に大憤慨。日本から直接輸入された中古車は右ハンドルである事と、車内そこここの日本語の表示で一目瞭然で、海外で生産されたの同種の車とは完璧に区分けされるのであるが、同じ中古でも日本で製造された中古の方が故障が少なく持ちが良いのだそうだ。信じられないがどうも本当らしい。恐らくは、個々の部品の精度の問題が大きな原因なのでは無いかと推測している。一ロット内における不良品の混入という事かも知れない。
ロシア語のアルファベットの発音は、英語などとまったく違うものがあって面食らう事がある。写真のメトポとあるのはメトロ、ペクトパーはレストランと発音する。信号の下のサインはストップ、カパオケはカラオケ、つまりPはR発音、CはS発音HはN発音するのである。ちなみに小文字のnとばかり思っていたのはPでした。


モスクワ市内の多くでは横断歩道以外の道を違法に横断する人をあまり見かけない。モラルが良いと感心していたが、ところが実情出来ないのがわかった。主要幹線は片側五車線とか九車線だ。片側だけである。自動車は猛スピードで飛ばしている。日本の高速道路を横断する以上に度胸が必要なのが判った(写真8)。
御多分にもれずモスクワも車が増加し駐車場不足。ほとんどの歩道は駐車場と化し、従って車が歩道を通行し、人は車道を歩くという笑えない事実が出現している(写真9)。いずれ誰かの資金源としてパーキングメーターが出来るのであろうか。

「檄」
弊社も若い工場従業員が増えるに従って、ものづくりの神髄を伝えるのに不備が目立ち、最近次の檄を飛ばしたところだ。

作った製品は自分の娘と思い、真心を持って仕上げろ
娘は全部客先に嫁いで行く。嫁ぎ先で恥を掻かせるな。真心を持って育てろ。機械に命の息を吹き込め。
人生では、子供を育てる過程で人格がより深く形成される。人生をより深く実り豊かにする。子供を育てた経緯が無い人間に、良い機械は作れないのかも知れないが、良い仕事をするには、人間としての生活の豊かな良いバックグラウンドが必要だ。それは豊かな家庭だ。社員には皆豊かな家庭を築き、豊かな人生を送って欲しい。ただ豊かな家庭を築くには十分な金銭的裏付けが必要だ。それはあなた達自身の前向きな努力にかかっている。

真心のある製品を作れるのは、日本だけだ
徳川二百六十年間の長い豊かな孤立した時代に、日本の特質が形成確立された。その一つは心のこもった職人の技だ。この真心の技はまだ連綿として今の日本に存続している。この火を絶やしてはいけない。同じ図面で作った自動車であっても、日本の工場で作った物と、海外の工場で作った物は出来が違う。故障しない。長持ちする。中古車を多数買う海外諸国で実証されているから事実だ。紛れも無い、日本が誇れる優位性だ。心のこもった製品を作れるのは日本の技術者だけ。なお、海外の人にはそれが出来ないし期待してはいけない。

最後の組立工程が機械の善し悪しの成否を握る
流れ生産の自動車や家電では、組立て前の部品は全部完璧パーフェクトという条件だ。従って、マニュアル通りにそれぞれの部品を迷う事無く素直に組立てさえすれば良い。トルクレンチなども使用し、誰がやってもマニュアル通りに作業すれば良いし問題も発生しない事になっている。なぜなら要所要所に厳しい検査管理システムがある上に、誰が組んでも皆均一で無ければならないという手法だからだ。
弊社の単品生産システムではそれは当てはまらない。検査工程を厳密に確立させる事は難しい。機械加工をする人が正確な寸法精度と仕上りで加工し、組立てする人が組立てしながらチェックする必要がある。全部職人としての勘にゆだねられる。
嵌めたときのガタつきにより嵌め合い精度が良いかどうか感じる。
部品の表面をなでて、粗さを確かめ善し悪しを判断する。
指でさわって、カドのRやC、加工時のカエリなど無いかチェックする。
ヤスリの乗り具合で硬さの判断をする。
延長したパイプの反発具合でボルトやナットの締め具合、トルクを判断する。
運転時の音や振動、臭いや動きなどで不具合を感じる。
等、沢山あるが、これらを、音・面・動と言う。
五感を磨け!五感が唯一頼りになる様に、腕を磨けという事に収斂する。但し少なくとも十年はかかる。

何とかと、鋏は使いよう
使い手が試されているのだ。使う人がだめならどんな物・どんな人物でも役立たずになる。
使い手がよければ、ゴミも生まれ変わる。すべて使い手次第である事を肝に銘じるべきだ。

発展途上国の若者とは勝負にはならない
高度に洗練され標準化したNC工作機械と、マニュアル化された標準作業では、数字に強いインドの若い連中や、時間を問わずハングリーなベトナム、中国などの若い連中に、我々日本の若い連中がかなうはずがない。負けるに決まっている。勝てるチャンスがあるなら、先に述べた真心だ。それからマニュアル文章に書けない勘の世界にある技術。日本人が勝負に勝てるのは、これからは、職人の勘に基づく洗練された技(わざ)しかない。これは誰にも盗めない、頭と触覚と感性とみんな自分の体の中にあるのだから、絶対誰にも盗む事は出来ない。

「好況不況、イソップ物語」
アメリカの貧乏人は買い物が大好き、だけど金が無い、自動車も欲しい、家も欲しい、だけどやっぱり金が無い。そこにつけ込んで悪徳金貸しがどんどん金を貸す。なぜなら借金の証文と借金の債権が結構売れてしまい、自分には取り立て不良のリスクが無いから。債権はまた別の所に売れ、みんなで渡れば怖くないと、借金がどんどん膨れた。日本も中国もインドも、これに目をつけ、アメリカ人が欲しい物をどんどん輸出し上手い汁を吸った。
ところが無い物は無い物、あぶくでしかなかった。悪い噂が噂を呼び、金貸しも貸し渋りをはじめ、貸したお金は急遽回収、一挙に泡が消えた。アメリカという大消費市場が一挙に消えてしまい、日本も中国もインドも商売が出来なくなった。それぞれの国がどんどん悪い方へ回転を始め、輸出が減った上に国内消費も冷え込んだ。こんな所がアメリカのサブプライムローン破綻に端を発した世界不況の実情だろう。金貸しがやはり悪い!アイスランドも金貸しに踊らされた。漁師の国がそんなに一挙に高度発展する馬鹿な事があるはずがないだろう。翻って冷静に分析すれば判っていたことではある。しかし金貸しはしこたま儲けたものだ。大損もこいたが、一挙に残った投資金を回収した。その結果世界中が不景気のるつぼに叩き込まれたのである。嵐も過ぎればだが、そろそろまた次の投資先を策定し始めた。雀百まで踊りを忘れず。投資家は投資しか趣味が無いのではあるが、悪いやつらだ、、、と職人の私は思っている。 
キリギリスは寒さの中、凍えて死ぬばかり。蟻は、寒さの中でも蓄えがあり、なんとか生き延びるだろう。ヨーロッパが没落し、アメリカが舞台となり、アメリカの舞台も今は水浸し。これからは間違い無くアジアの時代だ。外交下手の日本は役立たずだが、中国とかそのしたたかさだけには舌を巻く北朝鮮に、精一杯西側諸国に対し突っ張ってがんばってもらおうじゃないか。日本は脇役でのんびり余録を貰うだけでいいんじゃないか? 表に出るのが全てではないと私は思っている。氷漬けの今年前半が終わりました。後半に溶解沸騰するかしないか?貴社の御健闘をお祈りします。

 平成21年 正月

「手料理・教育」
広東省で大抵一度や二度は聞くが、「中国では飛行機以外の飛ぶ物、机以外の4本足の物は全部食べる」という冗談(いや本当か?)がある。ずっと昔から人口の多い中国では、およそ口に入れて支障の無い物は全て食さなければお腹を満たせない人が多数いたからに違いない。川魚などおよそ美味ではない素材をいかに調理して美味にするかで中華料理の調理の技が磨かれたはずだ。日本では、たとえばマグロの大トロとか、魚沼産のコシヒカリだとか本質的に素材自体が美味な物も沢山あり、ただ切って刺身で食べ、普通に炊飯してそれだけ食しても十分味を満喫できる。叱られるかも知れないが、鮨は料理では無いと思っている。素材が良いから、切ってつけ合わせれば良いだけだ。組み立てるだけだ。しかし多くの食材は手間暇かけて、色々な調味料を加え、火加減のあんばいに注意し調理してこそ美味しい料理ができあがる。教育も同じじゃないか。飛び抜けた秀才が来ようはずもない中小企業では実感する。学校での教育が誠に宜しいので、中小企業にはとんでもない食材が舞い込んでくるし、選択のしようがない。それを選択するかゼロかどちらかだ。飢え死にするより食べるしかない。それら素材をいかに美味な職人に育てるかが中小企業の本骨頂だ。しかし、そもそも学校の週休2日など手抜きの最たる物だ。手抜き料理が旨いはずがない。学校教育こそ何とかしなければならない。

「コインをなくせ」
弊社は造幣局にも多数の機械を納めている。コインの様な下世話な物の製造では無く、勲章だ。コインは1分間に何百個という高速で製造され、もちろんそれを製造する機械は下世話なくせに非常に高額だ(くやしい事に勲章を作る弊社のプレスの方がよっぽど安い)。地金は銅とかニッケルとかこれも最近高価である。全部国の予算で道具立てがされて作られるのだが、どうも一円玉は出て行く一方でどこかでたまり貯まっているらしい。一円玉を作るコストはその何倍かだそうだ。財布の中身もコインばっかりだとただ重いだけでやっかいな代物だ。
最近の鉄道などのチャージ式プリペイドカードはその点非常に使い勝手が良い。民間が考えるとこうなる。コインは廃止し、すべからく全部カードにしたらどうだろうか?

