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世相

2020 夏

  • 2020年08月

 

世相日本世界感じるままに           榎本機工㈱ 社長 榎本良夫

 

「New Corona

すべてこの様になってしまったと現実を認めるしかないだろう。治療薬とワクチンができるまで解決はされないから、2020年はこんな調子で重苦しい生活を強いられるのであろう。景気の落ち込みは戦後最大になるはずで、復調はいつになるのか予測する事ができない。それに輪をかけ国際情勢が悪くなっている。各国のナショナリズム、国家主義が強くなりつつあり、何事も自国優先で、第二次世界大戦が始まった頃と似通った面も見られてきている。国際協調の時代がまた終わってしまうのであろうか。なにしろ時代の区切りを感じる。世界各国があつまる平和の祭典オリンピックは2021年に開催できるものかどうか、1940年開催予定であった東京オリンピックは、戦争に突き進んでいたために返上され幻の大会となり、そしてその後世界大戦に突入して行ってしまった。まさか今回がその様な事にならない様に切に願いたい。

ひどい状況とは言え、食べる物もあるし、爆弾が落ちてくるわけでも無いし、鉄砲玉が飛んでくるというわけでもない。戦争を考えれば現状が決して悲観するものでは無いことは歴然である。希望を持って乗り越えるしかない。

 

「New Corona、海外出張」

2020年1月5日、忘れもしないが、年始の挨拶にある客先の社長様を訪問した。この会社は武漢に工場を持っている。「武漢の市場で変な病気がはやりだしている様ですが、貴社の社員は正月後もう出向されたのでしょうか?」社長様は、エッとご存じなかった。(出向の日本人社員は政府が仕立てた救援機でその後帰国したとのこと)

1月、インド・バンガロールで開催の機械展IMTEX。中国の企業も多数出展し、中国人も多数来ていた(弊社小間)。

 

写真1 IMTEX2020展示会の画像

 

2月、インド・デリーで開催のAuto Expo2020展(インド最大の自動車ショーと、自動車部品展である)ではCoronaの問題で展示場内に中国人が入場できなくなっていた。入門証が中国人には発行されなかった。中国企業のブースはインド現地代理店のインド人スタッフが対応し、代理店の無い企業のブースは空き小間になっていた(左:弊社小間 右:中国ブース)。

 

Auto Expo 2020 2月の画像

Auto Expo2020 中国パビリオンの画像

 

2月末、来ない方が良いとは言われたもののベトナムのハノイとホーチミン市に商談で出張した。ハノイ近郊で患者が出ていた経緯もあり、ホーチミンの弊社現地スタッフはハノイには来なかったので私一人で企業訪問した。

3月、入国できるかひやひやしたが、パリ経由でロシアに出張した。パリで開催予定であった複合材料の展示会はすでに中止になっており、見学予定の1日が空いてしまい、仕方無くパリ市内をぶらぶらしたが、その頃はパリの連中ものんきだった。マスクはちらほら、日本の観光客も沢山居た。3月9日帰国。これが今年の海外出張の最後となった。

2020年はもう海外出張はできないだろう。年間延べ200日近くを海外の展示会や商談で出張していたのであるから完全に陸に上がった河童になってしまった。

12月、インドネシアで開催予定の機械展もさっき中止が決まった。今年は1月と2月のインドの展示会以外は全部中止。

 

「New Corona、働き方改革」

弊社の様な設備機械装置を製造販売している企業は納期が1年とか長いので、急激な景気減速後も、絞った蛇口のあとのホースからチョロチョロ水がしばらく出る様に1年程度は仕事が尽きない。客足が一挙に途絶えるホテルとか飲食業はその点気の毒に思う。しかし海外からの受注はゼロになり、1月からの状況把握から残業と休日の出勤を一斉に中止した事により、「働き方改革」が一挙に苦も無く実行できる事になった。昨年あたりはどうやってクリアしようか思案していたので皮肉なものだ。納品先予定の数社は納期延期も希望されたので、これも好都合だった。

