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世相

平成20年 夏

  • 2008年08月

「ゴルフ」
元防衛庁次官に対する大量のゴルフプレー接待が発覚した。ゴルフプレーヤーにとっては心外な事だろうが、いつもゴルフは賄賂の一つとして提供される代表的なスポーツなのである。私はゴルフはしない。若い頃業界仲間からは盛んに誘われたが、厳しい父親が社長の折は、業務修行中、平日の懇親ゴルフに参加するなど考えもしなかったので、やる時期を失してしまった。20年前に業務を引き継いだ際は、やらない方が賢明と思いやらなかった。大概の場合、社長や役員の接待・懇親ゴルフは社員の不満の種である。自分たちが働いている最中にゴルフに公然と行く事への不満だ。行く側はほとんど気がついていないが、不満は頻繁に耳に入ってくるから仕方がない。気づいている場合は言い訳をする。「うちの社員は良く理解してくれているから」。社長の番頭と社長の息子がしっくりやるには、皆と一緒に汗を流し、業務唯一邁進が一番良いと思ったので、私はそうしてきた。いや、皆以上にやらなければ癖のある番頭がついてきてくれるはずがないと思い、そうしてきた。皆が均等に休む日曜はまったく構わないのだが、平日にゴルフなど考えもしなかった。「皆でつるんで平日賭けマージャンするのと、ゴルフに行くのとどう違うのか?」と、これは自身が倒産経験のある、八起会(倒産コンサルタント)の野口社長の言葉だ。景気の悪い時期はゴルフ禁止などとする会社があるが、スポーツとは景気が良くてやり、悪くなると禁止されるべきものなのか? 社員は皆理解してくれてるからと、スポーツとはそんな言い訳をしながらするものなのだろうか?へそ曲がりと言われればそれまでだ。尊大のそしりを受けるかも知れないが、今の会社は私が平日のゴルフをしなかったから持っている部分がある程度あると思っている。

「安倍前首相」
民間企業であれば、一度社長となった後自己の能力不足を主因として任期半ば、自らその座を去ったとしたら、その会社を辞するのが普通であろう。技量不足なのであるから会長にもなれないし、顧問や相談役として残るのも許されない。もちろんギブアップした事実は社外にも出てしまうから、他社に相当職責で移る事もあり得ないだろう。一度降参したのだから誰も認めない。色々地元組織とか周囲のしがらみもあるのだろうが、政治の世界は別の様だ。

「ブラジル・アルゼンチン」
奇しくも移民百周年を迎えるブラジルに、初めて商用で出向く機会があった。ついでといっては叱られるかも知れないが、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにも足を伸ばした。 昨年ドイツで開催されたヨーロッパ最大の機械見本市EMOショー出展の際に、弊社小間に来訪したブラジルとアルゼンチンの各社への訪問であるが、ここ数年付き合いのあるサンパウロの鍛造会社の社長宅にはホームステイもさせてもらった。貿易特区であるアマゾン河上流のマナウスにも行ってみた。マナウスの某社向けの機械をすでに注文いただいている。
1494年、ローマ教皇の計らいにより、スペイン・ポルトガル両国の間で、トルデシーシャス条約が結ばれた。条約というのは、キリスト教を世界に広めるという名目の元で大西洋上の西経48度のあたりに線を引き、東をポルトガル、西をスペインが領有するという、実際は植民地獲得の縄張りの線引であった。ブラジルは南米大陸から大西洋に飛び出しており、線引された48度線の東側であったのでブラジルだけが南米の中でポルトガル領となり、現在でもブラジルだけがポルトガル語を使用しているのである。
西暦1500年、ポルトガル人が初めて漂着した時以前は先住していたインディオの国であったが、以後ブラジルは植民に入ったヨーロッパ人と、コーヒーや砂糖キビの栽培で必要だった労力として対岸のアフリカから商品として買われて来た黒人奴隷、さらに奴隷禁止となった1850年以後活発となったヨーロッパや日本からの移民による沢山の人種のるつぼの国となる。
現在人口は1億8千万人(欧州系55%、混血38%、その他東洋系・アフリカ系)、国土は日本のおよそ23倍である。
ハイパーインフレは、一九九五年から2002年の間のカルドーゾ政権の間で収束され、現在経済成長の最中である。はからずも鉄鉱石や農産物資源から精製されるバイオエタノールなど、資源輸出国として現在世界から大きな注目を受けているのは周知の通りである。
次項のロシアもそうで08saopauloあるが、ブラジルの最大都市であるサンパウロなど見る限り、都市インフラは長い西欧文化の影響ではおおむね出来あがっており(写真)、人口もさほど多いというわけでもなく、BRICSの一国として中国やインドと一括りしてしまって良いのかと疑問に思う部分が多い。
アルゼンチンは日本の国土の約7倍、人口は4千万人(スペイン・イタリア系が97%)である。ブエノスアイレスの街並は、ここはヨーロッパの一部ではないかと思うばかりのたたずまいで、夕方になると舗道で音楽に合わせアルゼンチンタンゴを踊るカップ08brazilルもいる。なにしろ白人ばかりだ。スペインが来た時に先住のインディオを全部始末してしまい、牧畜が主だったので黒人の奴隷も必要でなかったので、完全に白人の国となってしまった。
両国共、走る車はフィアットとフォルクスワーゲンが圧倒的多数である。ブエノスアイレスを走る日本車といったら、2%程度であろう。サンパウロはさすがに結構日本車は走っている。やはり人口、産業規模から言って南米ではブラジルが産業の主流である事は否めない。鍛造工場もかなりある事が分った(写真)。
地球の反対側なので遠いのが難点だが、マーケットの開拓は必要だと見れた。

