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世相

平成19年 正月

  • 2007年01月

「タイ・クーデター」
 今回はやはり本件から筆を進めざるを得ない。昨年の9月19日のクーデターが起こった頃、私は、これが最後の利用となるかも知れないタイ・ドンムアン空港を発ちパキスタン・カラチへ向かう飛行機の中に居た。カラチのホテルのCNNのニュースブレークでタイ国軍のクーデターを知ったのである。軍事クーデターといえば日本では昭和維新により天皇親政を画策した二・二六事件を真っ先に連想するので、緊迫感を持つが、今回のタイのクーデターはまさに追放すべきタクシン元首相の外遊中に計画的に実行された無血クーデターであった。国王の承認も含めすべて織り込み済みのストーリーであった。先進国の仲間入りも至近のターゲットであったタイではあるが、この強引な政変に、早速欧米諸国は物言いをつけたものだ。クーデターでの政権交代はよろしくないと。タイに端を発したアジアの金融危機からの復活にもっとも貢献した政治家の一人であったタクシン元首相は、その強引でもあった強力な政治力によって、短期にタイの経済を見事に復活させ、同時に、地方経済も格段に向上させる事に貢献したのであった。しかし、自己の政治力により一族の不正蓄財をするという、多くの発展途上国の政治家が陥りやすい罠に彼も嵌ってしまい、野党や都市部を中心とした国民の反発を買い、国会も長期機能停止の状態に陥っていたのである。追放前の数ヶ月は複数の暗殺計画も露呈した危険状態ではあったが、そんな最中に外遊したのも迂闊ではあったはずではあるが、ニューヨークで出国に際し自嘲気味に応対した「来た時は首相だったが、帰る今は無職だ」という言葉が全てを物語った。
彼が政治生命をも賭して開港にこぎつけた、スワナプーム新国際空港であるが、当初の予定では一昨年開港の予定で、もちろん得意満面であったはずのタクシン氏がテープカットをしたはずではあるが、工事は大幅に遅れ、実際に開港したのは皮肉にも彼が政権の座を追われた9日後であった。まさに真実は小説より奇なり。
外国がいかにいちゃもんをつけようとも、タイの内情は一切変化なしだ。都市と地方の格差が、また拡大方向に向かうかもしれないが、暖かい国、タイでは地方の反旗も大きくは上がらない。

 

「スワナプーム新国際空港」
 広大なバンコク郊外の湿原に、計画から四十有余年して昨秋開港にこぎつけた。将来この空港は世界一の規模になる。そのふんだんなスペースを惜しげもなく使った素晴らしい出来の空港だ。先行し、ハブ空港を目指しているシンガポールのチャンギ国際空港もお株をとられまいか大いに警戒している。ここ数年タイはインドを筆頭とした南アジアや中近東への飛行ルートの充実を図っており、これらの諸国から深夜出発し、バンコクに到着する早朝到着便の朝五時から七時は空港ロビーはインド人を筆頭とした南アジアの人々であふれかえる。まさにタイは東南アジアのハブ空港を目指している。それにひきかえ、依然拡張反対の看板がみっともなくも掲げられ、空港の真ん中に不自然にも民家がポツネンと居残る我が成田国際空港は恥ずかしい限りなのである。遅きに失してはいるが、やはり成田はあきらめて羽田を拡充して国際空港を戻すべきだ。千葉県の女知事がそれにいちゃもんをつけるのならば、ならば成田をどう責任持っていつまでに決着をつけるのだと逆に問うてやればいい。返答は出来ないはずだ。オリンピック東京大会開催がいよいよまな板の上にのぼって来たが、それに合わせて国際空港は至近の羽田に戻すべきだ。いずれにしてもアジアの諸国が素晴らしい空港を次々にオープンしているのである。世界の表玄関であるべき現在の成田は日本国の恥であることに間違いは無い。

 

