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世相

2021 正月

  • 2020年12月

世相日本世界感じるままに                    榎本機工㈱ 社長 榎本良夫

 

「ガラパゴス子?、迦羅子、敦盛?

「ガラコが要りますか」洗車中に事務員さんが聞いてきた。また新語か、ガラパゴスの子供か? ガラコって何だい? 細川迦羅奢(ガラシャ)の親戚かいな? と思いつつ、訳のわからない物は特に必要無いので、要らないと返答したあと、ハハーン「ガラスコーティング剤」だなと思いついた。最近わけのわからない短縮言葉が多く、年寄りの部類に入りつつある私としてはちんぷんかんぷんの場合がある。「あつもり」も、なんで今頃「平敦盛」がでてくるのか、さっぱりわからなかったが、あとから「あつまれ森の仲間達」だという事がわかった。私もやられっぱなしじゃない。「ガラケー」は意味もわからず使っている様だ。 ダーウィンの進化論の発端となった太平洋の孤島「ガラパゴス島」を由来とする、「ガラパゴス化された携帯電話」がそもそもの意味合いだ。日本の携帯電話は海外の動向をしっかり把握しなかった為に潮流のスマートフォンから取り残されてしまった、という意味合いだが、そこら辺の事も知らずに押しボタンのある折りたたみ式携帯電話=ガラケーと覚え込んでいるらしいのだ。ガラガラの携帯とでも思っているんだろうか。

 

 

「激変の10年?、これからすべてが変わるのか」

コロナ禍で活動が制約されている中で、コロナ後の世の中が激変して行くのだろうかと悩みが尽きない。昨年11月、イギリスは2030年をめどにガソリン車とディーゼル車の販売を禁止する決定をした。ハイブリッド車は2035年。 これに追随する動きが各国で出ており、早晩2030年から2040年の間にほとんどの国で同様の対応を取ると見込まれる。イギリスは原子力発電を容認しており、供給電源はさほど深刻な問題では無いが、原発にウエイトが置けない日本ではたとえば水素を燃料とした自動車などが代替手段としてこの9年程の間に開発されて行くのであろう。ちなみにフランスは圧倒的に原発なのでここも何の問題も無い。インドでは「EVの電源供給どうするの?」「大丈夫だよ、うちにはディーゼル発電機があるもん」とか冗談があるそうだが、当面発電の手法、自動車やバッテリーの製造工程で出る二酸化炭素の排出量まで加味してトータルでの最適手段が論議され、当面は効率の良いエンジンも当分生き残る可能性もありそうだ。しかし考えていたより動きが早くなったので戸惑っている。大型台風、酷暑、海面上昇、都市部の大気汚染などの公害も含め、排出二酸化炭素の抑制と削減に向けた脱炭素社会実現へ世界の国々が大きく舵を取り始めていると見て良いのであろう。SDGsという「持続可能な開発目標」も世界的な取り組みで主旨の一部は重複する。これらに歩調を合わせる様に、最近CASEとかMaaSとかの略語が出て話題をさらっているが、車による移動手段の革命が同じ9年の期間でほぼ達成されるのであろう。激変である。移動手段としての自動車は電気自動車などに取ってかわり、通信機器やセンサーによりAIが取り仕切って操作する自動運転となり自分で運転する物では無くなる。自動車は所有する物ではなくなり、単に移動の手段として利用する道具と変わる。運転しないのであるからもちろん運転免許証は不要となり、過疎地の老人でも必要な時に車による移動がたやすくできる様になり、買い物に困る事が無くなる。老人ドライバーが起こす重大事故も無くなる。バスは無くなる。全部がタクシーになる。ただし運転手は居ない。考えてみても現在所有している自動車はご主人が実際に使う時間は些少で、ほとんどの時間はどこかで駐車して寝ている。もったいない。その間誰かが共有して使うべきだ。昔の様に自動車を所有する事がステイタスシンボルでもなくなってきて久しいが、なにしろ七面倒くさい車庫証明、車検、駐車場探しなども一切不要となるのである。自動運転だから渋滞も事故も起こらず、もしかすると保険も不要となるのであろうか。EVとなれば自動車の作り方も劇的に変わり、エンジンが消失するのであれば、給油口の蓋をはずすところから、ぐるっと回って排気マフラーに至るまでの全部品が不要となってくる。仕事を失う会社が中途半端な数で無く出てくるだろう。家電を作るがごとく車を作るのもたやすくなるのであろうが、しかしそこに必要となるキーコンポーネント、重要保安部品は依然として少なからず存在するので、鋳造も鍛造も切削加工もすべてが消失するわけではない。スマホの多くの部品が日本製であると同様に、軽量化された精度の良い構造部品は頑張れば依然日本での生産に結びついて行くはずだ。しかし部品点数そのものが激減する事実からすれば、多くの部品製作メーカーが消失する事も事実として受け止める用意が必要なのだろう。良くも悪くも激変の10年を迎えるに間違い無い。