「ロシア」
 1917年、第一次大戦中に民衆の騒乱が拡大し、収拾がつかなくなった結果退位したニコライ二世のロマノフ王朝は300年以上も続いている。この王朝時代の首都であったサンクトペテルブルグのエカテリーナ宮殿を見ると、ロシアをBRICSの一国と勘定して良いものなのかどうか疑問が湧いてくる。ここは完璧にヨーロッパの一角で、文化文明もヨーロッパである。
日本の国土の実に45倍の広さに、約1億4千万人が暮らす。国土のほとんどはシベリアの原野で、人口からすると中国やインドと比較して一桁少なく、ここが中国やインドの様な巨大マーケットが今後醸成されるのかどうか疑問ではある。都市部のインフラは整っており、モスクワの地下鉄などは、50年以上も前から敷設が開始され、網の目の様に張り巡らされた各路線は現在郊外各所に延伸工事が行われており、値段交渉がやっかいなタクシーに比べて誠に使い勝手が良い(写真)。08moscow3発展途上の国とはとても言えないだろう。
しかし自動車産業は長い間の社会主義体制の間に西側とは技術面で大きく離されてしまい、現在西欧やアジアの自動車メーカーがこぞってロシアに進出し始めている。トヨタ・日産を始め多くのメーカーが、かつての旧都サンクトペテルブルグ(ソ連時代の呼び名はレニングラード)に進出を決めているのは、ここに良い港があるからであろう。ここは軍港でもある。目の前がバルト海であり、ポーランドへもドイツへもスカンジナビア諸国へもつながっている。日本の自動車はびっくりする程多く、ほぼ全部のメーカーの車が出そろっており、勘定する場所にもよるが、下手をすると3~5割も日本車である場合もあるほどだ。欧米のメーカー、韓国車もある、そしてびっくりするのは多数の中国の奇瑞の車だ。
さすがにモスクワでは日本車の%は下がるが、それでも2割強ほども走っている様に見受けられる。レクサスも多数走っている。三菱やマツダ、スズキも健闘している。
BRICSの一つとして勘定するに疑問を呈しながらも、弊社はロシア最大の機械見本市である、メタルオブラボトカ2008に初出展をした。過去多数の国の展示会に出展している経緯があるが、今回は手続きや搬送で大変だった。ビザ一つ取るにしてもロシアは大変だ。何事も簡単に済むはずは無いが、ここ当分ロシアビジネスの開拓には大きな苦労が伴うものと見ている。08moscow2モスクワ(サンクトペテルブルグも)の夏は昼が長い。展示会終了の午後6時は夕方では無く、夜の10時近くなってようやく日が沈む(写真)。逆に冬は夜ばかり。ロシアの人達は5月から8月の短い春から夏の間、夜が更ける深夜まで外での生活をエンジョイしている。羨む程たくさんある市内の公園は夜10時頃まで人でいっぱいだ。
煮込み料理が多いのは冬の寒さ故の事と思うが、有名なボルシチを筆頭にそれぞれ美味しく、またカザフスタンやウズベキスタンなど周辺国・中央アジアの料理も沢山堪能できる。寿司ショップチェーン店も沢山あり、どうやらファストフードのレベルで値段も安く、下手なロシア料理店より安いのにはびっくりした。店のシンボルマークは中国風のラーメン屋らしい絵で08moscow1(写真)、どう好意的に見ても寿司を連想するには程遠く吹き出してしまったものだ。ところで中華料理は「キタイ料理」と呼ぶ。中国は「キタイ」。スクールとかケミカルはCHのアルファベットをカキクケコ発音するが、どうやらチャイナのCHIもロシアでは同じ様なサウンドで発音するものの様だ。