「ハンガリー」
昨年夏、ブタペストを訪問する機会があった。特に印象として残っているのは、やけに物価が高かった事だ(対円換算で非常に物が高い)。タクシーもちょっと乗っただけですぐ三千円にもなってしまう。聞いてみたら、どうもロシアをはじめとする周辺諸国からかなり投資マネーが入って投資をしているかららしかった。ところが、である、その状況は秋口からの国際的不況とともに激変し、投資マネーは国外に回収され、ハンガリー経済は大打撃をこうむるのである。

「インド・パニック」
経済危機のあおりを受けて、インドでも突然の不況風が吹き荒れている。設備投資計画は全面的に凍結延期状態である。何しろ自動車など生産が半減しているので仕方がない。長い間の社会主義体制で多くの人たちは底辺でうろうろしていた。外貨手持ちはほとんど無く最悪の状況だったが、おしなべて皆が底辺に居たので大きな変動も経験せず時が流れた。1990年あたりからの社会主義体制脱却で貿易も自由度が高まり、諸工業もIT産業の例を見るまでもなく大きく発展した。中小の財閥らしきものも多数出来カーストの中間層は可処分所得を伸ばし、それが二輪車、自動車、家電の購買につながりそれらの産業は車輪が大回転する様に大きく躍進した。改革このかた一本調子で伸びて来たところのこの大不況の波である。もうおろおろガタガタ心配が心配を呼び、大変な騒ぎなのである。日本、タイ、インドネシアなどが比較的冷静に事態を見守っているのに比較してとんでもない狼狽だ。前回のアジアの通貨危機の波をまともにかぶっていないので、経験済の周辺アジア諸国と比較すると今回の経済危機への反応に大きな違いが感じられる。

「ビンディ・マサラ、ドーサ」
インドでビンディーはレディースフィンガー(女性の指)とも呼ばれる野菜だ。何を想像されるだろうか? 日本でもおなじみの「オクラ」である。エチオピアあたりが原産らしいが、日本に入ってきたのは明治初期。私の子供の頃にはお目にかかった記憶がない。トマトも明治になってから食用になったらしいが、一般に常用される様になったのは昭和に入ってかららしい。トマトはそのままかじって食べられるのでオクラよりずっと一般的になった。さて、ビンディ・マサラは簡単に言ってオクラカレー。スープカレーではなく炒めカレーだ。滅法美味い。これはぽろぽろのインド米で食べるより、パンの一種のナンをちぎって手でつまんで食べた方が美味い。右手の指でナンをちぎり、そのままビンディー・マサラをナンでつまんで食べる。絶対に右手だけ、左手は決して使ってはいけない。左手は食事の後の用足しで、インド式ウォッシュレットであそこを洗う手だから。
ドーサは米から作った餅と考えれば良い。普通朝食に出る。邪道かも知れないが醤油と海苔があると結構旨く、磯辺巻きの様になる。単調なインドでの朝食がバラエティーに富む。
皆インドと言うと、食事に対してマイナーな気持ちを持つのだが、結構美味しい物もある。

「アマゾン・ラテライト」
ブラジル、アマゾナス州の州都マナウス。アマゾンと聞くと我々日本人はまず真っ先にアマゾン川のジャングルを連想する。アマゾン川はしかしマナウスの少し下流の、ネグロ川とソリモンエンス川の合流地から川下を総称する名前である。遠くコロンビアを源流とし、ベネズエラを経由してたどりつくネグロ川は水が黒く、他方のソリモンエンス川はペルーを源とし水の色は白い。両川は合流したあとも水温と内容物の比重の関係で当分混ざり合わず数十キロも2色に分かれて下流に進むのである。写真(アマゾンの上流)合流点から大西洋まではなんと1500kmあまりある。
合流点は、マナウス市街の東にあるポート・セアザ 写真(セアザ港)の目の前に位置する。ポートと言っても船着き場程度で、実はこの港のすぐ手前がホンダやヤマハの工場のある第一工業区であった。第一工業区は内陸部と誤解していたが、背中はネグロ川だったのである。
なかなか実際に行ってみないと土地の感覚はわからないものだが、サンパウロにしても最寄りの港サントスまではたかだか60kmしかないが、標高は800m近くあり、市内からサントスまではいったん少し登ったあと、ずっと長い下り道となり、サンパウロ市内の川が絶対サントス側の大西洋には流れ込まないのが良く判る。
1900年頃最盛期を迎えた生ゴムの集積地であったマナウスも、その後の需要減により衰退するが、1967年に自由貿易特区の設定がされて日系を含む多数の工場が進出する。市内から1時間ほど離れた第二工業区は現在拡張の最中で、文字通りジャングルを切り開いている。緑のジャングルが掘り起こされ、赤いラテライトと呼ばれる熱帯特有の赤土に塗り替えられている。ここにも日系の工場がある。
インドシナ半島や中国南部でも土は真っ赤なラテライトだ。無機質で酸化物に富み塩分も含まれる。2700年前頃のタイ東北部ではラテライトから鉄や塩を取り出していた。鉄器文化である。製塩はこの地域に結構な利益をもたらしたらしい。残念ながらラテライトの土はその成分から農業には適さない。逆に乾くと硬くなる性質から、ラテライト土壌の多くの地域で日干し煉瓦、焼き煉瓦をつくり構築物に利用している。ただ、いずれ土から出た物であるので、アンコールワットやアユタヤの遺跡を見ればわかるとおり、長い年月の間に構築物は風雨植物に砕かれ土に戻って行く事となる。ラテライト土壌地区の文化はまさに土から生まれ土に帰って行く文化だ。

「ブラジル・展示会」
10月、サンパウロで開催の機械機器展示会 写真(サンパウロ展示会)を見る機会があった。驚いた事に開場は午後1時からだ。午前中はやらない。さらに展示機械のおよそ半分程度が中国製機械であるのに驚いたものだ。大連机廠は広い小間を張り、沢山のNC工作機械を展示し、ブラジルマーケットへの販売拡大への意気込みが感じられる。これはまともな展示だ。沢山のブラジル製らしき機械があったが、これが中国製作のOEM機械だった。もっぱらブラジル商社が介在して中国製機械をOEM販売している様である。中国製の機械だな!という独特の臭いがある。なんとか臭さでは無く本当の臭気だ。かび臭い。機械に近づくとプーンと臭うからすぐわかる。また、中国製かなと断定出来ない場合も、モーターの銘板や、潤滑装置の説明シールを見ると、漢字表記なので中国製と一目瞭然になる。機械の表だけでなく裏、下、隙間まで、矯めつ眇めつ 眺めるとぼろがでる。中国側、ブラジル側どちらが主導なのかわからないが中国製機械がこれほど多い展示会もお目にかかれないので印象に残った。日本もこのままでは出遅れてしまう。

「シカゴ・国際鍛造会議」
シカゴと聞いてまず連想するのは、アル・カポネか。
2002年公開のミュージカル映画シカゴは1920年代のシカゴを描き、現在でもブロードウエーでのミュージカルはロングランを続けている。映画アンタッチャブルもシカゴである。
現在シカゴ市の人口は270万人、イリノイ州人口1200万人の約1/4がここシカゴに居住している。行けど尽きぬトウモロコシの大穀倉地を背後に控え、かつてはミシガン湖とミシシッピー川の水運を利用した農牧畜業主体の街であったが、1871年のシカゴ大火を境にシカゴは工業主体の都市と変貌する。チューインガムのリグリー、マグドナルド、ユナイテッド航空はシカゴから発祥し、家具・工業製品・家電・冷凍食品などは全米トップである。イリノイ州に進出している日系企業数はおよそ700社、駐在員と家族、留学生を中心に7千人ほどが居住していると見られ、和食レストランも沢山ある。アメリカのほぼ中央に位置する利便性から、国際会議や展示会が市内のマコーミックプレイス展示場で開催され、コンベンションシティーとしても有名である。
前回の18回名古屋開催の後を受け、第19回国際鍛造会議は久し振りに北米シカゴに場所を移し、9月に、シカゴシェラトンホテル&タワー会議場で開催された。
参加27カ国、同伴者を含め730人ほどの参加であった。日本からは約60名の参加。
初日に登録、夕方から遊覧船オデッセー号船上にてミシガン湖クルージングをしながらの歓迎レセプションがあった。写真(国際鍛造会議歓迎会)。滅多にないのだろうが、この大型船はホテルの真横に接岸してくれたが、出港後行く手をクロスする大きな橋は、中央から左右にせり上がって船を通し、見ものだった。この間自動車は通行止めで、船から眺める渋滞騒ぎは申し訳ない気がした。写真(シカゴの夕日)
1日目と2日目のセッション開始前、朝7:30分から展示会場が開き、隣に併設するテーブルでアメリカンスタイルの朝食が提供された。3年に一回シンシナチで開催されるフォージフェア(次回は2010年開催)と同じスタイルである。フォージフェアでは朝夕晩の3食が提供されるが、今回は朝と昼だけ。
一日目のセッションは、アメリカ鍛造のトレンド、金型潤滑、鍛造のロボットによる自動化、特別発表である、鉄鋼ブーム(現実と幻想)、午後から中国の鍛造現況、鍛造シュミレーション(フランスとアメリカそれぞれ1件づつ)、インドの鍛造現況、高周波炉、ドイツ鍛造機メーカーのプログレッシブ鍛造発表があった。
2日目のセッションは、ヨーロッパの鍛造現況、サーボ鍛造機(ドイツ)、ロールフォーミング、インライン検査モニターシステム、チェコによる金型命数向上の発表、イタリアの金型命数向上、金型素材、日本鍛造協会会長の竹内氏による環太平洋鍛造業の現況(オーストラリアと日本の現況)、ヤマナカによる冷間成形法、ドイツ・アメリカによるマイクロアロイに関する発表、フランスによる鍛造材、日産自動車によるクランクシャフト鍛造法、トヨタ自動車によるアルミ合金と付帯設備の発表があった。
アメリカ鍛造業の現況で印象的であったのは航空機産業に多くを依存している事であった。世界の航空機産業をリードしているアメリカならではの現況であったと思う。装置メーカーの発表で印象的であったのは、ドイツシュラーのサーボプレス機の発表である。サーボプレスは概ね10年ほど前から日本から発祥しており、最近ようやくドイツがその波に乗ってきている。発表は日本のプレスメーカー各社の発表の二番煎じであった。
残念ながら、鍛造専業メーカーの発表が無く、鍛造設備装置メーカーなどの新規装置セールス発表の様な感じがした。これもフォージフェアと似ている。
展示会場では37社の設備メーカーや鍛造メーカーが展示した。早い時期にスペースがいっぱいになってしまい、展示は欧米の関連企業のみで遺憾ながら弊社を含め、アジアなどの国の展示ができなかった。朝食昼食を兼ねながらの展示会場の開催で、高周波炉・鍛造プレス、防振、潤滑、素材、鍛造業などが展示。
展示スペースを確保できなかった中国のハンマーメーカー、スクリュープレスメーカーは、受付机上などにカタログを勝手に積んで奇襲攻撃をかけていた。小間では無いからもちろんタダ、 やはり商売熱心だと感心した。
2日目のセッション後、夜ホテル内にて閉会レセプションがあった。All The Jazz Chicagoの少し太めだが躍動的な女性のダンスと歌をディナー中満喫した。
翌日からは、希望コースごとの工場見学が2日間あった。シカゴ近郊鍛造工場コースでは、農機具部品のエアーハンマーによる鍛造がまだ多数残っているのにびっくりした。
名古屋、シカゴの順番からすると次はヨーロッパが順当であるが、次回は新興著しいインド開催と決定した。2011年開催である。3年後のインドは経済危機も克服して更なる発展により変貌を遂げている事だろう。
又多数の世界中の鍛造業の面々との再会を期待したい。

「IMTS・シカゴショー」 
特に意図したわけでは無いと思うが、国際鍛造会議の期間中、世界3大機械見本市であるIMTSが9月8日から、6日間の会期でシカゴ・マコーミックプレイスで開催された。2年に一度、偶数年の9月に開催される。写真(IMTSシカゴショー)
森精機、大隈、マザック、マキノ、ファナックなど日本の主要工作機械メーカーが大きなブースをもって展示した。プレス機はほとんど無く、プレス関連は、FAB TECH他、塑性加工の専門見本市に移転してしまった。ちなみに、3大見本市は他、ドイツとイタリアで交互に開催するヨーロッパ最大の機械見本市であるEMO(エモ)ショーと、アジア地区最大である日本のJIMTOF(通称ジムトフ)。