 

「何を急ぐのか、中国

中国大陸は広い大地に悠久の大河をたたえ、その流れのごとく泰然と時間が経過する悠々自適な世界であったと理解していた。「愚公山を移す」はその典型だが過去の話になってしまったのだろうか。習近平政権になって何か事急いでいる感じがしてならない。香港の一国二制度はイギリスから香港が返還される前の1984年に、返還後50年間という年限を区切って両国で合意された。返還は1997年、従って2021年現在残っている約束期間は24年に過ぎない。24年待てばどこの国にも基本的に何も文句は言えない。香港はそもそも1840年にイギリスと当時の清国とで起きたアヘン戦争に清が負けた結果、100年の年限で租借された場所だ。本来清国の後継である中華人民共和国の所有地で間違いなく、占有を主張している南シナ海とは異なる。中国お得意言葉の「主権の侵害事項」である。ただただ50年間の約束が終わるのを待てば良いはずなのだ。何を急ぐのだろう。(民主主義の冒涜を容認しているわけではありませんので、お間違い無く)

 

「香港、ぼろぼろにされた中国

アヘン戦争に勝ったイギリスが、寂れた寒村であった香港を租借して現在の繁栄する香港を100年の間に築き上げた。アヘン戦争前、お茶の無かったヨーロッパでは清国のお茶が好まれ、イギリスは輸入を拡大したが、その支払いに使う銀が払拭したので、銀の代わりに植民地であったインドで栽培したアヘンを支払いに使う事にした。イギリスとしたらグッドアイデアだったのだろう。お茶を買った代価を自国植民地インドで作らせたアヘンで支払う。アヘンの蔓延を止める為に清国は広東でイギリスからアヘンを没収し焼却した。これに怒ったイギリスが仕掛けたのがアヘン戦争で、負けた清国は無念にも香港をイギリスに差し出したのである。

 