コロナの危機も好機と見える色眼鏡につけかえるべきだろう。景気が戻ってももう働き方改革はやめられない。つまり残業も休日出勤も無くして過去と同量の生産を維持しなければならない。ムダを排除して効率を上げるしかないが、今はそれをやる事ができる最大のチャンスだ。時間余裕があるからあらゆる作業の見直しを図る事が可能だ。

日本の労働者の年間平均労働時間は2000時間。片やドイツやフランスは1400時間でしっかり休日を取りバカンスを楽しんでいる。それでいて成長率は日本より高い。物の本ではこれを「日本人は働いているふりをしている」と言っている。なぜドイツやフランスが3割少ない労働時間でやれるのか?今年1年我が社の重要ポイントなのである。しかしよくよく見ているとムダがいっぱいある。ムダだらけと言っても良いかもしれない。効率をどうやって上げれば良いのか昨年あたりは思い悩んでいたが、どうやら効率は上げなくても良いのでムダだけ取れば良さそうだ、と思う昨今で、スタッフ達と協議している。

 

「New Coronaインド禁足」

自由主義陣営のインドがまさかそこまでできるのかとびっくりはしたが、コロナの蔓延でモディ政権は国民に長期の禁足を強いた。中国並みである。デリー近郊に住む弊社契約社員も電話口の声はため息だけだったものだ。どこにも出られない。7月、8月と徐々に動ける様になり、工場も再稼働に入っている。受注機械の納期の督促も来ているので実際かなり動いてきている様に見られる。しかし罹患者数はまだ非常に多数で、いつどうなるかも予断が許されない。一方カシミール地方での中国との国境紛争はきな臭く、ここでもコロナ+国際情勢不安のダブルパンチが発生している。

 

「New Coronaこの先」

いずれ終息に向かい、普通のインフルエンザの様な状況になって行くはずだが、それにはやはり治療薬と予防薬ワクチンの開発を待たなければならない。この半年から1年の間になんとかなるのだろう。終息に向かう過程において経済活動の停滞に起因する企業の倒産は増え、失業者も増えてゆくのだろう。国の救済措置はいずれにしても税金や国の借金により行われるのであるから、当然ながらいずれその先で大きな反動をもたらすはずだ。何年か先に日本の国民にその負担が重くのしかかる。10万円もらって暢気に喜んではいられない。

また、コロナ禍ははからずも国際社会協調からの背反にさらに拍車をかける結果となった。どの国の経済状況も例外なく厳しく、破綻に近い国も沢山出てくる。国と国との反目があちこちで発生している。戦争の危機さえも考えて慎重に行動しなければならないだろう。第二次世界大戦後最大の苦難・危機と思っても差し支えないだろうが、戦中・戦後と比較すればまだ大変にましであるので、明日への希望を持って前に進むしかない。今できる事、今でなければできない事もある。なにしろやれる事を最大限にやることだ。ご健闘をお祈り申し上げます。

  

  

 

禁足状態で海外レポートを記載できませんので、以下に今年書き留めたインドの鍛造業界の状況を転載いたします。私見、ごちゃまぜ文化のインドのレポートです。

 

 

 

はじめに:

New Corona禍により、インドの状況も大幅に変わってしまった。2019年からインド経済は減速傾向に見られたが、Coronaによりさらに拍車がかかり、すべてが停止状態である。以下のレポートは2020年1月に書き込んだ物であるが、少し修正しお届けすることにした。

 

1.Make in India 世界の工場へ、New Corona

米中の互いに譲らない輸入関税アップの応酬から中国の景気にも陰りが見られ、登り一本調子で推移して来た中国経済には黄色信号がともり始めている。アジア諸国やヨーロッパの景気動向も政治情勢に合わせパッとしない中、人口12億に達する巨大マーケット、インドの動向が注目されている。2019年5月の総選挙で信任を得て勝利したモディー首相のスローガン「Make in India」(図1)はインドを世界の工場にしようという意気込みを表し、工業の近代化を推し進めている。

 スローガン「Make in India」のロゴマークの画像

図1 スローガン「Make in India」のロゴマーク

 