「履修・週休二日・学校」
 高等学校の進学校での世界史の履修漏れが問題になった。卒業までに駆け込み補修(補習より補修の方がぴったりだ)で賄うらしい。なんでも大学受験科目に重点を置いたが為、どうでも良いとみなされた世界史を恣意的に学校側が省略したらしい。
ここで問題点を三つ列記したい。
まず、高等学校の(多分中学からだろう)教育の内容が依然大学受験を重視したシステムとなっている事(高校教育での主体性が依然として出現しない)。
日本はますます世界市場に出て行かなければならす国際化が加速されるのに、なぜ世界に出て行く若年層にとっては大事な世界史や日本史が教育現場から省略されてしまうのであろうかという不思議と憤り。
履修時間が少なく困っているなら、なぜ週休二日とかゆとり教育という呆けたことを依然堅持しているかという不思議である。
私学の多くは週休一日制である。学生の事を考えれば当然の事だ。勉強にかけた時間に比例して知識は蓄積される。下世話な言葉で言えば、勉強に時間をかけたやつほど頭が良い。学生にゆとりは必要ない。ゆとりは呆けさせるだけだ。ひどい場合はゆとりの時間は悪事に走らせる可能性が多い。ゆとり教育は一面犯罪の助長をしているといっても過言ではあるまい。といってもなぜ週休二日制を元の一日制に戻そうという声が教育現場からも、文科省からも上がらないのかは、やはり当事者が週休二日でのんびりしたいが為もたれかかっているとしか思えない。履修時間問題を抜本的に解決するのは簡単明瞭だ。週休二日制をやめるだけで済む。
大学の入学試験内容は依然ひどい。特に英語は何であのように偏屈でねじり曲げた試験問題を出題するのだろうか。実生活ではまったく必要もないひどい難解な英語を、ただ受験の為だけに勉強せざるを得ない受験生が誠に気の毒でもあり、憤慨に堪えない。出題している大学の英語教授はまさに国賊者と言いたい。
世界史・日本史を教育の場から除外するのはまったく間違っていて筋違いだ。我々は長い歴史の中でのほんの一瞬に存在しているのであるが、過去の出来事、過去の過ち、過去の成功、過去を知る事はこれからの我々のなりわいを策定する上では大変重要な要素なのである。温故知新(古きをたずね、新しきを知る?弊社の若手の為に読みをふる)という言葉さえあるではないか。イギリスの故チャーチルは学生時代ひどい劣等生であったらしいが、世界史だけは抜群な成績であったらしい。過去現在未来、歴史の学習はこれから先の航海の行方を策定する為には重要な基盤要素である。それをまた、なにをよりにもよって大学受験に関係ないからと、日々の教育から削除した学校の校長も教師陣も何を考えているのかと、もう言う言葉もない。
今の教育システムは変えられるのであろうか?いったいどこが悪の元凶なのであろうか?文科省がしっかりしなければならないはずが、どうもここは建前ばかり先んじて頭がかたいという話を多く聞く。

 

「教育、体罰」
 体罰に対する可否論争はあるにはあるが、学校での体罰は概ね否と結論付けられているであろう。個人的にはある限度での範囲内での賛成派である。本田宗一郎は工場でスパナを投げつける位の事までした体罰派だ。私は体罰容認派でもあるが故に、工場の新卒従業員の頭をヘルメットの上から手で叩いたり、尻を叩いたりする事もままある。事、機械工場では約束事の遵守違反は甚大な労働災害にも結びつくので妥協は許されない。叩かれた当人はかなり心理的衝撃があるらしい。他人に叩かれた経験が無いのでやむを得まい。気の毒ではあるが、何が起こったのか瞬間的には判断がつかない様で呆然としている。

もう十何年も前に、長女が私立の小学校に入学した際、先生に、「適当に体罰は加えてもらって構いません」と言おうとしたら、「他の父母から変人に思われるからやめて欲しい」と強く妻にたしなめられたものだ。私が小学生であった、丁度東京オリンピック開催のあたり、ママゴンと先生の葛藤はすでに始まっていたが、その頃はまだ体罰は容認される範囲であった。いたずら好きであった私は結構先生に叩かれていた記憶がある。現今先生は手も足も出ないらしい。熱血先生が出てこない要因でもないか? 
いつだか地元の小学校が、地場産業である地元にある工場見学をグループに分かれて企画し、弊社にも受け入れの要請があったので、快諾したものの、見学予定の数日前にも何の連絡もないので、こちらから気を利かせ、どうなっているのかと問い合わせたところ、弊社への見学は取りやめになったとの返答で、何も言わなかったが憤慨した事があった。その後、地元中学などの同じ内容の要請は一切断っていたのが、いつしか事情が当該小学校の校長に知れる事になり、校長が謝罪に来たのではあるが、担当の女教師をつれて来ず、校長だけが来たのに失望した記憶がある。どうも校長を含めて多くの学校の教師達自体に教育とは何なのかとの設問に対する大きな欠陥がある様な気がする。その先生達が子供たちに教育しているのであるから、結果は推して知るべしかもしれない。
親たちも最近ひどい。結構経済的に余裕のある連中が子供の給食費の支払いを拒んでいるという事ではないか。少子化対策での給食費無償補助は、別の次元で正々堂々と検討すべき課題ではあるが、現在決められているルールに対しての義務不履行は、そもそも国の存続さえ無視する事と繋がる。現在定められているルールでは、支払い能力のある親が子供にただ食いをさせているという事になる。