「変わる大学

既存の教育システムに疑義と不満を持つ人達により、変わった大学が出現している。その変革の首謀者の多くが本来の教育界の人で無いのが面白い。外から見ていてイライラし、ならばと直接手を出しているケースが京都先端技術大学だろう。京都学園大学を買い取って改革を進めている張本人は日本電産創業者の永守氏。企業に入ってくる大学卒業生の質の悪さは現在の教育システムが悪いからと即断し、ならば自分の手で変えると個人資金100億円以上を投じて既存の大学を買い取ってしまった。金もだすけど口も出すと、現在理事長に納まっている。コロナ禍ではあるが、新設した工学部は着々と変革の手段を具現化しているらしい。いずれ京都大学を追い越すとか。もちろん大学の川上にある高等学校や中学校の改革も必然的要素だから、こちらも母体の系列校を買収する目論見であるらしい。京都精華大学のサコ学長はアフリカのマリ出身。面白そうな日本に来た。日本の偏波な大学教育を変えようと必死だ。アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、中国と世界を俯瞰した視点で日本の教育システムの不備を突く。 (詳細は後述)現在、多くの大学が「就職の予備校化」していると言う。同感だ。大学へ行く必然性の無い生徒も入る。大学は半分になっても良いのではないか。温泉地別府にある立命館アジア太平洋大学の出口学長は業界出身。自校を東大に対比した奇抜な位置づけとし、自校の学生の特異性を強調する。いずれの大学も海外からの留学生を多数招聘している点が共通している。そして海外からの学生が日本で勉強しやすい様なシステムの構築をしている。多くの私立学校は、明治大正時代、自分一代で成した個人財産を基に創設された。良くも悪くも得た身上(しんしょう)財産をどうしたら社会に還元できるか? という事で教育の場を作る事になる。永守氏もこのまま、モーター作りで得た個人財産をどんどん教育につぎ込んで行くのだろう。永守さんの本を読むと、何か楽しんでいる感じがする。脱線するが、ヤフージャパンの事実上の創業者井上雅博氏。2017年にカリフォルニアのアンティークカーレース参加中自損事故で亡くなっている。森功著「ならずもの井上雅弘伝、ヤフーを作った男」は昨年7月に刊行されそれを読んだが、当時個人資産は1000億円あまりもあったとか。ヤフーの株式が一株1億円を超えていたからそれもおかしくはないのだろうが、まさに桁違い。別に個人資産だから使い道は個人の自由である。しかしこの本によるとほとんどは個人の趣味に使われてしまった様だ。うらやましい。私もせいぜい1億円でも良いから勝手に使えるお金があったらと思うが、その1千倍だ。私学も含めて大学には多額の国家予算が充てられている。奨学金を受けている学生も居る。本当に勉強していればそれで良いが、本当にそうだろうか。本当に勉強をしたい人が大学に行けば良く、そうで無い若い人達は企業、特に製造業に来て腕を磨いて働いた方が良いのではないか。弊社の高卒の現場社員は月給から無残にも高額な社会保険費や所得税をむしり取られている。給与振り込み明細を見るたびになんてひどいと怒りを覚えるが、税金を払う側とその税金によって利便を得る側と同じ青年であって、あまりに不公平な気がするのである。

 

「コロナ禍、読書

昨年は、それでもインド・ベトナム・インドネシア・ロシアに出張した。

 

2月ニューデリー、現地契約社員家族と

 

 

 

 

2月ニューデリー、現地契約社員家族と

 

2月ホーチミンでお客様自宅に招かれる

 

 

 

2月ホーチミンでお客様の自宅に招かれる

 

3月ロシア、サマラ

 

 

 

 

3月ロシア、サマラ

 

 

3月ロシアからパリ経由で帰国した以降  の海外出張はゼロとなり、国内出張も限られる中で、いやおうなく自宅での滞在時間が増え、私の家内は大迷惑である。年間200日近くも海外出張して不在していたのだからそれも無理はないかと同情したりしては居る。読もうと思って買い、書棚に眠っていた分厚い本はこのコロナ禍で全部読み終わってしまったし、面白そうと思える本は片っ端から購入し読みまくっている。その後めぼしき社員にその本を読むように薦めるものだから社員も迷惑しているかも知れない。ちなみに弊社では「課題図書」を月に最低でも一冊読む事になっており(課題と言っても自分で勝手に決めて良いのだが)読後感想は社内ネットの共用フォルダーにそれぞれ書き込み、それをもとに社長、つまり私がインタビューをしている。そうしなければ読めと言っても読むはずが無い。どうにも読書が苦手な社員には終業後30分読書会を開いている。もちろん私も同席する。USEN宇野康秀社長の生き様を描いた本の中に、創業者である父親の事を書いた部分があるが(ちなみに創業者は違法にケーブルを日本国中に張り巡らしたかどで2回警察に逮捕されているというつわものだ。瀬戸大橋の開通式前にUSENのケーブルはすでに橋を渡っていたとか)その部下に読書は最も安く勉強できる手法だと諭している部分がある。その通りだ。観察力を磨くには読書は最適な手法だ。脳耕である。脳は耕さなければならない。夏の夕方、ささやかな自宅の小庭に椅子を出し、ドリップコーヒーを飲みながら面白い本を読む。コロナ禍前の気ぜわしい生活では味わえなかった時間だ。

 