昨年の自動車生産量は2~3割ダウンし、鍛造部品も減産を強いられたが、自動車の買い控えとみられている。ひどい大気汚染を防ぐ為に排ガス規制はヨーロッパの最新規制ユーロ6と同等の水準のものが2020年4月に導入されることが決まっている。未対応車は販売が禁止され、乗用車に搭載されるディーゼルエンジンが禁止となり、消費動向が様子見で推移したらしい。今年2020年はそれが払拭されるだろうという希望的観測であったが、Corona禍がすべてを変えてしまった。

 

2.日印関係

インドの若い学生達は日本のことを良く知っていて日本に是非行きたいと言うが、どうやらそれは日本のアニメの影響であるらしい。奈良東大寺の大仏開眼式はおよそ1270年前に行われたが、その時の導師はインド人の菩提僊那である。大黒天や吉祥天など多くの仏様は仏教とともにインドからやってきた。インドと日本のつながりは非常に古く、それが今に至って日印は非常に友好的である。

 

3.スズキ自動車とインド

日印の商売上の繋がりを述べる上で、鈴木自動車工業(現スズキ)の功績は避けて通れない。第二次世界大戦後独立を果たしたインドは、初代首相ネルーの娘である故インディラガンジー首相(インド独立の父マハトマ・ガンジーとは血縁関係は無い)のもと、強い社会主義体制で保護貿易主義を取った。対外交易は強く制限され、例えばインドの国民車と言われたヒンドスタンモーターズ社製のアンバサダー車は、1958年の発売から2014年までの56年間ほぼモデルチェンジ無しで独占的に生産することができた。

自動車と言えばこれを買うしかなく、注文しても何ヶ月も入手できないという社会主義そのものであった。この様なインド国産車の市場に風穴を開けたのが、鈴木自動車がインド政府と合弁で設立した会社マルチウドヨグである。800 CCの大きめなエンジンを搭載したスズキアルトは、その値ごろ感と性能の良さで爆発的に販売を伸ばした。現在スズキのシェアは45%ほどで他社を圧倒的に引き離している。インド人でスズキの名前を知らない人はほぼ皆無で、スズキは日本の工業技術の優秀性をインド国内隅々にまで知らしめてくれた大きな功績があると言って良いであろう。

なお、アンバサダー車は2014年に生産を終了し、現在デリーなど主要都市では見つけることも難しい(さすがにヒンドスタンモーター社があったコルカタではまだ結構走っている)

 

4.インドの鍛造業の歴史

インド(パキスタン, バングラディシュ, スリランカを含め)を長く植民地支配していたイギリスは、第二次世界大戦終了後沢山の置き土産を残し撤退した。一つは英語で、それに付随した英国式法律や商取引である。鉄道と造船、製鉄技術は工業界への置き土産である。植民地時代にインドの奥地で搾取した綿花・繊維製品、胡椒・シナモン・アヘンなどの農業製品を港まで運搬するために、網の目のように鉄道網が敷設された。コルカタやムンバイ、チェンナイ港まで到達した後は船での運搬になる。これらインフラ設備の補修のためにインドで鍛造業が発達したのであろう。

スティール素材については、1912年にはすでに現在のタタスティールが、コルカタから列車で4時間ほどのジャムシェドプールで製鉄業を興している。現在ほとんどの鋼材は国内調達できる。したがって鉄道や造船、そして配管などのインフラ用鍛造品(熱間)は、地場産業としてかなり以前から存在していた。鍛造設備の多くは安価なベルトハンマーかイギリスから持ち込まれた鍛造機械であった。ベルトハンマーは現在でもデリーの北方、列車で3時間ほどのLudhianaで多数製造されている。Ludhiana周辺は一つの工業集積地帯で、多数の安価なローカル機械が製造されているし、塑性加工業者も多数ある。一般的なプレス機械もたくさん製造されている。

2011年、ハイデラバードで第20回国際鍛造会議が開催された。バハラットフォージをはじめとするホスト側主要会社の社長の多くは二代目に変わっていて、確か会期の中で多数の企業の初代創業者の顕彰が行われた記憶がある。それから21年遡る1990年、第13回の国際鍛造会議がニューデリーで開催されている。当時のホストは先代の社長である。概算して、これらインド地場の主要な鍛造会社はおよそ50年から60年くらいの歴史があるということになるだろう。