 

「武漢、英語」
 上海から長江(揚子江)を遡上すると南京を経て武漢に至る事が出来る。勿論武漢には港がある。武漢の漢口には旧日本陸軍の航空基地があった。当時ここから爆撃機を飛ばし、蒋介石が隠れていた重慶を滅茶苦茶に爆撃したのである。中国の人達は勿論忘れもしないが、歴史教育に不備のある日本ではこの事を知っている人は殆ど居ない。北京の首都空港が日本の援助金で整備がされた事を中国の人達の多くは知らないと日本人は憤って言うが、先の戦争の賠償金を中国の毛沢東は請求しなかったという事は、多くの日本人は知らない。
戦争は起こしてはならないもの、という認識は、現在も多くの無辜の市民が犠牲になっている中東紛争を見ればだれもが心得る事であるが、誰がいつどこでどの様な理由でどれほど犠牲になったかという歴史事実はきちんと把握しておかないと、歴史はまさに繰り返されてしまうのである。
武漢は中国湖北省の省都である。走るタクシーの殆どはシトロエンで、武漢に工場があるからの理由である。数年前から本田・東風が武漢に工場を設置したので、いずれ武漢のタクシーにホンダ車も出現するのであろうか。ここでは、弊社のプレスも3台嫁入りしている。その様な理由で私もしばしば娘たちの嫁ぎ先である武漢に行くのである。昨年秋に武漢に行った帰りは、たまたま国慶節の前日だった。武漢・上海の国内線で横に座った武漢大学の学生と話す機会があった。一週間の休日で上海の親元に帰るのだそうだ。英語と、片言の私の中国語である。何の臆する事も無く英語でしゃべる学生ではあったが、これが日本であったらと思うと情けなく思えた。日本の大学生は英語が喋れない。多数の時間とお金をかけて英語教育を受けているのではある。以前記述した、日本の英語教師詐欺師説に対する反論は今もって無い。

 

「インド」
ひょっとするとインドの活況は十年続くかも知れないと最近思う事が多い。インフラの整備には少なくとも五年やそこらはかかるだろう。従って土木建築とそれに波及するほとんどの産業はつられて活況を呈するだろう。目下不動産価格は上昇の一途で、実用と共に投資の対象となりつつある。バブルの走りだ。知り合いのインド人が、「ミスターエノモト、一年で倍近くなるからアパートを買っとけ」というので幾らかたずねると、二という数字が聞こえたので、二百万円なら小遣いで買っておいてもいいかと思ったものが、なんと良く聞くと二千万円との事で、まさかインドで桁が間違っているのではないかとびっくりしたものだ。自動車は続伸である。部品メーカーはアメリカやヨーロッパ向けの輸出も続々獲得し、自国で生産される自動車向け部品に多数上乗せした製造をしつつある。ヨーロッパやアメリカの自動車部品産業はその分凋落するのであろう。

 