「アフリカ納豆」

ビジネスの大きな場として最後に残るアフリカ。西アフリカのナイジェリア一国でも人口は日本以上にある。弊社もいずれはと考え情報を得ているが、京都精華大学学長の祖国マリも本を通して勉強させていただいた。冒険家高野秀行さんが書いた「幻のアフリカ納豆を追え」もとても面白い上に勉強になった。新聞の書評にあり、私も大好物の納豆と、アフリカの文字が目を引いた。サハラ砂漠以南の帯状の一体に納豆文化があり、その内のナイジェリア、ブルキナファソ(この国の存在は名前そのものも含め、知りもしなかった)、セネガルの3ヶ国の抱腹絶倒の納豆レポートを一気に読んだ。大豆では無く、パルキアやバオバブの木になる実が原料で、稲わら以外に存在する菌からねばねば納豆を作っている。味の素と同じ様に料理の味付けに使っている場合も多いようだ。サコ学長の祖国マリには、イスラム過激派の影響で行きたかったが行けなかった。日本、韓国、ブータン、アフリカの納豆のワールドカップを行う場面で、納豆専門の登喜和食品の遊作社長が出て来てびっくりした。大学の商工会で一度お会いした事があった。韓国の納豆汁チョングッチャン、ミャンマーやラオス、納豆が決して日本の特産物では無く、アフリカにさえ存在した。それにしても冒険家とはなんと立派な人達ばかりなのか。そして、随筆家高野さんの文章の書き方は洒脱でとことん楽しませてくれる。

 

「三島由紀夫

本名平岡公威(きみたけ)、三島由紀夫が、楯の会の若い会員達と自衛隊市ヶ谷本部に乗り込み、自己を否定する日本国憲法を一緒に変えようと演説をしたが、立たぬと見た後あきらめて切腹自殺を図って50年が経過した。平和な時代に自衛隊が同調して決起しクーデターを起こすはずも無かったのであるが、当時高校生だった私にも衝撃的な事件だった。何故か今若い人達に三島ブームなのだそうだ。「仮面の告白」でわかる通り、彼の人生の後半は自己のコンプレックス克服に情熱が注がれる。病弱でひ弱な自分は自己努力により完全に覆され、最後には自己の強さを最大限に表現できる割腹自殺ですべてを終えるのである。ストレス、引きこもりなどから、何とか自己を普通に戻し強くなりたいという現在の若者達の心を捉えているに間違い無い。

 

「サコ学長奮闘記、江戸時代の名残

マリ共和国の首都バマコ出身。上流階級では無いがきちんとした教育を受け、奨学金による中国留学(ヨーロッパを期待していたので当初不本意だったとか)を経て面白い国日本に来日。京都大学建築計画学教室在籍後、京都精華大学勤務を経て現在なんと学長職にある。幼児期から現在に至る噴飯ものの奮闘記が出版されそれを一気に読み終えた。親では無く他人に教育されるマリ。迷惑をかけたらいけない日本とどれだけ迷惑を掛け合えるかのマリ。昔日本にもあった様なグレンという青年団組織で迷惑をかけあう。混ぜ合わせ文化で友達も混ぜ合わせてしまう(インドのまぜこぜ文化と同じじゃないのかとふと思った)。いつもケンカモードの中国とは異なる穏やかモードの日本。しかし「空気を読む」とは協調性の否定であり不誠実なのでは無いか? 単一的だと考えていた日本人にもあった多様性(はじめて来日したとき投宿した日本人の友人の自宅の両親が、ステテコ姿で涼んでいたりとか、母親がビールを一杯やっておかしなテレビに爆笑していたりとか)。日本人はお互いに他人に厳しすぎ、プロ並みを要求する。などと比較文化論を論じる。日本の大学教育には痛烈な批判をし、自身の勤務する大学ではその改善を図る。大学は就職予備校で良いのか。大学に行く目的が定まっていない。日本の若者にとって大学は親に行けと言われて入るもので、行きたいから入るでは無い。学生に、好きにやってというと逆に困ってしまい、どうも縛られたいらしい。すべてを枠にはめ込もうとする学校教育 普遍的な人間を求め様とする。目標教育でない。自由の条件を問うと、あれをして欲しい、何が欲しいと、何もかも欲しい事の羅列。自由とは何か、自由とは無責任か?教育とは人間の幸せを追求する事ではないか 識字率でも偏差値でもない。マリでは学校で教育を受ける事=幸せでは無い。生徒が才能を伸ばせるかどうかは教える側にかかっているのだが日本ではそうではない。など多数。奥さんは日本人で2人の男の子がいる。なれそめから結婚に至るまでには、面白おかしくも一小説書けるのでは無いかと思うが何故か一言も書かれていないのは、多分ゴールに至るまでの相手の両親などとの葛藤が中途半端では無かったからなのであろう。しかし、結婚は信頼、我慢じゃ無いとコメントしている。ヨーロッパだけが世界じゃ無い。多くのアフリカ諸国はヨーロッパ各国の植民地であった歴史があり、日本人にはわからないのだが、ヨーロッパには何かしらの恨みに近い気持ちが心の奥にあるらしい。そしてアフリカ人が憧れていたヨーロッパの社会基盤は実はたいしたことが無い事が最近(このコロナ禍で)わかってしまった。世界の政治家が訴えるグローバル化は経済を中心としたものだった。安いコストを重視したグローバル化が貧富の差を拡大してしまった。彼の理解できない「迷惑をかけたらいけない日本」その他は、日本がまだ江戸時代の名残を少し残しているからだろうと私は思う

