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世相

平成29年 夏

  • 2017年10月

 

世相日本世界感じるままに        榎本機工㈱ 社長 榎本良夫  

 

「一人一台」

自動車、オートモービル、文字通りになるかもしれないという事が現実味を帯びてきた。全ての車が電気自動車になる事を待つまでもなく、どうやら世界の産業構造が劇的に変る可能性が強くなってきた様である。GPS、高いセンサー技術とAIが車の自動運転の実用化にどんどん拍車をかけてきている。2030年前後には世界の産業構造が劇的に変化する可能性が否定できない。自動運転システムにより車は衝突しなくなるので、車の外板は衝突を前提に製作する必要性が無くなる。樹脂の活用によりボディーはより軽量化され、エネルギー効率が上がるだろう。安全ベルトだとかエアーバッグは不要となる。高齢者が公共交通機関に頼る必要性が無くなる。車に乗って行き先ボタンを押せば勝手に連れて行ってくれる。運転免許証の取得がそもそも不要になる可能性もある。運転の必要がなくなるのだから運転の免許というのもおかしい。車は共同活用が増えるだろう。持たずに必要な時に借りるのだ。スマホを押せば必要な時に車が来てくれる。駐車スペースも要らなくなる。したがって車は近い将来所有する物ではなく、必要なときにレンタルするのが一般的になるだろう。 一人一台、タイトルで書いた対象物は人型ロボットだ。いずれ遠からず人型ロボットは一人一台(あるいは一人数台になる人もあるはずだ)の所有になる可能性が高い。自動車産業に取って変る莫大な量の産業が出現する可能性がある。もちろん価格次第であるが、1台500万円を切ればあっという間に需要が創出されるだろう。老人は介護と癒やしで必要だ。特に過疎地では必須である。風呂にも入れてくれる、マッサージもしてくれる。一緒に(自動運転の車で)お使いにも行ってくれる。お友達が出来、孤独死が無くなる。体調が悪くなれば救急車も呼んでくれる。オフィスでは一人に秘書ロボット一台。赤ちゃんはロボットが面倒見てくれるからお母さんは心配なく仕事に行ける。幼稚園や保育園ではロボットの先生(いや幼稚園自体要らなくなるかも知れない。自宅保育だ)。厳しい農作業などはロボットがやってくれる。3Kと言われる厳しい工業界もロボットが代替で働いてくれる。恋人の居ないシングルももう安心だ。しかし子孫の存続は心配だ。そして悪い連中の手先となり、悪さするロボットも出てくるのも間違いない。もうサイエンスフィクションがフィクションでは無くなる時代がもうそこまで来ているのである。

 

「橡の実、綾部おばあちゃん」

京都府綾部、京都から日本海に向う途中、福知山のちょっと手前の町である。福知山から日本海側に抜けるには高い山岳を越えなければならず、その山岳の先にある丹後半島一帯は多数の古墳があり、かつては一つの国家集落を形成していた様だ。恐らくは朝鮮半島からの渡来人であろう。北九州、出雲の延長線上に丹後半島が存在する。従って高い山岳の前にある福知山の、またその手前にある綾部は昔から京都圏内であったと言って良いだろう。 橡(栃)の実は、マロニエの実と言えばよく分かるだろうか。栗に似た実で街路樹として沢山あるヨーロッパでも9月頃実を落とす。日本でも昔は常食されていた様だが、渋が強く、渋抜きに多くの手間がかかるので、現在食料としての地位は低い。しかし食料事情の悪かった過去は飢饉時の非常食としても重要な存在で、ここ綾部でも自然林の伐採の際、橡の木だけは意図的に残された。綾部の山中には先祖が大事に保存した橡の木が沢山あり、半ば使われていなかった実を、村のおばあちゃん達が煎餅や御菓子に加工してお土産として販売しているというNHKのテレビ報道があった。おばあちゃん達が商品価値を高めて沢山売れる様に知恵を絞っているのだが、高齢化する日本の将来を考えるとほほえましい番組だった。こうあるべきだろう。老人を足手まといとしてでは無く、そのパワーを最大限活用し、金銭的自活の道を創成することが今後の日本で大変重要な事になる。橡の実おばあちゃんの様な老人をあちこちで創成するのだ。