1991年、国際鍛造会議がニューデリーで開催された翌年頃、インドはドルの手持ちが底をつき債務不履行寸前に陥った。社会主義の保護貿易で、国内産業保護のために実施していた極端な国営企業優遇政策と貿易不均衡で対外競争力を失っていたことが主原因である。この危機に臨み、当時のナラシマ・ラオ政権は市場原理と競争を導入し、この時からインドの多くの民間企業が近代化に向けて発展することになる。旧態依然であった多くの鍛造工場もヨーロッパや日本の技術導入を進め、合弁会社も設立された。特に自動車部品の鍛造では精密金型技術が立ち遅れ、設備も古くこれらの改善が急がれた。

1997年、ニューデリーで開催されたIETF(International Engineering Trade Fair)のパートナーカントリーに日本が指名され、ジェトロがジャパンブースを設営して多くの日本企業が出展した。このあたりから日本企業のインド進出が増加したのではないかと思う。

当時インドの地場企業だったSONA社は日本のKOYOと合弁会社を設立しステアリング部品を製造していたが、車載用精密鍛造歯車を鍛造すべく三菱マテリアルと合弁でSONA OKEGAWA社を設立し、歯部の切削加工をしないディファレンシャルギアー、ベベルギアーの鍛造工場を設立し稼働を開始した(2)。

 

稼働当時のSONA社鍛造工場の様子の画像

2 稼働当時のSONA社鍛造工場の様子

 

それまでSONA社では鍛造を行った実績は無く、全くのゼロからのスタートであった。この歯車鍛造方式はドイツのBLW社が開発したものであったが。1972年に三菱マテリアル社がBLW社と製造技術契約を締結し、設備や技術をドイツから導入して精密歯車の鍛造を日本で開始した 。三菱マテリアルは同じことを25年後の1997年にインドSONA社に対して行ったことになる。ところが世の中は面白いもので、その11年後の2008年、SONA社はドイツのThyssenKurupp社からBLW社を買い取ってしまった。一巡して孫にあたるインドの会社がドイツ本家を買収してしまった。現在社名はSONA BLW社である。ちなみに三菱マテリアルは合弁を解消して撤退、出発点であったSONA KOYO社については、SONA社の持ち株は全部KOYOに売却してSONA社はステアリング事業から撤退した。日本の三菱マテリアルの精密歯車鍛造部門もハヤカワカンパニーに売却され、菱栄金属という名前で存続している。

インドの鍛造会社が海外の鍛造会社を買収する例は他にも有り、Baharat ForgeやAMTEKがその事例である。

 

5.インドの鍛造業の現況

2019年1月にインド・チェンナイで第7回アジアフォージミーティングが開催された。国際鍛造会議(International Forging Congress)のアジア版で、現在日本、中国、韓国、台湾、インドの5ヶ国で3年ごとに持ち回り開催されている。

過去は2年おきの開催だったが国際鍛造会議と重複する年が出てしまうので、3年に改められた(3)。 

 

第7回アジアフォージミーティングの様子の画像

3 第7回アジアフォージミーティングの様子

 

この会議のベースとなっているのは熱間鍛造業である。参加各国の鍛造協会の基調講演の際、インド鍛造協会(AIFI)は以下の資料を発表した(1)。

 

1 インドの鍛造工場数

 

鍛造工場数

北インド(Delhi/Gurugram)とその近郊のGaziabad, Faridabad, Noida, Ludhiana

129

東インド(Kolkata, Jamshedpool

27

西インド(Mumbai, Pune, Rajkot Vadodara

147

南インド(Chennai, Bangalore, Coinbator, Hyderabad

75

 

合計378*

*インド鍛造協会に加盟している会社は現在190社ほど

 

現在インドは、鍛造品の58%が自動車・二輪などの車両部品向けで、自動車生産台数は乗用車が年およそ400万台、ドイツを抜き世界第4位の自動車市場となった。

将来の世界市場制覇を志向しているインド地場の鍛造会社は近代的な全自動設備の導入に積極的で、その資金力がどこから来るのか不思議に思う程である(4)。

 

インドローカルメーカーに導入された鍛造設備の一例の画像

 

 

 図4 インドローカルメーカーに導入された鍛造設備の一例2

 

 