「パキスタン」
昨年も又、カラチで開催されたマシンツールパキスタンという展示会に出展した。写真(パキスタン展示会) 首都イスラマバードのマリオットホテルがテロ爆弾によって全壊した直後である。多くの人が大丈夫なのかと心配はしてくれたが、やはり行ってみてしまえば問題は無いのである。しかしホテルに入る所の保安検査は厳重を極め、ホテル構内に入る車の内部チェックから、ホテル内に入る時のチェック(飛行機に乗る前のセキュリティーチェックと同じ)がある。やっかいだが、泊っているホテルの下から爆発が起き丸焼けになるよりはましだろう。台湾企業も多数出展したが、さすがの台湾勢も来るには心配があったとの事。展示会主催者は、こんな時期に出展してくれた海外企業にはいたく丁重で、ディナーパーティーを二回も開いてくれたものだ。鍛造工場もパキスタンにはたくさんあるのだが、残念ながら投資という面では現在パキスタンもどん底のさなかで、まだ五年やそこらは注文は無いだろうと、あきらめている。
パキスタンには、ホンダやヤマハの二輪車が進出しているが、ここの所、中国から部品を輸入して組み立てる企業が激増し、地元二輪車メーカーが乱立している。展示会でも三社ほどがオートバイを展示していた。写真(パキスタン製オートバイ)ローカルの人の話では「百にも及ぶメーカーが、、、」という口ぶりだ。百は嘘だろうが、それほど激増しているという事だろう。

「台湾・マレーシア、株式」
台湾は人口も少なく、自動車産業が発展する前にIT産業に業態が変わってしまった。その上、人口の少なさは物を作るという展開からは不利不向きであり、多数の台湾企業の工場は中国をその最大の移動先とした海外展開を図っている。展示会で懇意な台湾のプレス装置メーカーも、私に会うたび、人件費や製造コストの高い日本での製造をやめ、中国での製造に切り替える様に薦めるのであるが、もちろん私としては考える余地もなくその誘いにお茶を濁している。
こんな話があった。台湾のある装置メーカーは製品を日本にも納入していたが、不運続きで社長は台湾の工場を手放し、マレーシアでの製造に切り替えるべく以前からマレーシアにあった同業種の工場を仲間四人の出資で買い取り、同じ製品を作る為の事業を再開した。しかし四人の内の二人が自己資金難の問題で株を他人に売却してしまった。売却した相手、つまり新しい出資者が無体な要求を繰り返した為、株の買い戻しも策定したが、買取も資金難で一挙にはできず、分割払いも拒否され、実は業績好調ではあるが業容拡大もできず、いよいよ思いあまって自己資金で同じマレーシアに別の工場を手当てし別会社を設立する準備も始めた。しかし別会社で仕事を再開すると旧会社は仕事が無くなり倒産の可能性もある。そうなると自分の出資分も消えて大損をしてしまう。とかなんとかと、やはり中華系の人々の会社経営は大変なものだと感じた。最近日本でも上場をやめる企業が出てきたが、落ち着いて会社経営をし、本来の技術革新などの企業としての重要課題に注力する方向性が出てきている。簡便安直な企業拡大は問題が多く、あとにややっこしい問題を生む可能性がある。

「ベトナム・ドン」
ベトナムの通貨は「ドン」である。NHKの放送で、このドンが日本の銅から由来している事を知った。 鎖国前の1600年前後頃盛んにルソン(フィリピン)、シャム(タイ)、ジャワ(インドネシア)、コーチ(ベトナム中部)などと交易していた日本であるが、当時日本の銅貨が輸出品として現在のベトナムに持ち込まれたらしい。つまり日本の通貨・貨幣が決済手段だったわけだ。この時代は日本の大航海時代だ。数百年経過し、平成の今も当時となりわいはあまり変わらなくなって来た気がするが、円はドルに変わる決裁手段になるのだろうか?

「左きき」
最近若い子に左利きが多くなった気がする。家庭内の躾と学校の教育に関係しているのだろうか? 本稿で前述したがインドでは左手と右手の使用は厳格で左手は不浄の手。トイレットの後処理も子供のころからしっかり躾けられる。世界的に左利きは1から2割程度らしい。日本は箸を使い、かつては作法にうるさかったから子供の左利きを矯正した。ナイフとフォークの欧米では左でも右利きでも大差は無いだろう。書くについてもアルファベットだけならこれも大きな問題もないかもしれない。欧米では昔から公式文書はタイプライターだ。日本ではたくさんの漢字を使い込み、それもきれいに書く人が教養度が高いとされてきた。それも最近のワープロやコンピューターでは必要がなくなった。ここらへんが左利き増加の原因の一つかも知れない。

「目線」
バンコックだったか、ホーチミン市だったか良く覚えていないが、いつも乗用車で移動しているのを、たまたま何か移動にバスを使う事があった。何気なく頻繁に通る街路が、少し高い所からの眺望となると低所から見ることができなかった物が沢山あり、「こんな所にこんなのがあったんだ」と何回もびっくりしたものだ。やはり目線は変えるべきだ。いつも同じ目線から見てばかり居ると事象が固定されてしまい、チャンスも見逃してしまう。乗用車からバスへ、一階から二階へそして高層ビルへ、または飛行機から、普通では無理だが宇宙からと。
だが、逆に灯台もと暗しという事もあるので満遍なく視野は広げたい。
サブプライムに端を発した世界的規模の経済混乱も、色々な目線からすれば決して悪いことばかりではないはずだ。何より前向きに捕まえる目線が必要だろう。新しい年が、日本にとって、貴社にとってより良き年となります様、ご健闘をお祈りします。

 平成20年 夏

「ゴルフ」
元防衛庁次官に対する大量のゴルフプレー接待が発覚した。ゴルフプレーヤーにとっては心外な事だろうが、いつもゴルフは賄賂の一つとして提供される代表的なスポーツなのである。私はゴルフはしない。若い頃業界仲間からは盛んに誘われたが、厳しい父親が社長の折は、業務修行中、平日の懇親ゴルフに参加するなど考えもしなかったので、やる時期を失してしまった。20年前に業務を引き継いだ際は、やらない方が賢明と思いやらなかった。大概の場合、社長や役員の接待・懇親ゴルフは社員の不満の種である。自分たちが働いている最中にゴルフに公然と行く事への不満だ。行く側はほとんど気がついていないが、不満は頻繁に耳に入ってくるから仕方がない。気づいている場合は言い訳をする。「うちの社員は良く理解してくれているから」。社長の番頭と社長の息子がしっくりやるには、皆と一緒に汗を流し、業務唯一邁進が一番良いと思ったので、私はそうしてきた。いや、皆以上にやらなければ癖のある番頭がついてきてくれるはずがないと思い、そうしてきた。皆が均等に休む日曜はまったく構わないのだが、平日にゴルフなど考えもしなかった。「皆でつるんで平日賭けマージャンするのと、ゴルフに行くのとどう違うのか?」と、これは自身が倒産経験のある、八起会(倒産コンサルタント)の野口社長の言葉だ。景気の悪い時期はゴルフ禁止などとする会社があるが、スポーツとは景気が良くてやり、悪くなると禁止されるべきものなのか? 社員は皆理解してくれてるからと、スポーツとはそんな言い訳をしながらするものなのだろうか?へそ曲がりと言われればそれまでだ。尊大のそしりを受けるかも知れないが、今の会社は私が平日のゴルフをしなかったから持っている部分がある程度あると思っている。

「安倍前首相」
民間企業であれば、一度社長となった後自己の能力不足を主因として任期半ば、自らその座を去ったとしたら、その会社を辞するのが普通であろう。技量不足なのであるから会長にもなれないし、顧問や相談役として残るのも許されない。もちろんギブアップした事実は社外にも出てしまうから、他社に相当職責で移る事もあり得ないだろう。一度降参したのだから誰も認めない。色々地元組織とか周囲のしがらみもあるのだろうが、政治の世界は別の様だ。

「ブラジル・アルゼンチン」
奇しくも移民百周年を迎えるブラジルに、初めて商用で出向く機会があった。ついでといっては叱られるかも知れないが、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにも足を伸ばした。 昨年ドイツで開催されたヨーロッパ最大の機械見本市EMOショー出展の際に、弊社小間に来訪したブラジルとアルゼンチンの各社への訪問であるが、ここ数年付き合いのあるサンパウロの鍛造会社の社長宅にはホームステイもさせてもらった。貿易特区であるアマゾン河上流のマナウスにも行ってみた。マナウスの某社向けの機械をすでに注文いただいている。
1494年、ローマ教皇の計らいにより、スペイン・ポルトガル両国の間で、トルデシーシャス条約が結ばれた。条約というのは、キリスト教を世界に広めるという名目の元で大西洋上の西経48度のあたりに線を引き、東をポルトガル、西をスペインが領有するという、実際は植民地獲得の縄張りの線引であった。ブラジルは南米大陸から大西洋に飛び出しており、線引された48度線の東側であったのでブラジルだけが南米の中でポルトガル領となり、現在でもブラジルだけがポルトガル語を使用しているのである。
西暦1500年、ポルトガル人が初めて漂着した時以前は先住していたインディオの国であったが、以後ブラジルは植民に入ったヨーロッパ人と、コーヒーや砂糖キビの栽培で必要だった労力として対岸のアフリカから商品として買われて来た黒人奴隷、さらに奴隷禁止となった1850年以後活発となったヨーロッパや日本からの移民による沢山の人種のるつぼの国となる。
現在人口は1億8千万人(欧州系55%、混血38%、その他東洋系・アフリカ系)、国土は日本のおよそ23倍である。
ハイパーインフレは、一九九五年から2002年の間のカルドーゾ政権の間で収束され、現在経済成長の最中である。はからずも鉄鉱石や農産物資源から精製されるバイオエタノールなど、資源輸出国として現在世界から大きな注目を受けているのは周知の通りである。
次項のロシアもそうであるが、ブラジルの最大都市であるサンパウロなど見る限り、都市インフラは長い西欧文化の影響ではおおむね出来あがっており(写真)、人口もさほど多いというわけでもなく、BRICSの一国として中国やインドと一括りしてしまって良いのかと疑問に思う部分が多い。
アルゼンチンは日本の国土の約7倍、人口は4千万人(スペイン・イタリア系が97%)である。ブエノスアイレスの街並は、ここはヨーロッパの一部ではないかと思うばかりのたたずまいで、夕方になると舗道で音楽に合わせアルゼンチンタンゴを踊るカップルもいる。なにしろ白人ばかりだ。スペインが来た時に先住のインディオを全部始末してしまい、牧畜が主だったので黒人の奴隷も必要でなかったので、完全に白人の国となってしまった。
両国共、走る車はフィアットとフォルクスワーゲンが圧倒的多数である。ブエノスアイレスを走る日本車といったら、2%程度であろう。サンパウロはさすがに結構日本車は走っている。やはり人口、産業規模から言って南米ではブラジルが産業の主流である事は否めない。鍛造工場もかなりある事が分った(写真)。
地球の反対側なので遠いのが難点だが、マーケットの開拓は必要だと見れた。