 

「親から受けた恩、教育、メール通信」

中小企業の総責任者、オーナーとして私は私なりに精一杯奮闘努力している。これを書いている今も遠くまで来たブラジルサンパウロで、移動前に少し空いた時間に原稿を書き込んでいる。時間は有効に使うのがモットーだ。親から受けた恩で最も大きなものは何であっただろうか?教育だと思う。学校へ行き、大学まで進みその課程で得た知識とそれのみならず沢山の友人達と過ごした時間が現在の行動規範になっていると思うのである。運もあったはずだが売り掛け回収に焦げ付きが出た事もなく、運転資金にさして苦労した事もなく、なんとかここまで陣容を張り続ける事が出来ているのも祖父から3代目の利得を享受している事もあるが、受けた教育で切り盛りしてきた結果でもあると思って居る。祖父は口減らしで家を出された経緯もあり、教育を受けていない。字も書けなかった。それでも才覚と職人魂でプレスを作り初め創業した。しかしながら自身が教育を受けていなかったので部下の育成ができず、戦争中に部下は逸散して戦後一人も戻って来なかった。父の回顧談からすると、「恩を仇で返された」と恨み節である。父は戦争でこれまた教育を満足に受ける機会を失い、戦後会社を再開した際、独力で人を雇い入れ会社の建て直しをした。父も自身が教育を受けた過程が無いので部下を上手く育てるプロセスに欠けていたと思って居る。教育の重さを実感する。人格を磨くには読書が最善と考えている。読書と共に文章を書くという過程は人格をさらに磨き上げる。読むと書くは一体で考えるべきで、これで完璧になる。文盲でも言葉はしゃべれる。話すと聞くはハンディキャップさえ無ければ万人に備わる。しかし読むと書くは教育を受けないと出来ない。「推敲する」と言うが書くプロセスで頭の整理が出来て知識がまんべんなく整い頭に入り残る。書くプロセスは非常に大切である。コミュニケーション手段として「言う」はその場でやっているので誤解されれば即座に修正出来る。しかし「書く」は一方通行が故、誤解を受けない様に完璧を期する必要がある。 従って私は部下が書くメール文章にたいしては非常に厳しい対処をしている。日本語は頻繁に主語抜けがあるので文章に誤解が生じやすい。だからそれが無い英語を書かせるとへんてこな英語を良く書く。文章をきちんと日々書かせる手段としてのメールは結構重宝なものと思っている。

 

「インド、自動車、外気取り込み」

インド・デリーでの車移動、座席が全部埋まった状態で雨が降ると窓の内側が曇る。外から空気を取り入れるセレクトにし、窓に風が当るモードにすれば曇りは自然に取れるのが、そうはせず汚いぞうきんでせっせと窓を拭く。外から空気を取り入れるモードには誰もしないのだそうだ。それはそうかも知れない。公害によるデリーの空気汚染は中国の都市部を凌駕する汚さだ。

 