4 インドローカルメーカーに導入された鍛造設備の一例

 

労働者が潤沢と思うが、既存設備に自動装置を後付けする事例も多い。Pune近郊ChakanのFlash社は鍛造実績ゼロで、土地買収・工場新設をし、2輪のギアーブランク鍛造・切削工場を立ち上げている。製造装置の全部が新品でそして完璧な全自動である。

HirshvogelはPuneに鍛造工場があり、ドイツと同じシステム・安全管理で工場運営をしている。 Bawalの武蔵精密工業も日本と同じ運用をしている。 ZF、Bosh、Eaton、DIEHLなどもインドに進出している。

他方、Ludhianaやグジャラート州Rajkotなどではインド製の旧来のベルトハンマーやプレスを使用した鍛造工場も多数あり、その設備ギャップは大きい。資本力のある会社は選択肢として欧米と日本の機械装置をまず第1に選択する。次がそれらの中古機械か台湾、韓国の設備。しかし最近非常に安価な中国製の装置を導入する会社も増えてきていて動向を注視している。

 

6.北部インドの鍛造業の現況

首都ニューデリーのインディラガンジー国際空港から、北西のラジャスタンに至るデリー・ジャイプール道路沿いは有数の工場地帯で沢山の工業団地がある。スズキやホンダの工場もこの位置に属する。空港直近の、 Gurugaonから名前を変えたGurugramは、かつて野原だったものが現在は高層ビルや多数のマンションが建ち並び、2輪のHero社もこれらに包み込まれるようになってしまった。SONA BLW社、 AMTEK社がこの辺りで鍛造をしている。少し遠いManesar地区にはスズキやホンダがあり、日本の万能工業がLMAT社として合弁で鍛造をしている。その先にShivam Auto等の鍛造工場が沢山ある。Dalheraには日本製鉄とAMTEKの合弁工場など、 Bawalには単独で進出し鍛造をしている武蔵精密工業があるが、日本の独資鍛造会社としては恐らくインドで一番大規模だと思う。ラジャスタン州に入った所にあるニムラナの日系工業団地には、太陽やSANJYOがある。

デリーの東に位置するNoida(隣のウッタルプラディシュ州に属す)や南東のFaridabadは拡張を重ねる大きな工業団地がひしめき合い、ここにはSunstarやBlue Stamping等の鍛造工場がある。

デリーの北Ludhianaはヒーローグループが最初に自転車を製造しはじめた歴史ある場所で、雑多な機械装置メーカーがひしめき合い、それとともに多数の鍛造工場がある。

GNA社はインド屈指のリアーアクスルシャフト鍛造メーカーである。 HighwayやHappy Forgingなどの自動車部品鍛造工場もあるが、ハンドツールのメーカーも多く、いたるところで地場の安いベルトハンマーを使って鍛造をしている。

 

7.東部インドの鍛造業の現況

イギリスのインドにおける植民地経営の主要な役割をした東インド会社はカルカッタ(現在のコルカタ)に拠点を設け、コルカタは当時インドの中心地的な位置でもあった。 ヒンドスタンモーターズもコルカタに拠点があり、自社鍛造工場がある。ヒンドスタンモーターズはアンバサダーの商標をフランスのPSAに売却したが、インドに実績の無いPSAはこれを元にインドに進出すると噂されている。しかしながらコルカタを州都とする西ベンガル州は昔から労働組合が強く、タタが安価な車Nanoを生産する新工場の建設を断念した事例もあるように、企業がこの地を見限っているように見られる。古い車も沢山走っているし、道路などインフラの補修でさえも立ち遅れており、昔のインド中心地の面影は無い。

ジャムシェドプールはタタスティールの総本山で、コルカタから列車で4時間ほどのジャルカンド州の町である。 20年程前に始めて訪問した時の記憶は、夜間の列車プラットフォームは乞食の就寝場所でまともに歩けもしなかったし、乞食がまとわりついて往生し何しろひどかった。

最近大きな工業団地が次々と開発され、昔の面影が薄れている。古くからここを拠点としている Ramakrishna Forgeはドイツからクランク鍛造用の新規鍛造設備を導入した新工場をオープンさせた。「(インドではトップと目される)バハラットフォージさん並ですね」とお世辞を言ったら、社長様曰く「バハラットフォージより大きい」。