「ロシア」
 1917年、第一次大戦中に民衆の騒乱が拡大し、収拾がつかなくなった結果退位したニコライ二世のロマノフ王朝は300年以上も続いている。この王朝時代の首都であったサンクトペテルブルグのエカテリーナ宮殿を見ると、ロシアをBRICSの一国と勘定して良いものなのかどうか疑問が湧いてくる。ここは完璧にヨーロッパの一角で、文化文明もヨーロッパである。
日本の国土の実に45倍の広さに、約1億4千万人が暮らす。国土のほとんどはシベリアの原野で、人口からすると中国やインドと比較して一桁少なく、ここが中国やインドの様な巨大マーケットが今後醸成されるのかどうか疑問ではある。都市部のインフラは整っており、モスクワの地下鉄などは、50年以上も前から敷設が開始され、網の目の様に張り巡らされた各路線は現在郊外各所に延伸工事が行われており、値段交渉がやっかいなタクシーに比べて誠に使い勝手が良い(写真)。発展途上の国とはとても言えないだろう。
しかし自動車産業は長い間の社会主義体制の間に西側とは技術面で大きく離されてしまい、現在西欧やアジアの自動車メーカーがこぞってロシアに進出し始めている。トヨタ・日産を始め多くのメーカーが、かつての旧都サンクトペテルブルグ(ソ連時代の呼び名はレニングラード)に進出を決めているのは、ここに良い港があるからであろう。ここは軍港でもある。目の前がバルト海であり、ポーランドへもドイツへもスカンジナビア諸国へもつながっている。日本の自動車はびっくりする程多く、ほぼ全部のメーカーの車が出そろっており、勘定する場所にもよるが、下手をすると3〜5割も日本車である場合もあるほどだ。欧米のメーカー、韓国車もある、そしてびっくりするのは多数の中国の奇瑞の車だ。
さすがにモスクワでは日本車の%は下がるが、それでも2割強ほども走っている様に見受けられる。レクサスも多数走っている。三菱やマツダ、スズキも健闘している。
BRICSの一つとして勘定するに疑問を呈しながらも、弊社はロシア最大の機械見本市である、メタルオブラボトカ2008に初出展をした。過去多数の国の展示会に出展している経緯があるが、今回は手続きや搬送で大変だった。ビザ一つ取るにしてもロシアは大変だ。何事も簡単に済むはずは無いが、ここ当分ロシアビジネスの開拓には大きな苦労が伴うものと見ている。
モスクワ(サンクトペテルブルグも)の夏は昼が長い。展示会終了の午後6時は夕方では無く、夜の10時近くなってようやく日が沈む(写真)。逆に冬は夜ばかり。ロシアの人達は5月から8月の短い春から夏の間、夜が更ける深夜まで外での生活をエンジョイしている。羨む程たくさんある市内の公園は夜10時頃まで人でいっぱいだ。
煮込み料理が多いのは冬の寒さ故の事と思うが、有名なボルシチを筆頭にそれぞれ美味しく、またカザフスタンやウズベキスタンなど周辺国・中央アジアの料理も沢山堪能できる。寿司ショップチェーン店も沢山あり、どうやらファストフードのレベルで値段も安く、下手なロシア料理店より安いのにはびっくりした。店のシンボルマークは中国風のラーメン屋らしい絵で(写真)、どう好意的に見ても寿司を連想するには程遠く吹き出してしまったものだ。ところで中華料理は「キタイ料理」と呼ぶ。中国は「キタイ」。スクールとかケミカルはCHのアルファベットをカキクケコ発音するが、どうやらチャイナのCHIもロシアでは同じ様なサウンドで発音するものの様だ。

しかし噂にたがわずロシアの女性は透ける様な白い肌と抜群のスタイル。女性のみならず、男性さえもシミやそばかすの無い綺麗な肌だ。おそらく日照時間の短さが、数千年に渡りここに住み続けている人たちの肌をその様にしたのであろう。

「有効期限」
インドの食品の包装に、有効期限としてBest before xxx という記載があった。賢いやり方だ。「何月何日までに食べるのがベストです」。これから推測すれば Better before xxx,
Good before xxx があるのだろうが、前者が「でき得れば何月何日までに食べて下さい」で、後者がいわゆる「賞味期限」であろうか。
Best before であると、その後の期間は消費者の考え次第と判断次第いう事になる。1年後だって、2年後だって問題にならない。賢いと思った。

「先進国」
鉄鉱石の輸入価格が65%も値上がりしたり、レアーメタルの輸出調整、またここ天井知らずの原油高で、いささかおおよその資源を輸入している日本の一国民としては先行きが大変心細い。およそ資源を持てる国が、自己の都合の為に供給と価格を好むがままに制御するのは自然の成り行きなのであって、この基本線は変えようが無いと諦めるしかないだろう。日本としては根本的に生き方を変えて行く長期的施策の策定が必要となって来たはずだ。

これからの先進国とは、まず食糧の自給率が百%であり、さらに余りある余剰分を輸出できる事、さらに化石燃料が不要なクリーンなエネルギーで電力事情(車両の運行を含む)を賄う事ができ、高度のリサイクル技術で、新規鉱物資源が不要となる技術を確立した国、と言えるのではないか?
まずひとつは資源を外から買う必要の無い国にすること。これは省エネ・リサイクル・自然エネルギー利用だろう。エネルギーと工業資材を外から買うのでは無く、輸出品以外は完璧に中で回して利用する。地球温暖化防止を旨とした京都議定書は多くの国から不評だが、言わせておけば良い。時間はかかるがいずれ後悔する。日本は地道にやって行けば良い。
核利用発電所の停止とか、設置反対なども何を馬鹿な事を言っていてはいけないのであって、石油輸入の削減に最も効果があるのが当面これなのであり、何もランプの時代に戻る覚悟があるのならば反対してもらっても良いが、現状の文化生活を営むのを希望するのであれば、何事も反対は許されない。失敗は前向きな取り組みの悪い一結果であり、これを持ってすべてを許さないのであれば人類の進歩は無い。決して諦めてはいけない。前向きに取り組めばいつか解決できる。究極的には太陽光とか、風力とか、地熱とか波とかの自然エネルギーを活用するのが最も理想的であり、これら技術開発に日本は最大限の努力をする必要がある。

資源の輸出としては農水産物に希望がある。これは農水産業を工業レベルに引き上げれば可能である。雪国まいたけでわかる通り、多くのきのこは工場生産だ。日本の緻密な技術力をすれば多くの農産物や水産物を工場ないしは農地・港湾内で気候に左右されない計画生産をする事は可能なはずだ。もちろん無農薬栽培だ。これらの生産基地はもちろん地方となる。東国原宮崎県知事が県産のマンゴーなどの拡販促進に一役買っているのは嬉しい限りだが、残念ながらマンゴーでは駄目だ、嗜好品のレベルだ。もっと生活の基盤である小麦・大豆・トウモロコシなど基礎農産物に力を入れる必要がある。国の予算カットで地方の道路網が整備できなくなり地方が衰退するなど、何を馬鹿なことを言っているのではなく、基礎食料品の供給基地になり、地方から価格コントロールが出来る様になりさえすれば、今度は地方の時代になるのは間違いない。戦後都市部で食糧が十分に配給されず、やむなく近郊の農地にヤミ米などの買い出しにこぞって出たのであったが、その頃を思い出せば良い。安い輸入食料品には多くの問題がある事が分った。農家を拝み倒して食品を分けてもらったあの時代がまた来るとも限らない。これからは地方の農家にこそ希望がある。
これからは、各国とも石油や工業製品より、農水産物の確保に比重が高まるのは間違い無い。だからこれからの先進国とは、農水産物輸出国を指す事になるのも間違いはずだ。
日本は先進国としての位置づけを継続させるのなら、資源を輸出できる国にならなければならない。鉱物資源は無いからどうしようもない。農水産物はやれば出来る。

「マンチュリアン」
インドの中華料理で、インド国内ほとんどどこでもと言って良いほどメニューに載っている、「ベジマンチュリアン」「チキンマンチュリアン」と言うのがある。要は肉団子(ベジの方は、数種の野菜をすりつぶした団子)の餡かけ料理で大変辛い。もちろんマンチュリアンとは英語で「満州の」「満州風」という意味である。満州国は日本の軍部が清の最後の皇帝を都合よく引き入れて意図的に中国北部に作った傀儡国家だ。中国出張の際には、「満州」という言葉はあぶなくて口にもできない。それが何でインドで料理の名前に登場しているのか摩訶不思議だが、もちろんインド人に「マンチュリアン」が何か知っているかと聞いても分かる人はいない。おそらくイギリスの植民地時代にイギリス人が中国から連れてきた調理人がインドに広めたのだろうと推測している。

「両替インドネシア」
まさか年式が古くなると価値が下がる自動車ではあるまいが、インドネシアでのドルからルピアへの両替は、印刷されている年(ドルには印刷年が入っている)によって料率が変わるのだ。1996年の百ドル札はどこでも使用を断られる。なぜか2001年札も使えない事が多い。インドネシア人に頼めば市内のヤミ両替商でどれでもルピアに両替してきてくれるが、印刷年の古いドルは交換料率が悪い。

「海外・国内展示会」
昨年開催された、タイメタレックスやインドネシア機械展では小間数・出展者数・入場者数とも前年を上回り、とくに小間総延べ面積は毎年拡大の一途で、仮設テントを使用してまでの開催となっている。特にタイでは一日で回りきれない規模にまで拡大し、規模が大きくなった反面弊社の様に機械その物を出展しない小さな小間の訪問が省略され、逆に訪問者が少なくなってしまったという皮肉な結果にもなった。

「ゆとり教育・週休二日」
なんでも、本来ゆとり教育は、詰め込み教育を反省し、子供たちに考える力を身につけさせる目的を持っていたらしい。しかしほぼ同時に実施した週休二日制度により、相対的に授業総時間が減り、入試にあまり関係の無い、実験とか歴史など本来考える力を身につけさせる為にやるべきである授業が省略されてしまい、ますますひどい入試偏重の詰め込み教育なってしまったのが現実の様だ。となると、そもそも教育現場での諸悪の根源は週休二日制なのではないか。

「指示待ち」
若い連中が指示待ち人間だと良く言うが、そんな事は無い、年取った連中だって五万と指示待ち人間がいる。社長は指示待ちできない。常に前進開拓して指示を出す立場だ。これが衰え消失すれば会社の存続は無い。指示待ち人間が指示出し人間になって欲しいというのは切ない願望だが、そうしたら全員社長になれてしまうと言われた事がある。人それぞれの役割分担で仕方がない。歩は歩で王将には成れないが金にする事は出来る。打ち手次第という事だろう。