「インド飛行機・列車 アルコール、私刑」  

インド国内では旅客機内、列車内でアルコール飲料を飲む事は禁止されている。先日飛行機でムンバイからデリーに移動した際の事、私の乗る飛行機はムンバイからデリーを経由する北米行きの国際線の区間の一部で国内線旅客を乗せる便であった。ムンバイからデリーまで空席がもったいないから国内線顧客を乗せるというわけだ。アライアンスの関係で私は搭乗前にラウンジに入る事が出来る。しかしラウンジ受付で、私は国内線旅客なので中でアルコールは飲まないで下さいと釘を刺された。がっかりする必要もなく、どうでも良い事だ。中に入ってしまえば誰が誰だかわからずお構い無しだ。しっかりと赤ワインをバーカウンターで注文し、おかわりも頂戴し、酔いを満喫したのである。 なぜ公共交通機関でのアルコールが法律で禁止されているのだろうか? 多分だが、インド人特有の、人が沢山集まるとあらぬ暴力行為が発生してしまうという事があるからだろう。空港や飛行機の中で何が気に入らなかったのか知らないが激高するインドを良く見かける。インドでは私刑がしばしばある。沢山集まって、気に入らないやつをよってたかって殺してしまうのである。最近群衆がレイプ犯を刑務所から引きずりだして私刑に処してしまった事があったらしい。交通事故で人を轢き殺してしまったらすぐ逃げろというのがインドでは常識で、事故現場でうろうろしていたら集まってきた群衆によってたかってとっちめられて最後は殺されてしまう可能性があるからだそうだ。実際実例が結構あったからに違いない。閉塞された航空機内や列車内では、まま不満が爆発する事が起こりうる。そこにアルコールで酔った連中が加わればとんでもない騒動になる可能性があるからアルコールが禁止されているに違い無い。 集まって撲殺するのはインドに限った事ではない。宗教間の対立から、あの近辺では同じ事がしばしば発生するししている。第二次世界大戦後イギリスの統治から独立を果たす事になるインドだが、ヒンズー教・イスラム教・仏教の異なる宗教間の対立からインドはやむを得なく、インド、東西パキスタン(西パキスタンはその後バングラディシュになる)とセイロンに別れてしまう。マハトマガンジーは最後まで統一インドの実現に努力したが出来なかった。 (ガンジーは統一が出来なかったという恨みから同じヒンズー教徒に暗殺されてしまう)この分裂独立の際それぞれ別の地区に住んでいた異教徒は移動を余儀なくされる。つまりインドに居たイスラム教徒はパキスタンに逃げ、パキスタンに居たヒンズー教徒はインドに逃げるのであるが、それぞれの終着地にたどり着いた列車の中は撲殺された遺体の山であった。

 

「電報」

「ハハキトク・スグカエレ」昔私が子供の頃、電話がぼちぼち家庭にも普及し始めた時であっても、まだ田舎では電報が唯一の緊急連絡手段であった。我が家に電話が無かった頃、父が出張先から送った日程変更の電報が母宛届いた記憶がある。どこの国だったかふと電報の話題が出た。もちろん昔はそんなものがあったといった昔話。ほとんどの国ではもう電報のシステムその物がもう無くなっている様だ。必要性が無くなったという事である。ところがそれじゃ日本もという話になったところで、どっこいまだ日本は立派にシステムが残っているのである。祝電やお悔やみ電報で立派に残っている。電報本来の緊急連絡としての手段では無くなったのであるが、電報が残っている。これ、日本だけであろうか?

 

「発明は必要の母」

通常は「必要は発明の母」である。必要が存在するから発明が為されるという順序で言われている。必要は発明が出る為のお母さんという事。「発明は必要の母」これは真逆である。発明っていうのは必要を喚起提起する為に先行してすべきだ、という事だ。つまり需要を喚起させる発明をするべきなのだという逆思考である。カシオの創業者、樫尾3兄弟の技術担当の次男が常々言っていた言葉だと、樫尾3兄弟の本で読んだ。電卓、カシオトーン、Gショック腕時計など確かに新しい発明で新たな需要を喚起した。

 

「貧困を救うより雇用の確保、会社の使命」

普通の家庭が貧困化する内容の報道がしばしば目につく様になった。就学児童にその貧困のしわ寄せが来ているらしい。まともな食事が摂れない、文房具など必要な物が変えない。 衣食住に事欠くという事で政府が対策しないとこのままでは子供達の成育に問題が出るという。福祉対策が必要なのだろうか? 違うと思う。根本は雇用の消失だ。きちんとした雇用さえ提供できれば殆どの問題は消失するはずだ。民間企業の雇用の創設と拡大が必須条件だ。公務員の増員は不要だ。それでなくても効率が悪く不採算で、江戸時代の様にもっとアウトソースを活用すべきだ。民間企業・会社の使命がこれなのである。政治は民間企業が雇用拡大できる様なサポートをしさえすれば多くの問題は消失する。貧困家庭も減る。子供達ものびのびと成長出来る。

 