 

「もの作りは要らないと言うのか」

製造業の時代は終わった、ものづくりで経済を引っ張れると思う方がおかしい、サービスこそが経済・企業活動の中心であり日本がものづくりにこだわりすぎている、とか言った評論を最近読むのだが、その批判の的の製造業のど真ん中に居る我々としては大反発を覚える。確かに日本の製造業のGDPに於ける割合は2割かも知れない、7割以上はサービス業が占めているのかも知れないが、それでいてものづくりを軽視して良いのかと問いたい。東北大震災でも良く分るが、人が生きて行く上での必須アイテムは、「食・住・衣」だ。まず食べる事が優先であるが、食材はそもそも、ものづくりである。そして米を作るにしても工業が無ければ成り立たない。人が鋤鍬を持って人力で農業製品を生産できるレベルは自分の分プラス一人か二人程度だ(鋤鍬だって工業製品なのだ!)。農業機械、化学肥料、農薬、運搬など工業製品が存在しないと農業そのものが成り立たない。漁業も、エンジンのついた船、網や針が無い限り成立しない。住、電気が無ければ成立しない。停電になれば水さえ供給されない。サービスと言うが電気もコンピューターも、トラックも、はてまたドローンやロボットなど最新設備もコンピューターも皆工業製品でそれが存在しなくてサービスが成り立つと言うのだろうか。アメリカの五大湖周辺の工業地帯は「さび付いたベルト地帯」になって久しく、トランプ前大統領がこのラストベルトを復活させると言ったが一度衰退した工業力は二度と戻らない。イギリスもその好例だ。現在日本が外貨を稼いでいるのは、自動車と機械・ロボットだが、これらものづくりが消滅してサービス業が日本で存続して日本のGDPを牽引することができるのだろうか。このコロナ禍で払拭したマスクの生産のほとんどが中国であった事を忘れてはいないはずだ。ものづくりを放棄した国の生殺与奪は他国に奪われる。特に食料だ。日本で鉱物資源を得る事はできないが、食料品を増産し自給率を100%にする事は可能だ。これを達成するには工業力が必須となる。「ものづくりにこだわりすぎている」?バカなこと言ってるんじゃない、と言いたい。コロナ禍は日本では昨年3~4月頃から深刻度を増したが、まもなく1年。治療薬とワクチンができれば収まってくるはずではあるが、この間経済は深刻な状況になり、やむなくばらまいた多額な補助金もいずれ数年の内になんらかの形で我々国民につけとなって回ってくる。そうこうしている内に自動車社会に大きな変革が起きつつあり、すべてを失った第二次世界大戦後に次ぐ深刻な危機になる可能性が濃厚だ。しかしその変革は変わるべくして変わるのであって悪くなるわけでは無い。変革に乗り遅れない先読みと努力が必要だ。

 

このお正月も皆様は自宅で自粛生活を送られたものと想像します。2021年がなんとか再スタートの希望を持てる1年になる様、ご健闘をお祈り申し上げます。

  

  

 

 

 

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