「そんな事聞いていない」
チームプレーである会社組織の中で、風通しの良さはある意味良い会社であり、効率良い運営ができる会社と考えて差し支えないだろう。「報告・連絡・相談」という手段が欠如すると、あの雪印乳業の社長の記者会見での「工場長、それは何なの!」という悲痛な叫びにつながる。組織の中で、部下は上司に「報告・連絡・相談」すべきルールになっているのはもちろん誰でも承知だが、だからと言って座ってふんぞり返っている上司に総ての情報が行くかと言えば、そんな事は絶対あり得ないのである。「そんな事は聞いていない」
と第三者の前で内輪喧嘩する場面にも良く遭遇し、それがお客様であったりするといささか居場所が悪く、困ってしまう。情報は決して座っていて自然に入ってくるものでは無く自分で捕まえに行く必要がある。「そんな事聞いていない」と連発する人の所には終世情報がすべて行く事は無く、雪印乳業の社長の様に、最後のピリオドを自分で打つ羽目になる。

天変地異が多発している。地球が怒っている。日本の地道な行動は「こけの一念」であっても良いのではないか。京都議定書は正しい。CO2削減、地球温暖化防止は絶対に必要。正しい事にはいずれ評価が下される。本年もすでに半分以上が過ぎてしまいましたが、後半の皆様のご検討をお祈りいたします。

 平成20年 正月

「沖縄県民斯く戦へり」
 1972年、戦後27年間のアメリカ統治を終了し、沖縄は県民念願であった日本復帰を果たした。沖縄は過去、尚家の王が統治していた独立国であったが、その地理的背景から日本(薩摩藩)と中国(清)との狭間で双方の綱引きに会い、明治維新に至るまで薩摩藩が背後で実質支配する仮の王国として存続するのである。良く中国は「文」日本は「武」そして沖縄は「楽」と言われる様に、沖縄の人々は音楽を愛し、その風光明媚な熱帯の島々の中で平和に過ごして来たいきさつから武器を捨ててしまい、薩摩藩によって容易に制圧されてしまうのである。第二次大戦末期には沖縄島南部は主戦場として否応無く巻き込まれ多くの民間人が巻き添えで亡くなっている。終戦後、沖縄・八重山諸島と奄美群島は日本政府の権限が及ばない米軍統治となり(奄美群島は先行して日本に復帰)、特にアジア北東部の戦略上優位な位置づけにある沖縄は、長い間米国支配の下、琉球政府という暫定民間政府の下で苦しい生活を強いられる事となる。多数の米軍基地は今でも沖縄県における大きな厄介物、お荷物であり、戦中戦後(あるいは戦前もと言った方が良いだろうか)そして今に至るまで沖縄は日本の捨石として悲惨な苦しい立場に置かれている事を忘れてはいけないだろう。
戦争末期の県民の自爆に対して軍の指導があったかどうかという件は、杓子定規な感覚で処理してしまって良いはずがない。もちろん軍本部からはそんな命令は出ていないはずだ、しかし戦局の最終段階、てんでんばらばらになり統率が取れなくなった末端の兵隊達が、民間人を道連れに自爆を図ったか、あるいは民間人に自爆を強要したかは推測の余地も無い。多くの地元民間人の口頭記述からしてあったはずだ。教科書の検定問題では全県をあげて抗議の声が挙がってももっともな事であると思っている。「沖縄県民斯く戦へり」これは沖縄の海軍司令部の大田実司令官が玉砕の前に日本の海軍次官に打電した最終報告の電文の一部である。戦闘に巻き込まれ多数の犠牲者を出した県民と、その献身的な戦争遂行の為の協力(嫌応無く選択肢はなかった)に対し、将来を慮って送ったこの電文が当事の状況の総てを語っている。
さて、書き出しの、島民念願であった日本への復帰だが、私は今でも日本に復帰せずにシンガポールの様に小さな国として独立した方が良かったのではないかと思っている。

「羊頭狗肉」
中国の宋時代に書かれた禅書に書かれている。約千年前にすでに羊の肉を売っているかの様に見せかける為に羊の頭を置き、実際は雑肉である犬の肉を売っていたという事だ。
実はこの項は、例の中国のダンボール饅頭の事件の切り口として記載し始めたのであるが、締め切り近くになって修正をしている。ミートホープ・北の恋人・赤福・お福餅・比内地鶏・吉兆と終わり無く続く日本の食品の偽装の発覚と賞味期限の改ざん。事食品の嘘偽りは食べてしまって何でもなければそれっきりなので、発覚しなければいずこも同じという事なのであろうか? 類似話は枚挙のいとまもなくまだまだ出てきそうだ。ダンボール肉饅頭はでっち上げという事で落着したが、中国では時々メチールアルコールを飲まされた人が死んだという新聞記事も出る。事、生死にかかわる食品の騙しはちょっと問題だが、日本はまだましとすべきなのか。

「ヨーロッパ・鉄道」
日本に居てはまったく気づく事もなく有り難味もまったく感じないのであるが、大方のヨーロッパ、また日本以外の多くの国の鉄道は、いわゆるバリアフリーでは無い。低いプラットフォームから見上げるヨーロッパの大きな列車は、まさに見上げる様であるが、重い大きなスーツケースを抱えた旅行者や、老人・子供にとってこれほど難儀な乗り物は無いのである。ピッチの高い列車の階段の上り下りはまさに乗るなと拒否している様にも取られる。日本の列車は総ての面で世界最高と言って良い。

「福田総理」
 政策研究大学の橋本教授は、日本と中国の関係は「出来ちゃった婚状態」と述べている。どの様な経緯があろうと、どちらがどう思おうと、どういがみ合おうと、事実は事実でもはや別れる事が出来ない。片方が病気でダメージを受けると他方も大きなダメージを蒙る。だから片方に病気の兆候でも出たら、他方が即座に看護する必要があるのだと。
福田総理へのバトンタッチの中で、我々産業界に身を置く者、特に輸出が多い会社に籍を置く者としては、靖国不参拝を旨としている部分だけは大きな安堵感がある。戦争を遂行した責任は誰かが取る必要がある。時の首相は日本の最高指導者であったのであるから責任はとるべきだ。でなければ、今の首相も戦争を起こしても責任を負う必要がないという事となる。戦争を起こした責任のある者を、無理やり徴兵された戦争の犠牲者と一緒に拝む事は許されないだろう。

「ドイツ、EMOショー」
 ドイツ、ハノーバーはメッセシティーとも呼ばれるが、広大な敷地に沢山の展示場を持ったフェアグラウンドがある。ヨーロッパ最大の機械見本市であるEMOショーが昨年10月に開催され、前回に引き続き弊社も一小間参加をした(写真)。今回の特徴は、中国の機械メーカーの出展増、インドからの多数の来訪者、引き続き減少したプレスメーカーの出展減である。前回に続き、日本の大手工作機械メーカーは広い小間と費用をふんだんにかけ活況を呈していた。会期初日は、展示会協会主催の歓迎パーティーが夜に開催されるのであるが、同日同時間に同じ建物で毎回ファナックが歓迎会を開催する。見ているとファナックの会場へ流れる客数の方が多そうなのである。それもそのはずで、展示されている工作機械などに搭載されているCNC制御装置の多くはファナック製だ。いつもの様に稲葉会長もじきじきに接待側に回る力の入れようだ。
中国製工作機械がいよいよもって国を挙げてヨーロッパへの攻勢をしかけ始めた。経済発展が著しいインド製造業の機械の買い付け物色は、買い手と商社双方の多数の訪問につながっていると見て取れる。もちろん東欧とロシアの訪問客も多かったが、ブラジルやアルゼンチン、ペルーなどの南米諸国の訪問客もあった。トルコは出展・訪問双方が多数あった。ここも経済発展が進捗していると見て取れる。
プレス機械の出展社減は、板金加工機の専門見本市への移動が主要因であろうが、もうひとつヨーロッパでは吸収合併による企業数減も響いていると見られた。ここ数年同業の会社を飲み込んだと思ったら、すぐ後ろで待ち構えていたもっと大きな会社にその会社が飲み込まれたりと、事例が多い。ドイツとイタリアでの事例が多い。イタリアでは中古機械が多数出ている。工場の閉鎖が多いのであろう。
弊社は、南米とロシアへの足がかりが少しつかめた感触がある。来年の宿題だ。

「インドの悩み」

 あまり聞く事は無いと思うが、インドのジョブホッピングは大きな問題である。現在各社一様に企業規模の拡大の一途をたどっているが、事、製造業の様に技術集約的企業は人材の育成確保は設備投資と同次元の大事な問題である。ところが、経済の急速な発展拡大に応じ、設備投資そのものは旺盛なのであるが、人材が伴わなくなって来ている。なにしろせっかく育ったと思った矢先に転職しまうのである。優秀な人材を他社からヘッドハンティングしたとたんに、子飼いの技術者が他社に取られてしまうという笑えないデスマッチも良く聞く。優秀な技術者があっちへ行ったりこっちへ来たりしつつ、インド全体の企業のレベルが上がるのであればそれこそハッピーエンドだがどうだろうか。それぞれの企業の色はそれぞれ違い、色に馴染むまでの時間ロスは大きい。また人材を失った直後のある期間のロスは大きい。場合によっては保守の不備が事故や大幅な不良を生む可能性もあり企業の存続問題に発展する可能性も否定できないのである。

「ミャンマー」
 9年ぶりにヤンゴンを訪問した。首都はすでに内陸部のネピドーに移転してしまっているのでヤンゴンは首都では無い。ちなみにネピドーは一般の外国人は立ち入り禁止である。戦後賠償として日本政府が提供した日野自動車の技術移転の工業省直轄トラック工場は、時の流れが止まったかの様に、9年前とまったく変わらず稼動していた。なつかしいボンネットトラック(写真)である。鍛造品、鋳造品、板金フレーム、エンジン、ボルト、ばねに至るまで実に約8割が国産内製である。機械設備のほとんどは1963年製、金型もその当事のまま、9年前どころでは無く、45年近く時間が止まったまま、細々と年間200台のトラックを製造している。もちろん全量政府が買い上げている。街はあの騒動が無かったかの様にいつもと変わらない営みをしていた。日本のジャーナリストが殺害された場所も何事も無かった様な賑わいだった。

「ベトナム細長い家」
 ベトナムのビル、建物は間口が狭く奥行きが間口の数倍もある奥行きの深い細長い造りで建てられるのが常で、なぜそうなっているのか長い間不思議だった。ホーチミン、ハノイの地元の人達に聞いても、わからないという返答だ。先般のNHKのテレビで長い間の謎が解けた。中部の都市ホイアンは昔から貿易で栄えた街で、日本の商人も沢山来ており、日本橋という名称の橋もある。川岸に建てられた商家の建物は最初普通の家屋であったが、上流から来る砂の堆積で川岸は徐々に奥に移動してしまい、船からの貨物の積み下ろしの為に家屋は都度移動してしまった岸近くに増築され、いつのまにか細長い形になってしまった。
ホーチミンもハノイも川岸の都市で、おそらく同じ経緯をたどったのだろう。いつの間にか家は細長く作るものという伝統がベトナムでは根付いてしまった。