しかし噂にたがわずロシアの女性は透ける様な白い肌と抜群のスタイル。女性のみならず、男性さえもシミやそばかすの無い綺麗な肌だ。おそらく日照時間の短さが、数千年に渡りここに住み続けている人たちの肌をその様にしたのであろう。

「有効期限」
インドの食品の包装に、有効期限としてBest before xxx という記載があった。賢いやり方だ。「何月何日までに食べるのがベストです」。これから推測すれば Better before xxx,
Good before xxx があるのだろうが、前者が「でき得れば何月何日までに食べて下さい」で、後者がいわゆる「賞味期限」であろうか。
Best before であると、その後の期間は消費者の考え次第と判断次第いう事になる。1年後だって、2年後だって問題にならない。賢いと思った。

「先進国」
鉄鉱石の輸入価格が65%も値上がりしたり、レアーメタルの輸出調整、またここ天井知らずの原油高で、いささかおおよその資源を輸入している日本の一国民としては先行きが大変心細い。およそ資源を持てる国が、自己の都合の為に供給と価格を好むがままに制御するのは自然の成り行きなのであって、この基本線は変えようが無いと諦めるしかないだろう。日本としては根本的に生き方を変えて行く長期的施策の策定が必要となって来たはずだ。

これからの先進国とは、まず食糧の自給率が百%であり、さらに余りある余剰分を輸出できる事、さらに化石燃料が不要なクリーンなエネルギーで電力事情(車両の運行を含む)を賄う事ができ、高度のリサイクル技術で、新規鉱物資源が不要となる技術を確立した国、と言えるのではないか?
まずひとつは資源を外から買う必要の無い国にすること。これは省エネ・リサイクル・自然エネルギー利用だろう。エネルギーと工業資材を外から買うのでは無く、輸出品以外は完璧に中で回して利用する。地球温暖化防止を旨とした京都議定書は多くの国から不評だが、言わせておけば良い。時間はかかるがいずれ後悔する。日本は地道にやって行けば良い。
核利用発電所の停止とか、設置反対なども何を馬鹿な事を言っていてはいけないのであって、石油輸入の削減に最も効果があるのが当面これなのであり、何もランプの時代に戻る覚悟があるのならば反対してもらっても良いが、現状の文化生活を営むのを希望するのであれば、何事も反対は許されない。失敗は前向きな取り組みの悪い一結果であり、これを持ってすべてを許さないのであれば人類の進歩は無い。決して諦めてはいけない。前向きに取り組めばいつか解決できる。究極的には太陽光とか、風力とか、地熱とか波とかの自然エネルギーを活用するのが最も理想的であり、これら技術開発に日本は最大限の努力をする必要がある。

資源の輸出としては農水産物に希望がある。これは農水産業を工業レベルに引き上げれば可能である。雪国まいたけでわかる通り、多くのきのこは工場生産だ。日本の緻密な技術力をすれば多くの農産物や水産物を工場ないしは農地・港湾内で気候に左右されない計画生産をする事は可能なはずだ。もちろん無農薬栽培だ。これらの生産基地はもちろん地方となる。東国原宮崎県知事が県産のマンゴーなどの拡販促進に一役買っているのは嬉しい限りだが、残念ながらマンゴーでは駄目だ、嗜好品のレベルだ。もっと生活の基盤である小麦・大豆・トウモロコシなど基礎農産物に力を入れる必要がある。国の予算カットで地方の道路網が整備できなくなり地方が衰退するなど、何を馬鹿なことを言っているのではなく、基礎食料品の供給基地になり、地方から価格コントロールが出来る様になりさえすれば、今度は地方の時代になるのは間違いない。戦後都市部で食糧が十分に配給されず、やむなく近郊の農地にヤミ米などの買い出しにこぞって出たのであったが、その頃を思い出せば良い。安い輸入食料品には多くの問題がある事が分った。農家を拝み倒して食品を分けてもらったあの時代がまた来るとも限らない。これからは地方の農家にこそ希望がある。
これからは、各国とも石油や工業製品より、農水産物の確保に比重が高まるのは間違い無い。だからこれからの先進国とは、農水産物輸出国を指す事になるのも間違いはずだ。
日本は先進国としての位置づけを継続させるのなら、資源を輸出できる国にならなければならない。鉱物資源は無いからどうしようもない。農水産物はやれば出来る。