 

8.西部インドの鍛造業の現況

ムンバイから路面が決して滑らかでない高速道路で南東に約3時間の位置にあるPuneは、インド人曰く東洋のデトロイトで(デトロイトと言うと、もはやラストベルト、さび付いた工業地帯とも言われ、もう先進自動車産業地帯の形容には当たらなくなったのだが)、Baharat Forge、Kalyani forgeを筆頭に多数の鍛造工場が点在している。Hirshvogel,Western India ForgingもPuneである。Puneの北のChakanは、現在超大規模な工業団地が建設されており。フォルクスワーゲン、メルセデス、マヒンドラ、バジャジオートなどの自動車や2輪の工場がオープンし、一緒に鍛造工場もここに新工場を開設している。ほとんどの設備は全自動の最新鋭機である。マハラシュトラ州では他にAurangabadや、Nashikにも鍛造工場がある。Aurangabadはアジャンタの石窟の観光拠点でもある。

ムンバイの対岸に位置するグジャラート州は、インド独立の父マハトマ・ガンジーや、現首相モディーを輩出しており、RajkotやAhmedabadを中心に多くの工場群が集積している。特に鋳物や鍛造など3K企業が集積しているのが目立つ。しかしここではベアリング産業の集積が見られ、 リング材の鍛造を行う会社が多い。 RolelxやEchjay社などである。最新鋭の全自動大型ホットフォーマーも導入され、まさに世界のトップレベルにある。

 

9.南部インドの鍛造業の現況

Bangaloreにはトヨタ自動車があり、近接する工業団地に日本から尾張精機が進出している。Bangalore(カルナタカ州)からHosur(隣のタミルナドゥー州)に至る街道沿いにはSansera、Bill Forge など多数の鍛造工場がある。HosurにはTATAグループの腕時計会社Titan Watchの工場がありケースの鍛造をしている。Titan Watchは純インド製腕時計で、 日本でもインターネットショッピングなどで購入できる。 IFB(Indian Fine Blanking)社もBangaloreにある。 近くのTumkur にはFitwel Toolがある。

チェンナイには現代自動車やBMW、フォード、ルノー日産などの自動車工場があり、鍛造工場もNatesan、Super Auto Forge、MM Forge など多数ある。 Sundram Fastenerはインドトップのボルト・ナットの会社で、分工場が海岸伝いに南下したPondicherry(旧フランス領で、独自自治権を持っている)にある。北上して隣のアーンドラ州に入ったところにSri City工業団地ができ、ここにISUZUがピックアップトラックの工場を作った。ここには日鍛バルブのバルブ工場もある。

コインバトールにも鍛造工場がある。

 

10.労働力

インドの労働力は今のところ十分ある。一生懸命働くと自転車がオートバイになり、それが小さな自動車になってゆき、突然のスコールでもずぶ濡れになることは無くなる。部屋もエアコンが入れられ、いずれ持ち家も夢ではなくなると、かつての日本の高度成長期と同じ状況であるので、何しろ土日も返上で夜遅くまで働くのである。営業に至っては、日本人の感覚であれば夜10時以降や土日の売り込み電話は手控えるのが常識だが、インドではそれはまったく当てはまらない。日本であれば日曜日に売り込みの電話を相手の社長にかけたらその商談は消えるはずだが、インドではそれがまったく問題にならず、常識的らしい。

 

11.カレーと和食、工場もそれと同じ?

まるで謎かけ問答かも知れない。和食は素材の味わいをとことん突き詰める。マグロであれば赤身、中トロ、大トロと分けて楽しむ。インドのカレーはその真逆である。まぜこぜ文化。混ぜないと気が済まない。そもそもカレーの母材が混ぜることから始まる。ターメリック、クミン、ガーリック、唐辛子、ジンジャーなど多数のスパイスを家伝の量と配合により石臼で挽き作るのである。できたカレーはジャガイモカレー、茄子カレー、チーズカレー(ちなみに豆腐とほとんど同じようなチーズで熟成させていない)などと、ダールという豆を原料にした辛くないカレーを自分の好みでミックスして食べるのである。南インドではさらにそれらにヨーグルトが加わり、自分好みにごちゃごちゃにして食べる。まぜこぜごちゃ混ぜ食文化である。このそれぞれの手法・スタンスが工場運営にも反映してくるので面白い。