「江戸文化と現代工業」
 最近、富に江戸文化の見直しが盛んだ。(徳川将軍家第18代当主、徳川恒孝氏著、「江戸の遺伝子」に詳細が記述されているが、大変興味深い)一つは完璧なリサイクル社会であった江戸の街の営みが研究対象になっている事がある。もう一つは、そもそも江戸に幕府を開設する当初から行政は民間委託を建前としていて江戸幕府には役人の数が極端に少なく、現在の行政改革の良い指標になっている事もある。消防署は町火消しであり、警察は岡っ引きであり、市役所の業務の多くは名主や庄屋などの町人・農民が受け持っていた。もっとも注目すべき事は、このおよそ260年の間、国内で大きな戦争が無かったという事で、概ね平和裡に独特な文化を醸成したという事だ。この様に長期平和が維持できた国は他世界でエジプトだけだそうだ。この江戸の独特な文化の中にはあらゆる職人文化も含まれており、現在日本の工業力が職人芸の域のなかで特異な地位を占めているも、江戸文化の流れがまだ連綿と継続しているのに違い無いと見ている。この日本の工業における職人技術を決して絶やしてはいけない。若い人たちへの技術の伝承は、時間とお金と根気が要るが、日本の将来を考えると決して手を抜いてはいけない。新しい年の初め、若い人たちへの大きな期待を持ってまた一年をスタートしたい。貴社の本年のご多幸と御健闘をお祈りします。

 平成19年 夏

「環境次第」
 弊社では今春お蔭様で数名の工業高校卒業生が入社した。話が話しを呼ぶのか、やはり弊社に居る先輩を訪ねて入社希望が出てくるらしい。人と共に社内機械設備も毎年NC化された最新式の物に更新している。入社1ヶ月にも達しない新入社員でも大型NC機械で部品を切削している。昔の様に切削工具をグラインダーで砥いて切り屑がからまない様に工夫する必要は無い。全部お膳立てされた使い捨てチップだ。最近のNC工作機械はプログラムも至極簡単。昔の様に刃先のRまで考慮して七面倒くさいR加工のプログラムを作成する必要もない。一応それなりに動かして使うには1ヶ月もあれば良い様だ。垣間見た切削作業は、重量3トン近い部品で、形は単純だが外注に出せば4〜50万円とられる。環境さえ整えれば新卒であっても即戦力になる。大きな鉄の塊を機械に乗せてプログラムを組み、加工すると図面通りの形に削れてくる。いずれこの面白さを手加工で何か作る楽しみに導いて職人に育てたい。
以前記載したと思うが、冬場に殆ど枯れてしまうので観葉植物は弱いと思い勝ちだが、実はこれらが本来植生している熱帯のジャングルでは、落ちた落葉の一枚からでも根が出て自生を始める程強い植物なのである。伸びるか枯れるかは環境次第なのである。ひまわりは太陽を向くのが好きなのでは無く、太陽から出る紫外線には植物の育成を阻む要素があり、太陽の当たらない側の茎の伸びが大きいので自然と花が太陽を向いてしまう。好きなのでは無く、仕方なく向いてしまうのである。物事の本質を良く見極めないとうわべだけの観察では取り返しのつかない失敗をする事がある。環境と共に大事な事だ。

「マニュアル人間」
 ファミリーレストランとその類では、飲み物と料理を一括して受けるのが大方のマニュアルらしい。渇いた喉にビールが真っ先に欲しいのに、サッと出てこない。催促しても待たされた上で料理と一緒に来たりして、一体食事の順番がわかっているのかどうか憤慨する事がある。アメリカやヨーロッパでは、着席すると「何をお飲みになりますか?」と飲み物の注文をまず受け、ビールやソフトドリンクの類だと、料理の品定めをしている最中にさっと持ってくる。料理の注文を受けるころにはジョッキのビールは大方無くなっていて、料理の注文を受けるとともに「もう一杯どうか?」と誘われる。勿論料理が出てくるのはまだ先だし、大概欧米のウエイトレスは愛想が良いので、ためらわずもう一杯という事になり、おおかた2杯から3杯も注文してしまうのである。飲料は注ぐだけであるから手間がかかる料理より利益率が良いはずだ。たくさん飲ませた方が儲かる。多分日本のファミリーレストランは、全部の注文を手元の端末に最初に打ち込みレシートを1枚で処理する様なマニュアルで指導されているからであろう。ただ誰もそれが儲けの減少に繋がる事を不思議にも思わないらしい。
インドのジェットエアーという航空機会社。機内では国内線ではあるが全部の路線で機内食サービスがある。食事を配り始めると、配り終わった客から色々注文がでる。キャビンアテンダントは配るのを中断し、呼ばれたお客のところへ行き注文を聞き、それを処理してからまた配り始める。場合によっては料理の入っている大きなギャレーを戻したり持ってきたりしてまで行ったり来たりしている。殆ど例外が無い。依頼があった客の要望はその都度処理するマニュアルになっているのだろう。ただ見ていると誠に効率が悪い。地元の連中に聞いたら、マニュアルに記載されていない事態が発生すると大方ギブアップなのだそうだ。地元でも評判はあまり良くない。
前述の「環境次第」と合わせて考えると、これからの日本はどの方向性が得策か判然としてくる。戦後の日本はマニュアル化により高度成長を遂げたが、成長の終焉にあたり、今度はマニュアル化できない分野に進んで諸外国と勝負する必要があるはずだ。それなら簡単に真似されない。昔の職人の世界に戻るのだ。

「スワンナプーム空港その2」
 誠に、マイペンライ(タイ語でダイジョブダイジョブ)で物語りが終了する感じだ。タイ人は自国の恥と大いに憤慨している。昨秋開港した新空港は、年明け滑走路の亀裂発生が発表され、発着数削減の為、国内線の殆どは旧ドンムアン空港に移った。ただ、まだ未完成の成田とどちらがましかと問われると返答に窮してしまう。

「韓国・労働貴族」
 ある人によると、ゴネ得の発想が韓国にはある様だ。日本ではあまり報道されていないが、現代自動車労組による年初のストと諸要求の会社側の受諾は国民の反感を買っている。労働貴族という言葉も出来ている。相次ぐ賃上げにより車両価格がアップし競争力の減少につながっている。それなら輸入車を買うと、不買運動も出ている有様だ。たまたま七月に韓国出張中、またストの報道があった。経営側は労働貴族の暴走を止められないらしい。

「小日本・大中国(シャオリーベン・ターチュングオ)」
 シャオリーベン、中国の反日デモ隊が頻繁に使用する日本を侮蔑する言葉だそうだ。物理的に小さいのではなく、人間が小さいといった意味と同列の用語だ。我々が、大日本(おとなの日本)であるべきとしたら、そんな侮蔑に躍起に怒る事も無いだろう。「中国は大国だ、国土は日本の26倍、人口は12倍、中国に比べれば日本は小さい、中国は本当に大きい・・・」とやるべきだろうか。国際間の外交のやり取りではジョークが大きな効力を持つ。やんわりと笑いながら仕返すのだ。外交下手の日本人には無理だろうか?
 第10回になる、中国最大の機械装置の展示会CIMTが恒例により4月に開催され、弊社も実機を展示した。(写真)
2年前は小泉靖国参拝問題に起因した日本批判の最中で、上海の総領事館が投石された時でもあり、遠慮がちに小さくなって過ごしていた。タクシーに乗るのも気を使った。その前の会はSARS騒動ピークの時である。毎回大変な思いをしたものだが、今回は幸い会期中に温首相の日本訪問がありそれも大変友好的に終始したのでありがたい事であった。政治とビジネスは別物では無い。政治は国の根幹であるビジネスを支える必要がある。日本のビジネスは広く海外に展開し年毎比率が高まっている。小泉前首相は落第だったが、安部総理はアジア外交では今のところ良い。



「騙してもまだまだ騙せる日本人」
 邱永漢著、中国ではいくらでも日本人は騙す事ができるといった本だ。だが商売ではどうも日本人の所を台湾人とした方が良いのではないかといった事例がある。
CIMT会期中、面白い情報が長く付き合っている台湾の友人から入ってきた。台湾の機械メーカーが中国で大分騙されているらしい。面白いと記したのは失礼だが、祖先が同じ者同士であるが故にそうなってしまっているのでは無いか。警戒が甘いのかも知れない。
 手口の一例。機械の注文が入り、前受け金3割が振り込まれる(前払い3割、中国の工場据付時6割、試運転渡し後1割の支払い形態が台湾が販売する場合多いらしい)。勿論前受けが入るから安心して出荷する。現地工場に社員が赴き工場搬入する。なぜか都合により夕方に搬入の指示でトラックを客先工場?に入れ荷卸する。夕食を振舞われ、暗いから開梱・据付は明日との指示。翌朝その場所に行くと、梱包品が消えているというわけだ。
機械メーカーの社員が抗議すると、逆に何も受け取っていない、受取書にサインもしていない、逆にメーカーが物語りを仕組んでいるのでは無いか、すでに3割は払っているのにどうしてくれるのか、これは詐欺だという訳で公安が登場してメーカーの社員は捕まってしまう。前払いの3割を返さなければ社員は捕まったままという事になり、泣く泣くメーカーは社員を解放させる為に3割の前払い金を払い戻すといった結末。似たようなやり方で数十台やられたメーカーもあるという話だ。

「インド、脅威?」
 時節柄最近テレビや新聞でのこの手の報道が多くなってきた。人口の多さはこの国の大きな可能性であるが、逆に大きな問題点でもある。人口10億以上、ざっと日本の10倍だが実際に10倍の実感がピンとこない。ところで10人子供が居たとしたら、これはなんとかやり繰りをして育てる事は可能な範囲であるだろう。ただその10倍の100人となったらこれは無理・不可能だ。10倍の人口とはこんなものではないだろうか。人口が10倍なら頭の良いやつだって10倍居る。スポーツの強いやつも10倍、美人も10倍だ。数の上ではかないっこないが、10倍を食べさせて育て、取りまとめて制御するのは至難の業といわなければならないだろう。中国も同じだが人口の多さは両刃の刃だ。反対に日本は少数精鋭のメリットを最大に発揮すべきではないだろうか。