「マンチュリアン」
インドの中華料理で、インド国内ほとんどどこでもと言って良いほどメニューに載っている、「ベジマンチュリアン」「チキンマンチュリアン」と言うのがある。要は肉団子(ベジの方は、数種の野菜をすりつぶした団子)の餡かけ料理で大変辛い。もちろんマンチュリアンとは英語で「満州の」「満州風」という意味である。満州国は日本の軍部が清の最後の皇帝を都合よく引き入れて意図的に中国北部に作った傀儡国家だ。中国出張の際には、「満州」という言葉はあぶなくて口にもできない。それが何でインドで料理の名前に登場しているのか摩訶不思議だが、もちろんインド人に「マンチュリアン」が何か知っているかと聞いても分かる人はいない。おそらくイギリスの植民地時代にイギリス人が中国から連れてきた調理人がインドに広めたのだろうと推測している。

「両替インドネシア」
まさか年式が古くなると価値が下がる自動車ではあるまいが、インドネシアでのドルからルピアへの両替は、印刷されている年(ドルには印刷年が入っている)によって料率が変わるのだ。1996年の百ドル札はどこでも使用を断られる。なぜか2001年札も使えない事が多い。インドネシア人に頼めば市内のヤミ両替商でどれでもルピアに両替してきてくれるが、印刷年の古いドルは交換料率が悪い。

「海外・国内展示会」
昨年開催された、タイメタレックスやインドネシア機械展では小間数・出展者数・入場者数とも前年を上回り、とくに小間総延べ面積は毎年拡大の一途で、仮設テントを使用してまでの開催となっている。特にタイでは一日で回りきれない規模にまで拡大し、規模が大きくなった反面弊社の様に機械その物を出展しない小さな小間の訪問が省略され、逆に訪問者が少なくなってしまったという皮肉な結果にもなった。

「ゆとり教育・週休二日」
なんでも、本来ゆとり教育は、詰め込み教育を反省し、子供たちに考える力を身につけさせる目的を持っていたらしい。しかしほぼ同時に実施した週休二日制度により、相対的に授業総時間が減り、入試にあまり関係の無い、実験とか歴史など本来考える力を身につけさせる為にやるべきである授業が省略されてしまい、ますますひどい入試偏重の詰め込み教育なってしまったのが現実の様だ。となると、そもそも教育現場での諸悪の根源は週休二日制なのではないか。

「指示待ち」
若い連中が指示待ち人間だと良く言うが、そんな事は無い、年取った連中だって五万と指示待ち人間がいる。社長は指示待ちできない。常に前進開拓して指示を出す立場だ。これが衰え消失すれば会社の存続は無い。指示待ち人間が指示出し人間になって欲しいというのは切ない願望だが、そうしたら全員社長になれてしまうと言われた事がある。人それぞれの役割分担で仕方がない。歩は歩で王将には成れないが金にする事は出来る。打ち手次第という事だろう。

「そんな事聞いていない」
チームプレーである会社組織の中で、風通しの良さはある意味良い会社であり、効率良い運営ができる会社と考えて差し支えないだろう。「報告・連絡・相談」という手段が欠如すると、あの雪印乳業の社長の記者会見での「工場長、それは何なの!」という悲痛な叫びにつながる。組織の中で、部下は上司に「報告・連絡・相談」すべきルールになっているのはもちろん誰でも承知だが、だからと言って座ってふんぞり返っている上司に総ての情報が行くかと言えば、そんな事は絶対あり得ないのである。「そんな事は聞いていない」
と第三者の前で内輪喧嘩する場面にも良く遭遇し、それがお客様であったりするといささか居場所が悪く、困ってしまう。情報は決して座っていて自然に入ってくるものでは無く自分で捕まえに行く必要がある。「そんな事聞いていない」と連発する人の所には終世情報がすべて行く事は無く、雪印乳業の社長の様に、最後のピリオドを自分で打つ羽目になる。

天変地異が多発している。地球が怒っている。日本の地道な行動は「こけの一念」であっても良いのではないか。京都議定書は正しい。CO2削減、地球温暖化防止は絶対に必要。正しい事にはいずれ評価が下される。本年もすでに半分以上が過ぎてしまいましたが、後半の皆様のご検討をお祈りいたします。

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