「中国、初詣、葬式、お寺」

中国の旧正月、日本の正月より大々的にお休みを取り、ふるさとに帰る人達で交通機関は麻痺してしまう。さぞかし初詣も凄いのかと中国人に質問したところ、お寺などへの初詣は一切ないのだそうで唖然とした。日本の様にお寺や神社に詣でて「厄難消除」とか「家内安全」とか「商売繁盛」など今年一年のお願い事をする事が無いのだそうだ。そういえば中国ではお寺の数が極めて少ない。日本の様に町や村のあちこちにお寺や神社がある光景を目にしていない。東京にも大阪にも街中に江戸時代から続くお寺や神社があちこちに点在するが、中国では目にしていない。初詣参拝しようにも対象が無いのである。ついでにお葬式にお寺の坊主を呼ぶのか聞いたがそれも無いという。かと言って韓国の様にキリスト教の教会があちこちにあるでも無い。文化大革命を経て宗教観が喪失してしまったのだろうか?ついでだが台湾はそうでは無い。仏教、馬祖、孔子廟などまだ沢山の仏閣があちこちに点在し多くの人が拝みに来るのである。

 

「プレミアムフライデー」

失政であった「ゆとり教育」の企業版か。ばかばかしいと個人的には思う。企業は競争社会の中にある。定着する事はないであろう。過重労働のブラック企業の肩を持つのでは無いが、金曜に少し早じまいするかどうかなど、それぞれ個人と企業が勝手に考えるべき事だ。そんなのに正直熱心に取り組む会社など無いはずだ。昔、「通商産業省」は「通常残業省」と省内で呼ばれていたらしい。「大蔵省」では仕事が立込むと仕方無く「ホテルオークラ」に宿泊した。大蔵省の地下とかに仮眠室があったとか聞いた。ホテルオークラである。今でもそうなのでは無いだろうか? 警察官、医師や看護師、過重労働を余儀なくされているはずだ。仕方が無いとは言え、頭が下がる。税務署もそうかも知れない。こちらも頭が下がるか?過ぎたるは及ばざるが如しとは言うがどうしてもという場合もある。ゆとりと言っている間に、インドとか中国とかベトナムとかアメリカとか厳しい競争社会に居る国々に先を越されて行くのは想像に難くない。そもそも若い人達が金曜早仕舞いして飲みに繰り出しリラックスさせるという目論見らしいが、若い人達こそ自分を磨くべきだ。コダックとフジフィルム、片方は消えたが片方はなお一層盛んな企業活動を展開している。フィルム写真が消える中、残ったフジフイルムの生き残り策は生半可な物では無かったと言う。時間もお金もゆとりなど無かったはずだ。

 

「狸汁」

ドラマ「おしん」、奉公先から逃げ、極寒の中で猟師に拾われた瀕死のおしんが最初に口にしたのが狸汁で、それを口にした途端「うめー」と叫ぶのであった。狸と犬は親戚だから中国などの犬料理も狸汁と近くとも遠からずなのであろう。かく言う私も中国では何度か犬料理を知らないうちに振る舞われている。美味しいとかまずいとかいう味覚は国毎に違うのであるが、恐らく子供の頃に身につくのであろう。エスキモーは生肉の腸などをそのまま食べると言うがそれも美味しいのだろうか。ブルーチーズだとか中国の腐(臭)豆腐だとかは我々日本人の味覚には合わない。逆に納豆だとか塩辛は西欧人には口に合わない。タイや東南アジアのパクチー(コリアンダー)という香草も多くの日本人の味覚には合わないが私は慣れてしまって、かえってタイスキやインドのスープには無いと寂しい。砂糖の入った甘い御菓子はどこの国でも多くは抵抗ないだろう。多くのお酒は左党には問題は無いかと思うが、中国の高級酒「白酒(パイチュー)」は高粱(こうりゃん)が原料故私は臭くてなじめない。映画「きみの名は」で話題になった口噛み酒もAKBなんかの物だったら美味しくいただけるのは間違いない。

 

「切れる老人たち」

私自身すでに老齢の域に入りつつあり、時々起こす立腹とそのアクションには十分注意しないとならないと自戒している。できれば素敵な老ジェントルマンで終わりたいものだ。齢を重ねるにつれ子供に戻ってしまって行くと良く言うが、小さな子供がダダをこねるのと違って分別ある老人が切れると始末が悪い。自己中心独善的になって行くのであろうか。 近所に幼稚園が出来るとうるさくて困ると反対するが、孫と思えば許せないのであろうか。自分が幼い頃は静かにお利口にしていたのだろうか?何とも理不尽に思える。不満の鬱屈。老人がますます増える老齢化社会であるが、共存する為の意識を変える必要があるだろう。