「インドIMTEX・IETF」
 1月にインド・バンガロール(ベンガルールという昔の呼び名に戻す案があるらしいが、まだ政府からの正式な許可は出ていない)で、インド最大の機械展示会が開催され、実機出品した(写真)。
出品機械はそのままデリーに移送し、2月にデリーで開催された総合見本市のIETFに出展された。IETFは10年振りに日本がパートナーカントリーとして指名され、ジェトロが指名に応じて出展者のまとめ役をした。10年前、弊社は始めてインドでのこの展示会に実機を飾って出展した懐かしい思い出がある。その頃から蒔き始めた種は、今沢山の実りとなって弊社の売上の一方を占めている。専門見本市のIMTEXに力を置いたので、IETFはその後出展していなかったが、今回は様変わりしてしまった。訪問者が非常に少ないのである。インドもこの10年で大きく変わったのだ。なんでもかんでもの総合見本市から業種毎の専門見本市に力点が置かれ、そちらに訪問者も移行したものと見られる。時代の趨勢であり仕方無いはずだ。万を期し出展した多くの日本企業は空振りにがっかりしていた。他方その1ヶ月前のIMTEXは前回のムンバイの開催から3年振り(3年ごとの開催であるが、次回から2年ごとになる)、あいかわらず引きも切らさず訪問者で昼食もままならない状態だった。展示会場はバンガロール市内から車で一時間かかる郊外に新設された。しかし開催前日には、まだメインゲートのアスファルトの敷設をしている状態で、建物も壁が出来ていない号館もありシートで覆った一時しのぎで見切り開催された。この会場が恒久的な会場になるとの事であり、完成すればインドにしてみれば素晴らしい会場となるが、交通手段が難点だ。市内から遠すぎる。雨が一度も無く毎日埃の中の進軍だったが、雨でも降ったら大変なはずだ。未完の会場も誇り?だらけで往生した。

「インド、見えない成功者」
 最近面白い事に気がついた。自動車のガラスである。マルチスズキは当然日系のA社製のガラスを使用しているが、現代自動車、フォード、地元タタの車のガラスにも同A社の同じマークが入っている。渋滞で横に並ぶ車のガラスを見ていて気がついた。かなり大量の供給実績のはずと思い、聞いてみたらインド自動車生産の7割を供給していると言う。物も良いのだろうし、増加する自動車生産量に十分応じた供給をしているのだろう。どこの車が売れても自社の製品の販売につながる。普段自動車のガラスなどは注意もしないし、大きな話題のも上らない。それで良いのだろうというか、その方が良いのだろう。しかししっかり利益は上げているはずだ。商売はこんな見えない所の方が利益が出る。

「ノーベル」
 今年2月にインドデリーで開催された工業関係の総合展示会IETFに出展したが、ホンダブースでは人型ロボット、アシモ君もはるばる日本から訪れ、その精緻な運動や踊りに喝采を浴びていた。何度も述べているが人間とロボットとの共存生活もそろそろ至近の事実として俎上に上がって来た感がある。老人の介護(たとえば風呂の介助)や視覚障害者の外出誘導補助などにどんどん導入されて行くであろう。いずれ精巧なループイン回路で、ロボット自身にも思考ができる様になるだろう。ただ悪用する連中もあるはずだ。映画ターミネーターの世界が現実味を帯びてくるのである。新しい技術はいつでも両刃の刃だ。
 昨夏北欧を訪問して気がついたのだが、スカンジナビア諸国とフィンランドの国々の地盤は非常に強固な岩盤質である。いたる所に岩盤が露出している。土建工事は大変な事であろうと思ったが、ふとなぜノーベルがダイナマイトを開発したかが、まさにダイナマイトが爆発する様に閃光とともに判然としたものだ。土建工事の進捗を飛躍的に短縮する事の出来るダイナマイトの発明でノーベルは巨万の富を築いたのであるが、他方それが戦争で人々を殺傷する事にも使われる結果となり、新技術の平和利用促進の為にノーベル賞が創設されるのである。悪事千里を走ると言うが、犯罪との戦いはいつも鼬ごっこであり、新技術がそれに輪をかける。だからと言って新技術にストップをかける事は本末転倒である。
 原子力発電所の新規着工が世界的に最近増加している。西欧を中心に多くの国でその危険性を指摘するあまり原子力発電所の新規建設が凍結されていたのであるが、中国やインド等の巨大国家の石油消費の劇的増加にともなうこの石油狂乱の中、ついには背に腹を変えられなくなったのであろう。技術の進歩の途中には色々な失敗が伴うがそれに負けたらすべてそれで終ってしまう。あきらめの悪い日本人だからこそ日本の工業技術は向上した。この諦めの悪さを失いたくない。

「硫黄島からの手紙」
 これはアメリカ製の映画であるが、登場人物はほとんどが日本人でほとんど字幕が必要無い。赤紙1枚で否応なく徴兵された一庶民と、アメリカの滞在期間が長く、人道的な硫黄島守備隊の長が主人公である。ロスアンゼルスオリンピックの馬術競技で金メダルに輝いた西竹一中佐(硫黄島で戦死)も色を添えている。史実をほぼ忠実になぞりながら、戦争の悲惨とともに、日本軍隊の鉄拳による内部統制の非情さをも描いている。
 玉砕自決の場面が多数出るが、一切の例外なく最後に「天皇陛下万歳」が叫ばれるのである。「靖国でまた会おう」と言って不本意にも散っていった兵士達は靖国神社に祭られるのであるが、現在、万歳の対象であった天皇陛下は靖国神社には参拝されない。政治に利用されない立場をとっておられる天皇陛下故に一切の発言は無いが、陛下が安んじて、散っていった兵卒の御霊をお参りできる様にするのが、今問題となっている「靖国問題」の最短の解決方法であるはずだ。今年も、8月15日が近づいてきた。すでに今年も半分を折り返しており、貴社の変わらぬご健闘を祈念いたします。

 平成19年 正月

「タイ・クーデター」
 今回はやはり本件から筆を進めざるを得ない。昨年の9月19日のクーデターが起こった頃、私は、これが最後の利用となるかも知れないタイ・ドンムアン空港を発ちパキスタン・カラチへ向かう飛行機の中に居た。カラチのホテルのCNNのニュースブレークでタイ国軍のクーデターを知ったのである。軍事クーデターといえば日本では昭和維新により天皇親政を画策した二・二六事件を真っ先に連想するので、緊迫感を持つが、今回のタイのクーデターはまさに追放すべきタクシン元首相の外遊中に計画的に実行された無血クーデターであった。国王の承認も含めすべて織り込み済みのストーリーであった。先進国の仲間入りも至近のターゲットであったタイではあるが、この強引な政変に、早速欧米諸国は物言いをつけたものだ。クーデターでの政権交代はよろしくないと。タイに端を発したアジアの金融危機からの復活にもっとも貢献した政治家の一人であったタクシン元首相は、その強引でもあった強力な政治力によって、短期にタイの経済を見事に復活させ、同時に、地方経済も格段に向上させる事に貢献したのであった。しかし、自己の政治力により一族の不正蓄財をするという、多くの発展途上国の政治家が陥りやすい罠に彼も嵌ってしまい、野党や都市部を中心とした国民の反発を買い、国会も長期機能停止の状態に陥っていたのである。追放前の数ヶ月は複数の暗殺計画も露呈した危険状態ではあったが、そんな最中に外遊したのも迂闊ではあったはずではあるが、ニューヨークで出国に際し自嘲気味に応対した「来た時は首相だったが、帰る今は無職だ」という言葉が全てを物語った。
彼が政治生命をも賭して開港にこぎつけた、スワナプーム新国際空港であるが、当初の予定では一昨年開港の予定で、もちろん得意満面であったはずのタクシン氏がテープカットをしたはずではあるが、工事は大幅に遅れ、実際に開港したのは皮肉にも彼が政権の座を追われた9日後であった。まさに真実は小説より奇なり。
外国がいかにいちゃもんをつけようとも、タイの内情は一切変化なしだ。都市と地方の格差が、また拡大方向に向かうかもしれないが、暖かい国、タイでは地方の反旗も大きくは上がらない。

「スワナプーム新国際空港」
 広大なバンコク郊外の湿原に、計画から四十有余年して昨秋開港にこぎつけた。将来この空港は世界一の規模になる。そのふんだんなスペースを惜しげもなく使った素晴らしい出来の空港だ。先行し、ハブ空港を目指しているシンガポールのチャンギ国際空港もお株をとられまいか大いに警戒している。ここ数年タイはインドを筆頭とした南アジアや中近東への飛行ルートの充実を図っており、これらの諸国から深夜出発し、バンコクに到着する早朝到着便の朝五時から七時は空港ロビーはインド人を筆頭とした南アジアの人々であふれかえる。まさにタイは東南アジアのハブ空港を目指している。それにひきかえ、依然拡張反対の看板がみっともなくも掲げられ、空港の真ん中に不自然にも民家がポツネンと居残る我が成田国際空港は恥ずかしい限りなのである。遅きに失してはいるが、やはり成田はあきらめて羽田を拡充して国際空港を戻すべきだ。千葉県の女知事がそれにいちゃもんをつけるのならば、ならば成田をどう責任持っていつまでに決着をつけるのだと逆に問うてやればいい。返答は出来ないはずだ。オリンピック東京大会開催がいよいよまな板の上にのぼって来たが、それに合わせて国際空港は至近の羽田に戻すべきだ。いずれにしてもアジアの諸国が素晴らしい空港を次々にオープンしているのである。世界の表玄関であるべき現在の成田は日本国の恥であることに間違いは無い。

「履修・週休二日・学校」
 高等学校の進学校での世界史の履修漏れが問題になった。卒業までに駆け込み補修(補習より補修の方がぴったりだ)で賄うらしい。なんでも大学受験科目に重点を置いたが為、どうでも良いとみなされた世界史を恣意的に学校側が省略したらしい。
ここで問題点を三つ列記したい。
まず、高等学校の(多分中学からだろう)教育の内容が依然大学受験を重視したシステムとなっている事(高校教育での主体性が依然として出現しない)。
日本はますます世界市場に出て行かなければならす国際化が加速されるのに、なぜ世界に出て行く若年層にとっては大事な世界史や日本史が教育現場から省略されてしまうのであろうかという不思議と憤り。
履修時間が少なく困っているなら、なぜ週休二日とかゆとり教育という呆けたことを依然堅持しているかという不思議である。
私学の多くは週休一日制である。学生の事を考えれば当然の事だ。勉強にかけた時間に比例して知識は蓄積される。下世話な言葉で言えば、勉強に時間をかけたやつほど頭が良い。学生にゆとりは必要ない。ゆとりは呆けさせるだけだ。ひどい場合はゆとりの時間は悪事に走らせる可能性が多い。ゆとり教育は一面犯罪の助長をしているといっても過言ではあるまい。といってもなぜ週休二日制を元の一日制に戻そうという声が教育現場からも、文科省からも上がらないのかは、やはり当事者が週休二日でのんびりしたいが為もたれかかっているとしか思えない。履修時間問題を抜本的に解決するのは簡単明瞭だ。週休二日制をやめるだけで済む。
大学の入学試験内容は依然ひどい。特に英語は何であのように偏屈でねじり曲げた試験問題を出題するのだろうか。実生活ではまったく必要もないひどい難解な英語を、ただ受験の為だけに勉強せざるを得ない受験生が誠に気の毒でもあり、憤慨に堪えない。出題している大学の英語教授はまさに国賊者と言いたい。
世界史・日本史を教育の場から除外するのはまったく間違っていて筋違いだ。我々は長い歴史の中でのほんの一瞬に存在しているのであるが、過去の出来事、過去の過ち、過去の成功、過去を知る事はこれからの我々のなりわいを策定する上では大変重要な要素なのである。温故知新(古きをたずね、新しきを知る?弊社の若手の為に読みをふる)という言葉さえあるではないか。イギリスの故チャーチルは学生時代ひどい劣等生であったらしいが、世界史だけは抜群な成績であったらしい。過去現在未来、歴史の学習はこれから先の航海の行方を策定する為には重要な基盤要素である。それをまた、なにをよりにもよって大学受験に関係ないからと、日々の教育から削除した学校の校長も教師陣も何を考えているのかと、もう言う言葉もない。
今の教育システムは変えられるのであろうか?いったいどこが悪の元凶なのであろうか?文科省がしっかりしなければならないはずが、どうもここは建前ばかり先んじて頭がかたいという話を多く聞く。