「北欧・工業・ゆとり」
北欧は一般的に、スカンジナビア三国(スウェーデン・ノルウェー・デンマーク)にフィンランドとアイスランドを加えた五国を指す。デンマークは厳密に言うとスカンジナビア半島に存在しているのでは無いが、過去の歴史的経緯からスカンジナビア三国に含めている。フィンランドはスカンジナビア三国には含まれない。エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国も厳密には北ヨーロッパであるが、過去ポーランドやロシアに併合された事のある経緯から、東ヨーロッパの範疇に入れられる場合が多い。バルト海はこの地域の内海であり、北の地中海と言っても良いのではないか。この海に面するバルト沿岸諸国は北欧五国にバルト三国、それにドイツとポーランド・ロシアを加えた十一カ国である。日本からすると、あまりにも遠くなじみも薄いので地形的把握が難しいのではあるが、バルト海といえばあのロシアのバルチック艦隊の呼称がバルトであり、そこを基地とした大艦隊の一部が遠く日本海まで曳航されあの日本海海戦が起こるのである。
たとえば、ボルボ(スウェーデン)やノキア(フィンランド)とか、我々塑性加工機械分野ではタレットパンチプレスで有名なフィンパワー社(フィンランド)などの世界的先端企業が、なぜ人口の少ない北欧地区にあるのか以前から不思議ではあった。ちなみにスウェーデンの人口は八百九十六万人、デンマークは五百三十九万人、ノルウェーは四百五十五万人、フィンランドは五百十九万人である。どの国もタイの十分の一、バンコックの人口とほぼ同じレベルの国家人口である。そんなところに何故高度な工業力が存在しているのだろうか?もうひとつ、これらの国に興味があるのは、生きることへのゆとりである。日本が、現在人口減の方向にあるのは事実で、今後これらの国のように少ない人口であっても生きるゆとりが得られる国家政策も、将来の一つの選択枝として考慮するべきだ。人口が少ない国は物を生産するには向かない。だからノキアは製品開発はフィンランドで行っているのだろうが、製品の多くは中国で生産している。それでもノキアは携帯電話での世界的なシェアを誇っているトップブランドだ。今後このパターンは日本も考慮すべき図式である。ヨーロッパのはずれで我々にとってなじみも情報は少ないが、北欧は極めて特異な工業・産業形態をしている。
人口であるが、フィンランドとスカンジナビア三国を合計すると二千五百万人になる。これを一つと勘定すべきなのだろう。過去の歴史を振り返ると、ノルウェーはデンマーク領であったりスウェーデン領であったりしている。フィンランドも一時スウェーデンに領有されていた。十五世紀、スウェーデンの都市カルマルで締結されたカルマル同盟はまさしくこの四つの国がデンマークを盟主として結ばれた王国同盟であった。したがって産業勢力図からすると、この国々を一つのブロックとして見てはじめて、その成立基盤の納得が行く。スカンジナビアはバイキングの国であった。海運国である。もちろん造船技術は裾野が広い高度な工業技術である。ごつごつとした岩盤質の地層からは良質の鉄鉱石が産出され、いわゆるスウェーデン鋼という名で有名な製鋼技術が発展した。ヘルシンキの町には三人の鍛冶屋の像が街なかに建っており(写真)、鍛造もかなり昔から盛んであった事を彷彿と偲ばせる。北海から得られるニシンなどの海産物はノルウェ
sanninーからドイツへ輸出され莫大な富をもたらした。ノルウェー第二の都市ベルゲンにはこの頃の舟屋が今も残っており世界文化遺産となっている。中世、これらの商圏、北ヨーロッパの経済圏を支配したハンザ同盟は、北ドイツ諸都市を中核としてバルト海沿岸国の多くの都市が加盟した。もちろんベルゲンも加盟都市であった。北欧は海産物の供給国として莫大な富を蓄積すると共に海運にたけ、豊富な資金による造船技術とそれに付帯する諸工業も発達したのであろう。バルト海は地中海にも似るが、オスロ・ストックホルム・ヘルシンキの各首都はとんでもなく大きなフェリーでも結ばれ、また、ヘルシンキの港のすぐ先の要塞島、スオレンミンナ島に行くボートから見る周囲の景色は、何かベネチアに似た感じがするのである。
北欧の旅では何を買うにもためらうほど物価が高い。ちょっとした昼食もびっくりする高さだが、勿論社会保障の高さの裏側にある税金の高さが起因している。それでも明るい時間がとんでもなく長い夏の一日、優雅に休日を楽しむ地元の人達を見ていると、日本も今後の行き方の方向性としての一選択として考えても良いはずだと再確認できたのである。
しかしくどいかも知れないが、ゆとりは人生が何たるかある程度分かる年代が享受すべきだ。本多静六いわく、「人生即努力、努力即幸福、天才マイナス努力には凡才プラス努力の方が必ず勝てる」。若い人にはゆとりは必要無く、努力だけが必要だ。
戦後最長の好景気継続で新しい年が明けた。今年も貴社のご発展を祈念いたします。

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