 

「隼、火星、レアーメタル」

宇宙飛行士の目は地上しか知らない我々の目とはかなり違う。命と莫大なお金を掛けて宇宙まで言っているのだからそうだろう。多くの宇宙飛行士は哲学者になる。遠くから青い丸い地球を見るとそうなるのだろう。山崎直子さんの講演を2度拝聴する機会があった。火星探査機のぞみや、小惑星探査機はやぶさはそれぞれの星からレアーメタルを採取して日本に持ち帰る遠大な目論見があるという事だ。その目標がいつ達成できるのか推し量るべくも無いが、スケールの大きいプロジェクトである。国家予算はこの様な規模のおおきな将来的なプロジェクトにこそ思う存分支出すべきだと思った。

 

「出雲大社」  

最近の話題。主題をどう発音するか?「いずもたいしゃ」では無く、「いづもおほやしろ」というのが正式な呼び名と仮名遣いという事だ。言わずと知れた縁結びの神であるが、なぜだろうか?縁結びの神様にはそれを希望する妙齢の男女が多数参拝に来る。そこで何かきっかけが出来、結婚に至るカップルが結構できるからという事だろう。結婚願望がある若い男女は2~3日続けて出雲大社に御参拝すると良いのかもしれない。良き伴侶が見つかる可能性がある。

 

「勘弁してくれブラジル」

6月、(過去)ブラジル最大規模の機械展示会Feimafeに出展してきた。

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2年に一回開催され、すでに前回も景気低迷による出展社・出展面積減であったと記憶しているが、どうやら今回は前回規模の半分に転落した模様である。前回終了後開催者側の内部分裂で今年5月にExpomafeという同等の展示会が開催され、半分近くの出展者がそちらに移動してしまったらしい。そもそもブラジルの景気は凋落しており、出展者の数が減っているのに主催者の仲間割れで一つが二つに分裂した。出展者や来場者のお客様の事などお構い無し、ひどい話だ。ブラジルの輸入関税率は非常に高く、これは国内産業保護の名目であるが、これが裏目に回り非効率で精度の悪い国内機器装置を使わざるを得ないか安価で壊れやすい輸入品を選択するしか術が無く、生産効率の悪さから出来た製品が国際競争力を失う結果となっている。高い関税を支払って良いマシンを輸入してもこれまた製造コストアップとなり競争力を失ってしまう。合わせて手厚い労働者保護に支払う代償も企業を圧迫している。輸入規制を希望する業者と政府との癒着がある。分裂展示会もそうだが、国をまとめて行く政治力に乏しさを感じる。南米最大の人口はそれなりの潜在需要を持っているからいずれは浮かび上がる事は間違い無いが、現状では沈むばかり。なんとかしろ、ブラジル!

 

「少子化は止まるか」

人生の中で何が楽しかったかと言えば、やはり小さな子供達と過ごした10年か15年位の間だ。子供を育て、子供と過ごした一時期が動物でもある人間として一番充実して楽しいはずだ。結婚もしない、しても子供を作らない家庭が増えているが諸事情はあるだろうが危機感を持つ必要があるだろう。人型ロボットは老人の相手として価格次第で家庭に入ってくるのは時間の問題だと述べたが、そうであれば愛人ロボットも同じかも知れない。ロボットは子供を産めないから将来人類がどうなって行くのか誠に不安要素がある。逆にロボットが家庭に入り込んで家事育児を分担すれば子供の数も増えるかも知れない。人類は一般的な動物と違い、メスが奇麗でオスが地味である。動物や鳥は雄が奇麗で雌が地味。これはダーウィンの進化論その物で、人類はオスが弱いからである。基本的に人類は一夫多妻なのだそうだ。だから女性の方が奇麗につくろう。最近女装の男性や女になった男性が芸能界で目に付く。これに愛人ロボットなどが介在するとますます将来はこんがらがって来てしまいそうだが少子化は止めないと人類は滅亡するのである。 何かと天変地異が続発する日本と世界、今年も前半が終了し、貴社の後半のご検討をお祈りします。

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