「教育、体罰」
 体罰に対する可否論争はあるにはあるが、学校での体罰は概ね否と結論付けられているであろう。個人的にはある限度での範囲内での賛成派である。本田宗一郎は工場でスパナを投げつける位の事までした体罰派だ。私は体罰容認派でもあるが故に、工場の新卒従業員の頭をヘルメットの上から手で叩いたり、尻を叩いたりする事もままある。事、機械工場では約束事の遵守違反は甚大な労働災害にも結びつくので妥協は許されない。叩かれた当人はかなり心理的衝撃があるらしい。他人に叩かれた経験が無いのでやむを得まい。気の毒ではあるが、何が起こったのか瞬間的には判断がつかない様で呆然としている。

もう十何年も前に、長女が私立の小学校に入学した際、先生に、「適当に体罰は加えてもらって構いません」と言おうとしたら、「他の父母から変人に思われるからやめて欲しい」と強く妻にたしなめられたものだ。私が小学生であった、丁度東京オリンピック開催のあたり、ママゴンと先生の葛藤はすでに始まっていたが、その頃はまだ体罰は容認される範囲であった。いたずら好きであった私は結構先生に叩かれていた記憶がある。現今先生は手も足も出ないらしい。熱血先生が出てこない要因でもないか? 
いつだか地元の小学校が、地場産業である地元にある工場見学をグループに分かれて企画し、弊社にも受け入れの要請があったので、快諾したものの、見学予定の数日前にも何の連絡もないので、こちらから気を利かせ、どうなっているのかと問い合わせたところ、弊社への見学は取りやめになったとの返答で、何も言わなかったが憤慨した事があった。その後、地元中学などの同じ内容の要請は一切断っていたのが、いつしか事情が当該小学校の校長に知れる事になり、校長が謝罪に来たのではあるが、担当の女教師をつれて来ず、校長だけが来たのに失望した記憶がある。どうも校長を含めて多くの学校の教師達自体に教育とは何なのかとの設問に対する大きな欠陥がある様な気がする。その先生達が子供たちに教育しているのであるから、結果は推して知るべしかもしれない。
親たちも最近ひどい。結構経済的に余裕のある連中が子供の給食費の支払いを拒んでいるという事ではないか。少子化対策での給食費無償補助は、別の次元で正々堂々と検討すべき課題ではあるが、現在決められているルールに対しての義務不履行は、そもそも国の存続さえ無視する事と繋がる。現在定められているルールでは、支払い能力のある親が子供にただ食いをさせているという事になる。

「武漢、英語」
 上海から長江(揚子江)を遡上すると南京を経て武漢に至る事が出来る。勿論武漢には港がある。武漢の漢口には旧日本陸軍の航空基地があった。当時ここから爆撃機を飛ばし、蒋介石が隠れていた重慶を滅茶苦茶に爆撃したのである。中国の人達は勿論忘れもしないが、歴史教育に不備のある日本ではこの事を知っている人は殆ど居ない。北京の首都空港が日本の援助金で整備がされた事を中国の人達の多くは知らないと日本人は憤って言うが、先の戦争の賠償金を中国の毛沢東は請求しなかったという事は、多くの日本人は知らない。
戦争は起こしてはならないもの、という認識は、現在も多くの無辜の市民が犠牲になっている中東紛争を見ればだれもが心得る事であるが、誰がいつどこでどの様な理由でどれほど犠牲になったかという歴史事実はきちんと把握しておかないと、歴史はまさに繰り返されてしまうのである。
武漢は中国湖北省の省都である。走るタクシーの殆どはシトロエンで、武漢に工場があるからの理由である。数年前から本田・東風が武漢に工場を設置したので、いずれ武漢のタクシーにホンダ車も出現するのであろうか。ここでは、弊社のプレスも3台嫁入りしている。その様な理由で私もしばしば娘たちの嫁ぎ先である武漢に行くのである。昨年秋に武漢に行った帰りは、たまたま国慶節の前日だった。武漢・上海の国内線で横に座った武漢大学の学生と話す機会があった。一週間の休日で上海の親元に帰るのだそうだ。英語と、片言の私の中国語である。何の臆する事も無く英語でしゃべる学生ではあったが、これが日本であったらと思うと情けなく思えた。日本の大学生は英語が喋れない。多数の時間とお金をかけて英語教育を受けているのではある。以前記述した、日本の英語教師詐欺師説に対する反論は今もって無い。

「インド」
ひょっとするとインドの活況は十年続くかも知れないと最近思う事が多い。インフラの整備には少なくとも五年やそこらはかかるだろう。従って土木建築とそれに波及するほとんどの産業はつられて活況を呈するだろう。目下不動産価格は上昇の一途で、実用と共に投資の対象となりつつある。バブルの走りだ。知り合いのインド人が、「ミスターエノモト、一年で倍近くなるからアパートを買っとけ」というので幾らかたずねると、二という数字が聞こえたので、二百万円なら小遣いで買っておいてもいいかと思ったものが、なんと良く聞くと二千万円との事で、まさかインドで桁が間違っているのではないかとびっくりしたものだ。自動車は続伸である。部品メーカーはアメリカやヨーロッパ向けの輸出も続々獲得し、自国で生産される自動車向け部品に多数上乗せした製造をしつつある。ヨーロッパやアメリカの自動車部品産業はその分凋落するのであろう。

「北欧・工業・ゆとり」
北欧は一般的に、スカンジナビア三国(スウェーデン・ノルウェー・デンマーク)にフィンランドとアイスランドを加えた五国を指す。デンマークは厳密に言うとスカンジナビア半島に存在しているのでは無いが、過去の歴史的経緯からスカンジナビア三国に含めている。フィンランドはスカンジナビア三国には含まれない。エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国も厳密には北ヨーロッパであるが、過去ポーランドやロシアに併合された事のある経緯から、東ヨーロッパの範疇に入れられる場合が多い。バルト海はこの地域の内海であり、北の地中海と言っても良いのではないか。この海に面するバルト沿岸諸国は北欧五国にバルト三国、それにドイツとポーランド・ロシアを加えた十一カ国である。日本からすると、あまりにも遠くなじみも薄いので地形的把握が難しいのではあるが、バルト海といえばあのロシアのバルチック艦隊の呼称がバルトであり、そこを基地とした大艦隊の一部が遠く日本海まで曳航されあの日本海海戦が起こるのである。
たとえば、ボルボ(スウェーデン)やノキア(フィンランド)とか、我々塑性加工機械分野ではタレットパンチプレスで有名なフィンパワー社(フィンランド)などの世界的先端企業が、なぜ人口の少ない北欧地区にあるのか以前から不思議ではあった。ちなみにスウェーデンの人口は八百九十六万人、デンマークは五百三十九万人、ノルウェーは四百五十五万人、フィンランドは五百十九万人である。どの国もタイの十分の一、バンコックの人口とほぼ同じレベルの国家人口である。そんなところに何故高度な工業力が存在しているのだろうか?もうひとつ、これらの国に興味があるのは、生きることへのゆとりである。日本が、現在人口減の方向にあるのは事実で、今後これらの国のように少ない人口であっても生きるゆとりが得られる国家政策も、将来の一つの選択枝として考慮するべきだ。人口が少ない国は物を生産するには向かない。だからノキアは製品開発はフィンランドで行っているのだろうが、製品の多くは中国で生産している。それでもノキアは携帯電話での世界的なシェアを誇っているトップブランドだ。今後このパターンは日本も考慮すべき図式である。ヨーロッパのはずれで我々にとってなじみも情報は少ないが、北欧は極めて特異な工業・産業形態をしている。
人口であるが、フィンランドとスカンジナビア三国を合計すると二千五百万人になる。これを一つと勘定すべきなのだろう。過去の歴史を振り返ると、ノルウェーはデンマーク領であったりスウェーデン領であったりしている。フィンランドも一時スウェーデンに領有されていた。十五世紀、スウェーデンの都市カルマルで締結されたカルマル同盟はまさしくこの四つの国がデンマークを盟主として結ばれた王国同盟であった。したがって産業勢力図からすると、この国々を一つのブロックとして見てはじめて、その成立基盤の納得が行く。スカンジナビアはバイキングの国であった。海運国である。もちろん造船技術は裾野が広い高度な工業技術である。ごつごつとした岩盤質の地層からは良質の鉄鉱石が産出され、いわゆるスウェーデン鋼という名で有名な製鋼技術が発展した。ヘルシンキの町には三人の鍛冶屋の像が街なかに建っており(写真)、鍛造もかなり昔から盛んであった事を彷彿と偲ばせる。北海から得られるニシンなどの海産物はノルウェーからドイツへ輸出され莫大な富をもたらした。ノルウェー第二の都市ベルゲンにはこの頃の舟屋が今も残っており世界文化遺産となっている。中世、これらの商圏、北ヨーロッパの経済圏を支配したハンザ同盟は、北ドイツ諸都市を中核としてバルト海沿岸国の多くの都市が加盟した。もちろんベルゲンも加盟都市であった。北欧は海産物の供給国として莫大な富を蓄積すると共に海運にたけ、豊富な資金による造船技術とそれに付帯する諸工業も発達したのであろう。バルト海は地中海にも似るが、オスロ・ストックホルム・ヘルシンキの各首都はとんでもなく大きなフェリーでも結ばれ、また、ヘルシンキの港のすぐ先の要塞島、スオレンミンナ島に行くボートから見る周囲の景色は、何かベネチアに似た感じがするのである。
北欧の旅では何を買うにもためらうほど物価が高い。ちょっとした昼食もびっくりする高さだが、勿論社会保障の高さの裏側にある税金の高さが起因している。それでも明るい時間がとんでもなく長い夏の一日、優雅に休日を楽しむ地元の人達を見ていると、日本も今後の行き方の方向性としての一選択として考えても良いはずだと再確認できたのである。
しかしくどいかも知れないが、ゆとりは人生が何たるかある程度分かる年代が享受すべきだ。本多静六いわく、「人生即努力、努力即幸福、天才マイナス努力には凡才プラス努力の方が必ず勝てる」。若い人にはゆとりは必要無く、努力だけが必要だ。
戦後最長の好景気継続で新しい年が明けた。今年も貴社のご発展を祈念いたします。