日本の工場は秘密主義で開示を好まない。自分が永年手塩にかけて熟成したその手法がベストに近いという信念があり、苦労したプロセスを他者にまねされたくない。純粋培養、交流拒否、持ってゆかれたくない。秘密堅持。

インドではカレーと同じく真逆でミックス。A社の工場スタッフは勤務3年後(居るのは2年が良いとこで、最後の1年はボーナスに近いらしい)同業他社のB社に転職する。その際A社の技術を全部B社に持って行き、B社の技術はA+Bのまぜこぜになる。B社の社員はA+Bとなった技術を持ってC社に転職し、ここでA+B+Cのまぜこぜになる。C社ではD社から転職した社員とE社から転職した社員が居り、ここでは、最終的にA+B+C+D+Eになる。このミックス技術がまた転職でA社に戻ってきたりするので話しはややっこしくなる。このように現場サイドでの技術の遺漏はインドでは日常茶飯時で、出て行ったり、逆に入ってきたりして、結果思わぬ味付けで面白い技術ができてしまったりする。純粋培養ではなかなか起き得ない。

常識に決してとらわれないというのもインドの特徴である。そもそも常識が本当なのかどうかという疑問もあるのであるが、日本の教科書ではやってはいけないとなっていることは、納得がいかなければ平気でやってみるのである。それで思わぬ好結果が出てしまうのが誠に面白い。インドでは何でもまぜこぜにする文化、それが急速な発展につながってくる可能性が高いと思っている。

 

12.弊社とインドの関わりは60年

1960年、インド政府の懇願により日本のシチズン時計は腕時計製造のプラント輸出をインド国営のHMT(Hindustan Machine Tool)社に対して行った。HMT社は工作機械メーカーであったが、この為1953年に時計製造部門を設立している。

腕時計のケースは当時弊社の製造品目であったフリクションスクリュープレスで冷間鍛造しており、5次に渡る輸出の中に弊社のプレスが多数含まれていた。バンガロール郊外のトムクールや遠くカシミールのスリナガル工場にも輸出された。その後民間のTITAN Watchが時計の製造を開始したが、ここでも弊社のスクリュープレスが何台も導入された。60年経過してもそれらプレスが健在で稼働していることが名誉なのか、商売の上では困ったものなのか判断には苦しむが、いずれにしても日本製機械は壊れないという名誉に対しては貢献していると思っている。しかし時計関係のビジネスは終わってしまい、現在自動車やオートバイ部品関係の設備が受注の主流となっている。

 

13.おわりに

姓が鈴木であればインドでは運が向くはずだ。スズキ自動車のインドでの功績は大きい。

中国が20年程前に自国を「世界の工場」にすると意気込んだが、今のインドがまさにその状況である。Make in Indiaである。しかしながら、インドは中国のように急速には発展しないだろう。インフラ整備が一挙にとは行かない。モディー首相がいかに強権であっても、住民をどけと言ってどかせられない。中国を凌駕しつつある人口は潜在的マーケットとして大きいが、インドはすでに輸出にも舵を取っている。ヨーロッパの自動車部品はどんどんインドの会社が奪い取り輸出している(図5)。

 

ヨーロッパに輸出される鍛造品の一例1の画像

ヨーロッパに輸出される鍛造品の一例2の画像

 

5 ヨーロッパに輸出される鍛造品の一例

 

アフリカにおけるインド製2輪のシェアは高く、インドでは4輪が増えたからと言って2輪の生産は落ちない。南米でもインド製2輪は健闘している。

水道水が清潔になったのか、かつてのように食あたりする比率も低くなった。文化のバロメーターであるジーンズも増えてきたし、すでにホステスのいるカラオケもある。 

低所得者層に対する国の教育施策は非常に手厚く、若い人を育てる教育体制が半端ではないほど整っている。 次代に多くを期待しているのだ。インドのポテンシャルはあらゆる面から大きいと考えて良いだろう。

 

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